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ベルリンの壁崩壊30周年記念特集【前編】 分断された2つのドイツの物語 2

ベルリンの壁崩壊30周年記念特集【前編】 分断された2つのドイツの物語

2019年11月9日、ベルリンの壁が崩壊してちょうど30年を迎えた。この節目にドイツニュースダイジェストでは、2号にわたってベルリンの壁をテーマにした特集をお届けすることにした。かつて2つに分断されていたドイツの歴史を深く掘り下げるとともに、ベルリンの壁にまつわるエピソードを取り上げ、そしてこれまでの30年を振り返る……そう遠くないドイツの過去から、私たちは何を学ぶことができるだろうか。前編では、そもそもなぜベルリンの壁が建設されたのかをひも解き、分断時代を知る人々に聞いた東西の暮らしぶりを紹介。まずは、1945年まで時計の針を巻き戻してみよう。(Text:編集部)

東西分断時代を知る人に聞いた 壁の中の暮らし・壁の外の暮らし

歴史の教科書ではなかなか知ることができない、2つのドイツの市民の暮らしぶり。28年もの間、壁で囲まれていた西ベルリンの生活はどのようなものだったのか、そして、社会主義というシステムのなかで東ベルリンや東ドイツの人々の自由はいかに制限されていたのか。東西分断時代を知る4人の方に、それぞれの経験や感じていたことを聞いた。

お話を聞いた人

  • 永井潤子さん 1934年東京都生まれ。日本短波放送(当時)に勤め、1972年にケルンに移住、ドイチェヴェレの日本語放送記者として働く。2000年よりベルリン在住フリージャーナリスト。
  • 吉岡俊司さん 1949年生まれ、和歌山県で育つ。ハンブルク、デュッセルドルフを経て、1973年に西ベルリンに移住した。2018年まで日本食レストランのオーナー。
  • アンドレアス・ガンドウさん 1950年東ベルリン生まれ。1956年、政治的な理由で両親と7人の姉とともに西ベルリンに移った。元新聞記者で、日本特派員として約20年日本に住んだ経験も。
  • ウーヴェ・ベネケさん 1970年東ベルリン生まれ。大学進学前の兵役中に壁が崩壊した。1999 年、東ベルリン出身の4人の仲間とゲーム会社を立ち上げ、現在も同社の共同経営者。

WEST 壁の中の暮らし

西ドイツの一州として、東ドイツの中にぽつねんと存在した西ベルリン。分断時代には「赤い海に浮かぶ自由の島」とも言われたが、実際には壁に囲まれた生活に窮屈さを感じる人も多かったようだ。

50~60年代 怖い思いをした西ドイツへの電車移動

西ベルリンから西ドイツへ行く時は、必ず東ドイツを通らなければならず、子どもの頃、ハンブルクやハノーファーへは電車を利用しました。今でも忘れられないのが、東ドイツの入国審査官と国境警備隊。彼らは国境地帯で電車に乗り込み、コンパートメントのドアを開けて入ってきます。審査が終わるとポンポンポンとスタンプを押してドアを閉め、次のコンパートメントに移っていきました。そのドアの開け閉めをする音は、ある意味トラウマでもあります。(ガンドウさん)

60年代 夏休み以外は西ベルリンから出られず

1960年に合唱団に所属し、61年の始めから夏にかけて月に1度、東ベルリンの教会に歌いに行っていました。その頃はまだ西と東の行き来は自由でしたが、その後すぐに壁ができてしまったため、夏休み以外は西ベルリンを出る機会がなくなってしまいました。(ガンドウさん)

60年代 年に2回だけ親戚を訪ねて東へ

クリスマスとイースターの時期だけ、東ベルリンの親戚を訪ねることが許されていました。フリードリヒ通り駅から入国することになっていたのですが、まずはビザのチェック、税関、そして西ドイツマルクから東ドイツマルクへの換金、という3段階があって。特にクリスマスは長蛇の列で、暗く雪が積もっているなか、何時間も待たされました。私にとっては、あまりいい思い出ではありません。(ガンドウさん)

西ベルリンの人々クリスマスに東ドイツの親戚を訪ねるため、入国審査に並ぶ西ベルリンの人々
(1965年12月26日撮影)

60年代 東の親戚に送ったはずの小包の中身が……

東の親戚のために母が準備した小包を郵便局へ持って行くのが、子どものころの私の役目でした。ただ、親戚の元に届く前にシュタージ(東ドイツの秘密警察)に中身を調べられてしまうため、現金や物が盗られてしまうことがよくありました。(ガンドウさん)

70年代 壁がある地域は異様な雰囲気

ベルリンに暮らし始めて、何度も壁を観に行きましたが、やはり異様な光景でした。場所にもよるのですが、壁の前にはごく最近銃殺された人のお墓があることも。国境だったブランデンブルク門に近いベルリンフィルハーモニーの辺りは何もなく、第二次世界大戦で破壊された建物が放置されていました。当時から観光スポットだったベルナウアー通りは、建物の壁がそのままベルリンの壁になっていた部分があったり、設置されていた物見台からは東ベルリンの街並みがよく見えました。(吉岡さん)

東ベルリンを一望できる物見台東ベルリンを一望できる物見台は街のいたるところにあった

70年代 ハンブルクまではアウトバーンではなく国道

西ベルリンから西ドイツへ行く方法の1つが、東ドイツを通過する自動車移動でした。特にハンブルクへのルートはある時期までアウトバーン(高速道路)がなく、最高速度60キロ程度の国道のみ。途中停車禁止のため、3時間ほど走り続けなければなりませんでした。農家のトラクターの後ろにつくとスピードが落ちるので、余計に時間がかかり気が気ではなかったです。(吉岡さん)

70~80年代 西ベルリンではクナイペが大繁盛

1979年にそれまで勤めていた会社を退職し、日本食を提供する居酒屋(クナイペ)をオープン。当時は夜中2時まで営業していたのですが、とても繁盛していました。というのも、西ベルリンは壁があるので、行く場所が限られていたんです。さらに、食料品店は基本的に平日は18時まで、土曜は13時までしか開いていなかったので、買い物をしそびれると食べるものがないんですね。だから、西ベルリンにはクナイペがものすごくたくさんありました。(吉岡さん)

OST 壁の外の暮らし

社会主義国の暮らしを想像できるだろうか。今でこそ笑えるような出来事がある一方で、信じられないほど厳しい面もあった東ドイツ。つい30年前まで存在した国の素顔をのぞいてみよう。

70~80年代 バナナ欲しさに長蛇の列

東ベルリンでは夏になると、キューバ産の緑色のバナナが店に並び、その時期は「Bananenzeit(バナナ期間)」と呼ばれていました。もちろん、店の前には購入するための長蛇の列が。スイカも時々売られていて、誰かがそれを目撃すると瞬く間に噂が広がり、やはり列ができました。買占めしないように、1人3つまでなどの制限もあったと思います。(ベネケさん)

70~80年代 牛乳のメーカーは1つだけ!

