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ニュースのかお


ジュリア・エンダース

ジュリア・エンダースGiulia Enders
1990年マンハイム生まれ。
フランクフルト大学医学部・消化器科博士課程。
©Gerald von Foris

学生や若手の科学者が一般市民の前で10分間のプレゼンテーションを行い、どれだけ分かりやすく、かつ面白く紹介するかを競うイベント「サイエンス・スラム」。2年前、フライブルク大会、ベルリン大会、カールスルーエ大会でベスト・プレゼンテーションに選ばれ、動画がYouTubeにアップされて一躍話題の人に。インタビューやトークショーに引っ張りだことなり、今年3月に出版した小冊子はベストセラーの実用書・文庫本部門で32週トップに立った。しかし先頃、「とてもエキサイティングな体験でしたが、そろそろ自分の世界に戻ります」と博士課程への復帰を表明。「国家試験に合格して、できるだけ良い医師になります!」と元気に語った。

「専門を聞かれて“腸”と答えると、皆がうっ……と詰まるんですね~」と始まるプレゼンテーションのテーマは、『Darm mit Charme(腸ってチャーミング)』。Kot(大便)、Kacke(ウンチ)、Pup(おなら)といった、ちょっと恥ずかしいダイレクトな表現で笑いを誘い、「複雑なのに軽んじられている」臓器に関心を向ける。腸は「とても感受性が強く、責任感があって機能的。脳にとって最も重要なアドバイザーなのです」と。

冊子では、幼生時は泳ぐために脳を持っていても岩場に定着して泳ぐ必要がなくなると脳を消化してしまう海鞘(ホヤ)の話を引用。「私も年を取ったら心配の種である脳を消化して、悠々自適に生きたいわ」と言いつつ、「でも今はまだ必要。50年したらお茶を飲みながら考えてもいいけど」と笑った。

最終更新 Donnerstag, 04 Dezember 2014 16:09
 

ゴリネー・アタイ

ゴリネー・アタイGolineh Atai
1974年12月8日テヘラン生まれ。イラン人。ホッフェンハイム育ち。TVジャーナリスト。
©WDR/Herby Sachs

公共放送ARDのカイロ特派員として2004年からレバノン・イスラエル戦争、スーダンのダルフール紛争、アラブ各国の民主化運動について報道し、13年からは系列局WDRのモスクワ特派員としてウクライナ問題を伝えている。去る10月22日、その「抑制された冷静な報道」に対し、優れたTVジャーナリストに贈られるハンス・ヨアヒム・フリードリヒ賞が授与された。

1979年、5歳のとき両親に連れられてテヘランから西ドイツへと亡命してきた。エンジニアの父は外国と関わりがあり、国営オイル企業に勤務する母は女性のヒジャブ着用義務に反対を表明。ともにイスラム革命では攻撃の対象になった。国を脱出するとき、母から「髪を隠さないと学校へ行けなくなるから」と説明されたという。

ハイデルベルク大学で政治学とイラン学を修め、ユネスコに職を得るも外交は自分に向かないと悟り、02年にボランティアで公共放送に入局。6カ国語を話す能力、イスラム文化の知識、冷静な政情分析とソフトなボイスが評価され、04年以後、短期の国内勤務を挟んでアラブ世界、インド、イラン、現在のウクライナと、主に紛争地域から鬼気迫る実況報道をしている。

「異邦人ボーナスが出ている」との嫉妬の声には、「私は実力でこの仕事を得たのだし、威圧感のない小柄な女性だから取材で本音を引き出せるメリットがある」と反論。現地の言葉が分かれば、女性ジャーナリストには男性よりチャンスがあることをドイツの男性はそろそろ理解すべきと、やんわり語る。

最終更新 Donnerstag, 20 November 2014 14:58
 

ボリス・パルマー

ボリス・パルマーBoris Palmer
1972年5月28日シュトゥットガルト近郊ヴァイブリンゲン生まれ。緑の党の政治家。2007年からテュービンゲン市市長。
©Manfred Grohe

昨年秋の連邦議会選挙で緑の党の得票率が8%にまで落ちた原因は、「イデオロギー倫理に支配されて現実に対応できないからだ」と激しく批判し、中央部との溝を深めている。一方、2007年1月から市長を務めるテュービンゲン市では絶大な支持を集め、先月19日に行われた市長選での得票率は62%。2期目続投を決め、彼を煙たがっている党の連邦幹部たちからも祝福のコメントが届いた。

亡き父はバーデン=ヴュルテンベルク州各地の自治体選挙に250回も無所属で立候補した人権活動家で、子どもの頃から政治は身近なテーマだった。オール1(最優秀)の成績でアビトゥアを取得した後、テュービンゲン大学数学科に進学。学生連合の環境交通レポーターとなり、市に掛け合って1996年に深夜バスの運行を実現した。同年、緑の党に入党し、州議会議員を経て06年10月にテュービンゲン市長選で勝利。現在に至っている。

