Hanacell
ニュースのかお


ヤーナ・シーデク

Jana SchiedekJana Schiedek
1974年4月9日ハンブルク生まれ。政治家。SPD。ハンブルク市の法務・機会均等相。

© Michael Zapf

ハンブルク市(州と同格)のSPD政権から連邦参議院に提案された「監査役会における女性の機会均等法案」が、9月21日に行われた参院審議で賛成多数により、連邦政府への提出案として可決。発案者としてメディアから見解を求められている。

生まれも育ちもハンブルク。「ハンザ自由都市という名称、その伝統と国際性、寛大さと多様性がとても気に入っている」ので、移る気はない。SPDには、第1次司法試験に合格した1999年に入党した。その後、実務研修を積みながらミッテ地区で区議活動に務め、第2次司法試験に合格して有資格法曹になった2004年に市州行政事務官、08年に市州議会議員へと進出。11年3月に発足したオラフ・ショルツSPD州政権から法務・機会均等相へと抜擢され、現在に至っている。

青少年暴力対策と職場における男女平等推進を政策に掲げ、今回参議院で連邦政府への提出が認められた「監査役会における女性の割合指標を2018年から20%、2023年から40%にする」法案は、SPD政権州のほかCDU・SPD連立のザクセン=アンハルト州とザールラント州からも支持を得た。

しかし、連邦政府のシュレーダー家庭・女性問題相(CDU)は「各企業が独自に女性比率を決めるFlexiquoteが望ましい」、ロイトホイサー=シュナーレンベルガー法相(FDP)は「義務化には法的問題がある」と反対。同案が政府、さらに連邦議会で成立する可能性はかなり低そうだが、「いいえ、女性割合の義務は必ず実現します!」と楽観している。

 

ペーター・ガウヴァイラー

Dr. Peter GauweilerDr. Peter Gauweiler
1949年6月22日ミュンヘン生まれ。CSU所属。弁護士。
連邦議会議員。
©www.peter-gauweiler.de

連邦議会が承認したユーロ圏救済基金「欧州金融安定メカニズム(ESM)」への参加は違憲であるとして、6月に市民3万7000人がドイツ連邦憲法裁判所に起こした集団訴訟。その原告団に名を連ね、判決直前の9月10日には単独で、欧州中央銀行(ECB)が先頃決めたユーロ圏国債の限度なし購入も違憲であると提訴した。  

この訴えは棄却されたが、前者について憲法裁が同月12日に下した判断には、合憲ながらもドイツの負担には上限と議会の承認が必要とする条件が付いたことで、「今後も闘える」と勝利宣言。さすが訴訟のベテラン石頭だと揶揄されている。  

大学紛争期の1968年にキリスト教社会同盟(CSU)に入党し、弁護士業の傍らミュンヘン市議、バイエルン州議会議員、連邦議会議員へとキャリアを築いてきた。エイズ対策で「同性愛者や移民など、高リスクグループに定期検診の義務」を提案して集中批判を浴びたのは、州内務次官だった86年。そんなロー・アンド・オーダー・マンはやがて、スキャンダルで州開発環境相を辞任した90年代後半に党内抗争から離れ、連邦に転出してからは党の反逆児になった。  

闘争テーマは反EU、反ユーロ。すでにリスボン条約と、7500億ユーロのギリシャ・ユーロ圏支援に対して違憲訴訟を起こしており、憲法裁に詰めてばかりで連邦議員の仕事をしていないとの評判が立っても意に介さない様子。今回の部分的勝利でさらに元気付いている。

最終更新 Montag, 01 Oktober 2012 10:14
 

ギュンター・ヴァルラフ

ギュンター・ヴァルラフGünter Wallraff
1942年10月1日ノルトライン=ヴェストファーレン州ブルシャイト生まれ。アンダーカバージャーナリスト。
©Kiepenheuer & Witsch Verlag

国際的に知られるアンダーカバージャーナリストである。これまで様々な人物になりすまし、非正規雇用、移民差別、闇労働などの社会問題を次々に暴いてきた。ところが先頃、元アシスタント(自称)から「失業給付金をもらいつつ低賃金で働く実習生として搾取された」と訴えられて立場が逆転。糾弾される側に立っている。  

アルコール中毒患者、原発労働者、ギリシャの軍事独裁に反対するアテネの学生、ホームレス、黒人難民など、変装したキャラクターは数えきれない。武器商人に扮してポルトガル元大統領スピノラ将軍の権力復帰計画を暴き(1976年)、ビルト紙に潜り込んで記事捏造の内情を掴んだこともある(77年)。下請け企業で働く外国人労働者への搾取を暴いたノンフィクション『最底辺 Ganz unten―トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ 』(86年)は各国語に翻訳され、ドキュメンタリー映画にもなった。日本でイラン人労働者に変装したこともある(90年)。  