東ドイツでは「牛乳=牛乳」でした。牛乳のメーカーは1つしかなかったので、牛乳と言われたら、そのメーカーの商品のことを意味したのです。それから、西側諸国をまねた商品も多く売られていました。例えば、チョコレートバーなどのお菓子。ただし、味は西のものに劣っていましたし、パッケージがどれも色あせたような典型的な東ドイツ製の見た目をしていました。ちなみに、清涼飲料水のClub Colaや洗剤のSpeeは今も販売されている数少ない東ドイツのメーカーの製品です。(ベネケさん)

70~80年代 西側諸国の商品が手に入るインターショップ

何を買うわけでもなく、西側の商品が売られている免税店「インターショップ」によく行っていました。食料品から魅力的な製品までいろいろと売られていましたが、西ドイツマルクでしか購入できず、ほとんどが高額。西ドイツマルクを集めて、友人と少しずつお金を出し合い、一緒に買い物をしたこともありました。外交官は西ベルリンに行くことができたので、その子どもはこっそり西側のティーン向け雑誌「BRAVO」を手に入れられることも。付録のポスターなどを安く売ってもらったこともありましたよ。(ベネケさん)

インターショップ東ドイツの各都市にあったインターショップは1989年時点で470店舗あったという

70~80年代 子どもはとにかくピオニールに参加

東ドイツのほとんどの子どもたち(全体の約9割)が「ピオニール(先駆者)」に参加していました。ピオニールとは、社会主義教育をするための青少年のグループのことで、1~3年生までは青いスカーフのJungpionier、4~7年生までは赤いスカーフのThälmann-Pionierに所属します。レクリエーションやレジャー活動を行ったり、壁新聞を制作することもありました。(ベネケさん)

ピオニール「Seid bereit!(備えよ!)」の号令に「Immer bereit!(常に備えあり!)」と
答えるのがピオニールのお決まりの掛け声

70~80年代 初めて習う外国語はロシア語

東ドイツの子どもたちは、1〜10年生まであるPOS(Polytechnische Oberschule)と呼ばれる学校で学びました。5年生になると全員ロシア語を習い、7年生で英語かフランス語を選択可能。EOS(Erweiterte Oberschule)に進んだ子どもたちは、大学進学を目指すことができました。(ベネケさん)

80年代 休暇は東のリゾート地・リューゲン島へ

アビトゥーアのクラスにいた時、友人たちと自転車で3日間かけてバルト海のリューゲン島(メクレンブルク=フォアポンメルン州)に行きました。ほかにも、同じ社会主義国であるポーランドやハンガリーは定番の旅行先で、私も両親と一緒に旅行したことがあります。ただ、西側諸国へは旅行できないため、ドイツ国内にとどまっている人も多かったという印象です。(ベネケさん)

80年代 東ベルリン市民は西ドイツ放送を見ていた

公の場では、テレビやラジオはもちろん東ドイツの放送しか受信することができませんでした。でも、東ベルリンの人はたいてい西ベルリンからの電波を拾って、ARDやZDFなどの西ドイツの放送を見ていました。逆に東ドイツには「Der schwarze Kanal」という、西ドイツの放送を風刺したプロパガンダ番組があったのですが、今見ると滑稽な感じです。(ベネケさん)

80年代 目と鼻の先にある別世界

壁沿いに住んでいる友人のパーティーに行った時のこと。10階くらいだったと思いますが、西ベルリンが丸見えで、壁の反対側にジャンプしていけそうなくらい近い距離でした。壁という人工的な障害物があるにもかかわらず、壁の向こう側の別世界がよく見えることに、不思議な気持ちがしたのを覚えています。(ベネケさん)

70~80年代 オペラが破格の値段

当時、東ドイツには素晴らしい歌い手や指揮者がたくさんいたので、よく東ベルリンにオペラを観に行っていました。しかも、オペラのチケットは15マルク(約7.5ユーロ)、プログラムが50ペニヒ(約25セント)、ゼクトが1マルク(約50セント)と破格の値段。それでも、強制両替した東ドイツマルクが余るので、西では手に入らないロシア音楽のレコードをお土産に買って帰ったこともありました。(吉岡さん)

50~80年代 進学は労働者と農民の子が優先

東ドイツは労働者と農民の国。弁護士や医者などのエリートの子は大学に行けず、そのことは人々が西へ逃亡する理由の1つでした。私がケルンで働いていた時、ハレ(ザクセン=アンハルト州)出身の同僚がいたのですが、彼女は西側の親戚を頼って、マインツ(ラインラント=プファルツ州)の大学に進学したそうです。(永井さん)

70~80年代 赤いシビックに見物客

東ドイツ出身の同僚の里帰りに、私の運転で一緒に行ったことがありました。車種は赤いシビックだったのですが、彼女の実家の目の前に駐車したら、西の車が珍しいのでしょう、近所の人たちが皆見に来ていました。(永井さん)

70~80年代 家庭菜園で物々交換

東ドイツのお店に行っても置いてあるのはじゃがいもと玉ねぎとにんじん、それからキューバ産のレモンくらいで、新鮮な果物や野菜はほとんど売っていませんでした。でも、庭のある家の人たちはサクランボやイチゴを育てたりして、物々交換をしていたんですね。庭があるか否かで、生活水準に大きな差があったのです。私もそれに触発されて、同僚とケルンで庭を借りたことがありました。(永井さん)

70~80年代 西への出張に家族は連れていけない

東ドイツ出身の同僚のいとこの夫が物理学者でした。党員ではなかったため、大学教授にはなれませんでしたが、優秀だったため西側の国際会議に出席していました。ただし、西に逃亡しないようにと、妻子を連れてくることは許されなかったそうです。(永井さん)

70~80年代 東に西の新聞の持ち込みは厳禁

シュヴェリーン(メクレンブルク=フォアポンメルン州)出身の友人を車に乗せて、彼女の両親を訪ねに行った時、うっかりケルンの新聞を車の中に置きっぱなしにしてしまったことがありました。すると、それを見つけた友人は震えんばかりに怒りました。東ドイツで西ドイツの新聞や雑誌を持っているのが見つかると、シュタージに連行されることもあるため、友人はいつも恐怖心に捉われていたのだ思います。(永井さん)

最終更新 Freitag, 13 August 2021 14:30
 

ドイツでサステナブル生活にスイッチ!

一人ひとりの行動で持続可能な社会へ ドイツで
サステナブル生活 にスイッチ!

最近、メディアでもたびたび耳にする「サステナブル」という言葉。「サステナブル(=持続可能)な社会」とは、地球の環境を守り、資源をセーブし、人間や動物が地球上でこれからも平和で豊かな生活を続けていける社会のことだ。その実現に向けて、今日世界中でさまざまな取り組みが行われる一方、人間の活動は地球温暖化や生態系の変化をもたらし、現在進行形で地球に負荷をかけ続けている。安全な地球上でこれからも生きていくために、私たち一人ひとりに何ができるだろう?「サステナブル」という言葉をヒントに、地球と私たちの新しい関係性を探る。(Text:編集部)

参考資料:「Sustainable Development Report 2019」(Sustainable Development Solutions Net work)「Climate Action in Figures(2019)」(Umweltbundesamt)「Deut sche Na chhaltigk eit sstra tegie Neuauflage 2016」(Die Bundesregierung)『小さな地球の大きな世界 プラネタリー・バウンダリーと持続可能な開発』(丸善出版)『『みんなのごみ』副読本~ごみを減らすための80のアクション』(NPO法人 環境安全センター)

