Hanacell
ヨーロッパ三面記事


移民の皆さん、「英国民のように」バス停では並びましょう from UK

移民の皆さん、「英国民のように」バス停では並びましょう
マナー違反は移民にのみにあらず?!
文化の多様性、異文化に対する寛容性を謳っているだけあって、色々な国籍の人が暮らしている英国。しかし、文化的・宗教的バックグラウンドの異なる人々が一緒に生活するとなると、誤解や勘違いから様々な問題が生じがち。最近は英国の慣習に従わない移民も増えている。そんな事情からこの度、移民に向けた英国文化のパンフレットが発行されることになった。

と、ここまでは良いニュースのように聞こえるのだが、その内容が議論を呼んでいる。というのも、そのパンフレットには、「英国民は路上に唾を吐きません」だとか「英国民は、バス停や郵便局で列に割り込むことなく行儀良く並びます」だとか「英国民はむやみに喧嘩をふっかけません」などといった、「もしもし、移民を馬鹿にしていませんか?」と思わず尋ねたくなるような基本的なマナーが列挙されているからだ。読んでいると、無教養でマナーのなっていない移民像が浮き彫りになってくるのです。うーむ、最近の英国でのモラルの崩壊はすべて移民が原因であると濡れ衣を着せている気がするのですが、今朝、地下鉄内で食べたバナナの皮を丁寧に座席に置いていったのは、英国人レディーのようでしたし、地下鉄の扉が開いたとたん、空いてる座席めがけて突進したのも英国人ジェントルマンのようでした。また、むやみに喧嘩をふっかけたり、暴れたりすることで有名なのは、英国産のフーリガンなのでは?

それはさておき、移民統合政策への英国政府の取り組みはかなり真剣な模様。これまで多言語で発行されていた政府資料も英語に統一される見込みだし、ポイント制ビザが導入される頃には、ビザ取得に英語力も問われるようになるらしい。また今年4月からは、英国に関する知識を問う「Life in the UK」テストが永住権申請者に適用されるようになった。移民はますます英国社会への理解を求められるようになりそうだ。

「ロンドンでは、英語を話せなくても生活できる」と当たり前のように言われてきたことが、通用しなくなるのも時間の問題かも。その内日本人同士でも英語で話すようにというお達しが出たりして?!

「BBC Online News」 “Measures urged on migrant 'fears' ”



最終更新 Dienstag, 26 Juni 2007 06:01
 

女性飛行のパイオニア、100歳に from Germany

女性飛行のパイオニア、100歳に
同じく飛行士だっ たリーゼル・
バッハ、 テア・ラッシェと並ぶ
バインホルンさん
(写真左から順に)
Sammlung, Caproni, Rom
「母は決して有名になりたかったわけではない。ただ、いつも何か新しいことを発見するのが大好きだったんです」。現在 69歳になる息子のベルント・ローゼマイヤーさんがこう語る女性の名は、エリー・バインホルンさん。女性飛行士として初めて世界一 周を成し遂げた人物だ。偉大なる歴史を築いたそのバインホルンさんがこのたび、めでたく100歳の誕生日を迎えた。

1907年5月30日、ハノーファー生まれ。父親が一流会社に勤める裕福な家庭で、一人娘として大事に育てられた。後に回想録「Alleinflug(単独飛行)」でも語っているように、子どもの頃から大の旅行好きで、いつも未知の世界を夢見る少女だったという。

21歳の時に航空学校の門を叩く。「しばらくは泣いてばかりいた」母親を始めとする周囲の反対を押し切り訓練を開始したバインホルンさんはそれから半年後、操縦席でハンドルを握り、初めて大空に飛び立った。

1931年12月4日、午前9時。エレガントな革のスーツにスレンダーな身を包み、本人いわく「小さなサンタクロースのような」いでたちでベルリンの空港に姿を現したバインホルンさんは、スーツケースに帽子用ケース、それに蓄音機まで機内いっぱいに詰め込んで、世界一周飛行に挑戦する。ヒマラヤ山脈を越え、カルカッタ、バンコクを経てオーストラリアのバースへ。そしてブエノスアイレスなど中南米を回って翌年の7月26日、ベルリンに無事帰ってきた。25歳の快挙だった。

