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ダイアン・クルーガー

ダイアン・クルーガー Diane Kruger
1976年7月15日、ニーダーザクセン州アルガーミッセン(ヒルデスハイム近郊)生まれ。本名ディアーネ・ハイドクリューガー(Diane Heidkrüger)。

ハリウッドに彗星のごとく現われ、スターの階段を瞬く間に駆け上がった。先日閉幕した第60回カンヌ国際映画祭では、ドイツ人として初めてオープニング・ガラと表彰式の進行役を務め、「マレーネ・ディートリヒ、ロミー・シュナイダーに続く国際派大女優の誕生か」と期待されている。

ロンドンのロイヤル・バレエ団で学び、本当ならバレリーナになるつもりだった。しかし13歳のとき負傷して断念。ドイツに戻って義務教育を終え、16歳でパリへと進出する。ファッション雑誌のモデルとして自立し、同時に演劇学校で映画監督リュック・ベッソンから指導を受けるためだった。

本格的な映画デビューは2002年。デニス・ ホッパーとクリストファー・ランバート共演の 「The Piano Player」で端役を演じ、その2年後に、ブラッド・ピット主演の「トロイ」で、応募者3000人の中からスパルタの王妃ヘレネ役に選ばれた。続けて「ナショナル・トレジャー」 でニコラス・ケージ、「敬愛なるベートーヴェン」 でエド・ハリス、新作「Goodbye Bafana」ではジョセフ・ファインズと共演。憧れのスター たちを前に、「時々頬をつねって夢を覚まそうとした」そうだ。

「Mon Idole」「戦場のアリア」で共演したフランス人の夫ギョーム・カネとはすでに別居状態にあるが、それでも住み慣れたパリを離れるつもりはない。「私はヨーロッパ人です」と 言う。人生を自分の手で切り開く確固とした意思の持ち主なのだろう。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:24
 

トーマス・デュルフライン

トーマス・デュルフライン Thomas Dörflein
1963年1月3日、ケルン近郊ヒュアト=ヘアミュールハイム生まれ。

ベルリン動物園の「クヌート」といえば、ただいま世界中から押し寄せるファンの熱い視線を一身に浴びているシロクマの赤ちゃん。その傍らで一緒にカメラのシャッターを 浴び、世界一有名な飼育係になってしまったのが彼、クヌートの育ての親である。

クマを担当して24年。「色々な動物に接したが、クマが自分の性格に最も合っている」。閉館したあとクマ舎の前でギターを弾くのが楽しみだった。ヒグマやヒマラヤグマたちは 「クラシックだとそっぽを向いても、ロックだと檻の前に集まってくる」そうだ。

しかし2006年12月5日以来、もう趣味の時間はない。双子を産んだ白クマ、トスカが育児を放棄したため、親代わりを引き受けたからだ。シロクマはネズミ大で生まれて急成長する動物。自然環境での生存率は6割に満たず、人工飼育での成功例は過去50年間に1件 もない。実際、クヌートの弟は生後4日で死んでしまった。

デュルフラインはクヌートをまず卵の孵化器に入れ、魚肉のすり身と小麦粉のミルクを2時間おきに与えて、4カ月間添い寝をした。クヌートは人間パパが視界から消えると鳴き声を上げ、じゃれて噛みつかれるパパの方は痛みと睡魔との闘いだった。

体重9キロにまで育ったクヌートは、一般公開されてパパ以外の存在にも慣れた。クマは普通2歳まで母と一緒にいるが、人間にとっては生後半年ほどで危険になるため、そろそろ独り遊びの訓練を始めている。さてご両人、涙なしに子離れ・親離れができるだろうか。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:25
 

ミヒャエル・ナウマン

ミヒャエル・ナウマン Dr. Michael Naumann
1941年12月8日ザクセン=アンハルト州ケーテン生まれ。ジャーナリスト。出版人。

来年2月の州議会改選に向けた首相候補の選定で、党員投票から1000票が紛失するという大失態を演じたハンブルクの社会民主党(SPD)。このスキャンダルから党幹部は全員辞任とあいなり、新たに候補として担ぎ出されたのが彼。高級紙「ツァイト」の発行人にして、前シュレーダー政権での文化相である。