「多少なりとも結果が出る実践的な政治をする」。5000人分の新規雇用を創出し、市に入る営業税を3倍に増収、3歳以下の幼児の90%に対し、保育園入園を可能にした。公用車をエコカーに変え、今は電動自転車で動き回る。連邦議会議員フランチスカ・ブラントナー(緑の党)との間に娘が産まれたときは2カ月の育休を取ってニュースになり、昨年末には再びシングルになってまた話題に上った。

党の役職をとことん外されてきたため、経済に強いレアロ(現実派)として連邦に出るチャンスは当分なさそうだが、「離党するつもりはない」。頑固なシュヴァーベン人だ。

最終更新 Donnerstag, 06 November 2014 12:49
 

ヨハンナ・ヴァンカ

ヨハンナ・ヴァンカDr. Johanna Wanka
1951年4月1日、東ドイツ・ローゼンフェルト生まれ。
数学者。大学教授。CDU党員。2000年ブランデンブルク州科学相、10年ニーダーザクセン州科学文化相、13年2月より連邦教育・研究相。
©Michael Sohn/AP/Press Association Images

2010年、旧東ドイツ出身者として初めて旧西ドイツの州政権に入り、昨年2月には連邦政府の教育相に就任。11月9日のベルリンの壁崩壊25周年を前にインタビューに応じ、東ドイツ(DDR)時代を振り返った。

西への亡命を考えたことは一度もない。「DDRは私の祖国です。逃げたくないと思っていました」。青少年政治活動組織FDJ(自由ドイツ青年連盟)に参加させられたときの屈辱感を今でも思い出す。成績優秀なのに高校への進学許可が出ず、党中央部に嘆願書を送っても何も変わらなかったので、ついに父親が郡長の畑にコンバインを持ち込んで農作業をし、労賃の代わりに娘を高校へ行かせてくれと頼んだ。すると、FDJに入れば許可してやると言う。「これがDDRの現実。DDRはプロレタリアートの“独裁”国でした」。

数学を専門にしたのは、「数学オリンピックで優勝したくらい好きだったし、言論統制下であっても自由に考えられる科学だから」。1986年、教鞭を執る大学で軍縮問題を取り上げて懲戒委員会に呼び出され、抗議集会が激しさを増した89年9月には、国の自力更正を訴える知識人グループ“新フォーラム”に加わる。壁が落ちた11月9日、これで医者も芸術家も皆いなくなると思った。

現在、教育相として「西では変化への不安が強過ぎる」と辛言。「アビトゥアまでの学習年数の短縮を問題視するのは西だけ。働く母親を薄情だと言うことも東ではあり得ません」。メルケル首相とは「東ドイツ出身かつ科学者として反応が似ている」と語る。

最終更新 Donnerstag, 16 Oktober 2014 13:48
 

ファティ・アキン

ファティ・アキンFatih Akin
1973年8月25日ハンブルク生まれ。トルコ系ドイツ人。
映画監督・脚本家・俳優・プロデューサー。
©Domenico Stinellis/AP/Press Association Images

1915年にオスマン帝国で起きた少数民族アルメニア人の追放・虐殺を描いた新作『The Cut』を、先月開催された第71回ヴェネツィア国際映画祭に出品。トルコの極右民族主義団体から脅迫されていることを明かした。

トルコ系移民の2世である。父親は1965年に出稼ぎでハンブルクへ移住し、母親はその3年後に教職を辞めて渡ってきた。家庭ではトルコ語しか話さなかったが、「子どもの将来は教育次第だと固く信じる母親の激励を受けて」ギムナジウムへ進級。クラスのほぼ全員がドイツ人という中、ドイツ文学で優秀な成績を挙げ、放課後にはトルコ人仲間と徒党を組んで毎日殴り合いの喧嘩をしていた。そんなある日、仲間とたむろするアジトに母親が乗り込んできて大叱責。思春期の二重生活からこうして抜け出せたのは、「幸運にもこの母親がいたから」と、今は振り返る。

『The Cut』は当初、アルメニア人虐殺を告発したため、2007年に暗殺されたアルメニア系ジャーナリスト、フラント・ディンクを描きたくて企画したが、出演を引き受ける俳優がいなかったため、虐殺から奇跡的に生き延びた主人公ナザレが、生き別れた双子の娘を探してシリア、レバノン、キューバ、米国へと“オデッセイの苦難の旅”をするストーリーに変更した。メルヘンのような甘さがあるとの批判には、「救いのない苦悩を描くのは自分のスタイルではない」と答える。04年の『Gegen die Wand(愛より強く)』、07年の『Auf der anderen Seite(そして、私たちは愛に帰る)』に続く「愛・死・悪」3部作の最終章として、「悪」をテーマにした。

最終更新 Freitag, 03 Oktober 2014 11:29
 

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