地球の限界はすぐそこに

私たちの暮らしは、経済発展や技術開発により、物理的にはとても便利で豊かになった。通信手段の発達によって、世界中の人と簡単に連絡を取り合えるようになり、飛行機に乗れば、次の日には地球の裏側にまで行くことができる。都市では電気や水道などのインフラが整備され、人々は何不自由ない生活を送っている。しかしこの豊かな生活の代償として、地球環境は今、限界を迎えつつあるのだ。

特に20世紀半ば以降、まるで人間の繁栄が永久であるかのように、考えなしに地球資源を消費してきた私たちの社会。しかし、産業開発によって急増した温室効果ガスは気候変動を引き起こし、途上国での人口急増や、さらなる豊かさの追求により、自然環境に深刻な影響が出ている。また、石油などのエネルギー資源を無計画に使用することは、環境破壊につながるだけでなく、時には奪い合いのために争いを引き起こしてきた。

このような消費型社会や経済を続けていけば、地球環境はまもなく壊滅的な状況に陥り、それと同時に私たちの幸せな未来も失われてしまう……。そんな危機意識から2015年に国連で採択されたのが、「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals、通称「SDGs」)」だ。

世界を変えるための17の目標

世界を変えるためのSDGs

SDGsとは、持続可能な世界の発展のために、2030年までに達成すべき国際社会共通の目標。貧困や飢餓、環境問題、生物多様性、経済成長、ジェンダー平等など、17のゴールと169のターゲットを設定した。SDGsの前身となる「ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)」では途上国の貧困など限定された課題を対象としていたが、SDGsでは、先進国の暮らしが貧困や環境問題に与えてきた影響を反省し、すべての国や地域が目標達成に向けた政策を行うよう求める。

ドイツ連邦政府は2017年に、これらの目標を達成するための具体的な政策手段をまとめた「ドイツ持続可能性戦略2016年版」を承認。今後15年間で、水質および大気汚染の改善、持続可能な製品の供給促進、また政府の持続可能性政策と市民、ビジネス、科学界との連携を強化することを目指している。国連の持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)が毎年発表するSDGsの達成度ランキングでは、2019年には6位。しかし、「12.つくる責任使う責任」「13.気候変動に具体的な対策を」「14.海の豊かさを守ろう」の3項目では、いずれも大きな課題が残っているとの指摘を受けた。

「人間の社会や経済が発展すること」と「地球環境を守ること」は、相反することのように思われがちかもしれない。確かにこれまでは、経済や開発を優先することで自然保護は後回しとなり、環境汚染を悪化させてしまった。しかし、SDGsが目指す「サステナブルな社会」とは、「環境・社会・経済」の3つがバランスよく成り立っている状態のこと。大量生産、大量消費といった一方通行の経済をやめ、エネルギーシステム、食糧生産、リサイクルなどに関する技術革新や、環境に対する責任ある管理など、社会と私たち自身の変革が必要なのだ。

SDGs達成度ランキング2019

  スコア
1 デンマーク 85.2
2 スウェーデン 85.0
3 フィンランド 82.8
4 フランス 81.5
5 オーストリア 81.1
6 ドイツ 81.1
7 チェコ共和国 80.7
8 ノルウェー 80.7

出典:SUSTAINABLE DEVELOPMENT REPORT 2019

私たちにできることは?

世界の貧困の撲滅や、温室効果ガスの削減などは、日々進歩する技術によって成果が上がりつつある。一方で、SDGsの目標を達成するには、私たち一人ひとりが「環境や社会に負荷をかけない」行動を考え、実践していくことが重要だ。

ドイツでのサステナブル生活は、日々の目線を少し変えてみれば、実はそれほど難しくない。例えば日本語に「もったいない」という言葉があるように、ドイツでは「物を大切にする」文化が根付いている。ドイツには、この考え方を基盤にしたシステムや工夫が昔からたくさんあり、最近では科学技術とクリエイティブなアイデアを組み合わせた製品やサービスも増えている。また、再生可能エネルギーを使った電力会社と契約することや、農薬や化学物質を使わないビオ製品を買うことは、消費者としての私たちの意思表示にもなるのだ。

私たちが「本当に必要なこと」を常に考えて選択すれば、企業は「本当に必要なものとして選ばれること」を目指して生産を行うようになる。このように消費が変われば経済が変わり、経済が変われば政治も変えていくことができる。サステナブルな生活は、決して環境や社会のために自分が無理をすることではない。むしろ本当に気持ちよく生きられる方法を実践することで、心身ともに豊かになっていくことなのだ。そうした先にはどんな未来があるだろうか? 想像してみてワクワクしたなら、今こそサステナブル生活へスイッチするとき。

サステナブル生活のすすめ
REから始まる5つのアクション

サステナブルな社会を実現するために、一人ひとりはどんなことができるだろう? そんな疑問にお答えして、RETHINK / REFUS / REDUCE / REUSE / RECYCLEという5つのステップで、地球にも人にも優しいアクションやグッズを紹介する。ちょっとしたアイデアや工夫を生活に取り入れることで、環境に負荷をかけず、自分も無理せず、生活をもっと楽しく豊かに。より良い未来のために、今日から始めてみよう。

1消費のあり方について考え直す RETHINK サステナブル生活への第1ステップ

シェアリングエコノミーを利用してみる

シェアリングエコノミーとは、物・サービス・場所などを、人と共有・交換して利用する社会的な仕組み。作りすぎてしまった晩ご飯のおかずをはじめ、着なくなった洋服、使っていない空き家など、所有している人が、それを必要とする人に必要なタイミングでシェアするという考え方で、最近はインターネットを活用した個人間の貸し借りを仲介するシェアリングサービスも登場している。今回は「食べ物」と「物」のシェアに関する取り組みをご紹介。

ベルリン発!
フードシェアリングのスタートアップ「SirPlus」

SirPlus

2017年9月にベルリンでオープンしたのが、廃棄食品だけを売るお店「SirPlus」だ。賞味期限ギリギリのものだけでなく、製造ラインから外された食品、輸送時に傷がついた缶詰、規格外の野菜など、まだまだ食べられる食品が格安の値段で店頭に並ぶ。創業者の1人、ラファエル・フェルマーさんは、フードシェアリングの活動家としても有名。

Rettermarkt Berlin-Steglitz
月曜~土曜 9:00~20:30
Schloßstr. 94, 12163 Berlin
https://sirplus.de

Pumpipumpe のステッカーであらゆる物をシェア

Pumpipumpe

頻繁に使わないけれど、これがあったら便利なのに……。そんな時は、スイスとドイツで利用されている「Pumpipumpe」というシステムがおすすめ。ウェブサイトからステッカーセットを注文し、自分の家にある貸出可能なグッズが描かれたステッカーを郵便ポストに貼っておく。ステッカーの種類は、自転車の空気入れやミシン、ディスコのミラーボールなど多岐にわたり、ご近所同士の気軽な貸し借りを手助け。無駄を減らすことは、「人との交流」という新たな楽しみへと繋がっている。
https://www.pumpipumpe.ch/sticker/

「Grüne Knopf」マークの洋服を買ってみる

Grüne Knopf

「Grüne Knopf(緑のボタン)」は今年9月に使用開始されたドイツ政府公認の洋服タグで、2013年にバングラデシュの縫製工場で発生した崩落事故をきっかけに考案された。先進国で衣料品が驚くほど安価で購入できる裏には、その生産を行う途上国での劣悪な労働環境や、効率を上げるために必要以上に使用される化学物質の存在がある。「Grüne Knopf」のタグは、製造者が労働者の人権を守り、社会や環境に対して責任を負っていることの証明だ。これからの洋服選びの基準に、このマークをチェックしてみては。


