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ニュースのかお


ナターシャ・カンプシュ

ナターシャ・カンプシュNatascha Kampusch
1988年2月17日ウィーン対岸ドナウシュタット生まれ。
自力脱出するまで8年間監禁されていた拉致被害者。
©Ronald Zak/AP/Press Association Images

10歳で拉致され、民家の隠し部屋に3096日間監禁されていた悪夢の体験を、脱出から4年後の2010年9月に「3096 Tage」のタイトルで出版。先月28日には同名の映画も封切られ、再びニュースに登場している。

朝の登校路から白いミニバンに連れ込まれたのは1998年3月2日午前7時。目を覚ましたそこは、ウィーンから北東へ20キロほど離れた小さな村の、民家の地下に作られた隠し部屋だった。

拉致犯ヴォルフガング・プリクロピル(当時35歳)は少女に絶対服従を命じ、半年後からは時おり屋内に出して家事を強制。やがて散歩やドライブ、一度はスキーにも連れ出すが片時も目を離さず、恐怖で身がすくむ少女は逃げ出せない。しかし、2006年8月23日の昼。車の清掃を命じられた彼女は、携帯電話に出た拉致犯が掃除機の騒音を嫌って離れたその隙に、男が鍵を掛け忘れた庭のゲートからついに脱出。男は同日夜に列車に飛び込んで自殺し、事件は共犯者の有無に大きな疑問符を残したまま一応の解決を見た。

18歳で再び現実に身を置いた彼女はその後、義務教育をやり直し、殺到するマスコミを賢くコントロールしながら自立への道を模索している。しかし、表情から垣間見えるのは「暑さも寒さも感じないのに、セーターを着こまずにはいられない」不安な女性、金細工職の勉強を続けられなかった女性、男性との交際に臆病な女性だ。現在もPTSDの治療を受けながら、「私は犠牲者ではない」と言い続けている。

最終更新 Donnerstag, 14 März 2013 18:51
 

ライナー・ブリューデルレ

ライナー・ブリューデルレRainer Brüderle
1945年6月22日ベルリン生まれ、ラインラント=プファルツ州ランダウ育ち。政治家(FDP)。1987~ 98年に同州のCDU政権、SPD政権で経済相、2009~11年に連邦メルケル政権で経済・技術相。11年5月からFDP連邦議会議員団長。マインツ在住。
©www.rainer-bruederle.de

ひょうきんな話し振りで元より人気の政治家だが、週刊誌シュテルンの1月23日発売号に爆弾記事が掲載されて以来、すっかりセクハラ親父になってしまった。

「29歳の女性かつ政治記者であることは、常に心地良いわけではない」という書き出しで始まるその記事。筆者は記者本人、舞台は党大会前日の1月5日夜にFDP幹部と政治記者たちが集まったホテルのバーだ。ただし、1年も前の話である。ほろ酔い気分の同氏は件の記者がミュンヘン出身だと知ると、視線をバストに投じて「ディアンドル(バイエルン女性の民族衣装)、お似合いでしょう」、手に接吻して「ダンスをお願いします」など、いわゆる男のジョークを連発したという。

さあ、この記事が出ると間もなく、実際に職場でセクハラ、パワハラを受けている被害者たちが続々とツイッターで爆発。話題はドイツ人特有の正しいことをしたい熱情によって膨れ上がり、テレビの政治トークショーがテーマに取り上げると、今度は男性たちが女性による挑発と打算を逆批判。ついにFDP幹部の1人から、「今後は女性記者を相手にしないことにする」との発言が出るに及んで、さすがのドイツ・メディアも足下に火が付いていることに気付いたらしい。スクープは、政治家と記者に信頼関係がなければ生まれない。

かくして2月13日に開かれた灰の水曜日恒例の政治寄席では、胸の谷間も露わなディアンドル姿の女性観客たちからも、演台の同氏に盛大な拍手が送られていた。

最終更新 Donnerstag, 14 März 2013 18:51
 

マル・ドライヤー

マル・ドライヤーMarie-Luise “Malu” Dreyer
1961年2月6日ラインラント=プファルツ州ノイシュタット生まれ。トリーア在住。
政治家(SPD)。2013年1月16日から同州首相。
©Fredrik von Erichsen/DPA/Press Association Images

1991年以来、SPDが政権を担うラインラント=プファルツ州で、昨年9月に引退を表明したクルト・ベック州首相(在任18年)から後任指名を受け、今年1月16日の州議会で首相に就任。現職4人目の女性の州首相、また(時に)車椅子を使用するトップ政治家として、大きな注目を集めている。

マインツ大学で、専攻をカトリック神学から後に法学に代えたのは、「神学だと教職に就けるチャンスがまずないから」。1990年に有資格法曹となり、91年から裁判官研修生としてバート・クロイツナハ市の地方検察庁に勤務後、95年に市長当選、政界に足を踏み入れる。がそれは、同時期に発症した多発性硬化症の治療と平行する、厳しい道のりだった。