政治学、史学、哲学をミュンヘン大学で修め、博士号のほか大学教授資格まで持つインテリなだけに、日常に不安のある市民への理解を疑問視する声は高い。しかし「極貧生活なら身を持って知っている」。生後1歳の時、父親はスターリングラードで戦死。残された母と息子は旧東ドイツで生き延び、1953年にシュタージからアメリカの親族との関係を疑われて、西へと亡命してきた。「八百屋から木箱をもらって家具にし、食うや食わずの生活だった」と当時を振り返る。

現在ハンブルクを率いるオーレ・フォン・ボイスト市長(52)は、薬物中毒者に代替療法の道を開き、就職に不利な基幹学校を実科学校と統合させる学校改革を予定するなど、保守政党、キリスト教民主同盟(CDU)らしからぬ政策を取っていることで人気が高い。そのため政権奪回は難しいのではと問われると、「SPDは教育と文化への投資を増やす政策で勝負する」と強調。定年を迎える年齢であるが、それゆえ高齢福祉にも力を入れられるとのこと。応援人にはシュレーダー前首相やシリー前内相も名を連ね、団塊世代の最後の挑戦といった趣に見えなくもない。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:25
 

ウルリヒ・ミューエ

ウルリヒ・ミューエ Ulrich Mühe
1953年6月20日、ザクセン州グリマ生まれ。妻は女優のスザンネ・ローター。

昨年封切られたドイツ映画「Das Leben der Anderen(善き人のためのソナタ)」で主人公を演じ、06年度ヨーロッパ映画の最優秀男優賞を獲得。先頃は作品がアカデミー賞外国語映画で最優秀賞に輝き、新星の監督 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマ ルク共々、世界から注目を集めている。

東ドイツ時代に人民軍の兵役でベルリンの壁を警備した経験を持つ。ライプツィヒの演劇大学に学び、東ドイツを代表する劇作家ハイナー・ミュラーに見出された。マクベス、ハムレットなどシェークスピア劇の舞台で脚光を浴び、同時に東ドイツ最初のテレビドラマにも出演、国民的役者になった。東西統一後も「ピーナッツ」「Funny Game」などの 映画で様々な役柄をこなし、一方でザルツブルク、ウィーンなどの舞台で名演技を披露している。

「Das Leben der Anderen」で演じたのは、旧東ドイツに張り巡らされた諜報機関(俗称シュタージ)の要員。ある劇作家とその恋人(女優)の生活を盗聴する中で統制国家の矛盾に気づき、東の現実を西のジャーナルに流した劇作家を結果的にかばってしまう役だった。いみじくもこのキャスティングは、彼自身が監督に「前妻だった女優ジェニー・グレルマンはシュタージのIM(非公式協力者)だった」と語ったことで話題になり、さらにはベルリン地裁の法廷闘争へと発展。「無意識だった」と主張した前妻はしかし、昨年8月に59歳で急逝し、彼自身には癒されない痛みが残された。ドイツを代表する名優である。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:25
 

ウシ・オーバーマイアー

ウシ・オーバーマイアー Uschi Obermaier
1946年9月24日ミュンヘン生まれ。昨年「High Time(共著)」を出版した。

学生運動とヒッピー文化が旧西ドイツ社会に波及した1967年の春、ミュンヘンの学生街シュヴァービングに「コミューン」と呼ばれる生活共同体が生まれる。私有物を分け合い、ヌードになり、セックスとドラッグも共有するこの共同体は話題になり、メンバーの中でひときわ美形の彼女は「セックス革命のイコン」になった。あれから40年、その「ワイルドな半生(自叙伝1994年)」が先頃、「8 Miles High」のタイトルで映画化され、ベルリン映画祭にも出品。 68年組と呼ばれるドイツ版・団塊世代の郷愁を誘っている。

彼女がコミューンの設立メンバーになったのは、脱社会行動を提唱するライナー・ラングハンスのガールフレンドになってから。親に反発し、写真学校を中退したばかりの彼女にとって、世界初の“ビッグ・ブラザー”と言えなくもないコミューンは、自由と露出趣味を満たせる格好の場だった。初々しい胸をさらしてフォトモデルとして注目され、米ファッション誌「ヴォーグ」 の表紙を飾る。写真家ヘルムート・ニュートンのモデルにもなった。

80年以後はカリフォルニアに住み、ジュエリー・デザインの仕事をしている。それでもモデル業は魅力らしく、50歳の時プレイボーイ誌でヌードを披露。昨年はシュテルン誌で60歳の裸体を見せた。しかし、現在もハーレム的なコミューン生活を続ける元恋人には会いたがらない。「冷蔵庫を誰かと共有するのはまっぴら」だそうだ。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:25
 

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