2不要なものは買わない、もらわない REFUSE No ! の一言で資源をセーブ

Kauf-nix-Tag(無買日)に参加して、物を買わない日をつくってみる

Kauf-nix-Tag(無買日 むばいび)とは、カナダのアーティストらによって1992年に始められた活動で、1年に1度、不要なものを買わずに消費について考え、代わりに友人や家族と時間を分かち合おうという非公式の記念日。アメリカやカナダでは11月の感謝祭の翌日の金曜日、日本や欧州などでは11月の最終土曜日が開催日として設定されている。この日は、実はアメリカ発祥の「ブラックフライデー」と同日。感謝祭のプレゼントの売れ残り一掃セールとして大規模な安売りが行われる「ブラックフライデー」に抗議しようと、Kauf-nix-Tagの参加者たちはデモを行う。

国内での移動には、飛行機ではなく鉄道を使う

「Flugscham(飛び恥)」とは、飛行機よりも環境負荷の少ない鉄道での移動を呼びかけ、温室効果ガスの排出量を減らそうという運動のこと。環境保護のための学生ストライキ「Fridays For Future」がドイツでも広まったことにより、注目されている。この運動を始めたスウェーデンの環境保護活動家の少女グレタ・トゥンベリさんは、今年1月にスイスのダボスで開かれた世界経済フォーラム*に参加。出席者の多くが総計約1500機にも及ぶプライベートジェットで来場したのに対し、彼女は鉄道で32時間かけて到着したことが話題となった。

*ダボス会議とも。世界を代表する政治家や実業家が一堂に会し、世界情勢についての議論を行う

3環境負荷を最小限に REDUCE 代替品で無駄を減らす

使い捨てラップの代わりに蜜ろうラップを使ってみる

残り物を冷蔵庫にしまう時など、ついつい使ってしまう使い捨てラップ。その代替製品として注目されているのが、洗って何度も使用できる蜜ろうラップだ。蜜ろうラップとは、コットンに蜜ろうワックスや植物性オイル、天然樹脂を染み込ませたもので、抗菌効果があり、包んだものを紫外線からガードするというメリットも。使用目安は2年ほどだが、もう一度蜜ろうワックスを塗ったり、古くなったら雑巾にするなど、最後まで使い切れるのもうれしい。ただし、高温になると蜜ろうが溶けてしまうため、電子レンジでの使用は避けて。

Gaia

Gaia

ハンブルクで生まれた蜜ろうラップのメーカー。材料にフェアトレードのオーガニックコットン、ビオの蜜ろう、ホホバオイル、天然樹脂を使用。蜜ろうラップの販売のほか、ラップ作りやサステナビリティについて学ぶワークショップなども開催している。
www.gaiastore.de

歯ブラシや綿棒をプラスチック製から竹製に変えてみる

プラスチックに代わる優れた素材として注目されている「竹」。竹が優れている理由は3つある。1つ目はその成長スピードで、速いもので1日1.6メートルも伸びるため、大量に伐採できる。2つ目は切ってもまた生えてくるため、再生可能な資源であること。そして3つ目は、プラスチックと違って竹は100%生分解されるという点だ。森林伐採が問題となっている今日、竹は紙の原料としても利用され、森を守るという側面でも将来有望。まずは歯ブラシや綿棒など、毎日使うものを竹製に変えてみるのはいかがだろうか。

Pandoo

Pandoo

マレーシアの熱帯雨林を守りたいという思いから生まれた、コンスタンツを本拠地とする竹製品メーカー。歯ブラシや綿棒のほか、竹の繊維でつくられたキッチンペーパーやティッシュペーパーなどのオリジナル商品を販売する。
https://gopandoo.de

4そのままの形で再利用する REUSE 捨てる前にもう一度生かそう

アップサイクリングのグッズを贈り物に選んでみる

リサイクリングする前の段階として、使わなくなったものから新しいものを生み出すことを「アップサイクリング」という。近年、日本でも注目されているが、ドイツでは多種多様で魅力的なアップサイクリング商品が各地で販売されている。例えば、セメント袋から作られたポーチ、キッカーの人形でできた栓抜き……はっと驚くようなものや、くすっと笑えるものなど、思わず誰かにプレゼントしたくなるものが見つかるはず。贈り物選びに悩んだら、近くのアップサイクリングの専門店やネット通販を利用してみよう。

PLUP - Planet Upcycling

PLUP

デュッセルドルフのエコな通りAckerstr.にある工房付きのアップサイクリング専門店。オリジナルグッズのほか、厳選された商品が並ぶ。写真は、サッカー好きの友人にぴったりなキッカーの栓抜き。

火曜・水曜14:00~19:00 / 木曜・金曜11:00~19:00 / 土曜11:00~16:00
Ackerstr. 168b, 40233 Düsseldorf
https://www.planet-upcycling.de

5分別すれば再び資源に RECYCLE 循環利用で地球への負担を減らす

資源として使えるものは、きちんとリサイクルルートに乗せよう

RETHINKからREUSEまでの4段階を経て、最後に私たちができること。紙は紙、プラスチックはプラスチック、瓶は瓶の回収ボックスへ分別しよう。ゴミになるか、再び資源となって製品に生まれ変わるかは、私たち次第だ。

最終更新 Montag, 07 Oktober 2019 17:00
 

ドイツでサステナブル生活にスイッチ!アーティスト、ミキ・ユイさんインタビュー

一人ひとりの行動で持続可能な社会へ ドイツで
サステナブル生活 にスイッチ!

最近、メディアでもたびたび耳にする「サステナブル」という言葉。「サステナブル(=持続可能)な社会」とは、地球の環境を守り、資源をセーブし、人間や動物が地球上でこれからも平和で豊かな生活を続けていける社会のことだ。その実現に向けて、今日世界中でさまざまな取り組みが行われる一方、人間の活動は地球温暖化や生態系の変化をもたらし、現在進行形で地球に負荷をかけ続けている。安全な地球上でこれからも生きていくために、私たち一人ひとりに何ができるだろう?「 サステナブル」という言葉をヒントに、地球と私たちの新しい関係性を探る。(Text:編集部)

参考資料:「Sustainable Development Report 2019」(Sustainable De v elopment Solutions Net work) 「Climate Action in Figures( 2019)(」Umweltbundesamt) 「Deut sche Na chhaltigk eit sstra tegie Neuauflage 2016」(Die Bundesregierung) 『小さな地球の大きな世界 プラネタリー・バウンダリーと持続可能な 開発』(丸善出版) 『『みんなのごみ』副読本~ごみを減らすための80のアクション』 (NPO法人 環境安全センター)

サステナブルなあの人
アーティスト、ミキ・ユイさんインタビュー

デュッセルドルフ在住のアーティスト、ミキ・ユイさん。最近取り組んだ「FLUX project」のテーマは、まさに「サステナビリティ」だ。普段の暮らしでも自分らしいサステナブルなアクションを実践している彼女に、持続可能な生活を送るヒントを聞いた。

ミキ・ユイ


1971年東京生まれ。1994年渡独、デュッセルドルフ在住の芸術家。日本とドイツで現代美術を学び、1998年より「スモールサウンズ」をテーマに音楽と美術の分野で活動。ヨーロッパ、アジアで数々のコンサートや展覧会を行い、ラジオ、舞台作品などで作曲。ソロアルバムもリリースしている。
mikiyui.com

