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特集


ドイツの国民的絵本作家ヤーノシュの人生&個性豊かなキャラクター

生誕90周年記念 ドイツの国民的絵本作家の軌跡をたどる
ヤーノシュとその仲間たちの物語

ヤーノシュ

子どものころに好きだった絵本を覚えているだろうか? この質問に「ヤーノシュ」と答えるドイツ人は少なくないだろう。 今日ドイツで最も成功している絵本作家の一人といわれるヤーノシュは、2021年3月11日に90歳の誕生日を迎えた。 この特集では、そんなドイツ国民に愛され続けている彼の波乱万丈の人生を振り返るとともに、魅力的なキャラクターや作品をご紹介。 ユーモア溢れるヤーノシュの言葉や作品は、人生を楽しむために大切なことを教えてくれる。(Text: 編集部)

ヤーノシュ

PROFIL

Janosch本名はホルスト・エッカート。1931年3月11日、ドイツ領ヒンデンブルク(現在はポーランドのザブジェ)に生まれる。1960年に初めての絵本を出版してから今日まで、イラストレーター、絵本作家、小説家として精力的に活動。これまでに大人向け・子ども向けを含めて320作品以上を発表し、40以上の言語に翻訳されている。妻のイネスと共にカナリア諸島のテネリフェ島に在住。

ヤーノシュの人生

LEBEN

1931年
ドイツ領ヒンデンブルクに生誕
1946年
両親と共に西ドイツへ移住
1949年
クレーフェルトのテキスタイル学校でデザインを学ぶ
1953年
ミュンヘン美術アカデミーに入学するも、2学期で退学
1960年
初めての絵本『うまのヴァレクのはなし』を出版
1979年
『パナマってすてきだな』でドイツ青年文学賞を受賞
1980年
スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島へ移住
1986年
アニメシリーズ「ヤーノシュの夢の時間」放送開始
1992年
文学作品でアンドレアス・グリフィウス賞を受賞
1993年
ドイツ連邦共和国功労勲章を受賞
1999年
トロイスドルフ児童文学博物館に原画を永久貸与
2010年
引退を発表
2013年
ツァイトマガジンで「ヴォンドラック」の連載を開始
2021年
生誕90周年を迎える

生誕90周年を記念して、作品集の出版や展覧会などのイベントが盛りだくさん。生誕90周年を記念して、作品集の出版や展覧会などのイベントが盛りだくさん。詳しくは https://janosch-medien.de にて

波乱万丈の90年史 苦悩の果てに小さな楽園を見つけて
「ヤーノシュ」という生き方

水彩画の柔らかく温かいタッチに、ユーモアと愛に溢れたセリフ……それらはヤーノシュ作品の特徴ともいえるが、彼が生み出す物語は、決して表層的な優しさや調和にとどまらない。子ども向けの作品であっても、愛情や友情、夢や幸福についてだけでなく、時には暴力や貧困、孤独などについても真摯に語られるのだ。そこには、ヤーノシュがたどってきた人生経験が色濃く反映されている。

参考:Janosch Gesellschaft e. V.、Deutsche Welle「Vielleicht ist alles auch Unsinn, was ich sage" - Kinderbuchautor Janosch zum 85」、Deutschlandfunk「Janosch zum 75. Geburtstag」、KURIER「Mit Tiger und Bär von der Kindheitshölle ins Paradies」、Spiegel「Schreiben Sie: mit Janosch nur Sauereien geredet」「Lieblingsuhrzeit? Nachts, bis vier」、Goethe Institut「Aus swe Hölle in die Hängematte」、WELT「Warum Janosch die Tigerente für "Mist" hält」、「Janosch – "Wenn ich will, kann ich fliegen"」

1. 戦争と貧困、暴力に苦しんだ子ども時代

1931年3月11日朝5時25分、ヤーノシュは祖母のうるさい目覚まし時計の音に起こされるようにして生まれたという(本人談)。当時のドイツ領に生まれた彼は「ホルスト」というドイツ系の名前を付けられ、3〜4歳ごろまで祖父母と生活した。その後は両親と暮らすようになるが、父はアルコール依存症で暴力的、神を恐れるカトリック教徒の母は冷たく、二人ともホルストを度々殴ったという。家には電気も水道も通っておらず、戦争の影響で全ての物資が不足していた。さらに学校でのいじめや、ヒトラーユーゲントへの参加を強いられるなど、彼はさまざまインタビューや本の中で、子ども時代を「地獄」と形容している。

ホルストは13歳から鍛治職人としての職業訓練を受け、その後は錠前屋で働いた。第二次世界大戦後の1946年には、両親と共に西ドイツのバート・ツヴィッシェンアーンへと引っ越すが、そこでも苦労の日々は続く。18歳ごろからは昼は紡績工場で働き、夜は警備員の仕事をして家計を支えた。しかし19歳の時に、クレーフェルトのテキスタイル学校に通い始めたことが、その後の人生の転機となる。

1歳ごろのヤーノシュ1歳ごろのヤーノシュ

私には子ども時代がなかったので、永遠にそれを埋め合わせなければなりません

(ヴェルト紙のインタビューより)

2. 「才能なし」と言われて美術アカデミーを退学

ホルストが通ったテキスタイル学校(現在のニーダーライン専門大学)では、ゲルハルト・カドウ(1909-1981)が教鞭を執っていた。カドウは美術・デザイン学校のバウハウス出身で、「線と色彩の魔術師」とも称されるパウル・クレー(1879-1940)のもとで学んだ人物。ホルストはカドウの授業で、パターンの描画やデザインを学ぶとともに、パウル・クレーの作品にも接することとなった。ホルストは、当時こそクレーの作品を理解できなかったものの、その後の作風に非常に大きな影響を受けたと語っている。

それからホルストは画家になるため、1953年にミュンヘン芸術アカデミーに入学する。しかし担当教授から「画家としての才能がない」と言われ、2学期が終わる頃にはアカデミーを去ることになった。フリーランスの画家として活動するもなかなか芽が出ないでいたある日、知り合いから「ツァイト紙に作品を送ってはどうか」と助言される。それをきっかけに1957年に初めてツァイト紙にドローイングとテキストが掲載され、その後も南ドイツ新聞や、風刺雑誌Pardonなどに寄稿した。

24歳ごろのヤーノシュ24歳ごろのヤーノシュ

毎日絵を描くということは、(私にとって)問題解決の練習をするということです

(Janosch Gesellschaft e. V.より)

