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ドイツ人は「過去」から何を学ぶのか? - 第二次世界大戦の終結から75年

第二次世界大戦の終結から75年 ドイツ人は「過去」から 何を学ぶのか?

2020年5月8日、欧州における第二次世界大戦の終結から75年を迎えた。ナチスによる残虐な犯罪をはじめとしたドイツの負の歴史については、現在も世界中で学ばれている。一方、ここドイツではその歴史経験をどのように語り、次の世代へどのように伝えてきたのだろうか。この75年という節目に、ドイツにおける歴史教育や記憶文化について取り上げながら、ドイツ人の「過去」との向き合い方、そして、「過去」を現代にどのように活かしているのかを探る。

虐殺されたシンティ・ロマのための記念碑ベルリンにつくられた「虐殺されたシンティ・ロマのための記念碑」

ナチスの犯罪とは?

第二次世界大戦以前から、ナチスはユダヤ人に対して人種差別的な思想を持ち、ユダヤ人を迫害する政策を次々と打ち出していた。1942年には「ユダヤ人問題の最終的解決」と題した政策で、欧州におけるユダヤ人の絶滅計画を立て、それを実行。これがいわゆるホロコースト(ギリシャ語で「焼かれたいけにえ」の意)といわれる大量殺戮だ。ユダヤ人はゲットーへの強制移住にはじまり、次々と強制収容所に移送され、人体実験や過酷な労働を強いられた。また、子どもや高齢者、病気の者は労働不可能とみなされ、約300万人がガス室で殺害されたという。1931~1945年の間に殺害された欧州のユダヤ人は、およそ570万人(諸説あり)。もともと900万人いたという欧州のユダヤ人の3人に2人が犠牲となった。

ナチスの犠牲者は、ユダヤ人だけではない。シンティ・ロマや障がい者もユダヤ人と同じく「劣った民族」として迫害の対象となった。さらに、捕虜となったソ連軍の兵士たちは放置され、飢餓や病気などで200~300万人が死亡したといわれる。また、数百万人単位の非ユダヤ系ポーランド市民やソビエト市民が強制労働させられ、殺害された。ほかにも、共産主義者、エホバの証人、同性愛者なども強制収容所に移送され、その多くが命を落としている。

ホロコーストをはじめとするナチスによる残虐な犯罪は、第二次世界大戦が終わってからの軍事裁判や生存者の証言によって徐々に明らかにされてきた。そして、戦後復興とともに、ドイツ人も少しずつ自国の過去に向き合っていくことになるのだった。

参考:Bundeszentrale für politische Bildung 公式サイト、United States Holocaust Memorial Museum 公式サイト

国別ホロコースト犠牲者(ユダヤ人)

ポーランド 300万人
ソヴィエト連邦 100万人
ルーマニア 35万人
ハンガリー 27万人
チェコスロヴァキア 26万3000人
ドイツ 16万5000人
リトアニア 16万人
オランダ 10万2000人
フランス 7万5000人
ラトビア 6万7000人
オーストリア 6万5500人
ユーゴスラビア 6万5000人
ギリシャ 5万9000人
ベルギー 2万8500人
イタリア 7000人
ルクセンブルク 1200人
エストニア 1000人
ノルウェー 758人
デンマーク 116人
アルバニア 100人
合計 570万人
*最大610万人とする研究もある

*ナチスによる迫害の歴史 Quelle:Arbeitskreis Zukunft braucht Erinnerung「Opferzahlen des Holocaust」

ナチスによる迫害の歴史

1933年 1月 ヒトラー(1889-1945)が政権を獲得
10月 国際連盟を脱退
1938年 3月 オーストリアを併合
11月 「水晶の夜」※ユダヤ人排斥事件
1939年 9月 ポーランドに侵攻=第二次世界大戦勃発
1940年 2月 ユダヤ人の強制移送が始まる
4月 デンマーク、ノルウェーに侵攻
5月 ルクセンブルク、オランダ、ベルギーに侵攻
9月 イタリアと日本と三国同盟を結ぶ
1941年 2月 ブルガリアに侵攻
4月 ユーゴスラビア、ギリシャに侵攻
10月 ユダヤ人のゲットー強制移住
1942年 1月 「ユダヤ人問題の最終的解決」
東欧からドイツへ、強制労働者の移送開始
1944年 8月 ワルシャワ蜂起
1945年 1月 アウシュビッツ=ビルケナウ絶滅強制収容所が解放される
4月 ヒトラーが自殺
5月 ナチスドイツが降伏=欧州における第二次世界大戦終結

ドイツの現代史教育が迎えた
5つのターニングポイント

戦後から今日に至るまで、ドイツではナチスについての批判的な歴史教育が徹底的に行われてきた。ここではドイツの中等教育で歴史がどのように教えられてきたか、その変遷をたどる。終戦から75年経った今、過去から生じる責任を誰がどのように引き受けていくのか。時代や社会の激しい変化に遭遇しながらも、過去について「考えること」を諦めないドイツの姿を見つめてみよう。

参考資料:http://bibliothek.gei.de、Zeit Online「Was geht mich das noch?」、川喜田敦子「ドイツにおける現代史教育」、ラインハルト・リュールップ「ナチズムの過 去と民主的な社会」、サーラ・スヴェン「戦後ドイツと日本の教育における教科書」、近藤孝弘「欧州統合と歴史教育」、テオドール・アドルノ「アウシュヴィッツ以後の教育」

ドイツの歴史教育の特徴

ドイツの歴史教育の特徴

  • ギムナジウムの場合、歴史教育は1年目*(日本の小学5年生)に開始し、卒業までの8年間で現代史までを学ぶ。 *各州により若干異なる
  • 教科書はドイツ史が中心で、外国の歴史はドイツにとって重要とみなされるもののみ(ギリシャ・ローマ、フランス革命、アメリカ独立など)。
  • 一つひとつの事項が、写真や資料を用いて非常に詳しく述べられている。ある教科書の例では、フランス革命44ページ、産業革命に42ページ、ナチス時代68ページなど。
  • ナチス時代については、「ファシズム」概念からナチス政権成立までの経緯、反ユダヤ主義などのイデオロギーを詳細に解説。当時の人々の生活やジェンダー観についての項目もある。
  • 教科書はあくまで補助的な役割で、授業では自主性を重んじ、思考力や判断力を養うことに力点が置かれている。調べ学習や施設見学なども多い。

1ドイツ現代史教育の黎明期
終戦~西ドイツ創設まで

第二次世界大戦の終戦後、ドイツでは学校で歴史の授業を行うことが一旦連合国によって禁止された。その後、1947年までに学校での歴史教育が再開。連合国側が戦後ドイツの統治について定めたポツダム協定をもとに、「ドイツの教育はチズムや軍国主義の教義が完全に払拭され、民主主義理念の成果ある発展が可能となるように規制されねばならない」ことが歴史教育でも基本方針とされた。

