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ニュースのかお


ジョー・バウシュ

ジョー・バウシュ Joe Bausch
1953年4月19日ヘッセン州ヴァルトブルン郡生まれ。
医師、俳優、執筆家。
©WDR / Martin Valentin Menke

各地の警察署が持ち回りで事件を解決する最長寿の刑事ドラマ『Tatort(事件現場)』。そのケルン署シリーズに1997年から検死官役で出演し、現実でも86年からマールブルク近郊ヴェール刑務所に常勤する本物の医師だ。今年3月、名門サッカー・クラブFCバイエルン・ミュンヘンのウリ・ヘーネス会長(当時)に下された脱税罪による懲役3年半の実刑判決を機に、マスコミの関心を集めている。

「気の毒だね、刑務所が」と、まず同情。ヘーネス氏を入所させるバイエルン州オーバーバイエルン行政管区のランツベルク刑務所は「有名人に対する優遇措置はないことを示さなければならず、ヘーネス服役囚に関わった人物は善意であろうと悪意であろうと、一夜にして有名人。マスコミは隠し撮り写真に大枚をはたくだろう。この状況で、職員に通常の勤務は不可能だ」と。

2012年に自著『Knast(監獄)』を発表し、刑務所医の現実を語った。ある未決囚は全人生を告白して2日後に首を吊り、ある受刑者は医師の黙秘義務を利用して別の殺人を告白。「刑務所では、精神面でのチャレンジが求められる。ヘーネス氏は、持ち前のプラグマティズムをフル活用してほしい」と助言する。

Tatortの俳優仲間と共に“ストリートチルドレン問題を問う社団法人”を立ち上げ、番組を制作するなどの活動で、13年6月に連邦功労賞を受けた。大学では医学の前に演劇を学んでおり、役者と医師という2つの視点で物事を見られることは利点だと思っている。当分、二足のわらじを脱ぐつもりはない。

最終更新 Donnerstag, 17 April 2014 11:37
 

ペーター・クラウス

ピーター・クラウス Peter Kraus
1939年3月18日ミュンヘン生まれ。歌手、俳優。スイス・ティチーノ(テッシン)州在住。
©Mike Kraus / www.krausperino.com

1957年にリトル・リチャードのカバーバージョン『Tutti Frutti』で西ドイツにロックンロール・ブームを巻き起こし、以後8年間で36枚のシングルをリリース。ドイツの元祖ロックンローラーである。先月18日に75歳を迎え、往年の曲を新しくカバーしたアルバム『Zeitensprung(時の飛躍)』を発表した。

舞台監督だった父親の影響で、10歳から歌唱、ギター、ダンスを学び、1954年にエーリッヒ・ケストナー原作の映画『Das fliegende Klassenzimmer(飛ぶ教室)』にヨーニー役で主演したが、演技よりロックンロールにはまり、56年にアマチュアコンサートでビル・ハーレイ、エルビス・プレスリーの曲をカバーしたところ、ポリドールのプロデューサーに見出され、『Sugar Baby』『Kitty Cat』『Sweety』などのヒット曲を生み出した。しかし、ビートルズの時代となった60年代中頃からは基軸を再びルーツの演劇へと戻し、舞台や映画、テレビドラマに出演。音楽番組の司会者としても活躍している。

“善良な近所の男の子”のイメージのまま芸能活動を続けて60年、妻イングリッドと結婚して45年。「彼女がいない生活は想像できない」。妻が連れて来た娘を養子にし、息子が生まれ、それぞれを巣立たせて、今はまた夫婦2人だけ。数年前に愛娘をがんで失ったことは痛恨の極みだが、「こうして妻がいて息子がいて孫もいて、何不自由なく暮らしていけるんだから不満は言えない」。

75歳を機に引退を決意した。10月からは「ファンを驚かせる」全国フェアウェル・ツアーを敢行する。乞うご期待!(Y.T.)

最終更新 Mittwoch, 02 April 2014 17:06
 

クリストフ・マリア・ヘルプスト

クリストフ・マリア・ヘルプスト Pierre Brice (Pierre Louis Baron Le Bris)
1966年2月9日ヴッパータール生まれ。俳優。
©A3261 Ursula Dören/DPA/Press Association Images ニ

2004~12年にテレビのコメディー番組『Stromberg』で演じた無神経なセクハラ係長ベルント・シュトロームベルク役で知られる。2月20日に公開された映画版『Stromberg – Der Film』でもダメ係長ぶりを遺憾なく発揮し、封切り2週間で22万人の観客を動員。シネマ・チャートのトップに躍り出た。

役者になった理由を「厚いカトリック信仰の両親と姉2人に囲まれていたら演技派になるよ」と冗談で語り、子ども全員に「マリア」とセカンドネームが付けられたことも、「サンディーとかマンディーじゃなくて良かった」と笑い飛ばす。学校ではファーストネームのみで通したが、芸名としてはどうにも締まりが悪いのでマリアを再登場させたそうだ。

