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ニツァケテ・ビスリミ

ニツァケテ・ビスリミNizaqete Bislimi
1979年ユーゴスラビア連邦セルビア共和国コソボ自治州生まれ。
93年からドイツ居住。弁護士。
©Franz Brück

ドイツに庇護を求めた14歳時からの体験と、外国人の権利を扱う弁護士としての現在の立場から、急増する難民問題について発言を続けている。

出自は、ユーゴスラビア連邦セルビア共和国コソボ自治州(当時)に定住していたロマ民族。ユーゴ紛争でセルビア人、アルバニア人の双方から迫害され、1993年9月にまず母と兄弟姉妹5人でドイツに流入、オーバーハウゼンの難民施設に収容された。が、申請は却下され、「許容(在留資格なし)」の状態で13年。「明日には送還されるかもしれない不安を抱えて何度も眠りについた」。

街で同年代の少女が音楽を聴きながら自転車に乗っている姿を羨ましく思い、チンプンカンプンなドイツ語とその法律用語を「必ずいつか理解する」と母に誓ったことが、学業と自立へのモチベーションだった。わずか5年でアビトゥアに合格し、女の子は18歳で結婚するものという周囲の反対を押し切ってボーフム大学の法学部に入学。司法修習生だった2006年6月、法改正と、合流した父親の就職によりやっと滞在許可が下り、09年に法曹資格を取得、入国当初から世話になっていたエッセンのハーバーケルン弁護士事務所に加わり、現在に至っている。

その半生の記録をこの9月24日、『DURCH DIE WAND — Von der Asylbewerberin zur Rechtsanwältin(壁を突き破って―難民申請者から弁護士へ)』と題して出版。学生時代には恥ずかしくて隠していた出自を今は公言する。「私はロマ。現在の難民問題でドイツに求められるのは、ぶれない政策です」と。(Y.T.)

最終更新 Donnerstag, 15 Oktober 2015 11:50
 

ミヒャエル・シュタイナー

ミヒャエル・シュタイナーMichael Steiner
1949年11月28日ミュンヘン生まれ。元外交官。
©German Embassy New Delhi

退任を控えた今年4月25日、在インド・ドイツ大使館に外交関係者や知人ら700人を招いて送別会を開き、『ボリウッドへ愛を込めて』と題する自演のミュージックビデオを披露。翌日のインド各紙に「心地良いショック」と報道されて大評判となり、歴代で最も有名な(前)ドイツ大使となった。

8分間のそのビデオは、2003年にインド人大スター、シャー・ルク・カーンが演じて大ヒットしたボリウッド映画『Kal Ho Naa Ho(たとえ明日が来なくても)』のリメーク。「心臓病のため恋人との結婚を諦め、親友に引き合わせて死ぬ」主人公を大使本人、恋人を妻エリーゼ、親友役を元インド外相サルマン・クルシードが演じ、パーティーゲストは言葉を失ったという。

しかしYouTubeにアップされると、多くのインド国民が「嬉しい」と拍手喝采。「現代の外交は国民同士の繋がりに意味があることを示し、ユーモアがないと思われているドイツ人のイメージを変えたい」と実行した最後の赴任地での仕事は、大きな成果を挙げたようだ。

1981年に外務省に入省し、パキスタンとアフガニスタンで参事官、暫定コソボ国連行政官、在チェコ大使、在イタリア大使を歴任。2001年に同行したシュレーダー首相のアジア訪問の帰路、政府専用機がモスクワ空港で足止めされ、怒りからロシア兵にキャビアを要求したことを帰国後にビルト紙から叩かれて、相談役を退いたことでも知られる。「キャビアは冗談だったが、まあ、これも自分史」。6月、インド駐在を最後に外交官の任務を終え、ミュンヘンに帰郷した。(Y.T.)

最終更新 Donnerstag, 01 Oktober 2015 14:12
 

ハラルド・ヘップナー

ハラルド・ヘップナーHarald Höppner
東ベルリン生まれ。同市近郊テンペルフェルデ在住。ファーストエイド船Sea Watch代表。
©Sea-Watch

地中海上の不法移民を溺死から救う「Sea Watch」のアイデアは、ベルリンの壁崩壊から25年目となる昨年11月9日夜、友人4家族と開いた記念パーティーで生まれた。北アフリカからEUへと漕ぎ出した不法移民船が相次いで転覆し、多くの溺死者が出ている話題になり、「漁船を出して救えないのか?」と。

誰1人として先祖に船乗りはおらず、漁船に乗ったこともない。それでも皆で6万ユーロを持ち寄り、1917年製の超老齢小型漁船を購入。航海士や医師、造船技師などのボランティアメンバーを募った。

実行力とチームを束ねる組織力は、東西統一後に世界を放浪し、現在ベルリンでアジア・南米輸入雑貨ショップを2店舗経営するパワーからも見て取れる。「ハラルドならやると思った」と支援者は言う。