しかしナチスの過去はドイツにとってあまりにも近すぎる歴史であり、連合国による「非ナチ化」政策に対し、国内では強い反発があったという。そのような理由もあって、西ドイツ創設期の歴史授業では、第二次世界大戦の内容に触れる場合でも時系列的な説明にとどまり、ユダヤ人をはじめとするホロコーストについてはほとんど言及されなかった。

またこの時期の教師、親、子どもたちは、ナチスを歴史の授業で扱うことに大きな戸惑いや抵抗、拒否反応を示していたといわれている。そのため仮に歴史の教科書にナチス時代のことが記述されていたとしても、実際の授業はそれ以前の第一次世界大戦やワイマール共和国期までで終えることが多かった。一方で、ドイツ人の間でも少しずつ、ドイツの歴史においてナチスをどう受け止めるべきかという議論が活発化していく。

2過去を正面から受け止める
1950年代後半~70年代

そんななか、ドイツの現代史教育を変える決定的な事件が起きる。1959年12月~1960年1月にかけて、西ドイツ全土のユダヤ人墓地が一斉に荒らされたのだ。犯行件数は470件を超え、墓荒らしに加担した大多数は青少年。西ドイツ社会に大きな衝撃をもたらすとともに、若年層の歴史についての知識不足が問題視された。

これらの犯行に対し、1960年1月30日にドイツ教育制度審議会が「反セム主義的暴行事件に関する声明」を発表。戦後教育が十分に行われていない現状を厳しく批判し、若者たちの民主主義的な態度を育成するために、ナチスの過去に関する教育を充実させるべきと、初めて明確に打ち出した。さらに、1961年にイスラエルで行われたアイヒマン裁判*や、1960~70年代にかけて連邦議会で議論された「ナチ犯罪に対する時効廃止」などの影響もあり、歴史の教科書も次々と大幅な改定が行われることに。

例えば、西ドイツの代表的な歴史教科書の「Europa weitet sich zur Welt」では、1952年版ではユダヤ人迫害について触れられているのはわずか2行。その後、同じ出版社が1967年に出した「Europa und die Welt」という新版の教科書では、「ユダヤ人迫害」という独立した節が立てられ、5ページにわたって詳しい説明がされ、第二次世界大戦中のユダヤ人迫害については、別の項目の中でさらに詳しく触れられるようになった。

アイヒマン裁判アイヒマン裁判……ナチスのユダヤ人虐殺の責任者アドルフ・アイヒマン(1906-1962)が1960年5月、逃亡先のアルゼンチンで捕らえられ、翌年4月から行われた裁判。この裁判を傍聴していたドイツ出身のユダヤ人哲学者のハンナ・アーレント(1906-1975)は、アイヒマンはただ命令に従っていただけの「普通の平凡な人間」であり、悪の本質は「人間の思考停止」にあると分析した

3「ナチスの犯罪」から「ドイツ人の責任」へ
1980年代~2000年ごろ

教科書の改定などにより、ナチスの過去を子どもたちに詳細に教えるという点では、一定の成果を出すことができた。しかし世代交代や社会情勢の変化によって、1970年代後半にはヒトラーブームや青少年のネオナチ化が再び活発に。その原因は、「ヒトラーを知らない世代」の子どもたちは、授業でナチスの過去を歴史的な事実として知ることはできても、自分たちの実感として学び、考えることができていなかったからだと考えられている。

というのも、1970年代までの教科書はホロコーストに関する説明自体は大幅に増えたものの、虐殺はあくまで「ナチス」の独断であったかのような説明が多く、一般のドイツ人がどのようにナチスに協力したかについては触れられることがなかった。実際、当時の教科書の文章では、虐殺の行為主体は「ヒトラー」「ナチス」「親衛隊(SS)」であるか、もしくは「多くのユダヤ人が絶滅収容所で命を失った」のように、受動表現や無生物主語の文型が多かったという。

「何のためにナチスの過去を学ぶのか?」。終戦から30年以上が経って再びこの問いを突きつけられたドイツは、「一般のドイツ人(=自分たち)の責任」について教育するという道を選んだ。教科書は、ヒトラーやナチ党幹部の動向だけではなく、ナチス支配下の人々の生活や態度にも言及するよう大幅に変更。それまで政治史や外交史が中心だった教科書には、新たに日常史や地域史という視点が加えられ、より生徒たち個人の経験に引きつけた内容になった。そしてこの時点から、一般の人々がホロコーストに協力したこと、知っていたのに何もしなかったこと、さらには知ろうとしなかったことまで含めて、世代を超えて「ドイツ人の責任」を問い続ける姿勢が確立された。

メリル・ストリープ主演「ホロコースト」1979年に西ドイツで初めて放映された、米国のテレビドラマ「ホロコースト−戦争と家族−」。当時の西ドイツメディアでは、ドイツ市民が何の抵抗もなくナチスに協力する姿がこれほどはっきりと描かれたことはなかった

4移民国家ドイツで、ナチスをどう教えるか?
1990年代~現在

ナチスの過去と徹底的に向き合ってきたドイツだが、近年ドイツが移民社会・多文化社会となったことで、いわゆる「ドイツ人」的な歴史認識を共有することが難しくなってきた。それまでの教育は、政治的な立場は多様であっても、文化的には単一の人々を前提としていたからだ。

これまでの現代史教育では「加害者vs被害者」という二項対立を軸に、「加害者(=ドイツ)の責任」を自覚させることに焦点を当ててきた。しかし移民を背景に持つ子どもたちは、ナチス支配の犠牲者の子孫でもなければ、加害者、協力者、傍観者の子孫でもない。また、ある教育現場では、この「加害者vs被害者」という構図が「ドイツ人vs外国人」という学校内での対立を必要以上に強めてしまったというケースも。そのような状況は、子どもたちに過度なショックやストレスを与えることになってしまう。

そのため今日では「責任」に加え、「相互理解」や「対話」が歴史授業の新たなキーワードに。当時の加害者と犠牲者の視点を対比して学ぶだけでなく、生徒たちがホロコーストに対する考えを共有し合うことで、お互いの考え方やアイデンティティーを理解しようというのだ。特に移民家庭の若者たちにとって、ドイツがナチスの過去とどう向き合うかを知ることは、ドイツ社会そのものを知るための重要なきっかけとなる。それは取りも直さず、多様な集団が一つの国で共生していくために重要な視点といえるだろう。

西ドイツの教育1960年の時点では、西ドイツの子どものうち両親または片親が外国人である割合はわずか1.3%だったが、1997年には20%に。
2020年現在、ドイツ全人口のおよそ25%が移民を背景に持つ

