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特集


正月なのに:暗いドイツから、暗い日本へ - 神尾 達之

©Maki Shimizu

正月なのに:暗いドイツから、暗い日本へ

作曲家シューベルトの『冬の旅』に収められた「三つの太陽」は、「Im Dunkeln wird mir wohlersein.(暗闇のほうが気分もいいだろう)」で結ばれている。ひょっとすると、ここにはドイツ人の美意識が端的に表れているのではないかと思ったのが、初めてドイツで冬を過ごした時のことだった。ドイツの冬は本当に暗いから、暗さそのものを逆転の発想で快感の原理にしなければならないという倒錯が起こるのかもしれないと考えたのだ。ドイツに留学したのは1980年代半ばのことだったが、教室や図書館が暗いのに驚いた。アジアから来た留学生の中には、ドイツに来てから視力が落ちたと嘆く人もいた。帰国後、私も眼鏡の度数が上がった。レストランや居酒屋だけでなく、自宅に招待された時でも、室内の照明はおおむねロウソクによるものだった。だが、その暗さは決して不快なものではなく、むしろお互いの距離が縮まる心地良い雰囲気を醸し出してくれた。これこそドイツ語で言う“gemütlich”な空間だと実感した。その暗さの中では、人と人は外見によってではなく、声によってつながる。言葉によってつながる。昼間のゼミで、すべてを正確に言葉にすることが求められたのと同じように、晩の憩いの時間にも言葉が人と人とをつないだ。『魔笛』のパパゲーノは黙っていることを罰として命じられたが、沈黙が罰であるのはこの暗い空間の中では当然なのかもしれない。いずれにしても、ロウソクの明かりを挟んで向き合う空間の暗さは、日本人の私にとっても心が落ち着くものだった。

2011年は、日本でも照明が暗くなった。3月11日以降、節電が必要になり、私の研究室の前の廊下も暗くなった。蛍光灯が1つおきに点灯されるようになったからだ。場所によっては町全体が計画停電で暗くなったところもあった。この暗さは、東日本大震災がもたらした日本の未来の危うさを象徴していた。閉店法(Ladenschlussgesetz)がない日本では、それまで幸いにして(?)四六時中、コンビニエンスストアだけでなく、いたるところで人工的な明るさを維持することが可能だった。それが「3.11」以降、不可能になった。電力消費量が上昇する冬には、日本は再び暗さを受け入れなければならない。

©Maki Shimizu

 

新年早々、暗い話になったことをお許しいただきたい。だが、本稿を執筆中の2011年11月現在、2012年に向けた年賀状には、例年のようにほぼ自動的に「明けましておめでとうございます」と書く気持ちになれない。確かに、新しい年が始まることそのものを無邪気に喜ぶことは悪くない習慣だ。去る年をいわば「ちゃらにする」ことで、新年は心機一転、新たな気持ちで出直そうという心意気そのものは、決して責められるべきものではない。そのようなオプティミズムこそが、未来に向かう原動力になることは否定できない。しかしながら、「明けましておめでとうございます」は、字義通りに理解すれば、去る年の記憶を洗い流すことを前提にしているように思われる。

ドイツ語では、新年の挨拶は「Ich wünscheIhnen ein glückliches neues Jahr!(幸せな新年をお祈りいたします)」だろう。ここでは、去年がようやく終わり、新しい年になったというニュアンスは強くない。ドイツでは過去を忘却することは、最も戒められるべき姿勢の1つである。「ちゃらにする」ことはできないのだ。直近の例を挙げよう。シュピーゲル誌の2010年第37号には、日本を代表するアニメーション作家の宮崎駿監督を紹介する記事が掲載されていた。その時点での宮崎監督の最新作は『崖の上のポニョ』だった。その記事の中で彼は、この作品において「大きな波」というモチーフがポジティブな意味を持っていると語っている。同誌の2011年第12号の表紙には、“FUKUSHIMA”というアルファベットの背後に、福島第1原子力発電所の忌まわしい姿が浮かび上がっているが、この号でも前年の宮崎監督の「大きな波」についての発言が再び引用されている。そこには主張の一貫性を求めるような強い調子はないし、宮崎監督の発言が批判されているわけでもない。しかし、私はこの記事を読んで、ドイツ人にとって忘却がいかに困難であるかをひしひしと感じた。過去を忘れることはできないのだ。だから、年が替わっても明けない。これがドイツ人の、少なくとも第2次世界大戦後の時間感覚なのかもしれない。