古典から現代劇まで幅広く演じる舞台役者だが、テレビでも『Sketchup』などでお笑い系の才能を発揮し、02年にはドイツ・コメディー賞にも輝いた。英のテレビシリーズ『The Office』をリメークした『Stromberg』は、架空の保険会社を舞台に、損害補てん課M~Zのうっとうしい係長シュトロームベルクが部下を振り回すという設定。今や町中でもファンからこの係長名で呼ばれるほどの人気キャラだ。

吹き替えやオーディオブックの創作でも活躍する。昨年3月から各地を回って朗読しているのは、偽作した『メルケル夫のシークレット日記』。「アパートの階段の掃除当番になって3週間、積もり積もった埃の上に誰かが、Ferkelmerkel(汚ねえメルケル)と書いた……。ワシントンでオバマに会うというので彼女のブレザーをクリーニング屋から取って来た……」云々、有権者を笑わせている。

最終更新 Donnerstag, 20 März 2014 13:33
 

ヘレーネ・フィッシャー

ヘレーネ・フィッシャーPierre Brice (Pierre Louis Baron Le Bris)
1984年8月5日シベリア中部の都市クラスノヤルスク生まれ。
ドイツ人歌手。
©MDR/Marco Prosch

ミュージックチャートのトップ100に入ること500週以上。2013年10月にリリースした6枚目のアルバム『Farbenspiel(色変わり)』は発売1週間で年間アルバムチャートのトップへと躍り出た。美声とセクシーなショーで大衆の心を掴み、音楽市場に歌謡ポップ旋風を巻き起こしている。

ソ連邦シベリア中部の都市クラスノヤルスクで生まれ、4歳のときに両親・姉と共に西ドイツに移って来た。ロシア皇太子に嫁いだプロシャの候女(後のエカテリーナ2世)の要請で18世紀にボルガ川流域へ移住し、前世紀にスターリンによって中央アジアへと追放されたヴォルガ・ドイツ人の子孫である。

3年間音楽学校へ通い、歌唱芸能の国家認定を受けたプロの歌姫だ。母親が送ったデモテープで才能を見出され、05年5月に公共放送ARDの歌謡ショーで、民族歌謡音楽界の貴公子フロリアン・ジルバーアイゼンとデュエット、一夜にしてスターになった。彼は08年から私生活のパートナーでもある。

これまで若い世代からダサイとそっぽを向かれてきたドイツの歌謡曲(Schlager)がなぜここへ来て人気を集めているのかについて評論家は、「単純なメロディーで愛と哀しみと憧憬をドイツ語で歌うから」と分析。あなたは今も私の心の中にいるわ(07年アルバム『So nah wie du』)、1日だけ子どもの頃に戻れたら(11年アルバム『Für einen Tag』)と歌う“最も成功した歌手(11年度歌謡大賞)”は、まさに「Du bist ein Phänomen(あなたってスペシャル)」(11年シングル『Phänomen』)なのであった。

最終更新 Donnerstag, 06 März 2014 12:48
 

ピエール・ブリース

ピエール・ブリースPierre Brice (Pierre Louis Baron Le Bris)
1929年2月6日フランス・ブルターニュ半島西端の都市ブレスト生まれ。フランス人俳優。
パリ近郊&バイエルン州在住。
©Clemens Niehaus/Geisler-Fotopres/DPA/Press Association Images

ドイツの国民的作家と言えばカール・マイ(1842~1912年)。世界を舞台にした波瀾万丈の冒険小説は時代を超えて読み継がれ、映像にもなっている。その1つ、1960年代に映画化された北米西部の冒険物語にアパッチ・インディアンの若き酋長ヴィネトゥー役で出演。大ブームを巻き起こし、80年代には野外劇でもヴィネトゥー人気に応えてきた。役から引退して20年余り。2月6日に85歳を迎え、ドイツの熱狂的ファンに元気な姿を見せている。

母国フランスではアラン・ドロン似のマスクゆえに役が付かず、スペイン映画に活路を見出していたところ、62年に出演した同国映画『Los Atracadores(山賊たち)』がベルリン国際映画祭のコンペ部門に選ばれ、出向いた西ベルリンでカール・マイ原作『Der Schatz im Silbersee(シルバーレイクの待ち伏せ)』のヴィネトゥー役にスカウトされた。台詞も演技も少ない役柄に正直落胆し、まさか11作も続くとは夢にも思わなかったと言う。劇中で“血盟の友”となるドイツ人探検家、オールド・シャッターハンド役の米俳優レックス・バーカーとは、現実でも無二の友になった。

バイエルン州アムベルク出身で3つ子姉妹の1人である妻ヘラとは連れ添って40年近くになる。まだ学生だった3つ子がスイスのスキー場で“大好きなヴィネトゥー”に気付いて声を掛け、ヴィネトゥー役者の方も、3年後に偶然、空港ですれ違った彼女があのときの3つ子の1人だとすぐに気付いたのだ。「それから僕たちは一緒」。劇中の“ヴィネトゥー、ウソツカナイ”は決め台詞なり。

最終更新 Donnerstag, 20 Februar 2014 10:23
 

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