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オリヴァー・ヒルシュビーゲル

オリヴァー・ヒルシュビーゲルOliver Hirschbiegel
1957年12月29日ハンブルク生まれ。映画監督。
代表作『ヒトラー 〜最後の12日間〜』
©Axel Schmidt/AP/Press Association Images

「ナチス政権13年下で、最初にして本物のレジスタンスを実行したのは、政治的なバックグラウンドもイデオロギーもない、今でいうなら元NSA局員スノーデンのような一匹狼だったという事実は、戦後のエリート層、メディア、教会にとって非常に具合が悪かったのです」。ゲオルク・エルザーが忘れ去られてしまった理由をこう分析する。この状況を変えたくて『Elser』を制作し、第65回ベルリン国際映画祭のコンペ枠外に出品した。

シュトゥットガルト近郊の小村に生まれたエルザーは、1933年のナチス政権成立当時30歳。甘いマスクの工員である。映画は、村人たちがいつの間にか同一の無感情な行動を取り始め、一方でエルザーがヒトラーの演劇的な咆哮に狂気を察知する様子を淡々と映し出す。ドイツが東欧への侵攻を始めた1939年、彼は単独でヒトラー暗殺計画を企てた。

「普通の人である彼の行動は、あなただったらどうしたか、という問いを我々に突きつけてくる。それは、敗色濃厚となった1944年7月にやっと動いたエリート軍人貴族たちの“遅過ぎた”クーデターに対する、冷めた国民感情にはないものです」。

エルザーは11月8日、ミュンヘンのビアホール、ビュルガーブロイケラーに爆弾を仕掛けた。1923年のミュンヘン一揆を記念して毎年ヒトラーやヒムラー一行が同日そこに集まるからだった。しかしヒトラーは、例年より早く演説を切り上げ、爆弾は退席後に爆発。13分早く爆発していれば歴史は変わっていたはずだった。ゆえに国際配給のタイトルは『13 Minutes』。上映は4月から。(Y.T.)

最終更新 Mittwoch, 04 März 2015 17:38
 

ウド・ヴァルツ

ウド・ヴァルツUdo Walz
1944年7月28日シュトゥットガルト近郊ヴァイブリンゲン生まれ。美容師。ベルリン在住。
©Britta Pedersen/DPA/Press Association Images

ドイツで最も有名な美容師である。顧客名簿にはヘレン・ミレン、クラウディア・シファー、ハイディ・クルム、ジュリア・ロバーツ、ジョディー・フォスターといったスターがずらり。ベルリンを中心に11店舗を展開し、70歳を迎えた今も毎日現場で髪を切る。先月、公共放送ARDの昼のワイドショーに出演し、「この仕事は自分の天職。まだまだ現役でいくよ」と語った。

14歳で美容師見習いとなり、3年後に受けた認定試験ではビリから3番目の成績だったというから、人生どう転ぶか分からない。スイスの高級リゾート地サンモリッツに職を見付け、英語とフランス語を独習。髪を高く結い上げるスタイルで評判を呼び、マレーネ・ディートリヒ、ロミー・シュナイダー、マリア・カラスからも指名を受けた。

兵役を逃れるため、1963年に連合国統治領の西ベルリンに移ってからも、米英仏軍のハイソサエティーを顧客に付け、女性誌や通販カタログのスタイリストとしても活躍。美容界の風雲児となった。

そして今、一番有名な常連客といえばメルケル首相(CDU党首)だ。女史がまだ首相候補だった2003年、お笑い番組でジョークにされている党首の髪型とファッションをなんとかせねばと、党が組んだスタイリスト・チームに呼ばれて以来の縁である。

仕事中は一切無駄口を利かず、スタッフにもそれを求める。私生活では08年に、14年来の事実婚相手と同性シビル・パートナーシップを結んだ。「人生はリハーサルじゃない」がモットーとか。(Y.T.)

最終更新 Donnerstag, 19 Februar 2015 14:52
 

ココ・シューマン

クラウス・ヨハニス"Heinz Jakob „Coco“ Schumann
1924年5月14日ベルリン生まれ。ジャズミュージシャン。
©Karlheinz Schindler/DPA/Press Association Images

アウシュヴィッツからの生還者である。今は体力の衰えから舞台に立てなくなったが、自宅でギターを奏でない日はない。最初に送り込まれたゲットー・テレージエンシュタットでも、ジャズバンドGhetto Swingersのメンバーだった。その演奏シーンが、撮影から70年後となる昨年9月に公開されたドキュメンタリー映画に登場し、話題を呼んでいる。

テレージエンシュタットは、ナチスドイツがチェコ北部のテレージエンシュタットに知識人や芸術家などの特権的ドイツ系ユダヤ人を収監し、「ユダヤ人の幸せな生活」を捏造・宣伝したプロパガンダ収容所だった。1944年6月に訪れた国際赤十字の視察団に整った仕事場と住居、サッカーの試合を見せ、その7週間後に撮影を始めたこの映画には、コンサートを楽しむ男女や遊んでいる子どもたちの姿を収録。しかし、完成版フィルムは敗戦迫る45年3月にプラハで一度上映されはしたものの、以後、行方不明になっていた。