5欧州レベルでの「ナチスの過去」への取り組み
1970年代~現在

欧州統合の進展により、ナチスの過去に関する歴史教育はドイツという枠組みを超え、欧州史全体に関わる問題として捉え直そうとする機運が高まっていく。例えばドイツとポーランドは1972年に共同の教科書委員会を設立。旧交戦国同士であった両国の関係史を、お互いに受け入れられる形で教えるための話し合いを続けてきた。

また、歴史上何度も戦争を繰り返してきたドイツとフランスは、平和的な関係を築くためのプロジェクトとして2006年に『ドイツ・フランス共通歴史教科書』を発行。一国単位での歴史解釈を超えた取り組みとして注目されるとともに、将来的に欧州という枠組みでホロコースト教育を実現するための礎になった。

これらの活動の目的は、ホロコーストの記憶を国際社会で維持することで、大量虐殺や人種主義、外国人嫌悪などに対して共同で立ち向かうこと。欧州各地での極右政党の台頭や、自国第一主義の風潮が広がる昨今、ホロコースト教育はドイツだけでなく欧州でも、人権教育の一環として必要性が高まっているのだ。

ドイツ・フランス共通歴史教科書
ドイツ・フランス共通歴史教科書
ドイツ・フランス共通歴史教科書
『ドイツ・フランス共通歴史教科書【近現代史】』は日本語版も出版されている
発行元:明石書店、2016年2月発行 ISBN 978-4-75034-306-8

道行く人の意識に歴史を刻む
ドイツの記憶する文化

「記憶文化」とは何か

虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑

「記憶文化(Erinnerungskultur)」という言葉を聞いたことはあるだろうか。戦後に誕生した比較的新しいドイツ語で、特にナチスによる犯罪を未来の世代の意識の中にとどめようとするものやことを指す。もともとは当時を知る人々の証言によって、歴史や記憶が伝えられてきたが、その世代の数が少なくなるにつれて、過去に関して記録するという試みがますます活発になった。その結果、ドイツ各地には非常に多くの追悼施設や記念碑がある。

よく記憶文化の例として挙げられるのが、2005年にベルリンのブランデンブ ルク門の横につくられた「虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑」だ。およそ2700個もの大きな石碑が立ち並ぶ巨大なモニュメントで、ホロコーストの犠牲となったユダヤ人を悼むための場所である。ほかにもナチスによる犯罪の現場、ナチス政権の政策決定の場、抵抗の場、市民が犠牲となった場所などが「記憶する場所(Erinnerungsort)」として残されている。そこにはモニュメントだけでなく、博物館や記念館、看板などが設置され、記憶文化はさまざまな形で街中に存在しているのだ。

参考:ドイツの実情「国家と政治 生きた記憶文化」(FAZIT Communication GmbH・ドイツ外務省)、姫岡とし子「ドイツの歴史教育とホロコーストの記憶文化」

記憶する場所を表す言葉

Denkmal / Ehrenmal
原料は主に石、鉄、青銅などの耐久性のある素材。基本的には20世紀以前の人物像や戦勝記念碑など、国の誇りや人物の功績をたたえてつくられたもの。

Gedenkstätte / Mahnmal
20世紀以降に負の歴史を記憶に刻み、犠牲者を悼むためにつくられたもの。ホロコーストや東西分断時代の記憶を伝えるものが多い。

参考:HanisaulLand Politik für dich「Denkmal / Ehrenmal / Mahnmal / Gedenkstätte」、Goethe-Institut「Erinnerungskultur Das Pathos Vermeiden」

小さな声をどう記憶していくか

ドイツの街を歩いていると、ユダヤ人を追悼するモニュメントや施設を目にしたことのある人は多いだろう。最後に、ユダヤ人のほかにナチスの犠牲となった人々の声にどのように耳を傾け、記憶してきたのかを紹介する。

戦後も闘い続けた同性愛者たちの声

同性愛者の追悼

1935年、ナチスは刑法第175条に基づき、同性愛を犯罪として認定した。その後、5万件を超える有罪判決が下され、刑務所行きとなって去勢されたり、そのうち数千人は強制収容所に送られ、ほとんどが命を落としたといわれる。同性愛者の迫害は戦後も続き、刑法第175条は1969年まで変更されることがなかった。そのため、東西分断時代も同性愛者は記憶文化から排除されてきたのだ。

同性愛者のための追悼碑を建てる動きが出てきたのは、1990年代に入ってから。2008年になってやっと「ナチズムにより迫害された同性愛者の追悼碑(Homosexuellen-Denkmal)」が、ベルリンの「虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑」のすぐそばに建てられた。デザインを手がけたのは、ベルリンで共に活躍するノルウェー人のIngar Dragset氏とデンマーク人Michael Elmgreen氏。ユダヤ人のための記念碑のデザインを基調とし、小窓から中をのぞくと、同性愛者がキスをする映像が映し出されているのが見える。

ナチズムにより迫害された同性愛者の追悼碑
Homosexuellen-Denkmal

Tiergarten Ebertstraße, 10117 Berlin
www.stiftung-denkmal.de

尊厳を奪われた女性たちの声

ブランデンブルク州のラーヴェンスブリュックに、ナチス・ドイツ領土内最大の女性強制収容所があった。収容所は段階的に拡張され、6年間で約12万人以上の女性を収容。女性たちは頭部と陰部の毛を剃られた上、囚人番号と囚人服を渡され、女性らしさや人間らしさが奪われたという。強制労働はもちろん、人体実験や強制不妊、拷問、強制売春もあり、射殺やガス室での殺害も行われた。

ラーヴェンスブリュック強制収容所はソ連軍によって解放され、兵舎として利用された。その後、東ドイツが火葬場(クレマトリウム)や独房棟などを保護し、1959年に記念碑を設置した。ドイツ再統一後は、ブランデンブルク州記念碑財団が運営。2013年に、生存者の声などを集めた大規模な展示が公開され、女性強制収容所の歴史を記憶する場所として知られている。

ラーヴェンスブリュック強制収容所跡
Mahn- und Gedenkstätte Ravensbrück

Straße der Nationen, 16798 Fürstenberg/Havel
www.ravensbrueck.de

今なお記念碑のないポーランド人たちの声

ポーランドでは600万人の市民が犠牲になったといわれる。しかしドイツには、ユダヤ人を追悼する記念碑などが存在する一方で、ポーランド人のための記念碑はない。これに対し、ポーランドは長らく不満を抱いていた。

2017年、ベルリンにポーランド人のための追悼碑を建てようとする動きがあった。しかし、ほかにもナチスの犠牲者が存在する国が多数あり、国ごとに記念碑を建てるのは現実的ではないとする声が上がった。また、ベルリンとワルシャワに博物館をつくるべきだとの意見もある。昨年8月には、ポーランドのモラウィエツキ首相がドイツから十分な賠償を得ていないとして、改めて戦争賠償を求める姿勢を見せた。その一方で、同年9月にドイツのシュタインマイヤー大統領がワルシャワで演説し、ポーランド国民に許しを求めたことは記憶に新しい。対ポーランドの戦後処理は、戦後75年経ってもなお議論され続けている。

