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ニュースのかお


マリアン・シュライアー

マリアン・シュライアーMarian Schreier
1990年2月8日シュトゥットガルト生まれ。5月20日、BW州コンスタンツ郡テンゲンの町長に就任。
©Konrad Preter, Tengen-Watterdingen

バーデン=ヴュルテンベルク州南部の小さな町テンゲン。3月1日に行われた同町の首長選挙に、被選挙権を有する25歳になったばかりで立候補し、71%もの支持票を得て当選。ドイツ最年少の自治体長になった。

スイスの古都シャフハウゼンと国境を接するテンゲンは、ノルディックウォーキング、乗馬、ゴルフ、スキーと、四季を通じてレジャーを楽しめる景勝地。1973年に就任したヘルムート・グロース前町長(無所属)が、42年にわたって町を治めてきた。カトリック信仰の厚い土地柄である。

そこに、いくら同州の出身とはいえ、25歳、SPD党員、プロテスタントの青年が立候補するのは無謀にも見えたが、党からの支持を断って無党派に変え、町の情報紙とSNSを選挙戦にフル活用。自転車で町の隅々まで回り、神父と話し、地場産業や年長者の常連会でも存在をアピールした結果、ほか3人の候補に大差をつけての圧勝となった。

コンスタンツ大学と英国オックスフォード大学で行政学を修め、2013年からSPDの大御所ペーア・シュタインブリュック連邦議員(第1次メルケル政権財務相)のベルリン事務所で働いてきた。同議員からは今回、「テンゲンは頭が切れる未来志向の町長を選んだ」との、はなむけの言葉をもらっている。

一方、あどけない表情で「現代の市町村長はマネージャー」とシビアに語る本人はすでに政治プロの顔。ベルリンから人口4500人の町に移るのは頭の切り替えが必要だが、先月には結婚して生活を安定させ、新天地で着実に地盤を固めている。(Y.T.)

最終更新 Montag, 20 Juli 2015 10:29
 

ドゥニャ・ハヤリ

ドゥニャ・ハヤリDunja Hayali
1974年6月6日NRW州ダッテルン生まれ。ベルリン在住。TVジャーナリスト。
©ZDF und Svea Pietschmann

ツンツンの短髪、レズビアン、腕から背中へと大きく刻み込まれたタトゥー。公共放送ZDFの異色キャスターだ。公共放送ARDと交代で制作される朝7時からのニュースワイドショー「Morgenmagazin」に、ZDFベルリン支局から登板している。7月23日からの4週間は、同局木曜夜の政治トークショーを司会する同僚マイブリット・イルナーの夏期休暇に伴う代役として、初の政治番組を任されることになり、その間は朝寝坊ができると喜んでいる。

家族全員が医療従事者という環境で、ドイツ唯一の体育大学(ドイツ体育大学ケルン)へ進学し、スポーツジャーナリズムを学んだ変わり種。2007年にZDFの報道局に入局し、10年9月まで報道番組「heute-journal」にアシスタント登板。心地良い声といたずらっ子のような話し方で人気を得た。当時のメインキャスター、シュテファン・ザイバートは現在、メルケル政府の広報室長を務めている。

08年にパンクバンドの女性シンガーとの仲を公表し、10年のドイツテレビ大賞イベントでは「プライベートな身体アート」をさらけ出して周囲を仰天させた。シングルに戻った現在は愛犬エマとのエピソードで話題を振る。「口臭はあるし毛は抜けるし。ヘアカット代は私が20ユーロでエマは35ユーロ。まったくね。でも一緒に50歳の誕生日を祝いたい」。

今回「donnerstalk」と名付けた自分のトークショーでは、難民やIS問題を取り上げる。父はシリア正教会、母はカルデア・カトリック教会に属するシリア出身キリスト教徒。身近なテーマである。(Y.T.)

最終更新 Donnerstag, 02 Juli 2015 10:52
 

クラウディア・ダンチュケ

クラウディア・ダンチュケClaudia Dantschke
1963年ライプツィヒ生まれ、ベルリン在住。ジャーナリスト。
Foto: AYPA

内務省によると、イスラム教スンニ派過激派組織「イスラム国(IS)」の“聖戦”に参加するため、ドイツから400人以上がシリアやイラクへと渡っている。ある日、息子や娘がサラフィー・ジハード主義に共鳴する言動を取り始めたら、親はどうすべきか。ベルリン民主主義文化センター(ZDK)のホットライン「Hayat」を率い、SOSを発する親たちに具体的な対応策を指導している。

Hayatとは、アラブ語とトルコ語で「命」。聖戦イデオロギーに傾倒した若者たちの命を救うことを目的に、2011年にスタートした。「息子が女性のいる部屋に入らなくなった」「こっそり荷物を詰めている」と取り乱す父母にはまず、子どもが通い出したモスクの名と服装の変化、頻繁に開く本やウェブサイト名などを質問して過激度をチェックし、親から発すべき台詞を暗記させる。「ISに参加しようとする若者を止められるのは家族だけのケースが多い」。これまでに、最も過激度が高かった38件中、21件の出国を食い止めた。