持続可能にするコツは
自分がワクワクすること

ボゴタで行われたパーマカルチャーのワークショップの様子

サステナブルな生活は続けるからこそ意味がある

プラスチックフリー、ごみが出ないように……サステナブルな生活は何かと制約が多い、という印象があるかもしれない。しかし、ミキ・ユイさんのライフスタイルは、サステナビリティを基調としながらもどこか豊かさが感じられる。「基本的にサステナビリティって、続けられないと意味がないですよね。地球に優しい生活がしたい! と思って始めたことでも、実際にやってみると続かないことなんていっぱいあって……」

そんなミキ・ユイさんがサステナブルな暮らしを意識するようになったきっかけは、化粧品。乾燥肌に悩み、友人に泥洗顔をすすめられた。「モロッコのガスールという泥を使い始めて、そのうち化粧落としも不要になり、洗顔に必要なものは泥だけに。そこで気づいたのですが、化粧品や台所用品ってプラスチックボトル入りがほとんどなんです。私は魚が好きなので、やっぱり海で漂流する大量のプラスチックのことを考えるとげんなりしてしまって。だから、プラスチックボトルは避けたいという気持ちがありますね」

ほかにも固形シャンプーや固形歯磨き粉など、プラスチックフリーの製品を使用し、化粧水も手作りしてガラスのボトルに詰めている。ものを購入する頻度が減ったことで、かえって節約され、代わりにビオの野菜にお金を充てるという。「近所の市場で近郊の農家の野菜を購入すると、生産者と近く、何に対してお金を払っているのかが見える。信頼が生まれると同時に、何か特別なことをしているというワクワクが生活の中にある感じです」

Sauberkunstベルリン発のSauberkunstの固形シャンプーを愛用

自然に触れるとニュースがリアルになる

今夏も熱波の影響でドイツ各地で森林火災が発生。そういったニュースと自分の間に距離を感じることはないか、とミキ・ユイさんは続ける。「まずはちょっと自然に触れてみることが重要だと思っています。ドイツにはS バーンで行ける距離に森がたくさんある。森で過ごしてストレスや悩みがすーっと解けていく体験があれば、実際に森が燃えていると聞いた時、そのニュースをよりリアルに感じられると思います」

定期的に森に出かけるというミキ・ユイさんのおすすめは、街中の自然の定点観測。「普段通る道にお気に入りの木やスポットを定めて、日々の変化を眺める。すると、いつの間にか自然とのコミュニケーションが始まる。暑い時大変だったかな、でも緑が戻ってきたかな、なんて。まるで友だちのような感覚ですね」

アートプロジェクトで広がるサステナブルな輪

ミキ・ユイさんでも実感が沸きづらかった場所の1つが、アマゾンの熱帯雨林。気候変動や森林伐採が地球全体にどんな影響を及ぼすのかは、多くの人にとって想像しづらいことだろう。「福島原発事故の時と同じく、現地にいないので、いくらニュースを読んでも不安になるだけで実感できない。そんなとき、アマゾンに行った友人から、アマゾン熱帯雨林でアーティストが科学者とともに学び体験するプログラムがあると聞いて、応募してみたら受かったんです」

そうして昨年8月にブラジルに渡ったミキ・ユイさん。同じプログラムに参加していたブラジル人のナタリア・ファバロさんと意気投合した。「彼女はアマゾン川流域の人々に、私はドイツから参加していた気候学者にインタビューをして、ショートフィルムをつくることに。欧州や南米の都市で上映会を開き、サステナビリティについてディスカッションする場をつくることが目的でした」

「FLUX」と呼ばれるこのプロジェクトは、すでにコロンビアのボゴタやデュッセルドルフで実施。毎回その土地の専門家を招き、作品上映とともにレクチャーやワークショップを開催する。「例えばパーマカルチャー*をカードゲームで学んだり、ワイルドハーブの専門家にどんな野草が食べられるか教えてもらうことも。個人的にも、サステナビリティについて考えているさまざまな分野の人と知り合えてうれしいです」

それぞれできること、できないことがあるけれど、皆で集まればアイデアを出し合える、とミキ・ユイさんは言う。ワクワクして楽しく続けられること。まずはここを入り口にして、自分らしいサステナブルな生活を探ってみるといいのかもしれない。

*永続性(パーマネント)、農業(アグリカルチャー)、文化(カルチャー)を組み合わせた言葉で、人と自然が持続可能な関係を築いていくためのデザイン手法のこと

FLUX 映画上映と野生蜂についてのレクチャー
(入場無料、ドイツ語)

FLUX projectFLUX projectのショートフィルムより

ゲスト:Anja Eder(Wildbienenretterin)
日時:2019年11月22日(金)19:30
場所:Berger Kirche Wall Strasse 17, 40213 Düsseldorf
www.flux-project.net

最終更新 Montag, 07 Oktober 2019 15:33
 

2019年版 ドイツの秋祭りガイド - オクトーバーフェストなどテーマ別フェス

伝統的なお祭りからユニークなフェスまで ドイツの秋祭りガイド

食欲の秋、スポーツの秋、行楽の秋、芸術の秋……などの言葉があるように、秋はさまざまな風物詩が楽しめる豊かな季節。加えてドイツではビアフェストが始まり、「ビールの秋」が盛大に祝われる。今回の特集では、秋のドイツで開催される魅了いっぱいのお祭りをテーマ別にご紹介。長い冬が到来する前のこの時期に、ぜひ出かけてみては?(Text:編集部)

ドイツの秋はビールの季節! 三大ビアフェスト

秋といえば、ドイツにビールの季節がやってくる。ビールファンなら誰もが知っているミュンヘンのオクトーバーフェストをはじめ、ほかにも地方色が濃い個性豊かな各地のビール祭りをご紹介!

これぞ、ビール祭りの王様! Oktoberfest オクトーバーフェスト

Oktoberfest
Oktoberfest
Oktoberfest

ドイツビール好きが毎年待ち望んでいるのが、世界最大級のビール祭り「オクトーバーフェスト」。その起源は1810年10月12日、バイエルン皇太子ルートヴィヒとテレーゼ妃の結婚祝いにさかのぼる。当時は競馬や古代オリンピックのような競技会が催され、結婚祝いは大いに盛り上がった。その後、市民たちから毎年開催してほしいとの声が上がり、次第に世界最大のビールの祭典へと成長していった。オクトーバーフェストは、ミュンヘンっ子たちの間で親しみを込めて「Wiesnヴィーズン(野原)」と呼ばれている。およそ42ヘクタール(東京ドーム約9個分)の広大な会場は、テレーザ王妃にちなんで「Theresienwiese(テレージエンヴィーゼ)」と名付けられ、ミュンヘン市内の6つの醸造会社が運営する14の巨大ビールテントをはじめ、小さな屋台やアトラクションが並ぶ。華やかな民族衣装を身にまとった人々も、このお祭りのシンボル的存在だ。

2019年9月21日(土)~10月6日(日)
ミュンヘン(バイエルン州)
https://www.oktoberfest.de

オクトーバーフェストを紐解くキーワード

Reinheitsgebot ビール純粋令
1516年にバイエルン公ヴィルヘルム4世が制定した法令。「ビールは、麦芽・ホップ・水・酵母のみを原料とする」という内容で、ビールの品質を保証するために発布された。ドイツの醸造家は、現在でも純粋令に則った質の高いビールを造り続けている。