参考:Deutsche Welle「Polen-Denkmal in Berlin?」

最終更新 Dienstag, 28 Januar 2025 10:58
 

ドイツでますます進化中!?生き方が見える ベジタリアンの世界

ドイツでますます進化中!? 生き方が見える
ベジタリアンの世界

昨今、ベジタリアンが増えているドイツ。次々に新しいベジ商品が登場し、業界の売上も急成長中だ。そもそもベジタリアンとはどんな人々なのか、なぜ肉を食べないのか……それらを解き明かすと、食べ方だけではない「ベジタリアンの生き方」が見えてくるかもしれない。(Text:編集部)

ドイツの10人に1人*がベジタリアン

ベジタリアンもしくは肉をほとんど食べない人 8.6%
ヴィーガンもしくは動物性食品をほとんど食べない人 1.3%

*上記の割合の合計が9.9%のため

ドイツの10人に1人*がベジタリアン

ドイツのヴィーガンは女性と若者に多い

女性 81%
男性 19% 
20〜29歳 60%

ドイツのヴィーガンは女性と若者に多い

ベジ商品の売り上げがぐんぐん成長中

ドイツ国内におけるベジタリアンおよびヴィーガン製品の売上高

2017年 7億3600万ユーロ
2018年 9億7800万ユーロ
2019年 12億1900万ユーロ

ドイツ国内におけるベジタリアンおよびヴィーガン製品の売上高

ベジタリアンがもっと分かるQ&A

参考:ProVeg e.V. 公式Pウェブサイト

Q1ベジタリアンって、肉以外の卵や牛乳もNGなの?
A1何を食べるか食べないかは、人それぞれ。

ベジタリアンと一言にいっても、その信念や食べられるものの種類はさまざま。まずは、どんなベジタリアンの人がいるのかを知ろう。

参考:NPO法人日本ベジタリアン協会、Ratgeber Vegan「Unterschied zwischen Vegetarier, Veganer, Frutarier und Flexitarier – wer is(s)t was?」

フルータリアン Frutarier
食べられるもの:野菜や果物の実など

植物の命を絶やさない食材のみを食べる。例えば、リンゴの実は収穫してもリンゴの木は死なないが、ニンジンなどの根菜は死んでしまうのでNG。

ヴィーガン Veganer
食べられるもの:野菜、植物性食品

動物に苦しみを与えることをできるだけ避けるため、動物の肉、卵、乳製品を食べない。また動物製品を身に付けない。ピュア・ベジタリアンともいう。

ラクト・オボ・ベジタリアン Lacto-Ovo-Vegetarier
食べられるもの:野菜、植物性食品、乳製品、卵

ラテン語でラクトは「乳」、オボは「卵」の意味。欧米のベジタリアンのほとんどがこのタイプだといわれる。卵を食べない場合は、ラクト・ベジタリアン。

ペスコ・ベジタリアン Pescetarier
食べられるもの:野菜、植物性食品、乳製品、卵、魚

ペスコはラテン語で「魚」の意味。穀物菜食を中心とする日本発祥の「マクロビオティック」はここに分類される。また、乳卵を食べない場合もある。

フレキシタリアン Flexitarier
食べられるもの:野菜、植物性食品、乳製品、卵、魚、たまに肉

毎日は肉を食べなかったり、特別な日などのみ肉料理を食べる「ときどきベジタリアン」を指す。日本では「ゆるベジ」などと呼ばれることもある。

Q2ドイツの人がベジタリアンになる理由は?
A2動物福祉のほかに、環境保護や健康のためという人も。

18世紀の啓蒙主義の時代に始まった欧州における近代のベジタリアニズム(菜食主義)。その時代から動物の尊厳を守るために肉を食べなくなる人が現れ、現在のドイツも動物福祉を理由にベジタリアンを選択する人が目立つ。

植物性製品を購入する理由

42% 動物福祉のため

命を尊ぶことは、ベジタリアニズムの根源でも。動物の権利に重きを置き、豚・鶏・牛などの家畜が劣悪な飼育環境や食肉処理の過程で苦しむことを避けるため、肉を食べないという選択をするが多い。

28% 環境保護など倫理的な理由

肉の消費量を減らすことで、家畜が排出するメタンガスなどの温室効果ガス量、飼料栽培に必要なエネルギー量を抑えることが可能といわれる。昨今の環境保護運動により、ドイツの若者たちの間でベジタリアンが増加傾向にある。

11% 健康のため

動物性食品を摂らないことは、肥満などの生活習慣病の予防につながるだけでなく、糖尿病や骨粗しょう症のリスクを下げるともいわれている。ただし個人差があるため、栄養バランスの取り方(詳しくはQ3)は注意して。

Q3ベジ生活を始めてみたいけど、肉を食べなくても大丈夫?
A3特にヴィーガンはビタミンB12が不足するといわれている。

ベジタリアンでもノンベジタリアンの場合でも、栄養バランスを取るのは重要なこと。ProVeg e.V.では、ハーバード大学公衆衛生学部によって開発されたヴィーガンのための栄養プレートを参考とすることを推奨している。あくまで目安となるため、本格的にベジタリアン生活を始めたい人は栄養士など専門家に相談するのがベター。また、特にヴィーガンの人が不足するといわれる栄養素がビタミンB12。これが不足すると、赤血球に異変が見られる巨赤芽球性貧血などの障がいにつながる可能性がある。ビタミンB12は基本的に動物性食品から摂るため、ベジタリアンの場合は積極的に摂取する工夫が必要だ。

ProVeg e.V.が推奨するヴィーガンのための栄養プレート

ヴィーガンのための栄養プレート

ビタミンB12不足を防ぐには?

