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アンゲラ・メルケル

アンゲラ・メルケル Dr. Angela Merkel
1954年7月17日ハンブルク生まれ。ブランデンブルク州のテンプリンで育つ。CDU党首。連邦首相。
©www.bilder.cdu.de

金融危機で経営難に陥った金融機関への救済制度を導入し、中小企業と市民向けに景気対策プログラムも決めた。しかしEUサミットを前に仏大統領が持ち出したEU景気対策の内訳には「ノン!」、内外の政財界が求める減税案には「次の総選挙後に行う」とかわし、今や世界からマダム・ノーと呼ばれている。

出生直後、牧師である父親ホルスト・カスナーの教区移動に伴って東へ移住し、ブランデンブルク州で成長した。ライプチヒ大学で物理学を専攻し、23才で同級生ウルリヒ・メルケルと結婚(4年後に離婚)、以来この姓を名乗っている。

大きな飛躍は1989年の壁崩壊から。研究職にあった科学アカデミーを辞し、民主主義を求める新党のメンバーになったのだ。翌年、自由選挙で生まれたデメジエール政権の副報道官に就任し、東西統一後の連邦選挙では、CDUから出馬して初当選。「東出身」で「シュタージと無関係」の「若い」「女性」議員メルケルは、4次、5次コール政権に入閣し、98年党幹事長、2000年党首、05年には連邦首相へと駆け上がった。

マッチョな政界で勝ち残れたのは、男性ライバルたちが次々に自滅してしまったこと、そして機を見るに敏だったからだ。「コールのお嬢ちゃん」と呼ばれながら、彼に献金疑惑が発覚すると速やかに距離を置いた。化学者ヨアヒム・ザウアーとの長い事実婚も、98年に正式にした。熟考するが行動はタイムリー。これで金融危機を乗り切れるだろうか。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:17
 

アナ=マリア・ミューエ

アナ=マリア・ミューエ Anna Maria Mühe
1985年7月23日、旧東ベルリン生まれ。女優。両親の離婚後まず父ウルリヒ・ミューエに引き取られ、ウィーン、ハンブルク、ベルリンで成長した。
©Schwarz Weiss Filmverleih

先頃封切られたドイツ映画『Novemberkind 』(クリスティアン・シュヴォホフ監督)で、死んだはずの母親を探し始める旧東ドイツ在住の女性インガと、実は壁の崩壊前に西へ逃げたその母親アネ(回想)の二役を熱演。成熟した演技に加え、実生活でも激動のドイツ史を自ら刻んで逝った両親を持つことで、大変な評判を呼んでいる。

父は名優ウルリヒ・ミューエ(『善き人のためのソナタ』)、母はテレビ俳優ジェニー・グレルマン。2人はかつて旧東ドイツの理想のカップルだった。しかし結婚は東西統一と同時に破綻し、母にシュタージ(旧東独の諜報機関)のIM(非公式協力者)だった疑いが浮上。父と、証拠を捏造されたと主張する母との間で、泥沼の法廷闘争が始まる。

その母は2006年8月に59歳で、父も07年7月に54歳の若さで帰らぬ人になった。マスコミが同情を装って元夫婦間の対立を話題にすると、「私は陪審員ではありません」と拒絶。「一切語りません。それが両方を愛する娘にできる唯一のマスコミ対策です」。

自身の映画デビューは01年。以来、“ミューエ”という名前に付いている旧東のイメージを避けるため、親からの支援を受けずに役を取ってきた。「西で育っているので東の思い出はないんです」。だから『Novemberkind』の二役を監督からどうしてもと乞われたとき、奇妙な感慨にとらわれると同時にとても光栄だと思った。異父・異母兄弟が合わせて6人。今は彼らとの交流に、家族がいる幸せをかみしめてい

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:17
 

ペア・シュタインブリュック

ペア・シュタインブリュック Peer Steinbrück
1947年1月10日ハンブルク生まれ。連邦財務相。 SPD副党首。ボン在住。
©Markus Schreiber/AP/PA Photos

米国のサブプライムローン問題から始まった深刻な金融危機のために、ここ数カ月は休む暇もない。まずドイツ不動産金融2位ヒポ・レアル・エステートの破たんを回避させるべく、救済策を仲介。続けて公的資金を投入する金融機関救済法を成立させ、苦境に陥った州銀バイエルンLBや商銀コメルツバンクなどの経営建て直しを急がせた。

