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クリストフ・ヴァルツ

クリストフ・ヴァルツ Christoph Waltz
1956年10月4日ウィーン生まれ。オーストリア国籍。俳優。ロンドンとベルリンに居住。
©DP/Starmax/EMPICS Entertainment

ドイツ語圏のテレビでは常連の顔だが、脚光を浴びることはなかった。ところが昨年、クエンティン・タランティーノ監督作品『イングロリアス・バスターズ』で演じたナチス親衛隊大佐ハンス・ランダ役により、カンヌ映画祭を皮切りに世界の映画祭、批評家協会、ゴールデン・グローブなどで賞を総なめに。先頃はオスカーでも助演男優賞を手中にし、50代にして初めて国際スターの人生を歩み始めた。

曾祖父の代からの演劇一家に育った。両親はともにセットデザイナーである。ウィーンのギムナジウムを卒業後、演劇大学マックス・ラインハルト・セミナーで学び、ニューヨークのリー・ストラスバーグ・シアター研究所に留学。そのまま米国で活動しようと思ったが、「エージェントに頼って一生ナチ役なのは嫌だった」ので故郷に帰り、テレビの仕事を受けていたら20年以上が経過してしまった。刑事警察物の定番『Der Alte』や『Tatort』などで演じた被疑者の役は数知れず、映画で演じた国民歌手、誘拐犯などの数も加えると、受け持った役柄は100人近くに上る。

『イングロリアス・バスターズ』は欧州の諸言語が飛び交う狂言芝居。演じたユダヤ・ハンターことランダ大佐もドイツ語、英語、フランス語をあやつる狡猾な役どころだ。監督が「彼を見つけられなかったら企画をボツにするつもりだった」と語っただけのことはあり、今はハリウッドから依頼殺到。今年12月公開予定の『グリーン・ホーネット』ではキャメロン・ディアスと共演した。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:12
 

ギド・ヴェスターヴェレ

ギド・ヴェスターヴェレ Dr. Guido Westerwelle
1961年12月27日ボン近郊バード・ホネフ生まれ。FDP党首。第2次メルケル政権の副首相・外相© www.guido-westerwelle.de

ハルツIV(第2種失業手当)の給付額を改善すべしとする連邦憲法裁判所の判決に、「手当のトータルが労働から得る収入より多いと誰も働かなくなる」と批判。さらに「これは社会主義だ」「ローマ時代末期の退廃に等しい」とエスカレートしたため、全国的な大論争をあおってしまった。

離婚した父と息子3人の男所帯で「だらしなく育った」。ギムナジウムでも不真面目だったため実科学校へ転校させられ、やっと奮発。優秀に修了してギムナジウムへ戻り、アビトゥアを取得してボン大学で法学を学んだ。30歳で弁護士試験に合格している。

一方、19歳で入党したFDP(自由民主党)内でも頭角を現し、1994年に33歳で幹事長に就任。2001年に同性愛者であることを公表し、党首に選ばれた。02年の連邦選挙では党史上初めて独自の首相候補になり、「得票18%!」のキャンペーンで脚光を浴びている。

しかし甲高い声と大口を叩く言動に不快感を持つ人も多く、CSU(キリスト教社会同盟)のシュトイバー党首(当時)から半人前という意味で「二等水兵」と皮肉られたのは04年。以後このあだ名が付いて回ることになった。

今回の論争でも挑発を止めないために四面楚歌の状態に見えるが、経済研究所からは「2人の子どもを持つハルツVI受給者への補助は合計1500ユーロ前後になり、学校教材の現物支給もある」との援護射撃が飛び出した。世論調査でも72%が討論するのは良いことと回答。しかし、この騒ぎで下がってしまった党と本人への支持率は回復するだろうか。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:12
 

トーマス・ノル

トーマス・ノル Thomas Noll
バーデン=ヴュルテンベルク州出身。ロシア・サンクトペテルブルグの5つ星ホテル、グランド・ホテル・ヨーロッパの総支配人。©Grand Hotel Europe

ロシア第2の都市サンクトペテルブルグの中心街に、1991年新装オープンしたグランド・ホテル・ヨーロッパに勤めて10年、総支配人に就任して4年になる。世界のVIPが集い、数々の賞に輝く5つ星ホテルだ。昨年12月、公共放送ZDF局から、同ホテル従業員の見習いポストにストリートチルドレンを採用していることが報道され、関心を集めた。

生まれ育ったのはシュヴァーベン地方ドナウ河畔の小村ジグマリンゲン。まずコックの修行からこの道に入り、ホテリエ専門教育を受けてカリブ諸島、マルタ、エジプトの有名ホテルで働いてきた。