ProVeg e.V.では、ビタミンB12のサプリメントが推奨されている。マルチビタミンの場合、ほかの栄養素によって分解される可能性があるため、単体で摂取することが望ましい。また、ビタミンB12が配合された歯磨き粉も販売されている。

Q4食べること以外に、ベジタリアンとしてできることは?
A4綿や麻を使用したヴィーガンファッションを取り入れる。

ヴィーガンやベジタリアンは食の分野だけでなく、本来はライフスタイルそのものを指す。毛皮の製品を使用しないことも、そのアクションの一つ。でも実は、私たちの周りは動物由来のファッションに溢れている。例えばウールやカシミヤなどは、動物の毛を刈り取ることで原料ができる。毛はいずれまた生えてくる、と安心することなかれ。実は刈り取る際に動物たちにストレスを与えるだけでなく、けがをさせるリスクも。動物の尊厳を守るため、右記のような服やアイテムを選ぶこともヴィーガンの生き方の一つだ。

  • 生分解性合成繊維

    ペットボトルからリサイクルされた合成繊維や、本革の代わりに合成皮革などを使用する。それらの製品が環境汚染に加担していないかどうかもポイント。

  • 天然繊維

    綿や麻は、ヴィーガンファッションにとって欠かせない素材。そのほか、生分解できる大豆などの植物由来繊維や、コルクを使用した財布やバッグなどの製品もある。

  • 木材や竹など

    木材や竹、紙、石などの素材から作られたサングラス等のファッション小物も人気が高まっている。ほかにも、海藻が新たな繊維として注目されている。

最終更新 Dienstag, 07 April 2020 15:26
 

ドイツのベジタリアン事情 - 人気のベジタリアン食材

ドイツのベジタリアン事情 今をときめく
ベジタリアン食材

ドイツで生活していると、ベジタリアンとノンベジタリアンの人が一緒に食卓を囲む機会も多いのではないだろうか。ここではそんな場面を想定し、ベジタリアン・ヴィーガン食材の認証マークの違い、さらにみんなで食卓を楽しく囲むためのおすすめベジ食材を紹介する。(Text:編集部)

主なベジタリアン・ヴィーガン食材の目印

Vegan-BlumeVegan-Blume

英国ヴィ―ガン社会協会が1990年に生み出した世界初のヴィ―ガンラベルで、食品や化粧品、衣料品に付与される。ちなみにこの団体は、1944年に「ヴィーガン」という言葉とその定義をつくったことでも有名だ。ドイツでもこのマークの製品が流通。
認証元:Vegan Society England www.vegansociety.com

V-LabelV-Label

欧州で最も一般的に使用されている国際的なラベルで、商品の内容によってマークの下に「ヴィーガン」もしくは「ベジタリアン」と記載される。ドイツではProVeg e.V.が母体となって、ラベルの認証および付与を行なっている。
認証元:ProVeg e.V. https://proveg.com

Vegan-LabelVegan-Label

ドイツヴィ―ガン社会協会によって付与されるラベルで、前述の二つよりも基準が厳しい。製品の包装にも動物性成分や添加物を禁止し、さらに生産から包装までの全ての工程が、ヴィ―ガン食品が生産される工場でのみ行われる必要がある。
認証元:Vegane Gesellschaft Deutschland e. V. www.vegane.org

ドイツのスタートアップが熱い!
おすすめベジ食材

ベジタリアン大国とあって、数多くのスタートアップ企業が食材づくりに情熱を注いでいるドイツ。食品開発だけでなく、それらを使った自由な発想のレシピをウェブサイトなどで無料公開しているのが特徴だ。ベジタリアンの人はもちろん、ノンベジタリアンの人も料理の幅が広がるかも?

little Lunch
オーガニックスープ

little Lunch オーガニックスープ

アウクスブルク出身のダニエル、デニス・ギビシュ兄弟が「オフィスでの昼食をより健康で環境に優しいものに」という信念のもと、2014年にオーガニックスープを開発した。同社のスープはヴィーガン対応やグルテンを含まないものが多く、防腐剤や砂糖なども不使用。常温で数カ月以上保存できるので保存食にも◎。出荷時には100%リサイクル可能な段ボールで梱包し、ウェブサイトでは使用後のスープ瓶をアップサイクルする方法まで紹介している。

little Lunch GmbH
本拠地:アウクスブルク
https://www.littlelunch.de

Happy Cheeze
カシューナッツのチーズ

Happy Cheeze カシューナッツのチーズ

2012年にニーダーザクセン州クックスハーフェンで設立されたスタートアップで、ヴィ―ガン用乳製品の加工に力を入れている。カシューナッツをベースにしたヴィ―ガン用チーズを欧州で初めて生産し、これまでにない味覚体験で話題を呼んだ。ただしチーズの製法自体はドイツの伝統にのっとっており、おいしさの秘密は丁寧な工程と数週間の熟成だそう。材料のカシューナッツはもちろんオーガニックで、防腐剤や化学添加物も不使用。

Happy Cheeze GmbH
本拠地:クックスハーフェン
https://www.happy-cheeze.com

KOFU
ひよこ豆の豆腐

KOFUひよこ豆の豆腐

ミャンマーの伝統的な食品「シャン豆腐」からインスピレーションを受けて、ベルリンのスタートアップが開発した「KOFU」。使われているのは、ひよこ豆、水、塩、スパイスのみでシンプルな味わいが人気だ。独自のレシピを豊富に展開しており、アジアをはじめ中東、地中海など、さまざまな国や地域の料理として楽しめる。どんな料理にも合う優れものだが、同社の一番のおすすめの食べ方は「素揚げ」。外はカリカリ、中はクリーミーでやみつきに。

Zeevi Kichererbsen GmbH
本拠地:ベルリン
https://www.kofu.berlin

Sonnenblumen Hack
ヒマワリの種ひき肉

Sonnenblumen Hackヒマワリの種ひき肉

アルゴイのスタートアップSunflowerFamilyが開発したのは、世界初のヒマワリの種から作られたひき肉。ヴィーガンの食事で「肉の代用品」といえば大豆製品が主流だが、Sonnenblumen Hackは100%ヒマワリの種のタンパク質でできており、軽やかな味わいと香ばしさが特徴。水に濡らすだけですぐに使えるので、料理の手間がかからないのがうれしい。彼らがウェブサイトで公開するレシピもぜひチェックしてみて。

SunflowerFamily GmbH
本拠地:アルゴイ
https://sunflowerfamily.de

Nu+Cao
チョコレートバー

Nu+Caoチョコレートバー

大学の同級生だった3人組がドレスデンを拠点に立ち上げたthe nu company。彼らが製造するチョコレートバーは、栄養価が高くて環境負荷の少ないのが特徴で、砂糖の使用料を65%カットしてココナッツの花の蜜で代用するほか、包装にはプラスチック不使用。それでも環境への配慮が十分でないと考えた彼らは、「1 Produkt=1 Baum」という取り組みを開始した。チョコレートバー1本につき9セントをNGO団体のエデン・森林再生プロジェクトに寄付し、これまでマダガスカルに20万本以上のマングローブが植樹されている。

the nu company GmbH
本拠地:ドレスデン
https://www.the-nu-company.com

Bio-Fruchtgummi
フルーツグミ

Bio-Fruchtgummiフルーツグミ

女性2人組がハンブルクを拠点に創業したスタートアップFoodlooseでは、「自然こそが贅沢」をコンセプトに100%オーガニック素材を使用し、ナチュラルで愛情のこもったお菓子を製造している。今回紹介するフルーツグミは、ゼラチンや甘味料、グルテン、砂糖など一切不使用。リンゴ、ラズベリー、マンゴーの自然な甘みとフルーティーな味わいが特徴で、子どもたちに安心して食べさせることができる。また、売り上げの一部は、障がいのある子どもがいる家庭を支援する団体nestwärme e.V.に寄付している。