前述の自称・元秘書アンドレ・ファーネマン(34)とも、コールセンターへの偽装潜入を通して知り合った。同センターの元派遣社員だった人物の体験談は面白く、2008年に月給1000ユーロで雑務処理に採用。放火と文書偽造で4年間刑務所に入っていたという経歴は、自らも違法ぎりぎりで取材するジャーナリストにとってむしろ興味深かったのだろう。この危うい関係がブーメランのように返ってきてしまった今となっては誰も責められず、苦虫をかみつぶしている。

最終更新 Sonntag, 16 September 2012 00:49
 

マティアス・ブラント

マティアス・ブラントMatthias Brandt
1961年10月7日西ベルリン生まれ。ベルリン在住。俳優。
©BR/Martina Bogdahn

公共放送ARDの「Deutschland, deine Künstler」は、音楽・文学・演劇・映画・美術の分野で活躍するドイツ人芸術家をポートレートするドキュメンタリーシリーズ。その7月25日放送に登場し、半生を語った。  

1985年から舞台に立ち続け、ここ10年はテレビドラマへの出演で知名度を上げたが、実は「子どもの頃からすでに有名だったけれど、その後しばらくは無名となり、今また注目されているよね」と笑う。  

父は故ヴィリー・ブラント。東西冷戦下で西ベルリンを率い、さらに西ドイツ外相、首相として歴史に名を刻んだ政治家である。その三男に生まれ、常にマスコミとガードマンと政治家に囲まれた子ども時代を送ってきたが、「特に煩わしいとは思わなかった」し、後に"スピーチレス"と表現した父との関係についても「彼は英才にありがちな難しいタイプだったということ」と客観視する。こうした適応力と距離感が、現在の職業へと向かわせたのかもしれない。  

ブラント政権最後の日々を描いたTV映画「Im Schatten der Macht(権力の影)」で、父の失脚の原因を作った旧東独スパイ、ギュンター・ギヨーム役を演じたのは2003年。2年前から演じる警察シリーズのハンス・フォン・モイフェルス刑事役では、バンビ賞を受賞した。ヒッチコックの「サイコ」や村上春樹の「1Q84」を取り上げた朗読会でも人気を集めている。  

毎日50キロほど市内をサイクリングするのは、「人間ウォッチングが楽しいから」。根っからの演技人のようだ。

最終更新 Freitag, 31 August 2012 15:03
 

ジャン=クロード・ユンカー

ジャン=クロード・ユンカーJean-Claude Juncker
1954年12月9日ルクセンブルク大公国のルダンジュ生まれ。
1995年から同国首相。2004年からユーログループ議長。
©Geert Vanden Wijngaert/AP/Press Association Images

ユーログループ(ユーロ圏財務相会合)の議長に選ばれたのは2004年。金融国ルクセンブルクで首相と財務相を兼ねる独仏バイリンガルの政治家は、小国の事情を理解し、大国と差しで話ができる適任者だった。「ミスターユーロ」と呼ばれて4期再任。ついに昨年末、ユーロ危機の苦悩をにじませて降板を表明したが、3月に開かれた会合は後任候補を出せずに閉会。ひとまず来年1月まで、対立するユーロ圏北部と南欧諸国との調整役を続けることになった。  

ストラスブール大学で法学を修めたが弁護士業には就かず、キリスト教社会党の活動へと進んだ根っからの政治プロである。30歳で国会議員に当選。すぐさま内閣入りして労働相、財務相を務め、1995年からは首相と財務相を兼任したまま現在に至る。次々に新顔が登場するEUにあって、長期政権を続けるベテランなのである。  

人気の秘密は、大真面目に外交的な発言をしようとして、つい本音を漏らしてしまうところとか。政治家の仕事について、「何かを決めたらそれを世間に示して反応を待ち、ほとんどの人が、何が決まったのか分からずに叫びも蜂起も起こさなければ、さらに先へ進める」と説明したり、「ギリシャは構造的に変わらなければだめだ。精神面と真面目さでも」と答えたり。前述のユーログループ会合では、深刻な表情のスペイン・ギンドス経済相に近付いて首を絞め、場の雰囲気を和ませた。さて、このおとぼけキャラの代わりは見付かるだろうか。

最終更新 Mittwoch, 15 August 2012 21:17
 

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