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クリスタ・ヴォルフ

クリスタ・ヴォルフ Christa Wolf
1929年3月18日ランツベルク・アン・デア・ヴァルテ(現ポーランド領ゴジュフ・ヴィエルコポルスキ)生まれ。作家。2011年12月1日ベルリンにて死去。(享年82)
©AP/AP/Press Association Images

東ドイツの自力更生を信じ、民主化運動に加わった知識人の1人だった。国民の西方逃散に心を痛め、「留まってください」と訴えたのは1989年11月8日。ベルリンの壁はその翌日に落ちる。西の豪華な商品に殺到する同郷人に呆然とし、声明文「われらが国のために」の中で自己改革を呼び掛けた。

プロイセン州ブランデンブルク地方東部で生まれ、16歳の時に敗戦。4カ国統治下ドイツのソ連地区へと避難し、東ドイツが誕生した49年、20歳で政権党SED(ドイツ社会主義統一党)に入党する。しかし、党への期待は次第に失望へと変わった。

ベルリンの壁建設で恋人たちは引き裂かれ(『引き裂かれた空』63年)、灰色の現実の中で白血病患者が希望に満ちていた敗戦時を思い出す(『クリスタTの追想』68年)。作品は常に政治状況を反映した。反体制歌手ヴォルフ・ビアマンが追放された76年には抗議の署名活動に加わる。しかし、後に多くの芸術家が亡命しても国に留まった。

あの国を本当に愛していたのです――統一後にそう語る表情には哀しみがあった。さらに打撃となったのは、シュタージ(旧東の諜報機関)から常に監視されていたことと、自らも若い頃に同機関に3回協力していたことが明らかになり、人格を否定されるような報道がなされたことだ。

協力者であり、犠牲者でもあった作家。それは社会主義ユートピアの実現がいかに難しいかを示す実例でもあったろう。東ドイツの歴史がまた1つ、幕を閉じた。

最終更新 Freitag, 23 Dezember 2011 18:46
 

ピウス・ハインツ

ピウス・ハインツ Pius Heinz
1989年5月4日、ボン近郊スウィスタル=オーデンドルフ生まれ。プロのポーカープレーヤー。ウィーン在住。
©Isaac Brekken/AP/Press Association Images

米ラスベガスのポーカー世界選手権ワールドシリーズ・オブ・ポーカーのメインイベントで、決勝9人のテーブルに7位の位置で残り、11月9日の最終日まで勝ち進んで初優勝。賞金870万ドルを手にした。

出場者6865人の大半が米国人、ドイツからの参加はわずか158人という大会で、ほとんど無名のドイツ人プレーヤーが初めて、しかも大会史上最年少で優勝したとあって、国内のメディアは大フィーバーしているが、本人は拍子抜けするほど落ち着いている。「今まで応援してくれた家族や友だちと内々に祝ったが、その後は予定がびっしりで生活は以前と全く変わっていない」とさらり。賞金は堅めに運用し、「株もランボルギーニも買わないよ」と。

ポーカーとの両立が難しくなり8月に休学届けを出すまでは、ケルンのフレゼニウス大学で経済心理学を学んでいた。しかし「ポーカーは自律と管理と主情によるマインドスポーツで、心理学の知識は関係ない」と、専攻分野との関連性を否定。表情や身振りを分析する能力に長け、最終日に7時間対戦したマーティン・スタツコフ(チェコ)の視線から、相手の札が強そうか否かが分かったという。

だから、ビギナーズラックだと言われると「いや、能力」と反論。8月にバルセロナでも上位につけており、今年は良いゲームをしていると思う。そして5年以内に大学へ戻るつもりとも。しかし今はプロチームPokerStars のメンバーとして、ネットと世界各地のトーナメントを駆け回る。

最終更新 Mittwoch, 07 Dezember 2011 15:45
 

ザーラ・ヴァーゲンクネヒト

ザーラ・ヴァーゲンクネヒト Sahra Wagenknecht
1969年7月16日イエナ生まれ。政治家。左派党副党首。11月から左派党連邦議会議員副団長。デュッセルドルフ在住。
©DIE LINKE

左派党連邦議会議員副団長に選ばれてニュースに登場したのは11月8日。するとその数日後に、ザールラント州左派党のオスカー・ラフォンテーヌ代表(68)が州大会で、「私は以前から妻とは別居状態にあり、ザーラとつきあっています」と恋人宣言。やはり噂は本当だったと納得する声と、既婚者同士の恋への好奇心が渦巻き、今度はあらゆるメディアから追いかけられている。

社会主義革命の伝説的指導者ローザ・ルクセンブルクに似せたひっつめ髪とクラシックなファッション、エキゾチックな美貌、共産主義へのゆるぎない信念によって、左派党の反逆的マドンナと言われている。