3. 絵本作家「ヤーノシュ」の誕生とその成功

ホルストはイラストの仕事を探している過程で、出版社のゲオルグ・レンツ(1928-2009)と出会う。レンツはホルストの描く作品のコメディーやジョークを気に入り、1960年に初めての絵本『うまのヴァレクのはなし』(原題:Die Geschichte Valek dem Pferd)を「ヤーノシュ」という名義で出版することに。この「ヤーノシュ」という名前が生まれた由来は諸説あり、ホルストがレンツのオフィスに行った際に、レンツの秘書が別の訪問者と間違えてホルストのことを「ヤーノシュ」と思い込み、それを面白がってそのまま作家名にしたという話が有名だ(本人は後にこの逸話を否定したことも)。

ヤーノシュの初めての絵本は、あまり売れ行きが良くなかった。その後レンツの出版社は倒産してしまったが、ヤーノシュの作品はほかの出版社から出されて徐々に認知度を高めていく。そして1978年に発表された『パナマってすてきだな』(原題:Oh, Wie schön ist Panama)でドイツ青年文学賞を受賞して一躍有名になり、その後も次々と作品が評価されるように。さらに、クマとトラのコンビなどが登場するアニメシリーズ「ヤーノシュの夢の時間」は、80年代終わりごろにドイツで爆発的な人気を誇った。

『パナマってすてきだな』(1978)以降、ヤ―ノシュ作品の代名詞的存在であるクマとトラ『パナマってすてきだな』(1978)以降、ヤ―ノシュ作品の代名詞的存在であるクマとトラ

私は誤っていわゆるアーティストになってしまった。だって、それを仕事だとは思っていなかったのだから

(ヴェルト紙のインタビューより)

4. 世界で一番好きな場所はハンモック

Janosch作家として成功を収めたヤーノシュは1980年にドイツを離れ、長年のパートナーであるイネスと共にスペイン領カナリア諸島にあるテネリフェ島の小さな家に引っ越す。フリーランスの作家として活動を続けるなか、大人向けの自伝的小説である『Polski Bluse』(1991)や『Gastmahl auf Gomera』(1999)なども執筆。作品を通して自分の幼少期と向き合い、友情や家族関係、人生の意味を探求した。また、彼の故郷ザブジェに孤児院を設立するほか、環境保護やアフリカの医療支援、動物福祉のための活動に収益の一部を寄付するなど、社会支援も積極的に行った。

1999年、ヤーノシュはトロイスドルフ児童文学博物館に絵本の原画を永久貸与することを決める。そして2010年には「旅行をしたり、とにかくハンモックに横になっていたい」と、もう本を書かないことを宣言。しかし、2013年には再びツァイトマガジンに登場し、2019年11月ごろまで毎週コラムを執筆した。そして今年90歳という節目を迎えたが、もともとインタビュー嫌いで有名なヤーノシュは、表舞台に姿を表すことはもうほとんどない。しかしきっと今も、ハンモックで横になって大好きな赤ワインを飲みながら、誰にも邪魔されずに自由を謳歌していることだろう。

私の好きな季節は、人生の後の永遠の時です。常に太陽があり、周りに神はいない

(ヤーノシュの伝記『Wer fast nichts braucht, hat alles』より)

かわいいだけじゃない!
個性派ぞろいのヤーノシュの仲間たち

ヤーノシュの作品に登場するキャラクターたちは、自由や冒険を愛するだけでなく、馬鹿なことをしたり、嘘をついたり、自分の利益を追求することもある。しかし最終的には、いつでも友情や愛情が勝つ。その理由をヤーノシュはかつて、「それは私自身の家族に欠けていたもので、いつも私が求めているものだから」と語っている。ここでは、そんなヤーノシュの魅力的なキャラクターたちを紹介する。

クマとトラ
Bär und Tiger

クマとトラ Bär und Tiger

ヤーノシュ作品の代表的なキャラクターといえば、小さなクマとトラのコンビ。1976年に初めて描かれ、二人がパナマを目指して旅をする絵本『パナマってすてきだな』(詳しくはP12) で人気者になった。小川の近くにある小さくて居心地のいい家に住んでいる二人は、いつでも自由で好奇心いっぱい。大冒険や小さな発見のその先に、ちょっぴり哲学的な考えをもたらしてくれる。

代表的な登場作品 『Oh, Wie schön ist Panama』(1978)、『Ich mach dich gesund, sagte der Bär』(1985、邦訳タイトルは『ぼくがげんきにしてあげる』)

ギュンター・カステンフロッシュとティガーエンテ
Günter Kastenfrosch und die Tigerente

ギュンター・カステンフロッシュとティガーエンテ Günter Kastenfrosch und die Tigerente

緑のカエルのギュンター・カステンフロッシュは、生意気でせっかちで、ものすごくおしゃべり。うっとうしがられることもあるが、人懐っこくてどこか憎めない存在だ。彼の恋人は、木で作られたトラ柄アヒルのティガーエンテ。ギュンターがいくら愛をささやいても無言なため、ギュンターは彼女の気持ちを都合よく解釈したり、愛に確信を得られず不安になったりしている。

代表的な登場作品 『Komm, wir finden einen Schatz』(1979)、『Günter Kastenfrosch in Wort und Bild』(1991)

パパライオンと彼の幸せな子どもたち
Papa Löwe und seine glücklichen Kinder

パパライオンと彼の幸せな子どもたち Papa Löwe und seine glücklichen Kinder

ライオン一家のママは、毎朝早くに家を出てオフィスに向かう。そしてパパの仕事は、家にいて子どもたちを幸せにすること。ある子は宇宙にロケットを飛ばしたいと言い、ある子は船の船長になりたくて、またある子は静かなる革命を楽しみたい……パパは子どもたちそれぞれの冒険に少しずつ手を貸し、ママが帰宅する頃にはクタクタに。子どもたちは大満足なのであった。

代表的な登場作品 『Papa Löwe und seine glücklichen Kinder』(1998)

エミール・グリューンベアー
Emil Grünbär

エミール・グリューンベアー Emil Grünbär

緑のクマのエミールが暮らしているのは、街から6キロほど離れ、森まで10センチのところにある古い家。同居人であるガチョウのドリー・アインシュタインと、イヌのリュディー・フォン・リーバーバウムと、「幸せな生活」という名の芸術を実践していた。しかしある日、家の水道水から悪臭が立ち込めてきたことをきっかけに、エミールたちは環境問題の解決のため立ち上がる。