「O'zapft is!」樽が開いたぞ!
オクトーバーフェストの初日、開会式ではミュンヘン市長が「O'zapft is!(樽が開いたぞ!)」の掛け声とともに最初のビール樽を開栓。お祭りの始まりが高らかに宣言される。開会式の前に行われる、盛大なパレードも見どころの1つ。

オクトーバーフェストと並ぶ「ビールの祭典」 Cannstatter Volksfest カンシュタッター・フォルクスフェスト

Cannstatter Volksfest
Cannstatter Volksfest

ミュンヘンのオクトーバーフェストのおよそ1週間後から始まるのが、カンシュタッター・フォルクスフェスト。地元の人たちから「Wasenヴァーゼン(芝)」という愛称で呼ばれる会場に、毎年およそ400万人が集う。このお祭りは、1818年、のちに「農民の王」と呼ばれるヴュルテンベルク国王ヴィルヘルム1世によって、長い飢饉を乗り越えた感謝祭として開催されたのが始まり。翌年からも収穫祭として毎年開かれ、市民のためのビール祭りとして発展していった。

2019年9月27日(金)~10月13日(日)
シュトゥットガルト(バーデン=ヴュルテンベルク州)
https://www.cannstatter-volksfest.de/

ビアフェスト最古の歴史を誇る Freimarkt Bremen ブレーメン自由市場

Freimarkt Bremen
Freimarkt Bremen

北ドイツの「オクトーバーフェスト」と呼ばれることもあるが、その起源は1035年で、ビール祭りとしては最古。「フライマルクト(自由市場)」という名前は、当時の神聖ローマ皇帝コンラート2世がブレーメンに市場権を与え、この期間だけ市内・市外の人が関税なしの自由な商売を行っていたことに由来する。そのため郊外の商人や一般客が集まるようになり、商業の場から市民のお祭りへと姿を変えていった。この地方の名物「燻製うなぎ」は、ぜひお試しを!

2019年10月18日(金)~11月3日(日)
ブレーメン(ブレーメン州)
https://www.freimarkt.de

秋の夜長にタイムトラベル? 歴史を体感するお祭り

活気ある市場に商人や農民たちが集まり、騎士たちが通りを練り歩く……そんな歴史的なシーンを垣間見れる、タイムトラベルのような体験ができるお祭りはいかがだろうか。

街がまるごと中世時代に大変身 Freudenberger Mittelalter- und Herbstmarktフロイデンベルク中世秋祭り

フロイデンベルク中世秋祭り
フロイデンベルク中世秋祭り

白い壁に黒い木組みで造られた三角屋根の家屋が立ち並ぶ、フロイデンベルク。毎年開催される中世祭りでは、街の通りに中世商人の店が軒を連ね、騎士や農民の仮装をした人々や、大道芸人のパフォーマンスも楽しめる。フラスコ型の瓶に入った蜂蜜ワインや果実酒はお土産にもおすすめ。夜にはランタンで幻想的に街がライトアップされ、昼とは一味違う雰囲気が味わえる。

2019年10月19日(土)~20日(日)
フロイデンベルク(ノルトライン=ヴェストファーレン州) https://www.freudenberg-wirkt.de

300年続く伝統的パレード Die Tölzer Leonhardifahrtレオンハルト騎士行列

レオンハルト騎士行列
レオンハルト騎士行列

動物の守護聖人である聖人レオンハルトの聖名祝日である11月6日に、1718年から毎年開催され、バイエルンの無形文化遺産(P12)に登録されている。メインの聖レオンハルト礼拝堂への騎馬行列では、聖レオンハルトの聖像を描いた馬車が花で装飾され、伝統衣装を着た人々が華やかに行進。ブラスバンドの演奏や、男性たちの鞭を使った迫力あるパフォーマンスもお見逃しなく!

2019年11月6日(水)
バート・テルツ(バイエルン州)
http://www.toelzer-leonhardifahrt.bayern

芸術の秋を堪能! アートフェスティバル

芸術をゆったりと味わえるイベントが盛りだくさんのこの季節。期間中にさまざまなアートやパフォーマンスを街中で楽しめるのは、アートフェスティバルならではだ。

光のアートに包まれる魅惑の夜 Festival of Lights ベルリン光の祭典

ベルリン光の祭典
ベルリン光の祭典

今年で開催15年目を迎える、ベルリンの秋の風物詩。ランドマークであるブランデンブルク門やテレビ塔をはじめ、50棟以上の新旧の建築物やモニュメントが色鮮やかなプロジェクションマッピングに彩られ、いつもと違った顔を楽しませてくれる。本年のテーマは、ベルリンの壁崩壊30周年にちなみ「自由の光」。ベルリンらしいメッセージ性の強い祭典になりそうだ。

2019年10月11日(金)~20日(日)
ベルリン(ベルリン州)
https://festival-of-lights.de

あらゆる芸術が集結する22日間 Düsseldorf festival!デュッセルドルフ・フェスティバル!

デュッセルドルフ・フェスティバル!
デュッセルドルフ・フェスティバル!

芸術の街・デュッセルドルフで毎年開催される芸術祭。国内外からアーティストが集まり、音楽イベント、演劇、ダンスなどが、街のいたるところで繰り広げられる。今年は、ダンスと現代アートが色濃く表現されたモダンサーカスが見どころ。期間中は旧市街に特設ステージが入った巨大テントが登場し、入り口にはレトロなバーも。ほろ酔い気分で芸術の秋を楽しもう。

開催中~2019年9月30日(月)
デュッセルドルフ(ノルトライン=ヴェストファーレン州)
https://www.duesseldorf-festival.de

食いしん坊はご注目! 実りの秋を楽しむお祭り

どこからともなくやってくる食欲を満たしたい……そんな人におすすめなのは収穫祭。色鮮やかな収穫物を目と舌で存分に味わおう。今回は野菜の種類を限定したユニークなお祭りをピックアップ。

華やかな玉ねぎ飾りはインスタ映え必至 Zwiebelmarkt Weimarワイマール玉ねぎ市

ワイマール玉ねぎ市
ワイマール玉ねぎ市

ワイマールの人口がまだ5000人にも満たなかった1653年に始まった、テューリンゲン州最古のお祭り。ワイマールの住人や周辺地域の人々が玉ねぎや野菜を冬の備えとして買い置きすることを目的に始まり、現在は約30万人が集まる大規模なイベントへと発展した。お祭りのシンボルである2色の玉ねぎや花を編み込んだ飾り(Zwiebelrispen)を売る屋台がとても華やか。食用の玉ねぎも農家から直接購入することができ、この地方の名物である玉ねぎケーキ(Zwiebelkuchen)が販売されるなど、左も右も玉ねぎ尽くし!