Foodloose GmbH
本拠地:ハンブルク
https://www.foodloose.net

pläin
植物性ミルク

pläin植物性ミルク

「#ミルク革命(#milchrevolution)」をコンセプトに、食品技術、環境技術、産業工学のプロフェッショナル3人が植物性ミルクを開発。牛乳の風味や舌ざわり、クリーミーさや泡立ちなど、再現率が非常に高いのが特徴だ。ヴィーガンの人は牛乳の代替品として豆乳やココナッツミルクを選ぶことが多いが、Pläinでは「おいしいミルクを味わいたい」という欲求を満たしつつ、自身の健康や環境・動物への配慮を実現できるという。ウェブサイトでは、Pläinとフルーツを使ったスムージーや、ケーキなどのレシピを公開している。

pläin GmbH
本拠地:フライジング
https://plaein.de

Charitea
フレーバーティー

Chariteaフレーバーティー

2009年に3人の友人同士で立ち上げたスタートアップで、オーガニックかつフェアトレードの原材料を使ったお茶やレモネードの開発に取り組んでいる。製品の「Charitea(チャリティー)」という名前の通り、売り上げの一部を発展途上国の農業支援や教育支援などに寄付。人工甘味料や香料、保存料は一切不使用のヴィーガン飲料で、緑茶をはじめ、栄養価の高いマテ茶やノンカフェインのルイボスティーなど、さまざまなフレーバーを楽しめる。どれもすっきりとした味わいで、冷やして飲むのはもちろん、ジンやウォッカなどの蒸留酒と割るのも◎。

Lemonaid Beverages GmbH
本拠地:ハンブルク
https://charitea.com

最終更新 Dienstag, 07 April 2020 18:31
 

ドイツ人が森を愛する理由 - ドイツ人と森の深い関係

あなたも森に行きたくなる! ドイツ人が森を愛する理由

ドイツ人に趣味を尋ねると、「森を歩くこと」と答える人が少なくない。休日にはたくさんの人が森を散策するだけでなく、サイクリングや乗馬を楽しむ人などで森がにぎわう。今回は、そんなドイツ人が愛してやまない「Wandern(ヴァンデルン) = ハイキング」の文化を紹介するとともに、これからハイキングデビューしたい方へお役立ち情報をお届け。森を歩けば、ドイツがもっと分かるかも?(Text:編集部)

ドイツの森

ドイツ人は疲れた時こそ森へ行く

ドイツ語の辞書で「wandern」という動詞を引くと、「ハイキングをする」「歩き回る」という意味以外に「(特に目的もなく)ぶらぶら歩く」というような意味が出てくる。実際ドイツでの森歩きでは、日本のハイキングが山頂などを目指すのとは異なり、特にこれといったゴールを設定することは少ない。気晴らしすることやリフレッシュが目的であったり、あるいは歩きながら瞑想にふけったりと、ただただ森を歩くのがドイツ流だ。

日本で「森(山)へ行く」というと、「山登り」のイメージが強く、それなりの準備が必要で、帰ってくる頃には疲れていることが多い。一方、ドイツで「森へ行く」というと、多くの人が緩やかな林道での散歩をイメージする。その理由としては、ドイツでは林業を低コストかつ効率的に行うために、トラクターが通れるような幅広くなだらかな道が縦横無尽に整備されていることが挙げられる。そのため道さえ選べば、例えば標高500メートルの地点でも、平らな道だけを歩いて回ることもできるそう。ドイツでの「森を歩くこと」は肉体的に「疲れないこと」であり、むしろ精神的な休息を得られる時間なのだ。

森の中にある休憩小屋森の中にある休憩小屋の前で地図を読む人々。ドイツの森ではよく見かける光景だ

森はみんなのもの!という考え方

ドイツには豊かな森がたくさんあるイメージだが、実は国土の面積に対する森林の割合は33%(世界112位)で、日本の国土に対する森林の割合が68%(世界第21位)であるのと比べると、それほど多いわけではない。しかし日本は山岳地帯が多く、沿岸部の平地の都市に人口が集中しているため、森へのアクセスが良いとは言えない。一方、ドイツの都市は森に囲まれるようにして存在している。そのため都市部に住んでいたとしても、S バーン(近郊電車)などに乗ればすぐに近くの森へ行くことができる。ドイツが「森の国」と評される理由は、「人と森の近さ」にあるのだ。

ドイツの森の所有者の割合 出典:Dritte Bundeswaldinventur 2012

またドイツでは「森林法」という法律で、公有・私有を問わず、(一部を除く)全ての森林に立ち入ることが認められている。基本的には「誰の土地か」ということを気にする必要がなく、自由に森に行くことができるのだ。逆に言えば、森の所有者はたとえ個人であっても、人々が公共のために使う林道などをある程度整備しなければならない、ということが法律で定められている。

動物たちに配慮した交通標識 森の中の道には、動物たちに配慮した交通標識も。
こちらは、「19~7時は、カエルが通るのでゆっくり走ろう」という意味

森を守る「森林官」は憧れの職業

意外と知られていない事実だが、ドイツには原生林がほとんど残っておらず、大半は人工林。また、ほとんど全ての森で木材の生産が行われている。実はドイツの森林は、19世紀初めの産業革命の時代、過剰利用と過放牧から広範囲にわたって荒廃。木材不足や自然災害が多発するなど、危機的な状況に陥った過去がある。その経験からドイツでは19世紀半ばに「森林法」が作られ、大量面積の伐採と森林での放牧を禁止、再造林の義務などが定められた。その時に生まれた職業が、森を管理する「Förster(森林官)」だ。

森林の伐採量が成長量を越えないよう、森林官たちによって厳密に管理されている

森林官は、ドイツでは医者とトップを争うほどの人気職業。その仕事は、森林の伐採計画を立てること、生態系の調査、林道の安全管理、市民や子どもへの環境教育、狩猟の管理、林業マーケティングなど多岐にわたる。現場担当者1人当たり1000ヘクタールほどを基本的に20~30年間、定年まで管理する。地域住民との関係を築くことも重要で、ある時は森の所有者や地元民からの相談に乗り、逆に、例えば雷が落ちて木が燃えてしまった所を発見した住民が、森林官に連絡をしたり。森を守っている人々の存在を身近に感じられるのも、ドイツの森の特徴だろう。

木を切る森林官(Förster)木を切る森林官(Förster)