代表的な登場作品 『Emil Grünbär und Seine Bande』(1991)、『Emil Grünbär auf dem Bio-Bauernhof』(2004)

ヴォンドラック
Wondrak

ヴォンドラック Wondrak

ヤーノシュの分身的存在であるヴォンドラックは、 2013~2019年までツァイトマガジンに毎週登場。黄色と黒の縞模様の服に、口ひげとドイツ的なお腹が特徴で、時事ネタや社会問題に比類なきユーモアでコメントする。例えば「夜、テレビを観る時間を最高のものにするには ?:テレビの前に一緒に座ってくれる人が必要。ぴったりの人なら、もはやテレビも必要ありません」。

代表的な登場作品 『Herr Wondrak rettet die Welt, juchhe!』(2016)、『Herr Wondrak, wie kommt man durchs Leben?』(2021)

最終更新 Dienstag, 23 März 2021 18:48
 

ドイツの国民的絵本作家ヤーノシュの魅力再発見!

30年来の友人が語る
ヤーノシュの魅力再発見!

児童書を中心に320冊以上の本を世に送り出してきたヤーノシュ。親から子どもへ、そして孫へと読み継がれてきた作品たちが愛され続ける理由を紐解くために、ヤーノシュ協会(Janosch Gesellschaft e.V.)の共同代表を務めるDr. ウルリヒ・キュプケさんに、ヤーノシュの魅力とおすすめの作品を聞いた。

参考:Janosch Gesellschaft e.V.「Dr. Ulrich Kypke: Eine persönliche Anmerkung」

ヤーノシュの魅力再発見!

人間の複雑な感情を描く作家

キュプケさんがヤーノシュと初めて出会ったのは1991年。子どもたちと一緒に環境を救いたいという思いから書かれた絵本『Emil Grünbär und seine Bande』(エミール・グリューンベアと仲間たち、未邦訳)が、スイスのディオゲネス出版から発売されたばかりのことだった。キュプケさんはヤーノシュと共に「子ども環境クラブ」を設立したという。

ヤーノシュの第一印象について、キュプケさんはこう振り返る。「ヤーノシュは自らあらゆることに興味を持つ、オープンな人物だと感じました。年齢を重ねた今でも批判的な思慮深さを持ち合わせています」。さらにキュプケさんは、そんなヤーノシュのことを「哲学者であり、懐疑論者であり、博愛主義者であり、冒険家であり、皮肉屋であり、異端者であり、戦争の敵であり、そしてもちろん、画家でデザイナーで文筆家であり、映画と放送劇の作家です」とも表現する。多才なヤーノシュのさまざまな顔に驚かされるとともに、同氏がいかにユーモアをもって鋭い視点で社会を見つめてきたのかが伝わってくる。

キュプケさん自身も長年ヤーノシュ作品に魅了されてきたファンの一人。全てのヤーノシュ作品には人間の感情の矛盾が描かれている、と同氏はその魅力を語る。「例えば、怒りには何かに同意することの兆候、不幸には明るい兆し、そして幸福にはこの先来るかもしれない絶望のかすかな兆候が描かれています。ヤーノシュ作品では、いつも新しい感情の矛盾が見られる。彼の作品は刺激的で感動的にもかかわらず、しばしば優しくも怒りっぽくもあり、結局のところそれらを明確に解釈することはできません。しかし、子どもたちは新しいことや思いがけないことに対して、大人よりもオープンです。ですから、子どもはこういった感情の兆候をよく理解しているのだと思います」。

児童文学の古典として愛され続ける

初めての絵本が出版されてから60年以上が経ち、多くの作品やテレビアニメなどを通じて、ヤーノシュは3世代にわたって愛されてきた。キュプケさんは、ヤーノシュ作品が時代を超えて受け入れられるには理由があると話す。「ヤーノシュの長年の友人で出版仲間であるハンス= ヨアヒム・ゲルベルク氏(児童書プログラムBeltz & Gelbergの創立者)は、ヤーノシュの『永久的な影響』についてこのように書き残しています。『ヤーノシュの画期的な芸術は時代を作ってきた全ての芸術と同じように、永久的な影響があります。彼の芸術は長い時間とどまり続けるでしょう。しかしそれは、全ての時代や世代にとって全く新しい芸術としてです』と。ヤーノシュ作品はその多彩さと奥深さによって何度も改めて知られ、認識されていく芸術遺産となるでしょう。すでにもう、児童文学の古典と認識されていますから」。

ドイツだけでなく世界中で愛されるヤーノシュ作品は、生誕90周年を機にまた新たな読み手によってその魅力が再発見され、未来の世代へと読み継がれていくことだろう。最後に、キュプケさんおすすめのヤーノシュ作品をご紹介いただいた。読書タイムにのんびりと、ヤーノシュの世界観を味わってみよう。

おすすめのヤーノシュ作品

絵本 ヤーノシュ作品を初めて読む人に

Oh, wie schön ist Panamaヤーノシュを代表する絵本といえば、この『Oh, wie schön ist Panama』。1979年にドイツ青年文学賞を受賞し、同年日本でも『パナマってすてきだな』(あかね書房)というタイトルで出版され、子どものころに読んだことのあるという人も多いかもしれない(現在日本語版は残念ながら絶版に)。ある日、クマが川で釣りをしていると、上から下までバナナの香りがする箱が流れてきた。箱には「パナマ」と書かれている。クマとトラは、夢の国パナマを目指して旅に出ることに。その珍道中の末、読む人に大切な何かを教えてくれる。

Oh, wie schön ist Panama
発行元:Beltz
2002年1月刊
※オリジナルは1978年3月刊行

児童書 こんなグリム童話、読んだことない!

Oh, wie schön ist Panama「カエルの王様」や「長靴を履いたネコ」、「幸せハンス」などのグリム兄弟のおとぎ話をヤーノシュが完全に新しいバージョンで、これまでとは全く違う視点から語るというユニークな童話集。グリム童話の登場人物たちがタクシー運転手を怒らせたり、有名なメディアスターになったりと、ヤーノシュの豊かな想像力と狡猾さが物語のスパイスになっている。面白おかしいカラフルなイラストと共に54の童話を収録。本家のグリム童話集と読み比べてみると、ヤーノシュの魅力をさらに発見できるかも?