役所に登録された名前をSarah からペルシャ語スペルのSahra に変更したのは、それが3歳で生き別れた父の本来の望みだったから。イラン人の父は東ドイツ政府から歓迎されざる外国人として国外追放となった。

大学入学の申請時には協調を学んでから来るようにと言われ、ベルリンの壁崩壊の寸前だというのに支配政党SED に入党し、統一後にはその後継政党PDS の方向転換に逆らって共産主義綱領を高く掲げるなど、メインストリームとは縁がない。現在の資本主義体制下での民主主義に未来はないと言い続け、社会的是正を求めるオキュパイ世代に強い共感を生んでいる。

そのため、影の実力者ラフォンテーヌ氏とのペア誕生を歓迎する声もあり、一方では相互の配偶者からの反応にも目が離せず、まだまだ波乱がありそうである。

最終更新 Mittwoch, 23 November 2011 18:52
 

ヴェルーシュカことヴェラ・フォン・レーンドルフ

ヴェルーシュカことヴェラ・フォン・レーンドルフ Vera von Lehndorff
1939年5月14日に東プロイセンのケーニヒスベルク(現ロシア領)で誕生。モデル。ボディーペインティング・アーティスト。
© Steven Kohlstock

身長183cm、ブロンド、クール、ミステリアス。1960年代、ヴェルーシュカはドイツ初のスーパーモデルだった。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の66年作品『欲望(Blow Up)』で本人役を演じ、71年には中絶の合法化を求める女性解放アクションに名を連ねる。写真家とのコラボで、森の苔草や朽ちた扉などの背景と一体化するボディーペインティングを始めたのは70年代。先頃、そのクリエイティブな半生と数奇な家族史をインタビュー形式で著し、注目を集めている。

東プロイセン・マズール地方(現ポーランド)のシュタインオルトを居城とする男爵家に次女として生まれ、5歳で父親と死別。父ハインリヒは44年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件で逮捕、処刑された首謀メンバーの1人だった。

残された身重の妻は労働収容所へ、娘3人は児童収容所へと別々に収監され、やっと戦後に再会できても苦しみは続いた。故郷を追われ、知人を頼りに各地を流転。転校先では「殺人者の娘」と紹介される。

自分が印象的な被写体であることに気付いたのは、入学したハンブルクのデザイン学校で写真を撮られたとき。「パリへ行こう」―写真家の目を奪ったモデル、ヴェルーシュカはこうして誕生する。

2005年からベルリンに住んでいる。父を処刑した街としてずっと避けてきたが、「国際的だし、芸術家が多い」ので居心地が良い。自叙伝は父母に捧げた。今は旧居城の修復プロジェクトで忙しい。

最終更新 Mittwoch, 16 November 2011 17:59
 

ギュンター・ヤオホ

ギュンター・ヤオホ Günther Jauch
1956年7月13日ミュンスター生まれ、西ベルリン育ち、ポツダム在住。TV ショー司会者。プロデューサー。
©ARD/Marco Grob

公共放送ARD で9月から政治トーク番組「Günther Jauch」をスタート。すでにナンバーワンだった知名度と好感度に加え、影響力でも強大なテレビ司会者となった。

複数の番組制作会社を経営する企業家でもあり、モーゼル地方で1805年から続くぶどう園von Othegraven を守る7代目醸造家でもある。ヤオホ一族は17世紀にザクセンの宮廷に仕え、18世紀からリューネブルクで事業を展開した大ブルジョワの一門。その商才を受け継ぐ末裔というわけだ。

ミュンヘンで2年間のジャーナリスト教育を受け、ラジオのスポーツ番組からキャリアをスタート。人気司会者トーマス・ゴットシャルクとラジオで共演して、全国に知られる存在になった。29歳から地方テレビ局で様々なショーを担当し、1990年に民放RTL と専属契約。報道娯楽番組「stern TV」とクイズ番組「Wer wrid Millionär ?(クイズ$ミリオネア)」を担当し、穏やかな口調と隠し持つ知性で“理想の娘婿タイプ”と呼ばれるようになる。

2007年に一度頓挫したARD との契約を今回実現させたのは、「どうしても政治トーク番組を持ちたかったから」。その3回目に、メルケル首相が自ら出演してユーロ危機を解説し、“母と娘婿のバトル”として話題をさらった。しかし、ARD のトーク番組はすでに月曜プラスベルク、火曜マイシュベルガー、水曜アンネ・ヴィル、木曜ベックマンと激戦状態。そこに新規参入したベテランの特色をどう出すか。難しいところだ。

最終更新 Mittwoch, 16 November 2011 18:00
 

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