一躍時の人となったバインホルンさんの冒険は、その後数年間、大西洋横断、アメリカ、インド、アフリカと、とどまることがなかった。自動車のレーサーだったローゼマイヤーさんと知り合い、結婚したのもその頃だ。ローゼマイヤーさんは数年後に不慮の事故で亡くなるが、女性飛行のパイオニアと有名レーサーのロマンスは当時、「夢のカップル誕生」と国中が注目した。

現在バインホルンさんは、ミュンヘン近郊の高齢者施設で余生を過ごしている。車椅子での生活だが、「まだまだ若い女の子のように元気だ」と息子のベルントさん。「午後にたしなむ一服のたばこが、何より楽しみのようです」

「Süddeutsche Zeitung」紙 "Das fliegende Mädchen"



最終更新 Mittwoch, 20 Juni 2007 13:13
 

スレードさんにお屋敷あげます from UK

スレードさんにお屋敷あげます
お屋敷の主に見事“当選”した
アイザック・スレード
Ancestory.co.ukというウェブサイトをご存知だろうか。これは、自分の名字や生誕地などを入力して検索にかけると、血縁関係にある遠い遠い親戚に会えるかもしれないというサイトだ。この他にも、同種のウェブサイトがいくつかあり、家系図作りが趣味という英国人の間で密かなブームとなっている。

さてさて、そんな話題の血縁者探しだが、イングランド南西部のサマセット州に暮らす貴族、サー・ベンジャミン・スレード氏(59)の血縁者探しの目的は、18世紀から代々スレード家が所有してきたという750万ポンド(約20億円)相当のお屋敷相続のためだというから驚き。独身で身よりもない彼が、屋敷を相続してくれる親戚を大々的に探し始めたのは2005年のことだった。そしてこの度、米国の ロック・バンド「ザ・フレイ」のヴォーカル、アイザック・スレード(26)との血縁関係が証明されたのだ。

捜索を始めてからというもの、1万5000通にも及ぶ手紙やメールを受け取ったというサー・ベンジャミンだが、スレード姓なら誰でも良いわけではなく、「男性でお金持ち」という条件は譲らなかった。しかも最後の手段としてDNA鑑定までする徹底ぶり。

アイザックの祖先は、スレード・アート・スクール(ロンドン大学スレード・アート・スクール)を立ち上げた後、米国に渡った人物で、昨年末のツアー中にサー・ベンジャミンの話を聞きつけたアイザックは、すぐに彼に連絡を取ったという。

サー・ベンジャミンは「ザ・フレイ」の存在さえ知らなかったが、知人に勧められるまま、彼らのコンサートに赴き、その場で大ファンになったとか。「屋敷の管理には莫大な費用がかかるんだが、彼が屋敷の庭でコンサートでもすれば、すぐにそんなものは稼ぎ出せるし、なんたって、彼はロック・バンドをやってるのに、酒もドラッグもやらないんだから」とは、サー・ベンジャミンの弁。アイザックがこの屋敷を相続することは間違いないと見られている。

こんな夢のような話が転がってこないかなぁと、指を加えているそこのアナタ!早速、遠い親戚を探し始めてみては?

「BBC Online News」 "Rock star could be baronet's heir"



最終更新 Mittwoch, 20 Juni 2007 13:12
 

フランスの雇用契約は38種類?! from France

フランスの雇用契約は38種類?!
フィヨン首相の手腕が問われる
「新雇用契約」とは?
倍率の高いワーキングホリデー・ビザをゲットして、あこがれのフランスに到着。とんとん拍子に就職先の面接にまでこぎ着けたところで、さて問題です。あなたの雇用形態は、何に当てはまるでしょうか?なんてクイズがまかり通るくらいフランスの雇用形態は複雑多岐で分かりにくいと不評だが、こんな現状をふまえて、サルコジ新大統領率いるフィヨン内閣は、雇用形態の簡素化に乗り出した。

フランスでは無期限労働契約(CDI)と短期雇用契約(CDD)の2種類が一般的な雇用契約として認知されているが、実際は年齢や求人内容によって雇用形態は細分化されており、その数なんと38種類。国の指導者が替わるたびに、労働条件の改善を雇用契約の種類を増やすことで解決してきた、なれの果ての姿といえよう。