「考えなしの無邪気な若者だったので、映画に出られることが嬉しかった」。現実を悟ったのは44年9月にアウシュヴィッツ行きの貨車に詰め込まれたとき。そこでも音楽で生き延びる。45年1月にダッハウ収容所へ移され、さらにインスブルックへと死の行進を強いられた同年4月、米軍に解放された。

戦後は西ドイツのジャズミュージック・シーンに一時代を築きながら、収容所のことは一切語らなかった。が、86年にジャーナリストから「あなたが話さなくて誰が話すのか」と言われて覚醒。「私は音楽をする生還者ではなく、生還した音楽家だ」と言う。(Y.T.)

最終更新 Donnerstag, 05 Februar 2015 13:07
 

クラウス・ヨハニス

クラウス・ヨハニス"Klaus Iohannis(ドイツ語表記はJohannis)
1959年6月13日ルーマニアのシビウ県シビウ市生まれ。
ドイツ系。昨年末、ルーマニア大統領に就任。
©Klaus Iohannis 2014

ドイツ人の東方植民が始まった12世紀。我が先祖も約850年前にこの地にやって来た。そこはジーベンヴュルゲン地方(現ルーマニアのトランシルヴァニア)。集団で“ザクセン人”と呼ばれた彼ら植民者たちは美しい町を築き、経済と文化の担い手となった。しかし、第2次世界大戦後はソビエト連邦による強制追放とルーマニア政権からの迫害を受けて次々に先祖の国へ去り、かつて70万人を数えたドイツ系市民は現在2万人弱。ルーマニア全人口の0.1%にも満たない。

その、“まだ残っている希少なザクセン人”の1人である。1983年にバベシュ・ボヤイ大学理学部を卒業し、生まれ故郷のシビウ市(ドイツ名はヘルマンシュタット)で教鞭を執っていた89年にチャウシェスク独裁政権が崩壊。これを機に政治活動に加わり、2000年に同市市長に選ばれた。インフラを整備して清潔な町並みを復活させた手腕は海外からも注目され、4期目を決めた12年の選挙でも78%の支持票を集めた。

昨年11月に行われたルーマニア大統領選挙では、国民自由党の党首として出馬し、第1回投票で1位のビクトル・ポンタ首相から“似非ルーマニア人”と揶揄されながらも、決選投票で逆転勝利。「汚職を追放し、ルーマニアを法が支配する普通の国にしたい」と宣誓し、ルーマニア国民全体の希望の星となっている。

先頃は、圏内での国境検査を省くシェンゲン協定への加盟を15年中に目指したいとも発言。メルケル首相と差しでドイツ語を話せるのは間もなくだ。

最終更新 Donnerstag, 22 Januar 2015 17:31
 

カンピーノ

カンピーノ"Campino
1962年6月22日デュッセルドルフ生まれ。
本名Andreas Frege。
ロック・バンドDie Toten Hosenのボーカル、ソングライター。
©Gero Breloer/AP/Press Association Images

エチオピアの飢餓救済を支援するため、1984年に結成されたチャリティー・プロジェクト「バンド・エイド(Band Aid)」から30年目の今年。エボラ出血熱の対策支援にと英国で再結成された「バンド・エイド30」の発起人ボブ・ゲルドフから懇願され、ドイツで活動する歌手たちによる『Do They Know It’s Christmas?』を11月21日にリリース。1週目にして、シングル1位に躍り出た。

作詩&ボーカルを担当するディ・トーテン・ホーゼン(Die Toten Hosen)は、ドイツで最も成功したパンク・ロック・バンドだ。社会風刺を寄席的に歌う特徴を持ち、例えば10人が次々にアルコールやドラッグで死んでいく『Zehn kleine Jägermeister』は96年に大ヒットした。

「このような日々に終わりなきことを」と歌った『Tage wie diese』は、昨年の総選挙に勝利したキリスト教民主同盟(CDU)の祝賀セレモニーで歌われ、反体制たるパンクロッカーとして寝覚めが悪かったが、後日、同党を率いるメルケル首相から直々に謝罪の電話をもらって驚き、「党歌にはしないから安心して」と言われて親しみを感じたことを、11月16日に刊行した自伝で明らかにしている。

今回、ボブ・ゲルドフから話を持ち掛けられたときは正直参った。大真面目なイベントは自分たちのスタイルではない。非常に苦労して歌詞を作り、2週間で仲間を集めて一緒に歌った。参加者が自身のキャリアのために利用したとの批判には、皆が歌手としてできることをしただけだと反論。後悔はない。

最終更新 Donnerstag, 18 Dezember 2014 22:12
 

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