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ニュースのかお


ガブリエーレ・パウリ

ガブリエーレ・パウリ Dr. Gabriele Pauli
1957年6月26日ラインラント=プファルツ州シュヴァイヒ生まれ。CSUの党員歴は30年になる。

バイエルン州の長期政権党、キリスト教社会同盟(CSU)の次期首相候補問題で、党執行部がシュトイバー州首相・党首との結束を強調した中、彼女だけが「連邦政府への入閣を断ったことで氏は信頼を失った。後継者を探すべき」と公言。著名な男性党員らから「イイ女だからっていい政治家とは限らない」「メークアップに専念しろ」と侮辱されてきた。しかし、シュトイバー氏がついに役職からの降板を表明した現在、「恐れを知らない赤毛の魔女」パウリは、党のマッチョたちに 一目置かれる怖い存在になった。

エアランゲン=ニュルンベルク大学で経営経済学を学び、さらに政治学で博士号を取得した。1990年までニュルンベルク近郊ツィルンドルフの町長を務め、以後現在まで、同域フュルト郡の郡長として、地域産業の育成に力を注いでいる。離婚してから未婚で産んだ一人娘は、もう19歳。シックな服を着こなし、時にオートバイをぶっ飛ばす。保守政党に属しながら反体制的な政治家として、保守的な男性からは煙たがられ、一方で女性層から人気を集めてきた。

今回の騒ぎでマスコミに引っ張りだこになっているが、PRは得意分野。王様殺しと言われても、「発端を作っただけ」とクールに受け流す。女性問題をテーマにしたトークショーでは、ドイツ・フェミニズムの貢献者アリス・シュヴァルツァーを始めとする女性ゲストから絶大な支援を受けた。本人は今後も郡に留まりたいと言う。中央政権の男性陣をとりあえず安心させておくための方便に聞こえなくもない。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:25
 

アンドレア・クッチュ

アンドレア・クッチュ Andrea Kutsch
1967年フランクフルト・アム・マイン生まれ。ドイツで唯一モンティ・ロバーツから認可を受けた馬のインストラクター。

馬の心をつかむカウボーイとして知られ、 米映画「The Horse Whisperer」(監督・主演ロバート・レッドフォード)のモデルにもなった伝説的な馬の調教師モンティ・ロバーツから直接指導を受け、2002年、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州に「モンティ・ロバーツ・ラーニングセンター」を開校。事故などでナーバスになった馬や攻撃的な馬を調教してきた。そして昨年、馬を愛する建築業者の後押しで、今度は世界で唯一の調教師学校「アンドレア・クッチ・アカデミー」をベルリン近郊のバード・ザアローに開いた。今春の生徒募集にはポーランド、カナダなど国外からも志願者が殺到し、注目を集めている。

馬と出会う前は市場調査事務所を率い、同時に世界選手権に出場するプロのウィンドサーファーだった。転機は1999年。ロバ ーツの著書「The Man Who Listens to Horses(馬と話す男)」に衝撃を受け、直ちに弟子入りを決めたという。師ロバーツの指導法は「馬の言語 Eguus」を習得すること。その言葉を囁いて正しいシグナルを送れば、どんな暴れ馬でも調教できないことはないといわれる。事実、04年にルポを組んだARDテレビ局の撮影チームは、見知らぬ状況に興奮して暴れる馬が彼女の「囁き」によって静かになる様子を目撃し、その特殊な能力を納得するに至った。

養成アカデミーでは、馬の言語と行動学のほかに経営理論と法学、獣医学を6学期間で修得させる。彼女同様に馬と話せる調教師がはたして育つだろうか。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:25
 

クラウディア・ルートヴィヒ

クラウディア・ルードウィヒ Dr. Claudia Ludwig
1960年ダルムシュタット生まれ。ドイツ動物愛護連盟からフランツ・フォン・アッシジ賞を授与された。

ホームに収容された動物に新しい住みかを探すテレビ番組「Tiere suchen ein Zuhause」がWDR局で始まったのは1992年1月。同番組をスタート時から率いてきた。これまでに紹介した犬、猫、ウサギ、モルモット、ハムスター、小鳥など1万2798匹の80%以上に新しい飼い主を見つけている。昨年のクリスマスイブに祝った放送15周年のイベントでは、元捨て犬と拾い主によるフリスビー・ショーなどのほか、番組で愛犬を見つけた米俳優のジョージ・クルーニーやジョニー・デップもビデオで参加。虐待と放置が横行する南欧のペット事情を批判し、動物の飼い方にも触れる彼女の司会に、新たな拍手が贈られた。