大学でアラビア学を専攻したのは、通訳になれば東ドイツから出られると踏んだから。その実現前にベルリンの壁が崩れ、同市ノイケルン区に引っ越すと隣人はトルコ放送局。「トルコ人社会を通して西ドイツを知ったようなもの」だ。ここで極右とイスラム過激派への関心が芽生え、報道の道に進んだ。

今年2月には、オバマ米大統領がワシントンで主催した暴力的過激主義対策サミットに請われて出席し、Hayatの対策を紹介。現在、世界から最も参考にされている過激化防止アドバイザーである。(Y.T.)

最終更新 Donnerstag, 18 Juni 2015 13:28
 

ノア・クリーガー

ノア・クリーガーNoah Klieger
1926年7月31日仏ストラスブール(独名シュトラスブルク)生まれ。
ジャーナリスト。テルアビブ在住。
©Peter Kneffel/AP/Press Association Images

アウシュヴィッツでボクサーになり、戦後はユダヤ人武装組織ハガナーに加わって、英国統治領パレスチナへの非合法移住を計画。ユダヤ人難民4553人を乗せてハイファ港まで接近し、英軍に拿捕された運搬船「1947年エクソダス号」のクルーだった。

イスラエル建国を助け、第1次中東戦争では戦闘員。英国統治時代からのヘブライ語新聞「イェディオト・アハロノト」でスポーツと時事問題を執筆する。ホロコーストの体験を次世代に伝えることを義務と心得てきた。ナチスドイツ敗戦から70年の今年、ドイツのメディアからも招かれ、鮮明な記憶を完璧なドイツ語で淡々と語っている。

アウシュヴィッツに送られた1943年1月17日、ほかの600人と共に裸でマイナス25度の戸外に22時間放置され、半数が死亡した。翌朝SS将校がボクサーを募ったので、プロ3人に混じって手を挙げた。嘘がばれたらガス室送り。だが仲間の巧みなごまかしのおかげでチームに居残り、肉入りスープをもらって生き延びた。そして“選別”の日、医師メンゲレの補佐役に自分と同郷のユダヤ人医師が出ていた。だから「左(=死)」と宣告されたとき、反射的に「医長殿、私はまだ若くて働けます」と口走ったのだろう。父はシュトラスブルクの作家だと説明する彼を、メンゲレは面白そうに眺め、ユダヤ人補佐に「こいつ、欲しければやる」と言った。生存は、ただただ運によるものだった。

現代イスラエルのヒーロー、レジェンドだが、子どもたちからたまに「方舟のノア?」と聞かれる。まんざらでもない。(Y.T.)

最終更新 Donnerstag, 04 Juni 2015 11:30
 

チャールズ・ムハメッド・フーバー

チャールズ・ムハメッド・フーバーCharles Muhamed Huber
1956年12月3日ミュンヘン生まれ。
本名カール=ハインツ・フーバー。連邦議会議員。
©Bernd von Jutrczenka/DPA/Press Association Images

元俳優としての知名度と、CSUを支持基盤とする活動に目を付けた姉妹政党CDUのヘッセン支部から請われ、住民票を同州ダルムシュタットへ移して2013年秋の連邦議会選挙に同党から立候補。当選し、今はベルリンの連邦議員宿舎暮らしだ。しかし、1年半が経過しても政治プロの役割にはまだ馴染めないらしく、先頃はメディアからも皮肉交じりに取り上げられている。

ミュンヘン駐在のセネガル人外交官の父とドイツ人の母との間に婚外子として誕生、母方の祖母に育てられた。父親とは28歳で初めて会ったという。歯科技師であったが、素人演劇で見出されて、1985年にテレビ刑事ドラマの古典『Der Alte』にゲスト出演。1年後からは常連キャストとなり、10年間演じた「刑事補ヘンリー・ジョンソン」は有名なキャラクターになった。

しかし、「車ナンバー記録しました」「殺人でしょうか?」といった台詞を言うだけの役柄に限界を感じ、そうかといってアフロ系俳優への出演オファーにも限りがあるため、1996年、エチオピア観光省のアドバイザーへと転身。国連にも関わり、アフリカとドイツを結ぶ政治、経済、人権活動を行ってきた。

2004年に出した自著『Ein Niederbayer im Senegal(セネガルのニーダーバイエルン人)』では、周囲の好奇の目、アフリカへの屈折した感情を赤裸々に語り、バイエルン文化と歴史への愛を伝える傑作となった。活動名のチャールズは幼少時からのニックネーム、ムハメッドは尊敬するモハメド・アリから。政治プロの自覚が待たれるところだ。(Y.T.)

最終更新 Donnerstag, 14 Mai 2015 10:31
 

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