1995年の阪神・淡路大震災を経験したノンフィクションライターの松本創氏は、目下、東日本大震災の被災地を取材している。『G2』vol.8に掲載された記事によれば、かつての大震災で彼が感じた「最大の敵」である「風化」が、東日本大震災に関しては、すでに始まっているという。

このところ、私の研究室の前の廊下では蛍光灯の明かりが再びこうこうと照らされるようになった。明るさは忘却の証なのかもしれない。しかし21世紀の日本は、忘却が許されない暗い国ドイツから、明るさと暗さについて、そして忘却と記憶について、多くのことを学ばなければならないだろう。それは、必ずしもドイツを模範とすべきということではない。しかしながら、日本が「忘れない暗い国ドイツ」から持続可能な明るさの条件を学び取った時にこそ、後ろめたさを感じずに「明けましておめでとうございます」と書くことができるはずだ。そう言えば、2011年、なでしこジャパンはドイツから日本に、希望の光をおみやげに持って帰ってきてくれたではないか。2012年にはブンデスリーガで活躍する香川選手や長谷部選手らが、新たな光をドイツから日本に運んでくれることを期待しつつ、新年を迎えることにしたい。

神尾 達之(かみお たつゆき) 早稲田大学教育・総合科学学術院教授。専門は身体表象論と文化学。著書に『ヴェール/ファロス 真理への欲望をめぐる物語』(ブリュッケ、2005)『纏う 表層の戯れの彼方に』(水声社、2007;共著)『Schriftlichkeit und Bildlichkeit』(Wilhelm Fink、2007;共著)など。

最終更新 Freitag, 06 Januar 2012 14:31
 

永里優季インタビュー

永里優季インタビューYuki Nagasato

「インタビューの前に少し筋トレをしたいのですが」。チーム練習の後、初めてお会いした永里優季選手は、そう言って奥から大きな鉄アレイを取り出して来た。ほかのチームメートが帰った後も、広いグランドの脇で1人黙々と肉体強化に励む姿がとても印象的だ。やがて、晴れやかな表情で現れた彼女。2010年1月より女子ブンデスリーガ1部の強豪トゥルビネ・ポツダム(1. FFC Turbine Potsdam)でプレーし、11年に女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で優勝を果たした「なでしこジャパン」のメンバーでもある永里選手に、ドイツでの生活からサッカー観まで、たっぷり話を伺った。 (インタビュー・構成:中村真人)

ながさと ゆうき
ながさとゆうき1987年7月15日生まれ。神奈川県の厚木東高校出身。2000年、13歳で日テレ・メニーナに入団。 2004年には日本女子代表に初選出。16歳で日テレ・ベレーザに昇格。 2011年9月までに75試合に出場、32得点を挙げている。2010年、ドイツのトゥルビネ・ポツダムに移籍。ここで、日本人として初の欧州CL優勝を果たした。2011年W杯ドイツ大会では全試合出場、1得点を挙げ、日本の優勝に貢献した。
トゥルビネ・ポツダム: www.ffc-turbine.de

トゥルビネ・ポツダムと女子ブンデスリーガ

「感覚でプレーしないとフットボールが成り立たない」

2010年からドイツでプレーされていますが、どんな思いがあってドイツに来ることになったのですか?

中学生の頃から海外でプレーしたいという思いを持っていました。サッカーが文化として根付いているヨーロッパ、その中でも一番レベルが高いのがドイツで、そこで自分を成長させたいと思ったんです。

トゥルビネ・ポツダムを選んだ理由は?

もう1つ別のチームからもオファーはあったのですが、単純にポツダムのレベルの方が高かったので、こちらを選びました。

永里優季選手先ほどトレーニングを見学させていただいて、素晴らしい環境の中でプレーされているなと感じました。チームの下部組織の10代の女の子たちも同じフィールド内で練習していましたね。サッカーを取り巻く環境は、日本とは大分違いますか?

ドイツに来る前、日本で所属していた日テレ・ベレーザの環境がとても良かったので、正直そこまで大きな違いは感じなかったというか……。環境によってそれぞれの良さを見出せばいいので、(日本とドイツを)比較して見てはいないですね。ただ、ドイツでは1つの文化として女子サッカーが根付いていることは間違いありません。サッカー人口にしても、確か日本は2万5000人、ドイツは20万人だったかな?そのくらいの大きな違いがあります。

では、日本とドイツのプレースタイルの違いはどうでしょうか。求められるものに違いはありましたか?