Janosch erzählt Grimm’s Märchen
発行元:Beltz
2001年4月刊行

小説 ヤーノシュの子ども時代を知る

Cholonek oder Der liebe Gott aus Lehm児童書だけでなく、いくつか重要な小説も書いてきたヤーノシュ。『Cholonek oder Der liebe Gott aus Lehm』(チョロネクもしくは粘土から作られた親愛なる神、未邦訳)は、1939年から数年のドイツとポーランドの国境地帯を舞台にしており、ヤーノシュの子ども時代へと読者をいざなう。貧困や戦争の苦境、オーバーシュレジエン地方のナチス占領について、自分の経験のことのように感じることができる小説だ。ヤーノシュ は酒に酔いながら本作に取り組んだことで、子ども時代のトラウマについて執筆することができたという。

Cholonek oder Der liebe Gott aus Lehm
発行元:Goldmann Verlag
1992年2月刊行

画集 作家のさまざまな顔が見える記念画集

Oh, wie schön ist Panama生誕90周年を記念して今年2月に刊行された画集。ヤーノシュの初期の作品から、クマとトラをはじめとする個性的なキャラクターたちまで、線画や水彩画、エッチング、テキスタイルなどによる多様な作品240点以上が収録されている。かわいらしい動物たちだけでなく、大人向けのダークな作品も多数セレクトされており、ヤーノシュのさまざまな顔が垣間見える。家にいながらまるで回顧展を観に行ったかのような満足感を味わえる1冊。ヤーノシュファンならぜひ手に入れたい。

Janosch - Lebens & Werk
発行元:Merlin Verlag
2021年2月刊行

最終更新 Dienstag, 23 März 2021 18:06
 

エネルギーシフトで変わりゆくドイツ

東日本大震災から10年
エネルギーシフトで変わりゆくドイツ

2011年3月11日に起きた東日本大震災。マグニチュード9.0という巨大な揺れを観測し、津波が押し寄せ、そして福島第一原発事故が発生した。この未曽有の災害により、関連死も含めて2万2000人以上が犠牲となった。この日を境にさまざまな価値観が捉え直されてきたが、ドイツが脱原発を決めたことは世界を驚かせた出来事の一つだ。この10年を節目に、ドイツで進行しているエネルギーシフトについて改めて俯瞰するとともに、独日を代表する市民電力に話を聞いた。人にも環境にも優しい未来を一緒に見据えてみよう。 (Text:編集部)

参考:『なぜドイツではエネルギーシフトが進むのか』(田口理穂)、Bundesregierung「Klimaschutzprogramm 2030」、Fraunhofer-Institut für Solare Energiesysteme ISE「Nettostromerzeugung in Deutschland 2020: erneuerbare Energien erstmals über 50 Prozent」

エネルギーシフトで変わりゆくドイツ

お話を聞いた人

田口理穂さん
ハノーファー在住ジャーナリスト、法廷通訳・翻訳士。長年シェーナウ電力を取材するなど、ドイツの環境問題について多数メディアへ寄稿してきた。近著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』など。本誌では、「私の街のレポーター」でハノーファーを担当。

「脱原発」を決めるまでの3カ月

福島第一原発事故の発生は、ここドイツでも積極的に報道された。事故直後、市民からはすぐに原発に反対する声が上がり、各地でデモが開かれた。そうした状況からメルケル首相は事故発生から4日後に、1980年以前に稼働を始めた7基を含む8基を即時停止している。さらに、全ての原発の安全性を確かめるためにストレス調査の実施を決定した。

2011年3月15日に撮影された福島第一原発1~4号機 2011年3月15日に撮影された福島第一原発1~4号機

ドイツ人がこれだけ大きな反応を示したのには理由がある。1986年4月26日に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故だ。事故当時、チェルノブイリから2000キロ離れたドイツにも放射性物質が降り注ぎ、農作物が汚染され、子どもたちは外で遊べなくなった。福島原発事故はドイツ人たちのトラウマを想起させたのだった。

メルケル首相は物理学の博士号を取得しており、原発の危険性についてもよく理解していたといわれる。その上で事故は起きないだろうと想定しており、もともと前政権が2022年に脱原発をすることを決定していたが、事故の半年前にそれを2036年に先延ばしすることを決めていた。ところが、日本というハイテクな国でこのような事故が起き、メルケル首相の考えを180度転換させることになる。

2011年4月4日から5月28日まで、メルケル首相はさまざまな分野の専門家や議員17人からなる「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を設置して議論を交わした。そして、どんなに安全性が高くても事故が起こりうる可能性はあり、原子力よりも安全なエネルギー源があると、同委員会は結論付ける。メルケル首相は6月6日に2022年までに原発を停止することを閣議決定し、ドイツは再び早期の脱原発へと大きく舵を切った。

気候変動がエネルギー転換を後押し

脱原発と同時に、褐炭および石炭による発電に頼らざるを得なくなったドイツ。同国の二酸化炭素(CO2)排出量は欧州連合(EU)加盟国の中でトップで、世界ランキングでは6位だ。一方、2018年の熱波による記録的な猛暑をはじめ、市民の間でも気候変動に対して改めて危機感が高まった。ちょうど、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが気候変動ストライキ「Fridays for Future」(未来のための金曜日)を始めた年でもあり、この運動は世界中に広まったが、とりわけドイツの若者は積極的に参加した。

2019年3月29日、ベルリンのFridays for Futureにグレタさん(中央)も参加した 2019年3月29日、ベルリンのFridays for Futureにグレタさん(中央)も参加した

そうしたなか、ドイツは2019年1月26日に2038年までに脱石炭を目指すことを発表。また、同年5月26日に行われた欧州議会選挙で、ドイツでは緑の党が得票率を約2倍に伸ばし、人々の気候変動への危機感が顕著に現れた。さらに、メルケル政権は同年10月9日に「気候変動保護プログラム2030」(詳細は以下)を閣議決定した。

この10年で脱原発だけでなく、脱石炭、ゼロエミッションを目指すことでエネルギーシフトを推し進めることになったドイツ。そのいくつかのポイントを、キーワードとともに紹介しよう。