2019年10月11日(金)~13日(日)
ワイマール(テューリンゲン州)
https://www.weimar.de/kultur/veranstaltungen/maerkte-und-feste/zwiebelmarkt/

ユニークすぎるかぼちゃのオブジェは必見! Kürbisausstellung Ludwigsburgルートヴィヒスブルクかぼちゃ展示会

ルートヴィヒスブルクかぼちゃ展示会
ルートヴィヒスブルクかぼちゃ展示会

2000年に始まった、世界最大級のかぼちゃのお祭り。2019年のテーマは「Wald(森)」。およそ6万個のかぼちゃを用いて、会場であるルートヴィヒスブルク宮殿の庭園に森や動物たちが表現される。食事メニューももちろん、かぼちゃスープ、かぼちゃとリンゴのシュトゥルーデル、かぼちゃのお酒など、かぼちゃ好きにはたまらないラインナップ。期間中のイベントも豊富で、かぼちゃの大きさを競う「かぼちゃ選手権大会」やかぼちゃ彫刻の実演、キッズ向けのプログラムなどがある。

開催中~2019年11月3日(日)
ルートヴィヒスブルク(バーデン=ヴュルテンベルク州)
http://www.kuerbisausstellung-ludwigsburg.de

ちょっと斜めから見るお祭り文化 地域のお祭りをどう守っていくか?

消えつつある地域文化

ドイツでは秋になると、みんな当たり前のように「ビールの季節が来た」と思い、「そろそろビアフェストが開催される時期だ」と、お祭りによって季節の変わり目を知らされる人もいるかもしれない。その土地と深く結びついているお祭りのことを、誰も「今年も開催されるかな?」と心配しないだろうし、人々はお祭りの存在を「当たり前にあるもの」として日々の生活を送る。その一方で、実は今、世界では地域文化の消滅が加速している。担い手不足や資金難、グローバル化など、地域によってさまざまな問題を抱えているが、その土地固有の文化が消えてしまうことは、この世界の多様性を失うことでもある。

形なき文化を守るユネスコの無形文化遺産

そのような危機感から、地域に根付く文化を保護するために2003年から始められたのが、ユネスコの「無形文化遺産」だ。ドイツの「ケルン大聖堂」や広島の「原爆ドーム」など、後世に伝えるべき自然・文化を登録する「世界遺産」は一般に知られているが、それに対して「無形文化遺産」の保護対象は、お祭りや伝統工芸の技術、言語や伝承など、文字通り「形のない文化」。日本では2013年に「和食」が登録されたことが話題になったが、ドイツではこれまで「協同組合の思想と実践」や「オルガン製作とその音楽」などが無形文化遺産に認定されてきた。

また、ドイツのユネスコ協会が作成する国内のリストには、「ライン川地方のカーニバル」や、本特集でも紹介した「レオンハルト騎士行列」など数多くの地域に根付いたお祭りをはじめ、「ドイツのパン文化」や「陶器の絵付け技術」、比較的歴史の新しいものでは「モダンダンス」などが取り上げられている。さらには、「ビール純粋令」の無形文化遺産への登録を目指そうという活動もある。

「無形文化遺産」の特徴は、それらが現在も生き続けている文化であるということだ。そして「生きている文化」とは、文化を支えるために人々が「コミュニティー」をつくり、その文化を共有し、伝統として引き継いでいくこと。世界遺産のように「卓越した価値のある物(不動産)」ではなく、無形文化遺産では「人の営み」そのものに価値を見出すのだ。このような考え方は、私たちが当たり前に存在すると思っている自分や他者の文化が、実は人々の長い努力や時間によって積み上げられてきた大切な遺産であることに、今一度気づかせてくれるだろう。

グローバルな社会でローカルな体験を

グローバル化が進み、私たちは世界各地のお祭りへ簡単にアクセスできるようになった。資本主義経済が発展し、世界が均一化されていくこの時代にこそ、訪れた土地でローカルな人々が織りなす文化を体験することは、自分や社会をこれまでとは違った視点で眺めるきっかけになるかもしれない。お祭りが開催される場所、お祭りを担う人々、そして文化のあり様に思いを馳せながら、ドイツで開催される秋のお祭りを楽しんでみて。

最終更新 Freitag, 20 September 2019 15:12
 

演出家 筒井潤さん 『釈迦ヶ池 -SHAKAGAIKE – Der Buddha-Teich』

演劇「釈迦ヶ池」 SHAKAGAIKE – Der Buddha-Teich 演出家・筒井潤さんインタビュー

9月25日からデュッセルドルフの劇場FFT(Forum Freies Theater)にて、大阪を拠点とする公演芸術集団dracom(ドラカン)の作品「釈迦ヶ池(Shakagaike) – Der Buddha-Teich」が初演される。1880年の大阪で実際に起きた日独間の外交問題をモチーフにした本作では、登場人物であるドイツ人と日本人の俳優がそれぞれの母語を話し、異なる言語同士によるコミュニケーションを試みる。言語・文化における「分かりあえなさ」、あるいは人間同士の対話の難しさは、異文化の中に暮らしたことがある人のみならず、誰しも経験があるかもしれない。演出家でありdracomのリーダーである筒井潤さんに、本作についてお話を伺った。(Text:編集部)

演劇「釈迦ヶ池」

筒井潤 Jun Tsutsui

筒井潤
Jun Tsutsui
演出家、劇作家。大阪を拠点とする公演芸術集団dracom(ドラカン)のリーダー。最近ではdracomとしてNippon Performance Night 2017(デュッセルドルフ)等に参加するほか、個人での演劇、ダンス、アートツーリズム作品等の演出多数。様式やジャンルを問わない活動を行っている。 www.dracom-pag.org

筒井潤さんとFFTによる本公演のプロジェクトは、すでに2年以上前から始まっている。2016年、筒井さんが大阪で上演した作品にFFTのキュレーターが来場していたことが最初の出会い。翌年には、筒井さん主宰の公演芸術集団 dracomが、毎年FFTで開催されているNippon Performance Night 2017に参加した。2018年、筒井さんは作品のリサーチのためにおよそ1カ月間デュッセルドルフに滞在し、そして今回の公演を迎える。

謝る日本人、謝らないドイツ人

2017年にFFTで公演をした時点から、「謝罪」という行為について何となく考えていました。日本人は、ちょっとしたことですぐに謝る、なんなら何もしてないのに謝る、なんてよく言われますよね。それに対して、ドイツ人はなかなか謝らない、という印象がありました。ふとそう思ってネットなどで調べてみたら、同じような意見も多くて。「すぐ謝る日本人と、なかなか謝らないドイツ人」、この違いはどこから生まれてくるんだろう、と。そのことが気になって、「謝罪」をテーマに作品をつくろうと思ったんです。

Nippon Performance Night 2017Nippon Performance Night 2017 ポストパフォーマンストークの様子、FFTにて

作品のタイトル「釈迦ヶ池」とは、大阪府吹田市に実在する池の名前。この池では、1880年に「釈迦ヶ池遊猟事件」が起きた。当時、ドイツから来日していたプロイセン王国の17歳の皇族ハインリヒが、「禁猟制札の場所」である釈迦ヶ池にてお忍びで鴨猟をし、それを発見した村人が彼を皇族と知らずに殴打。最終的には、ドイツと日本の間の国際問題にまで発展してしまった。この事件は、当時の日本とプロイセンとの国力の差を政府が考慮したこともあって、日本側からの一方的な謝罪という形で収められた。

この「謝罪」というテーマを足掛かりに、翌年ドイツでリサーチ滞在をしたのですが、思い返せばその期間、ドイツ語の勉強ばかりしていました(笑)。平日は語学学校に毎日通って、基礎のクラスを受講していたのですが、そんな生活を送るなかで「謝らないドイツ人」を実際に体感する場面もあって。その時すでに、釈迦ヶ池の事件についての情報を得ていたので、それについてFFTのスタッフに話してみたら、これは面白いテーマだ、となりました。