伐採後の木伐採後の木

ドイツ人の「Waldliebe(森への愛情)」

ドイツ人が森を愛するようになったのは、18世紀末のロマン主義の時代からとする説がある。森林学者のカール・ハーゼルによると、「中世から18世紀末まで、私たちの風景を支配していた森の姿は、手入れもされず道もなく、何度も木が伐りだされ荒廃した森」だった。しかし、19世紀初頭のゲーテやシラーに代表されるロマン主義的な文芸思潮が「森への郷愁」や「森の神秘」などをテーマとして好んだことが、ドイツ人と森との精神的にポジティブな関わりを生み出すことに。同時代の音楽家ベートーヴェンが、日課のように森を何時間も散歩していたという有名な話もある。森が舞台として登場することが多い「グリム童話」もまた、この時期に編まれたものだ。

この時代はちょうど、産業革命によって森が荒廃したことをきっかけに、ドイツで森林官による森の管理が始まり、エコロジーやサステナビリティーへの認識が芽生え始めていた頃でもある。「ほの暗く危険な場所」であった森は、ドイツの人々にとって「明るく落ち着ける場所」へと次第に変化していった。つまりドイツ人にとっての「森」とは、ただ単に地理的な場所を指すだけではなく、ドイツの文化や精神、そして国民のアイデンティティーとも深く結びついた場所なのかもしれない。

ドイツの森左:ドイツの森は、多くの芸術家にインスピレーションを与えた
右:自然に囲まれたゲーテの家

もっと森を知るための本

森林官が楽しく伝える森のお話

森の本Weißt du, wo die Baumkinder sind? 木の子どもたちがどこにいるか、知っているかい? Hörst du, wie die Bäume sprechen? 木々たちが話すのが、聞こえるかい?

著者:Peter Wohlleben
絵:Stefanie Reich
発行元:Verlag Friedrich Oetinger

作家であり森林官でもあるペーター・ヴォールレーベンさんは、子どもから大人まで森について楽しく学べる本を多数出版している。今回紹介するのは、ペーターさん本人が登場する絵本シリーズから2冊。森に暮らす仲間たちと一緒に森を体験しながら、自然の不思議や持続可能性について考えてみよう。

神秘的な森へといざなう写真集

Deutschland deine Wälder ドイツ あなたの森たち

著者・写真:Kilian Schönberger
発行元:Frederking & Thaler

キリアン・シェーンベルガーさんは、ケルンとレーゲンスブルクを拠点に活動する写真家で地理学者。色覚障害というハンディキャップをあえて活かした独特の世界観で、壮大な自然を撮り続けている。ドイツの森を美しく捉えた写真の数々が収められた本書は、ソファに座ってページをめくるだけで、まるで森にいるような気分にさせてくれる。

参考:www.waldkulturerbe.de、Bundesministerium für Ernährung und Landwirschaft「Der Wald in Deutschland」、石田仁志ほか著「トポスとしての〈森〉の系譜 (近世近現代編-漢字文化受容から西洋文化受容へ-)」、池田憲昭「ドイツにおける森と地域と教育」講演記録より、北村昌美「森林と林業の「これから」を考えるために」

最終更新 Dienstag, 24 März 2020 11:31
 

ドイツ人が森を愛する理由 - ドイツの森の楽しい歩き方

あなたも森に行きたくなる! ドイツ人が森を愛する理由

ドイツ人に趣味を尋ねると、「森を歩くこと」と答える人が少なくない。休日にはたくさんの人が森を散策するだけでなく、サイクリングや乗馬を楽しむ人などで森がにぎわう。今回は、そんなドイツ人が愛してやまない「Wandern(ヴァンデルン) = ハイキング」の文化を紹介するとともに、これからハイキングデビューしたい方へお役立ち情報をお届け。森を歩けば、ドイツがもっと分かるかも?(Text:編集部)

ハイキングガイドに聞く!ドイツの森の楽しい歩き方

ドイツでハイキングデビューしたいけど、自分たちだけではちょっと不安……。そんな方のために、日本人初のドイツ・ハイキング連盟認定ガイド(Wanderführerin)の小野和美さんに、出発前の準備や注意点、ハイキングデビューにおすすめの森などを紹介してもらった。準備ができたら、さぁハイキングに出かけよう!

小野和美さん 小野和美さん Kazumi Ono ハイデルベルク在住。日本人初のドイツ・ハイキング連盟認定ガイド。また、森林セラピーガイドの資格を持つ。オーデン・ヴァルトクラブ(Odenwaldklub e.V.)に所属。ハイキングに行きたい人の希望に合わせて、オリジナリティー溢れるハイキングプランを提案、ガイドを行っている。
ドイツ・ハイキング連盟(Deutscher Wanderverband)とは?

ドイツの人々が安全に楽しく森歩きをできるよう、ハイキングコースやハイカー用の宿泊施設・レストランの整備や情報提供などを行っている組織。ヘッセン州カッセルに本部がある。ドイツ各地の58のハイキング団体を取りまとめており、会員数はドイツ全土でおよそ6万人。130年以上の歴史があり、現在に至るまで歴代の連邦大統領が後援を引き継ぐ由緒ある団体だ。小野さんが所属するオーデン・ヴァルトクラブも登録団体の一つ。www.wanderverband.de

出発前に、ここをチェック!

1. 天気予報の確認

まずは自分がハイキングへ行く場所の天気予報をチェックすることで、着ていくべき服や持ち物が決まります。標高が高い場所は天気が変わりやすいので、レインウェアは必須です。ドイツの場合、森と森の間に木の生えていない田園地帯や麦畑を通り抜けることがあるのですが、そこでは強い風が吹くことが多いので、風よけできる服も便利です。

2. 体調管理

森の中に入ると、途中で体調が悪くなってもすぐに帰ることができない場合も。そのため睡眠不足や疲れがたまっている場合は、ハイキングルートや距離を調整しましょう。ドイツではむしろ体調改善やリフレッシュのために森へ行く人も多く、大切なのはその日の自分に合ったコースを選ぶこと。ハイキングガイドがいる場合は、必ず事前に体調を伝えてください。

3. 服装

ハイキングでは長時間歩くので、体温調節をしやすいように重ね着しましょう。寒い時期に重宝される保温性の高いインナーウェアは、温かくなり過ぎたり、汗が乾きにくく逆に体を冷やしてしまうことがあるため、ハイキングには不向き。ズボンは、動きやすくストレッチ性のある素材や、ゆとりのあるものを選んでください。

4. 持ち物

どんなに短いルートでも、飲み物、そして高カロリーな行動食(チョコレート、ナッツなど)を持参。また、特に夏のドイツの森はダニが多いので、ダニ除けスプレーや、ダニに噛まれた時のためにダニ除去カード(Zeckenkarte)があるといいです。登山用ストックは、歩くときに体のバランスが取れ、膝や腰への負担が軽減されるのでおすすめです。