ドイツのエネルギーシフトをもっと知る「キーワード」

「脱原発・脱石炭」
今のところ計画は順調に進行中

2021年3月時点で国内の原発6基が稼働しているが、2022年までに操業停止となり、脱原発を達成できる予定だ。しかし、高レベルの核廃棄物の最終処理場をニーダーザクセン州のゴアレーベンとする計画が2013年に白紙撤回となり、新たな候補地を探さなければならない状況が続いている。本当の意味での脱原発はまだまだ先となる。

一方、脱石炭が決定される前は経済界から猛反発があった。褐炭はドイツで100%採掘でき、ほかのエネルギー源と違って輸入に頼らなくて済むため、経済に大きな影響を与えるからだ。しかし、最終的に連邦政府が労働者、企業、地方政府に対する補助金として400億ユーロ(5兆円・1ユーロ125円換算)を充てることで同意した。脱石炭は数年に1度進捗を確認し、3年前倒しての2035年に石炭・褐炭火力発電所の停止が可能かどうかを決定する予定だ。

「再生可能エネルギー」
2020年発電量の50%以上を占める

昨年、ドイツの総発電量における再生可能エネルギーの割合が初めて半分に到達。コロナ禍で産業用電力の需要が減ったことも一因となっているが、なかでも風力が27%と大きく貢献した。風力発電は1台の発電量が多く、効率がいい。北ドイツを中心に主要電源となっており、福島原発事故後はクリーンなエネルギーとして再度注目され、シェアを拡大してきた。しかし、昨今では景観を損ねることや野生動物などへの影響から、市民団体が新設に反対する事例も多い。

一方で、バイオマスや地熱のほか、川の流れを利用した小水力発電などのシェアを増やし、小規模で地域分散型に移行していくことも一つの道だ。送電ロスが少なく、地域おこしにもつながるため、持続可能な方法として期待される。

2020年ドイツの総発電量 2020年ドイツの総発電量 参考:Fraunhofer ISE 参考:Fraunhofer ISE

「気候保護プログラム」
交通と建物におけるCO2削減

ドイツでは、家庭のエネルギー消費の約8割を暖房が占めている。また、交通におけるCO2排出量を2030年までに1990年対比で40〜42%削減する必要があるという。

2019年時点で全体の発電量に占める再エネのシェアは42.1%だったのに対し、建物の冷暖房など熱における再エネの割合が14.5%、交通ではその割合が5.6%しかない。そういった背景からも気候保護プログラム2030では、特に交通と建物に重点を置いた計画が立てられた(詳しくは右記参照)。

また、電力、交通、熱(建物)の三つのセクター(分野)を超えてエネルギー融通し合うことを「セクターカップリング」という。例えば太陽光発電の余剰電力を使って温水を作ったり、電力から水素を作って燃料電池自動車を走らせたりすることができる。センターカップリングを推進し、いかに交通と熱のセクターで再エネの割合を高めていくかも今後の課題となっている。

気候保護プログラム2030の主な施策

・今年1月から、化石燃料を販売する企業に対してCO2排出権証書の購入を義務付け。現在は1トン当たり25ユーロで、2025年に55ユーロに引き上げる

・暖房効率を上げるためのリフォームにかかった費用の税金控除を設けるほか、灯油からガスの暖房に交換する場合、政府が40%まで補助する

・2030年までにEV台数を1000万台に引き上げるため、購入補助金の助成期間を2025年まで延長。また充電ステーションを100万カ所に増やす

・国内の列車移動を促進させるため、長距離列車の運賃の付加価値税を7%に引き下げる

「市民」
一人ひとりが考え行動する

ドイツには市民が運営するエネルギー協同組合が900以上ある。ほとんどの組合が再エネのみを扱うプランを提供しており、地域の再エネ推進に一役買っている。また、多くの自治体が無料の省エネ相談を用意。省エネに関するアドバイスやグッズがもらえ、相談者は出費を抑えることもできるのだ。

一方ドイツの学校では、例えば物理の授業で核と放射能のことをじっくり学ぶことで原発について客観的な知識を得ることができる。危険性や利用の是非については、個々が考えるという教育方法なのだ。そういった知識や森などに出かけて自然を身近に感じる経験を通じて、子どもたちは自ら考え行動するのである。さらに子どもから学び、環境保護に対する意識が変わったという大人も少なくない。

このような事例からも、ドイツにおけるエネルギーシフトを支えたきたのは市民一人ひとりともいえる。 まさに草の根の活動が、やがて大きなうねりとなって社会を変えていくことを、ドイツの姿から学ぶことができるだろう。

ドイツと日本の元祖市民電力の10年とこれから

シェーナウ電力(取材協力:セバスティアン・スラーデクさん)

シェーナウ電力は、チェルノブイリ原発事故をきっかけに南ドイツ・シェーナウの市民がつくった電力会社。市内の送電線を買い取り、1997年から電力供給を行ってきた同社は、脱原発と再生可能エネルギーを推進しており、現在は全国に18万5000人以上の顧客を持つ。

福島原発事故後、同社の社員の多くが原発停止を求めるあらゆるデモに参加したという。原子力の危険性と代替エネルギーについて再び議論され始め、シェーナウ電力もメディアや新規顧客から注目を浴びるようになった。さまざまな環境賞を受賞してきたシェーナウ電力だが、同社もまた志を同じくする国内外の人に独自の賞を授与してきた。例えば、2014年には福島から岡山へ自主避難し、福島の母子を助ける活動をしてきた大塚愛さん、事故後に地元福島で電力会社を立ち上げた酒造家の佐藤弥右衛門さん、元俳優で反原発活動家の山本太郎さんがそれぞれ「電力革命児賞」を受賞。さらに、佐藤さんが代表理事を務める「ふくしま自然エネルギー基金」に2万5000ユーロを寄付し、福島のエネルギーシフトを積極的に支援している。

最近では、交通と熱の分野でさらに再エネの割合を増やしていくことに力を入れている同社。例えば、黒い森地方の村々に再生可能エネルギーによる暖房ネットワークを構築したほか、エネルギー産業のデジタル化を進めるプロジェクトにも取り組んでいるという。この10年で代表の世代交代もあったシェーナウ電力では、新たな挑戦が始まっている。

共同創業者のウルズラ・スラーデクさんとDr.ミヒャエル・スラーデクさん。現在は息子さんら3人が共同代表を務めている 共同創業者のウルズラ・スラーデクさんとDr.ミヒャエル・スラーデクさん。現在は息子さんら3人が共同代表を務めている

おひさま進歩エネルギー株式会社(取材協力:柏木愛さん)