例えば昨年は、ドビルパン元首相が若者の雇用促進を助けるために、初期雇用契約(CPE)および中小企業を対象にした新規雇用契約 (CNE)を新たに作ったものの、CPEは若者からの不支持で、結局消滅してしまったという経緯もある。

新内閣はまず、38ある雇用契約の中から主要な8つを、今年末までにひとつの雇用契約にまとめたいとしている。一本化される雇用契約の具体的な草案は、雇用主にフレキシビリティーを与え、社員には勤続年数に応じた社会保障を適用することで、現状よりも多くのメリットを労使双方に提供しようというものだ。

一見すると、メリットの多い法案実現のような印象を受けるが、実際には、たとえ現状よりも企業側の雇用に関連する負担が減ったとしても、解雇に関する規定というハードルは依然として残っている。何といってもフランスは労働組合が強く、解雇した途端に裁判沙汰に発展するのがつね。この「裁判費用」が企業にとってはバカにできない。さらには、集団リストラの場合はフランスだけではなく「欧州」 全体の問題にもかかわるので、現状よりも労働者の反発が強くなるおそれが考えられる。

簡素化に乗り出すのはいいが、何とも前途多難なこの問題。妥協点を探ろうとするあまりに、蓋をあけたら最終的には雇用形態が38から39に増えていたなーんて事態にならなきゃいいのだが…。

「Le Parisien」紙 "Pour Fillon, la prioritê, c’est le contrat de travail unique"



最終更新 Mittwoch, 20 Juni 2007 13:08
 

まさか、ドイツでまたW杯? from Germany

まさか、ドイツでまたW杯?
あの夏の余韻、
まだ残ってますか?
最後の最後でVfBシュトゥットガルトがシャルケ04からマイスターシャーレ(優勝杯)をかっさらい、劇的な幕切れとなった今シーズンのサッカー・ブンデスリーガ。優勝を決めた最終日、市内中心部を埋め尽くしたサポーターは、選手らと真夜中過ぎまで有終の美に酔いしれた。でもこんな光景、ちょっと前にも同じくシュトゥットガルトで見たような…。そう、地元開催で沸きに沸いた昨年のワールドカップ(W杯)で、ドイツ代表が3位と健闘し、サポーターに迎えられたあの感動のシーンだ。あれから早や1年。もしかしたら、あの感動をまた地元で味わえるかもしれないという、耳を疑うようなニュースが舞い込んだ。

ご存知の通り、次回2010年のW杯開催地は南アフリカ共和国に決定している。しかし関係者の間では、スタジアムの建設や街のインフラ整備、安全対策など不安要素が取り沙汰されているとか。自然災害の恐れを無視できないとする見方もある。

そこで口火を切ったのが、国際サッカー連盟(FIFA)のヨーゼフ=ゼップ・ブラッター会長だ。「Die Welt zu Gast bei Freunden(友達をつくる時)」をテーマに掲げ、国内はもとより国外から押し寄せるサポーターの受け入れ態勢も上々、大きな問題もなく幕を閉じたドイツ大会に今でも心酔しているブラッター会長は先頃こんな大胆発言をして、周囲を驚かせた。「南アフリカでの開催が困難となった場合、代わりの最有力候補地はドイツだ!」

「南ア大会組織委員会を全面的に信頼している」とは付け加えたものの、会長の口から飛び出した、まさかの「もう一度ドイツで」発言に、ドイツサッカー協会(DFB)などは猛反発。同大会顧問のホルスト・シュミット氏は「南アでの開催実現に向けて最善を尽くす」と、はっきりノーの姿勢を示した。ドイツ大会で組織委員長を務めたご意見番のベッケンバウアー氏も、「南ア大会の実行委員会メンバーに敬意を表し」、ドイツでの連続開催はあり得ないとコメントしている。

どうやら、それほど現実味はなさそうな今回のブラッター発言。「燃え尽き感」がある私としても、いまいちピンとこない話ではあるけれど、あなたはどうですか?

「stern」誌ほか "Deutschland erster Ersatzkandidat"



最終更新 Donnerstag, 21 Juni 2007 03:25
 

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