ガイドの小話
超難関!ガイドへの道のりガイドからの注意点

もともと趣味で始めた森歩きですが、気づけば10年以上ハイデルベルクの森歩きグループに参加し、森に関する知識や地図の読み方を学びました。ドイツの森の魅力を日本にも紹介したいとの思いから、また私の所属団体の方々からの応援もあって、ハイキングガイドの資格試験に挑戦することに。

受験に向けて、ガイド養成のための9日間の合宿にも参加しました。合宿では、地図学や気象学、コンパスの習得はもちろん、生物学や地質学などの森の生態に関すること、旅行規約や保険、ツアーのプランニング方法など、毎日みっちり講義と実技があります。語学力的にも付いていくのが大変で、毎晩必死に復習しました。また、ドイツ赤十字の応急手当コースを受講するほか、グループ内でけんかが起きた際の解決法という驚きの実技も(笑)。

そうして試験を迎え、無事に合格。森歩きのプロとして、独自のハイキング企画を提供できるのはうれしいですね。今後は小さなグループを中心に、ドイツや日本をはじめさまざまな方に向けて、森の素晴らしさを丁寧に伝えていきたいです。

ガイドからの注意点
自然をあなどらない

自分で地図を読んで歩けないうちは、大きくて深い森には1人で入らない、ということを守っていただきたいです。私たちガイドも、お客様を森に案内する前に必ず2回は下見をしますが、そのたびに新しい発見があります。森の状況は、刻一刻と変わっていくもの。慣れていない人だと、例えば狩猟の時期に出ている狩猟場所のサインを見落としたり、木の伐採の時期に重なると、行けるはずだった道が全く通行できなくなっていることも。ドイツは基本的に「自己責任の国」ということもあって、日本だったら当然出ているはずの注意書きや柵が無い場所も多いのです。また、夏場は日が長いからといって、夜に自分たちだけで森に行くのもおすすめしません。森にいるうちに暗くなって足場が見えなくなったり、イノシシなどの動物の行動時間と重なったりすると危険です。安全あっての森歩きですので、あまり冒険し過ぎないようにしましょう。

小野さんおすすめのドイツの森

独特の文化や暮らしを味わえる 黒い森地方 Schwarzwald

黒い森地方 Schwarzwald

ドイツ南西部1万1100平方キロメートルに広がる国内最大の低山地帯。針葉樹で形成されているため、1年中黒く見え、森の中も暗いことから「黒い森」と呼ばれています。黒い森には独自の文化があり、南ドイツの民芸品として知られるカッコウ時計の故郷でも。また、黒い森のさくらんぼケーキ(Schwarzwälder Kirschtorte)や黒い森のハム(Schwarzwalder Schinken)など、この土地ならではの食文化も充実しています。マスの養殖も行っていて、特に日本の方だと「南ドイツで魚が食べられるんだ!」と驚かれることが多いです。黒い森の魅力は、地元ならではの食文化や暮らしを森の中で見て体験できること。独特な雰囲気を楽しみたい方はぜひ訪れてみてください。

黒い森のさくらんぼケーキ黒い森のさくらんぼケーキ

黒い森のハム黒い森のハム

Schwarzwald Tourismus GmbH
黒い森観光案内所

Heinrich-von-Stephan-Str. 8b, 79100 Freiburg
www.schwarzwald-tourismus.info

歴史の足跡をたどれる オーデンの森 Odenwald

オーデンの森 Odenwald

ヘッセン州のダルムシュタット、ハイデルベルク、バイエルン州のアシャッフェンブルク、バーデン=ヴュルテンベルク州のハイルブロンにまたがる森。ここにはローマ人やケルト人の遺跡がたくさん残っているため、歴史や遺跡がお好きな方におすすめです。ゲルマン人からローマ帝国を守った辺境防壁沿いでは、ローマ浴場や望楼などの遺跡を見ることができます。また、オーデンの森内にあるメッセル採掘場は大量の化石が発掘されており、ユネスコ自然遺産としても知られる場所です。何百万年も前に噴火した珍しい地層が見られ、自然観察に興味がある方にも満足いただけると思います。

Odenwald Tourismus GmbH
オーデンの森観光案内所

Marktplatz 1, 64720 Michelstadt
www.tourismus-odenwald.de

ワイン好きがこぞって訪れる プファルツ地方の森 Pfälzerwald

プファルツ地方の森 Pfälzerwald

周辺の大都市圏の人々がリラックスできる場所として、1950年代から保護されてきた自然公園。1992年にユネスコによって生物圏保護区に登録され、1998年以降はフランスの北ヴォージュと国境を越えて共同プロジェクトなどに取り組んでいます。プファルツワインで有名なプファルツ地方の森とあって、ハイキングの途中でブドウ畑を眺めたり、ランチタイムにそこで造られたワインを楽しめるのが魅力の一つです。温暖な気候と年間1800時間以上の日照時間から「ドイツのトスカーナ」と呼ばれ、レモンやイチジク、ヤシなど、温帯を好む植物が自然に生育。ドイツで一番早く春が訪れる場所ともいわれます。

Biosphärenreservat Pfälzerwald-Nordvogesen
生物圏保護区プファルツの森・ヴォージュ山脈北部

Franz-Hartmann-Str. 9, 67466 Lambrecht
www.pfaelzerwald.de

ハイキングの楽しみ
個性豊かなガイドたちによる「ドイツ流おもてなし」

森の中で大合唱

ドイツ人グループのハイキングでよく見る光景ですが、誰かが歌集を持ってきて、みんなで歌うことがあります。私の周りにも歌好きのガイドが多く、休憩中に参加者に歌詞カードを配ったり。彼らのおすすめの曲は「Der Mond ist aufgegangen(月が昇った)」、「Der Jäger aus Kurpfalz(プファルツ地方の猟師)」など。もちろん歌詞にはドイツの木や森が登場します。

シュナップスで乾杯!
シュナップス

こちらもハイキングガイドの気の利いたサービスの一つで、ドイツの蒸留酒である「シュナップス」を振る舞う人も。冬場の森歩きはやはり寒いので、歩いている間は大丈夫でも、休憩などで立ち止まるとどんどん冷えてしまう。そんな時に、体を温めるという目的でみんなで乾杯。もちろん、しっかり歩けるように飲みすぎは厳禁ですが、ちょっといい気分になって歩くことができますよ。

参考:www.waldkulturerbe.de、Bundesministerium für Ernährung und Landwirschaft「Der Wald in Deutschland」、石田仁志ほか著「トポスとしての〈森〉の系譜 (近世近現代編-漢字文化受容から西洋文化受容へ-)」、池田憲昭「ドイツにおける森と地域と教育」講演記録より、北村昌美「森林と林業の「これから」を考えるために」

最終更新 Dienstag, 24 März 2020 11:33
 

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