おひさま進歩エネルギーは長野県飯田市にある地域エネルギー会社だ。温暖化防止とエネルギーの地産地消を目指して、2005年に市民ファンドを立ち上げ、市内38カ所に太陽光パネルを設置して発電事業を開始。その後、さまざまな環境賞を受賞するなど、日本の市民電力の草分け的存在として知られる。

同社へは毎年100団体ほどが視察に訪れていたが、福島原発事故後は真剣さが増し、市民団体からの相談が急増したという。また同社スタッフは、環境団体が企画するドイツ・オーストリア再エネツアーにほぼ毎年参加。新電力の動向などをはじめ、市民組合の取り組みや政府のエネルギー政策からアイデアを得ることが多いという。さらに同社は、2017年にベルリンで開催された日独エネルギーシフト評議会に出席し、意見交換をする機会もあった。

日本のエネルギーシフトはなかなか進まないという印象があるが、2012年の固定価格買取制度の導入後、太陽光を中心とした再生可能エネルギーがシェアを伸ばし、最新統計では電力の6.7%を占めるまでに成長。ゆっくりではあるものの、全国各地に蒔かれたエネルギーシフトの種が育ちつつある証拠だ。今後は地域の環境に影響が少ない小水力発電への取り組みを強化したり、自治体へのコンサルティングなど、支援事業にも力を入れていくという同社。ドイツの市民電力のように、地域で再エネを増やし、経済の活性化にも貢献していくことが大きな目標となっている。

飯田市の鼎みつば保育園に設置されている太陽光パネル 飯田市の鼎みつば保育園に設置されている太陽光パネル

最終更新 Freitag, 12 März 2021 12:23
 

今こそ読みたい「日本とドイツの震災後文学」

東日本大震災から10年
今こそ読みたい「日本とドイツの震災後文学」

東日本大震災からの10年間、起こってしまった現実を咀嚼するために、日本をはじめ世界中の作家たちが「震災」に焦点を当てた文学作品を生み出してきた。この一連の作品群は「震災後文学」とも呼ばれており、災害当時の記憶を受け継いでいくために重要な役割を担っている。ここでは、日本文学の専門家で震災後文学に詳しいクリスティーナ・岩田=ワイケナントさんにお話を伺うとともに、時間が経った今だからこそ読みたい日独の震災後文学を紹介する。 (Text:編集部)

今こそ読みたい「日本とドイツの震災後文学」

お話を聞いた人

クリスティーナ・岩田=ワイケナントさん
名古屋大学人文学研究科准教授。トリーア大学で2007年に博士号を取得。現代日本文学を専門とし、東日本大震災や原発災害に関わる文学表現の研究なども行っている。

そもそも「震災後文学」とは

まず、「文学」という言葉の定義について考えてみましょう。今日私たちが理解している「文学」という言葉は、明治時代になってできたものであり、当時の欧州における文学概念から大きな影響を受けています。しかし「書かれたもの」に限定せずに考えると、「語る」ことは、全ての時代や人間社会で行われている行為です。「口承文学」がさまざまな土地の文化や伝統を伝えるのに大切な役割を果たしているように、人間ははるか昔から「語る」ことによって世界を説明し、理解してきました。

災害に関する社会学的な研究でも、「語る」ことの機能は重要視されています。いわく、私たちは「ナラティブ(=物語ること)」によって初めて、災害を災害として認識していくというのです。米国の社会学者であるジェフリー・アレクサンダーは、このプロセスにおいて、芸術や文化が中心的な役割を担っていると指摘しています。文学や演劇、映画、スピーチ、儀式など、あらゆる種類の「ストーリーテリング」によって、人は災害を記憶し、受け継いでいくのです。

日本中世文学の代表的な随筆である鴨長明(かものちょうめい)の『方丈記(ほうじょうき)』は、その好例の一つでしょう。同書では、大火災や竜巻、飢饉、さらに大地震など、鴨長明が経験した天変地異が書き連ねられており、日本最古の災害文学として何世紀にも渡って受け継がれるとともに、2011年以降には引用される機会が増えました。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という一節で有名な、鴨長明の『方丈記』。震災以降に日本最古の災害文学として注目を集めるとともに、ドイツでも2011年に再出版された

『Aufzeichnungen aus meiner Hütte』 / 著者:鴨長明、訳:Nicola Liscutin
Insel Verlag Anton Kippenberg GmbH

「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という一節で有名な、鴨長明の『方丈記』。震災以降に日本最古の災害文学として注目を集めるとともに、ドイツでも2011年に再出版された

ドイツ語でも書かれた震災後文学

ドイツをはじめとする欧州でも、災害文学というジャンルは昔から存在しています。欧州でも自然災害はもちろん起こりますし、人的災害もまた、しばしば人々の文学的な反応を呼び起こしてきました(また実際のところ、自然災害と人的災害は必ずしもはっきり区別できるものではありません)。2011年の震災でも、津波への対策不足や、その後の福島原発事故など、多くの人にとって「自然災害」としてだけでなく「人災」としても映ったでしょう。

ドイツの場合は1970年代ごろから、そして1986年のチェルノブイリでの原発事故に衝撃を受けて、原子力発電はすでに重要なテーマとして捉えられてきました。それでも2011年に日本で起きた未曾有の大震災に対して、ドイツ語圏の作家たちも反応しています。

私自身の専門は日本文学ですが、ドイツ語の文学で言えば、例えばオーストリア人のノーベル文学賞作家であるエルフリーデ・イェリネクが、東日本大震災と福島の原発事故に強い衝撃を受けたことから、戯曲『光のない。』(2011年)を執筆しました。また、ニーナ・イェックルは「津波」をテーマに『Der lange Atem(長い息)』(2014年)という小説を書いており、この物語には、津波によって溺死してしまった人々を描く肖像画家が登場します。

さらに、日本人でありドイツ語でも執筆を行っている多和田葉子も、このテーマに精力的に取り組んでいる作家の一人です。彼女は震災当時、ドイツの日刊紙などで原発事故をテーマとしたインタビューにも頻繁に登場し、積極的に発言していました。『献灯使』(2014年)をはじめとする彼女の著作のように、福島の原発事故に関する記述を越えて、資本主義社会や人間の進歩への過信にまで批判的に切り込んでいる文学作品は、実はそう多くはありません。