サンクトペテルブルグには、貧困やアルコール中毒など様々な事情によって親から見捨てられ、路上暮らしになった子どもたちが1万人以上いる。彼らは孤児院やNPOの保護施設に救いを求める。そこで、ホテリエとして彼らを助けることができないかと考えた。社会に何かを返したい思いもあった。「私が育った人口わずか800人の故郷の村に贅沢はなかったが、私には人生を自ら切り開くチャンスがあった。ストリートチルドレンにもより良い人生への可能性があって良いはず」と。

こうして3年前に室内係に採用された19才のナースチャは、初めてホテルを内側から見て「メルヘンの世界に来たと思った」。生花部のワーリャ、菓子部のジャーナなど、現在ホテルで働きながら学ぶ元路上生活者は10名。当初は採用に不安と不快感を示していたスタッフたちも、今は若く誠実な同僚たちを受け入れ、この試みを誇りに感じているという。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:12
 

ハインツ・ブシュコフスキー

ハインツ・ブシュコフスキー Heinz Buschkowsky
1948年7月31日、西ベルリンのノイケルン区ルードー生まれ。同区グロピウスシュタット育ち。SPD所属。同区の区長。©Bezirksamt Neukölln von Berlin

区民30万人の出身国数が162に達するベルリン・ノイケルン区を、2001年から率いる。とりわけ区北部では移民の背景を持つ人口が過半数を超え、失業率、犯罪率ともに高い。その現場で苦戦する区長として、04年に「ムルティクルティ(マルチカルチャーを皮肉る表現)は失敗した」と発言。現在は、連邦政府が13年に導入を始める育児手当(子どもを3歳まで自宅で育てる親に月150ユーロを支給)案に強く反対し、メディアに登場している。

敗戦で旧東部ドイツ領から引き揚げてきた両親を持つ。家族4人が地下の1室で暮らす子ども時代を送った。専門大学で行政管理業務を学び、ベルリンの行政諸機関で働きながらSPDノイケルン区でキャリアアップ。統一直後の1991~92年に初めて区長を務めた。

かねてから、「各種の補助金で生きる当区の住民は貧困層ではない、問題は彼らがしつけも教育も経済的自立の道もない底辺層に属することなのだ」と歯に衣を着せない発言をしてきたが、ノイケルンが一躍有名になったのは06年。生徒の85%が移民系という同区リュトリ基幹学校の教員たちが、生徒のドイツ語力不足と暴力によって授業を続けられないため廃校を求める嘆願書をベルリン市庁に出したことがきっかけだった。

それを機に警備員を公立学校に配備する一方で、閉じこもるムスリム系移民の家庭を同族女性が訪れて社会参加を指導するシティーマザー訪問制度を導入。さらに、子ども手当は子どもを定期的に学校へ送り出す親にのみ支給すべきなどの持論を展開している。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:12
 

クリスティアン・シュトレーベレ

クリスティアン・シュトレーベレ Christian Ströbele
1939年6月7日、当時のプロイセン州(現ザクセン=アンハルト州)ハレ生まれ。弁護士。緑の党の連邦議員。 ©Büro Hans-Christian Ströbele

環境保護、反核・反戦、ウーマンリブ、左派などの諸団体から代表1004人がカールスルーエに集まり、「緑の党」を結成したのは1980年1月13日。その結党30年にあたる今月、創立時からのメンバー、かつ最年長の連邦議員として数々のインタビューに応えている。

60年代後半から一部には知られる顔だった。反体制デモで逮捕された学生たちの弁護を引き受け、極左テロ組織RAF(ドイツ赤軍)の弁護に立ってきたからだ。社会民主党(SPD)の党員だったが、75年にシュトゥットガルトで開廷したRAF第1世代裁判で、被告アンドレアス・バーダーを「同志」と呼んで党籍剥奪。同裁判の弁護職からも解任された。

西ベルリンで「次世代の民主主義と環境保護党」を設立したのは78年10月。それが80年の緑の党結成に大きな役割を果たすことになった。

連邦議員を本業にしたのは98年のシュレーダー政権から。比例代表からの当選だった。しかし次の02年には、トルコ系候補が激戦するベルリン第84小選挙区(クロイツベルク・プレンツラウアーベルク東)から立ち、得票1位で直接当選。さらに05年、09年とますます支持率を増やして当選を続けているが、イスラム教の祝日導入を提案したり、警官のターバンとスカーフの着用を支持したりと、党幹部の眉をひそめさせているのも事実だ。

現在も議員活動の合間をぬって弁護を引き受けている。が、国選での所得は知れたもの。事務所の維持費がかさんで毎年1万ユーロ前後の赤字経営とか。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:12
 

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