ベック州首相から労働社会相へと引き抜かれたのは2002年。州議会へは06年にトリーア市から初出馬した。トリーアは愛する男性と出会い、結婚し、その子どもたち3人と一緒に“障害者と健常者の共生プロジェクト住宅”に暮らす町。夫クラウス・イェンゼンは州の事務次官から07年に同市市長へと転身し、今や2人は最強の政治家カップルである。

州が解決しなければならない問題は山積みだ。F1誘致のため、レーン増設と遊園地建設に州が巨額を投じたニュルブルクリンク(サーキット)は昨年夏に破産を申請、フランクフルト近接を売りにオープンしたハーン空港は赤字続き。それでも就任演説では立ち上がって「失敗から学びましょう」と挨拶し、周囲を明るい気分にさせている。「私はとても元気です、長く歩けないだけで」と。

最終更新 Donnerstag, 14 März 2013 18:52
 

ローラ・エル・ハラビ

ローラ・エル・ハラビRola El-Halabi
1985年3月17日レバノン・ベイルート生まれ。ドイツ・ウルム育ち。
女子プロボクサー。
©Marijan Murat/DPA/Press Association Images

4発の銃弾によって選手生活を断たれてから21カ月。新年早々の1月12日に地元ノイウルムで復帰戦に臨み、WFCチャンピオンのルチア・モレッリ(イタリア)にWIBA(女子国際ボクシング協会)ライト級王座を奪われはしても、「人生にカムバックできたことが何より嬉しい」と涙で挨拶。声援を送ってくれたサポーターたちと喜びを分かち合った。

両親に連れられ1歳で内戦状態のレバノンから難民としてドイツへ移住。9歳でキックボクシング、11歳でアマチュアボクシングを始めるが、学業もおろそかにせず、アビトゥア(大学入学資格)を取得してギムナジウムを卒業。プロとして2009年にWIBA、WIBF(女子国際ボクシング連盟)の二冠王となり、以後も順調に勝ち星を上げていた2011年4月1日に、悲劇は起きた。

イルマ・アドラー(ボスニア・ヘルツェゴビナ)との対戦前の控え室で、継父から右手、両足、右膝に銃弾を浴びせられたのだ。継娘が既婚のギリシャ人を恋人にし、それに反対する自分をマネージャーから降ろしたことへの報復だった。手術からやっと回復した継娘は、裁判で6年の実刑判決を受けた育ての親には一瞥もくれず、メディアに「復帰への望みが消えることはない」と宣言する。

その望みが実現した今も、かたわらには婚約者となったギリシャ人パートナーがいる。事件後に2人でカフェを開き、先頃は自伝も発表した。内戦、移民家族、女性のチャレンジ、名誉、成功、愛、嫉妬、憎しみ、暴力とそろったストーリーなだけに、米国から映画化のオファーもあるとか。

最終更新 Donnerstag, 14 März 2013 18:52
 

ヴォルフガング・ティールゼ

ヴォルフガング・ティールゼWolfgang Thierse
1943年10月22日ブレスラウ(現ポーランド領)生まれ、東ドイツ育ち。SPDの政治家。
©FRANKA BRUNSS/AP/Press Association Images

東西統一から20有余年を経て、お洒落なスポットへと大変身した旧東ベルリン内のプレンツラウアー・ベルク地区。住民の90%が入れ替わった中で、40年以上同地区に住み続けている。そのことで昨年の大晦日、ベルリーナー・モルゲンポスト紙に「シュヴァーベン式清掃のせいで街が奇麗になってしまった」「ここの小型パンはSchrippen、Wecken(シュヴァーベン方言)じゃない」と口を滑らせ、非難の集中砲火を浴びている。

東ドイツ時代は文化省で辞書編纂を手掛けていた。壁崩壊後、1990年1月に東ドイツのSDPに入党し、初の自由選挙で同年3月に議員初当選。直後に東側党代表となり、その数カ月後には東西統一による統一SPDで副党首に選ばれる。これぞ適時、適所に居合わせた適材と言うべきか。98年から2005年まで連邦議会議長、以後現在まで同副議長の責務を担い、カトリック教徒として社会問題に発言。反ネオナチ・アクションでも知られている。

しかし、今回の発言では反響に自分でも驚いてしまったらしい。シュヴァーベンとはバーデン=ヴュルテンベルク州からバイエルン州南西部一帯を表す歴史的名称。かの地出身のエツデミール緑の党党首、エッティンガー欧州委員会委員はもとより、シュヴァーベン紙からも公開書簡で反論が寄せられ、沈静化のつもりで「以前は多種多様な人々の街だったが資金のある若いシュヴァーベン人に取って代わられ、今は中産階級ばかり」と言い訳をしたら火に油。「自分だって中産階級の俗物だろうが」とベルリン子にまで批判されてしまった。さあ、この始末、どうつける?

最終更新 Donnerstag, 17 Januar 2013 14:30
 

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