「震災」を記録する上で、文学や芸術が果たす役割

2011年以降、多くの科学的なデータが、これまでにないくらい収集されました。その目的はまず、ビックデータを分析することでなぜ震災が起こったかを理解することにあり、それによって災害対策を改善することにあります。これは当然と言えば当然ですが、作家の重松清は2013年にとても示唆的な発言をしています。「『ビッグ』とは『無数のスモールの集積』であるということを忘れてしまうと、その途端、解析の網の目から大切なものがこぼれ落ちてしまうだろう。(中略)『震災ビックデータ』では、死者の記憶を追うことはできない。死者の声を記録することもできない。だが、人間はそのために想像力を持ったのではないか。(中略)ここからは文学の出番だよなあ、と痛感する」と。
科学的なデータの解析は「事実を明らかにすること」を目的にしていますし、新聞やテレビなどのメディア報道の目的もまた「事実を伝えること」でしょう。それに対して、文学や芸術、(ドキュメンタリーも含む)映画などの役割は、それだけでは担いきれないような人間の感情や視点、想像力に働きかけることにあるのかもしれません。

コロナ禍で迎える「東日本大震災から10年」

個人的には、震災から10年が経ったという事実そのものは、「震災後文学」に新たな意味を与えるということはないと思います。しかし、新型コロナウイルスによってパンデミックが起こったことは、震災後文学を今後読んでいく際に、私たちの解釈や受け取り方に変化をもたらすかもしれません。

というのも私は2020年の春と秋に、留学生を対象とした「震災後文学」に関する二つのセミナーを開講していました。一つ目の短期留学生たち向けの授業では、生徒たちはコロナ禍によって3月初旬に突然帰国を余儀なくされ、その後の数週間、彼らの国では厳しいロックダウンが行われました。もう一つの長期留学生を対象とした授業でも、彼らが休暇で一時帰国している間に、日本では全ての外国人の入国が禁止に。留学生も例外ではなく、日本に再入国できませんでした。

川上弘美や多和田葉子の短編小説などでは、ある日突然、前日までと全く変わってしまった世界を描いていますが、学生たちはまさにそれを経験したのです。彼らは、「コロナ禍がもしなければ、私たちは震災後文学をもっと別の視点から読んでいて、今ほど理解できなかったかもしれない」と語ってくれました。その意味で、コロナ禍は3.11の強い記憶を呼び起こす契機になっており、震災後文学はコロナ禍によって全く新しいリアリティーを帯び始めているようです。

日本とドイツで紡がれた震災を考える7冊

震災から10年、その記憶は私たちの日常から次第に遠ざかっているかもしれない。日本とドイツ、それぞれの言語で書かれた文学作品は、時間や場所を超えて私たちに「震災とは何か」を問い続ける。

チリの地震

西洋思想にも衝撃を与えた地震とその後の社会の姿

チリの地震 / 著者:ハインリヒ・フォン・クライスト、訳:種村季弘
発行元:河出書房 / 2011年8月刊行

ドイツを代表する18世紀の劇作家クライストが1807年に発表した短編小説。主人公の青年は裕福な貴族の娘と身分違いの恋に落ちるがその仲は引き裂かれ、修道院での密会がばれた二人は神を冒涜したとして投獄される。娘は裁判で死刑が決まり、その知らせを受けた青年は絶望して自殺しようとするが、まさに首を吊ろうとしていた瞬間に大地震が起きるのだった。地震によって僧院や牢獄などの公権力が倒壊し、生き延びた人々は身分を越えて助け合うが、やがて地震以前の権力や秩序の回復が試みられていく。

みえない雲

ドイツの教科書にも載った未来に伝える原発の恐ろしさ

みえない雲 / 著者:グードルン・パウゼヴァング、訳:高田ゆみ子
発行元:小学館 / 2006年11月刊行

チェルノブイリでの事故をきっかけに、ドイツで原発事故が起きたらどうなるかをテーマに1987年に書かれたヤングアダルト向け小説。舞台は西ドイツ。主人公であるギムナジウムに通う14歳の少女ヤンナ・ベルタが午前中の授業を受けている最中に、近郊の原子力発電所で事故が起きる。街はパニック見舞われ、ヤンナも避難する途中で吐き気に襲われて気を失う。同書はドイツ国内だけでも150万部販売される大ベストセラーになるとともに、ドイツやベルギーなどでは学校教材としても用いられた。

光のない。

ノーベル文学賞作家が震災に捧げるレクイエム

光のない。 / 著者:エルフリーデ・イェリネク、訳:林立騎
発行元:白水社 / 2021年3月刊行

震災後に急遽書き下ろされた戯曲で、2011年9月には早くもケルンで上演された。暗く不穏な気配に満ちた空間で、対話とも呼べない対話をする「第一バイオリン(A)」と「第二バイオリン(B)」。彼らが生きているか死んでいるか、津波に飲み込まれたのか、原子力発電所に取り残されたのか、はっきりとしたことは分からない。しかし放射線、半減期、設備の停止……などの言葉が、震災当時の切実な不安と混乱を思い起こさせる。今年3月11日には、表題作とその続編を収録した待望の新書版が発売される。

詩の礫

福島で生きる詩人の圧倒的な言葉の力

詩の礫(つぶて) / 著者:和合亮一
発行元:徳間書店 / 2011年6月刊行

福島在住の詩人である和合亮一は、震災後6日目からツイッターで詩を発表し始める。140文字という限られた字数の中で、福島への思いや震災への行き場のない怒り、生と死の不条理さ、悲しみや戸惑いなどの感情が表現され、国内外で大きな反響を呼んだ。リアルタイムで紡がれた心の叫びがページをめくるごとに迫ってくる。和合の詩は2016年にドイツ語にも翻訳されており、それらは『Worte ohne Schutzanzug(防護服のない言葉)』(原書は『ふたたびの春に / 震災ノート 20110311-20120311』)で読める。

神様2011

温かな日常をむしばむ「あのこと」の後で

神様2011 / 著者:川上弘美
発行元:講談社 / 2011年9月刊行

1993年の川上のデビュー作『神様』では、主人公は同じアパートに引っ越してきた「くま」とピクニックに出かける。紳士的で優しい「くま」との交流が美しい、不思議な吸引力を持つ作品だ。川上は震災にすぐに反応し、この作品を2011年3月に『神様 2011』というタイトルで書き直す。ストーリーの流れは基本的に『神様』と同じだが、『神様 2011』は「あのこと」が起きた後という設定に変更。例えば冒頭、二人はピクニックの際に「防護服」を着て出かけるなど、平和だったはずの日常は「あのこと」に侵食されている。