フランクフルト大学でドイツ文学と教育学を修了後、高校教諭の資格を取り、さらに博士号も取得。ヘッセン放送局で自然と動物をテーマに番組を編集したことが、仕事の方向を決めた。初めて自分で犬を飼ったのは19歳のとき。旅行先のギリシャで見つけた目も開かない子犬をメタクサ酒の箱に隠し、ドイツへ密入国させて哺乳瓶で育てあげた。巨大なシェパードになるなど、そのときは想像もしなかったそうだ。

夫と子ども3人と暮らす現在でも、自宅にはポルトガル、ギリシャ、シチリア、スペイン、そして近所で見つけた猫6匹と犬2匹がうろついている。番組でもスタッフの警告を無視して、トラウマを持つ犬や過敏な犬にも触っているが、一度も噛み付かれたことがない。犬が「いいよ」と信号をくれるのだとか。幸運な人だ。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:26
 

ウルズラ・フォンデアライエン

ウルズラ・フォンデアライエン Dr. Ursula von der Leyen
1958年10月8日ブリュッセル生まれ。90年にCDU入党。現在メルケル政権で青少年・家族相を務める

勤務時間を短縮して育児を引き受ける親に対し、所得に応じて月額300〜1800ユーロの両親手当(Elterngeld)を支給する制度を提唱、今年1月1日の0時に施行させた。このため、年明けまで出産を遅らせる妊婦が続出。フォンデアライエン連邦家庭相は一躍時の人になった。

ニーダーザクセン州で州首相を務めたエルンスト・アルブレヒト(CDU)を父に持つ。ドイツでは珍しい2世の政治家だが、表舞台に登場したのは遅い。まずは医学を修め、ハノーファー大学病院の産婦人科に医師として勤務。同僚と結婚し、4年間米スタンフォード大学経済大学院で学んだのち、再びハノーファー大で社会衛生学を研究してきた。同時に子供を7人産んでいる。スーパーキャリア・ママの政治家として話題になったのは03年4月。ニーダーザクセン州のヴルフ新政権から社会相へと抜擢されてからだった。

連邦の大連立政権に入閣後は、ポニーやヤギとたわむれる家族9人の写真をプレス用に提供して「子供を政治の道具に使っている」と批判され、子供、キャリア、意見、規律、愛嬌のどれをとっても目立ちすぎると皮肉られているが、本人はどこ吹く風。しかし「省の秘書官をまるで自宅の家政婦のように扱っている」とすっぱ抜かれ、以後は多少ブルジョワ顔を隠すようになった。子育てと仕事の両立方法を男性から質問されると、「あなたならどうします?」と逆に意識改革を促しているという。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:25
 

法王ベネディクト16世 / ヨーゼフ・ラッツィンガー

法王ベネディクト16世 Josef Ratzinger
1927年4月16日イン川沿いの町マルクトゥル生まれ。 2005年4月19日からローマ法王ベネディクト16世。

東ローマ帝国の皇帝マヌエル2世はペルシャ人教師に向かい、宗教と暴力の関係についてこう尋ねた。ムハンマドは何をもたらしたか?剣によって説いた信仰には邪悪と非人間性しか見えない。

今年9月、故郷訪問の講演で使ったこの引用がイスラム教徒の反発を招き、遺憾を表明するはめになった。しかし11月、厳重警戒下で初訪問したトルコでは、ブルーモスクに礼拝してイスラムとの対話を実行し、さらに1054年から断絶していたギリシャ正教会とも和解。外交に疎いと叩かれた2カ月前の状況から一転して、やはり「理性と神の言葉」を説く啓蒙の人だったと再評価を受けている。

イースターの土曜日に生まれ、その日に洗礼を受けたことが人生を決めたと語る。高校生の時、防空隊に徴兵されて戦線へ赴き、米軍の捕虜になった。作家ギュンター・グラス の自伝によると、そのキャンプで後の法王は、捕虜になっていた当時の親衛隊員グラスと出会い、司祭になる夢を語ったという。

戦後、神学と哲学を修め、教理学の教授として教壇に立った後、ミュンヘン教区で枢機卿へと進出。鋭い問答で「パンツァー(装甲の)枢機卿」の異名を取った。法王としては前任者の道を継承しているが、一方で旧友だったバチカン批判の最先鋒キュンク神学者と再会し、最近はエイズに対する人命防護の観点からコンドームを必要悪とする神学的定義を進めているとの報告も。頭脳明晰かつ挑発的な法王であることは間違いない。

最終更新 Freitag, 02 September 2011 11:27
 

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