初出陣は今年の6月20日、活動海域はリビアとマルタの間に位置するイタリア領ランペドゥーザ島沖。ここで過去に約3500人が溺死した。2005年にドイツ医療船が不法移民を乗船させて刑事問題へと発展した事例があるため、転覆寸前で漂流するボートを発見したら、必ずイタリア沿岸警備隊に連絡する。同時に、興奮する不法移民たちに「沈むから動かないで」と語り掛け、救命胴衣を与え、折畳み式エアプールを開いて子どもや妊婦から先に収容していく。イタリア警備船が到着するのは、それから数時間後になる。7月は6日間の出動で、150人以上を救助した。

「我々はプロのアクティビストではないし、移民は政治家がどんな決定をしても来る。だから問題は単純。溺死させないこと」。(Y.T.)

最終更新 Donnerstag, 17 September 2015 11:15
 

ダニエル・ブリュール

ダニエル・ブリュールDaniel César Martín Brühl González Domingo
1978年6月16日バルセロナ生まれ。ベルリン在住。
俳優。タパス・バーRaval経営者。
©Dave Bedrosian/Geisler-Fotopress/DPA/Press Association Images

『グッバイ、レーニン!』(独・2003年)で注目を集め、以後『ラヴェンダーの咲く庭で』(英・04年)、『戦場のアリア』(仏独英・05年)、『サルバドールの朝』(西英・06年)、『パリ、恋人たちの2日間』(仏独・07年)、『イングロリアス・バスターズ』(米・09年)、『ラッシュ / プライドと友情』(米英独・13年)、『フィフス・エステート / 世界から狙われた男』(米・13年)と、次々に話題作に登場してきた、ドイツ出身の数少ない世界的映画俳優である。その一方で、どうしても好みの店が見つからないからと、スペイン系の仲間と共同でベルリン・クロイツベルク区にタパス・バーをオープンし、昨年はカタルーニャ料理のクッキングブックまで出版。超多忙な生活を送っている。

バルセロナで生まれ、ケルンで育った。公共放送WRDの映像監督だった亡父はドイツ人、スペイン語教師だった母はカタルーニャ人。5カ国語を自由に操って演技し、自営のタパス・バーでトルティーヤやパタタス・ブラバスを楽しむのは、この背景があってこそ。

今年の公開作には、アマンダ・ノックス事件の闇を追ったマイケル・ウィンターボトム監督の『天使が消えた街』(英伊西)、ナチスに奪われたクリムト絵画の返還を求める女性を描いた『Woman in Gold』(米英墺)、グルメ映画の『BURNT』(米)、チリの軍事クーデターに巻き込まれたドイツ人学生カップルがカルト教団に関係していく『Colonia』(独英)と、なんと4作品! 出過ぎとの陰口がちらほらしても、「オファーがあればチャレンジするのが流儀」と聞き流している。(Y.T.)

最終更新 Donnerstag, 03 September 2015 11:38
 

シュテファン・エッフェンベルク

シュテファン・エッフェンベルクStefan Effenberg
1968年8月2日ハンブルク生まれ。
ミュンヘン在住。
元サッカー選手。
©R4311/DPA/Press Association Images

2000-01年度UEFAチャンピオンズリーズに初優勝したバイエルン・ミュンヘンのキャプテンとして名を残す一方、イエローカードを歴代最多の114枚も食らい、1994年W杯アメリカ大会ではドイツ人観客に対する挑発行為のため強制帰国させられるなど、問題児だったことでも知られる。引退から10年。先頃、公共放送ZDFのスペシャル番組に登場し、イメージとは異なる素顔をさらけ出した。

『Kessler ist…』と題したその番組は、俳優でコメディアンのミヒャエル・ケスラーが、まず有名人本人とその関係者から情報を集め、メーク術を駆使して本人そっくりに変身。次に本人と対座し、本人に成り代わってその人物像を語るという、パーソナリティー・ドキュ。1人につき30分の6回シリーズで、昨年はマティアス・シュタイナー(重量挙げメダリスト)ら6人を紹介。今年はエッフェンベルクのほかホルスト・リヒター(カイゼルヒゲのシェフ)やゲッツ・アルスマン(ミュージシャン)を俎上(そじょう)に載せた。

妻が語るエッフェンベルク像は「整理魔で我慢強く、趣味のガーデニングはプロ級」。オットマー・ヒッツフェルト元バイエルン・ミュンヘン監督が「奉仕精神と尊大さと自信を持ち合わせているのに、なぜ監督にならない」と疑問をぶつけると、本人いわく「リーダー的資質はあってもエゴイストになれない」。

そしてラストに対座したケスラーこと自分のそっくりさんから「私はマッチョで誠実。そろそろ監督になることを考えている」と聞かされて、目を潤ませた。3年前に取得した監督ライセンスの実行は間近だろうか。(Y.T.)

最終更新 Dienstag, 25 August 2015 18:25
 

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