献灯使(けんとうし)

日独を繋ぐ作家が描く恐ろしい未来の日本

献灯使(けんとうし) / 著者:多和田葉子
発行元:講談社 / 2014年10月刊行

30年以上ドイツに暮らし、日本語とドイツ語で作品を発表している多和田葉子。彼女が2014年に発表した本作は、震災後のいつかの日本を舞台にしたディストピア小説だ。大厄災に見舞われた日本は鎖国政策を行い、外来語を禁止し、インターネットや車も無い。老人は100歳を過ぎても元気なのに、子どもたちは病弱で長く歩くこともできない。老人の義郎は、「無名(むめい)」という名のひ孫と東京郊外の仮設住宅で暮らしているが、やがて少年となった無名は「献灯使」として海外へ旅立つ運命にあった……。

現在地

芸術の力とは? 劇作家が挑む「ポスト3.11」

現在地 / 著者:岡田利規
発行元:河出書房 / 2014年11月刊行

劇作家であり、劇団チェルフィッチュの主宰である岡田利規の作品集。岡田は震災を通して、演劇や芸術などの「フィクション」が現実社会を励ますだけでなく、同時に「おびやかす力」を持つものであるとより強く認識するようになったと語る。本書収録の『地面と床』では、「そう遠くない未来の日本」を舞台に、地面の下で安らかに眠ることを望む死者と、これから生まれてくる命を守ろうとする生者との対立が描かれる。岡田の作品はドイツの公立劇場などでもたびたび上演され、その作品や演劇手法が高く評価されている。

最終更新 Freitag, 12 März 2021 12:15
 

クラインガルテンとは?その歴史と借り方を紹介

ドイツ人が庭仕事を愛する理由クラインガルテンとは?

ガーデニングといえば真っ先に英国を思い浮かべるが、実はドイツは「クラインガルテン」と呼ばれる集合型市民農園の発祥の地であり、れっきとしたガーデニング大国だ。そんなドイツで本格的に庭仕事を始めたい人のために、クラインガルテンの成り立ちとその利用方法についてご紹介しよう。 (Text:編集部)

クラインガルデン

始まりは子どものための「小さな庭」
クラインガルテンの歴史

「庭仕事」はドイツ人の趣味として、長年「ショッピング」と1位の座を競うほどの人気を誇る。さらにコロナ禍においては、トイレットペーパーの次に園芸用品の売れ行きが最も伸びたといわれる。そんなドイツ人の「庭仕事好き」の始まりとも言えるのが、「クラインガルテン」(小さな庭の意)と呼ばれる市民のための集合型貸し農園だ。

クラインガルテンは、シュレーバー博士(写真左)にちなんで
            「シュレーバーガルテン」とも呼ばれる クラインガルテンは、シュレーバー博士(写真左)にちなんで「シュレーバーガルテン」とも呼ばれる

クラインガルテンの歴史は、1814年にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州のカッペルンにある教会が、庭を持ちたい人を募って教会の土地を貸し出したことに始まる。そして1864年には、ライプツィヒの医師で教育改革者のモーリッツ・シュレーバー博士が、貧しい家庭の子どもたちが健康で安全に遊べる「小さな庭」を造った。当時、産業革命の過程で都市が急速に発展する一方、工場労働者たちは小さなアパートで貧しい暮らしを強いられ、生活環境の悪化が社会問題となっていたのだ。この子どもたちの遊び場はやがて、自然との触れ合いのなかで家族が絆を深める場所となり、人々はそこで育った野菜や果物で栄養を補った。さらに第二次世界大戦後には、食糧難を解消するためにクラインガルテンが全国に普及していったという。

今日、ドイツ全国各地には約1万4000のクラインガルテン協会があり、およそ500万人が生垣や柵などで区切られた小さな庭を借りて、余暇に庭仕事を楽しんでいるという。その利用に当たっては多くの規則が存在するため、しばしば「保守的」と揶揄(やゆ)されることもあるが、最近ではコロナ禍の影響もあって園芸人気が高まり、多くのクラインガルテンでは順番待ちリストが希望者で埋まっている。またここ5年間の新しい借主は、12%が移民を背景に持つ人であるとともに、45%が若者や家族連れ世帯。世代や文化的背景を越えて、ドイツにおけるガーデニング人気はまだまだ続きそうだ。

借主をはじめ、近隣住民にとっても憩いの場であるクラインガルテン。 借主をはじめ、近隣住民にとっても憩いの場であるクラインガルテン。今日では、使用できる農薬や化学肥料の種類を制限するなど、環境に配慮した取り組みを行っている協会も少なくない

クラインガルテンを借りるには?

借りる方法と費用

クラインガルテンの貸与期間はおよそ30年間。借りる方法としては、新聞やインターネットの掲示板や、友人・家族からの口コミ、最寄りのクラインガルテン協会に直接問い合わせるのが一般的だ。土地利用代は協会の規定や面積にもよるが、1平方メートル当たり月額平均17セントといわれ、多くの人は年間350ユーロ程度を支払っている。それに加えて協会費が年間約30ユーロ。また新しく庭を借りる場合は、以前の借主から庭に植えてある植物や小屋(Gartenlaube)などを買い取ることになるが、これには平均1900ユーロを支払うという。

ちょっぴり厳しいルール

1983年に制定されたクラインガルテン法をはじめ、協会ごとにさまざまなルールが設けられている。例えば、貸与面積の30%は野菜や果実を育てること、年間8時間以上コミュニティーへの奉仕活動を行うことなど。また、小屋での1~2日程度の宿泊は可能だが、住むことは禁止されている。さらに、クラインガルテンは「公共空間」であり、借主以外の市民のための散歩道としても重要な役割を果たす。そのため多くの協会では、クラインガルテンを囲む塀の高さを1.2~1.5メートル以下に指定し、それぞれが庭を美しく管理して景観を守ることが求められている。

参考:Deutschland Verstehen「Ein eigener Garten für einen Euro pro Tag」、Gartenhaus Magazine「Schrebergarten: Die wichtigsten Zahlen und Fakten」、本誌664号特集「ドイツでガーデニングライフを楽しむ」

最終更新 Dienstag, 23 Februar 2021 09:45
 

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