インターネット時代の
「他者とのコミュニケーション」

ハインリヒと村人、事件当時の2人のコミュニケーションは、ドイツ語と日本語という異なる言語によって分断されてしまっていた。しかし、彼らの間に起きていたコミュニケーションの齟齬は、単に「言語」だけが理由ではない、と筒井さんは考えている。

コミュニケーション能力においては、「自分がどういう空間で声を発しているか」をどれだけ意識できるか、が重要だと思っています。言い換えるならば、「公共」というイメージをどこに設定しているのか、ということです。個人の言動や行動は、自分とその周囲の小さな世界だけにとどまっているものではなく、必ず公共性をはらんでいる。本人が意図しようとしまいと、社会に対して何かしらの影響力を持ってしまうものなのです。釈迦ヶ池の事件で言えば、ハインリヒも村人も、それぞれの行為がどれだけのことを意味するのか、事件そのものが後々どういう広がりを持つかをお互いに想像できていなかったのでしょう。

釈迦ヶ池釈迦ヶ池は、吹田市内では最大にして最古のため池。最近では、周辺に桜の植樹が行われるなど、市民の憩いの場でもある

釈迦ヶ池の事件が起きたのは1880年だが、現代を生きる私たちにとっても「コミュニケーションの齟齬」は大きな課題である。近年、インターネットや翻訳機能の発達により、世界中の言語や文化へのアクセスが容易になる一方で、人間同士のコミュニケーションはより複雑化しているようにも思われる。

現代では、インターネット、特にツイッターなどのSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を通して、考え方の分断がどんどん広がっているように感じます。SNSは気軽なツールであるが故に、ちょっとした感情の揺れやブレを、冷静さを失った状態でもパッと言葉にして投げられてしまう。自分の声がどこまで広がって、どういう影響力を持つかを予測せぬまま発信してしまうために、ディスコミュニケーションが生まれます。「公共」をどこまで想像できているか、ということが個人レベルですごく問われる時代ですね。

「字幕」は何を伝えるか?

「釈迦ヶ池」の登場人物は、ドイツ人と日本人、それぞれ1人ずつ。ドイツ語と日本語、異なる母国語を持つ2人の俳優は、それぞれの言語を使ってコミュニケーションを図る。そのため舞台に映し出される「字幕」は、観客にとってだけでなく、俳優にとっても重要な役割を果たす。

一般的に字幕には、言語の分からない人に内容を理解してもらう、表現を伝えるという機能がありますよね。今回はそれと絡めて、「俳優にとって字幕とはなんなのか」という問いも、作品の中に織り込んでいます。字幕があれば相手のことを理解できた気になるけど、本当に分かっているのか、実際のところ定かではない。そういう「相互理解ができているかのような状態」について、「字幕」という存在を通して考えられればと思います。

「すべての翻訳は誤訳である」とも言われるように、翻訳によって100%正確なニュアンスまで伝えることはほぼ不可能に等しい。「釈迦ヶ池」の観客たちもまた、その人がどの言語や文化をバックグラウンドに持っているかによって、作品に対してさまざまな感想を持つことになるだろう。

ドイツ語と日本語、両方とも流暢に会話できる人にとっては、あまり混乱は起きないかもしれませんが(笑)。釈迦ヶ池の事件は、そもそもは言葉が通じなかったことから起きたので、どちらかの言語しか分からない人には、事件当事者の2人が感じたであろう、意思疎通できないことのもどかしさを体感してもらえるといいなと思っています。字幕はあるけれど、劇場での体験ができるだけ実際の事件時と近いものになるように、創作においていろいろ試行錯誤しています。

鎌田菜都実さん(左)とナジャ・デュスターベルクさん(右)俳優の鎌田菜都実さん(左)とナジャ・デュスターベルクさん(右)が、村人とハインリヒをそれぞれ演じる

「分からない」ことへの戸惑いを楽しむ

「釈迦ヶ池」はFFTでの初演後、12月に日本の京都芸術センター*1で上演が予定されている。デュッセルドルフと京都、それぞれの場所で作品に対する異なった反応が得られそうだ。

*1 京都芸術センターでの公演は、2019年12月6日(金)〜8日(日)www.kac.or.jp

字幕は基本的に、日本人のセリフにドイツ語、ドイツ人のセリフに日本語、というふうについているのですが、途中で「そうじゃない時間」をわざとつくる予定です。ネタバレになってしまうので、何が「そうじゃない」か、ということは秘密にしておきますが……。とにかく、どちらかの言語しか分からない人にとっては、とても戸惑う時間を劇中に設定しています。なので、デュッセルドルフ公演と京都公演とで、お客さんのリアクションは変わってくるだろうな、と。一方で、作品に対する理解度は、できるだけ変わらないようにしたい。ここで言う「理解度」とは、「分かりやすい」という意味ではなくて、「分かりにくさ」の程度も同じくらいにならないだろうか、ということです。

「分からない」という感覚を、常に大事にしている筒井さん。それは観客にとってだけでなく、自分自身の創作の上でも、とても重要なことだと語る。

作品をつくっていると時々、自分で何をやっているのかよく分からなくなる瞬間があります。それがこの仕事をやっていて面白いところですね。演出家という立場は、もちろん上演においての責任者ですが、一方で、自分の手に及ばないことも想定しながらつくる。そうすると、途中で「演出家」という自分の存在が危うくなることがあるんですよ。

例えば、ドキュメンタリー演劇の演出をするときや、演者のアドリブシーンがある作品などの制作中に、スタッフとの会話の中で「この後のシーンは具体的にどうなりますか」や「こうするとお客さんはどう反応すると思いますか」などと聞かれることがありますが、たまに本当に「分からない」としか言いようがないことがあったりして。そういう時は「分かりません」って答え切っちゃう(笑)。結果的にすべてをコントロールしようとしないことで、作品が思いもよらない形に育ってくれたりするんです。

私たちの世界では一見、「分かる」ということを中心にコミュニケーションが進められている。「分かる」とは、出来事の原因や理由をすでに自分が知っている価値観や常識と結びつけて理解することでもあり、その思考の枠の中にいることで、私たちの安全と平穏は保たれるかもしれない。

対照的に、芸術が行われる空間・時間では「分からない」ことが表現として私たちに向かってくる。筒井さんも話すように、表現をする人、受け取る人にかかわらず、たとえ作品のすべてを頭で理解したつもりでいても、自分自身の身体がそれを裏切ることがあるのだ。そしてこの感覚は、私たちを楽しませ、悩ませ、さまざまに思考するきっかけを与えてくれるだろう。

FFTでの公演は9月25日(水)から。戸惑いの時間を味わいに、ぜひ劇場に足を運んでみてほしい。

公演情報

Nippon Performance Nights vol.7 招聘作品
『釈迦ヶ池(Shakagaike)- Der Buddha-Teich』
筒井潤 / dracom / FFT

日時:9月25日(水)、27日(金)、28日(土)20:00開演
会場:FFT Juta, Kasernenstraße 6, 40213 Düsseldorf

https://fft-duesseldorf.de/stueck/shakagaike-der-buddha-teich-3/
最終更新 Freitag, 06 September 2019 20:56
 

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