社会民主党(SPD)に入党したのは22歳の時。キール大学で国民経済学と社会学を学び、連邦SPDのシュミット政権下(1974-82)で国土省、運輸省、科学技術省、首相府を渡った。キリスト教民主同盟(CDU)に政権を奪われた後は、州のSPD政権でキャリアを積み、2002年にはノルトライン=ヴェストファーレン州の首相に就任。しかし大規模な補助金削減を提唱したことで、05年の州議会選挙では憂き目をみることになった。

それでも「補助金に群がるロビイストと闘うには、例外を残さず刈り取る芝刈り機メソッドしかない」とコメント。図太い神経を印象付けて、メルケル政権から入閣を請われることになった。

しかし党の首相候補として1度も名前が挙がらないのは、こうした鋭い舌鋒のゆえとも言われる。今回の金融危機でも、救済策を講じながら「責任は危機を招いた本人にある」とけん制。先頃は堪忍袋の緒が切れたのか、経営者たちを「金の亡者」とまで言い放った。これからはオペルなど自動車産業への救済にも追われる。当分休む暇はないだろう。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:17
 

ジェム・エスデミール

ジェム・エスデミール Cem Özdemir
1965年12月21日シュトゥットガルト近郊バート・ウーラッハ生まれ。04年から緑の党の欧州議会議員。
©YVES LOGGHE/AP/PA Photos

自称アナトリア=シュヴァーベン人。アナトリア半島からドイツへ労働移民してきたトルコ人を両親に、シュヴァーベン地方で生まれた。シュヴァーベンとは、バーデン=ヴュルテンベルク州中部からバイエルン州西部一帯を指す古い名称。かの地に住むシュヴァーベン人は発明好きな倹約家で知られている。

そのためでもあるまいが、気鋭の政治家として順風満帆だった2002年、個人融資の受託と公用マイレージのプライベート使用が明るみに出て、連邦議会議員と党の役職を辞任するはめに。しかし他に名前が上がった関係者の中で唯一、責任を取った政治家でもあった。

緑の党に入党したのは16歳の時。党の政治をイロハから学び、ロイトリンゲン社会専門大学で教育社会学を履修する。連邦議会入りしたのは1994年。29歳のドイツ初・トルコ系連邦議員は、外交、移民融合問題、EUとイスラムをテーマにたちまち頭角を現した。と同時に、トルコの差別問題やアルメニア人虐殺をめぐる言論弾圧を激しく批判。ドイツのトルコ系新聞からは「売国奴」と罵られ、脅迫状を何度も受け取っている。

目下の関心事は今月14~16日にエアフルトで開催される党大会。双頭党首の1人ビュティコーファー氏が降板するため、レアロ(現実)派からの懇願を受けて同ポストに立候補する。「若い」「外国系」「スマート」と、宣伝効果が三拍子揃った彼。支持率低迷に悩む党にとって、再び有権者の注目を集める新しい顔になれるだろうか。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:17
 

モーリッツ・ブライブトロイ

モーリッツ・ブライブトロイ Moritz Bleibtreu
1971年8月13日ミュンヘン生まれ。ハンブルク育ち。映画俳優。
©Mark Cuthbert/UK Press/PA Photos

1997年、「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア(Knockin' On Heaven's Door)」の間抜けなギャング役で注目され、翌年の「ラン・ローラ・ラン(Lola Rennt)」で国際的な脚光を浴びた。以後「ルナ・パパ(Luna Papa)」「太陽に恋して(Im Luli)」「es[エス](Das Experiment)」「ミュンヘン(Munich)」と次々に話題作に出演。先月末に封切られた衝撃作「バーダー・マインホフ・コンプレックス(Der Baader Meinhof Komplex)」(ウリ・エーデル監督)では、ドイツ赤軍(RAF)の創設者アンドレアス・バーダーを演じ、性格俳優の名を欲しいままにしている。

母は現役の名女優モニカ・ブライブトロイ。別の家庭を持っていた亡父ハンス・ブレンナーも舞台役者だった。演劇の道に進む自然な環境にあったが、まずはギムナジウムを中退してパリへオーペア遊学。演劇学校に入学したのは19歳、NYでだった。

上述の最新作「バーダー・マインホフ・コンプレックス」は、シュピーゲル誌元編集長シュテファン・アウストの原作を忠実に追い、RAFテロの事実を非情なまでにリアルに描いたといわれる。演じた主役バーダーは女ばかりの家庭で育ったためか、特に知的な女性をうまく扱う術をこころえ、街のチンピラから政治殺人集団のリーダーへと上った人物。その軽さと狂気を見事に演じきったと評価された。

趣味は料理と読書。「僕は全く手間のかからない実直な人間なんです」と言う通り、普段の生活に派手さはない。今後も「見る側が受身」なテレビには出ないそうだ。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:18
 

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