ありました。最近感じるのは、ドイツのサッカーはシンプルで、前(の方向)に速いサッカー。日本にいた時は、ボールを持ってから多少考える時間があって、スペースにも余裕を持った状態でプレーできてしまう。ドイツでは、そこで考え たりするとチームのリズムが狂ってしまいます。判断、パス、ランニングなど、すべてにおいてスピードが求められるし、動きながらプレーしなければならない。感覚でプレーしないとフットボールが成り立たないんです。

選手同士の意思疎通も感覚によるものが大きい?

試合中も、その場その場で感じたままにプレーをしています。言葉よりもピッチ上で感覚的に分かる部分が大きいですね。むしろ、言葉を使わないでコンビネーションが取れてこそ、フットボールだと私は思っています。

この2年の中で成長したと感じる点は?やはりプレーのスピードでしょうか?

その部分は大きいですし、プレーがシンプルなだけに、得点を奪う感覚がより引き出された気がします。もともと持っていたものがより洗練され、自分の意図した形で、意識して点を取れるようになりました。だから、ゴールが生まれた理由は全部説明が付けられます。

女子チャンピオンズリーグの対グラスゴー(英国)戦をスタジアムで観戦したのですが、そこでも2得点を決めましたね。

チームメートのFW(6番のアノンマ選手)が純粋な点取り屋タイプなので、彼女のコンディションによって自分の役割も変えざるを得ない。得点も狙いたいけれど、その役割だけに徹してしまうとほかが成り立たないので、バランスを取りながら、守備に回る場合もあります。「チームメートに点を 取らせる一方で、自分もいかにして点を取れるか」が、今の自分のテーマ。そして、流れを生み出すプレーをしたい。例えば、縦パスを一本受けたり、サイドで起点になったり。そういったプレーがあると、周りの選手も流れに乗って、チームの状況が変わってきますから。

ポツダムでの生活

「勉強するのは好き」

永里選手のブログをよく拝見していますが、内容が哲学的であったり、詩のようであったり、ほかのスポーツ選手とは少し違うなと感じました。

自分で「考える」ことがもともと好きなんです。ただ、本はほとんど読みません。自分の経験したこと、感じていることをそのまま言葉にしているだけですね。ブログとツイッター、あと自分のノートを組み合わせて思考の整理をしています。

移籍してから間もなく2年が経ちます。ポツダムでの生活は満喫されていますか?

日本よりもこちらのほうが住みやすいです。サッカーの環境も抜群だし、ポツダムはとても静かで、街の人もやさしい。サッカーに集中できる環境ですね。住まいもトレーニング場から歩ける距離にありますし。

オフの日はどう過ごされていますか?

試合の前日がオフなのですが、過ごし方は大体いつも同じで、午前は家、午後はブランデンブルク通りにあるお気に入りのカフェに行きます。

サッカーは、お兄さんの影響で始められたとか?

実を言うと、小学校1年生の時、父に説得されていやいや始めました。兄(永里源気)はFC東京、妹(永里亜紗乃)も日テレ・ベレーザに所属するサッカー選手です。

ドイツ語の勉強はどのようにされていますか?語学学校などに通われたのですか?

はい、ドイツ語の学校には週3回、今でも通っていて、毎回4時間の授業を受けています。私の場合、例えばピッチの上で話されていることが分かればいいと思っていて、言葉を理解するためにドイツ語を勉強している感じですね。あとは日常生活で困らないために。基本的に勉強するのは好きなので、語学の勉強も苦ではないんです。ピッチ上で話されるドイツ語は、ほぼ理解できます。

語学のセンスに優れているのでしょうね。

うーん、どうでしょう。耳がいいのかな。4歳からピアノを11年間ぐらいやっていたので、それが生きているのかもしれません。サッカーよりピアノを先に始めたんです。

ワールドカップ優勝

永里優季の2011年とサッカー観

「1つ信念を持って挑んだ」

昨年、トゥルビネ・ポツダムが女子ブンデスリーガで優勝を決めたのは、東日本大震災の直後だったと聞いています。

優勝を決める試合が行われたのが、震災の2日後だったんです。日本代表のポルトガル遠征から帰って来た次の日でした。

あの試合には、特別な思いがあったのでは?

そうならざるを得ない状況だったし、試合前にスタジアムの全員が黙とうをしてくれて、感慨深かったです。自分のチームと日本のためにプレーをしようと思いました。表彰式の時に、ヴルフ大統領に励ましの言葉をかけていただいたことも印象に残っています。

なでしこジャパンのW杯優勝は、日本の国民に大きな力を与えるものでした。振り返ってみて、個人的にはどのような大会でしたか?

チームとしての目標とは別に、自分の目標を持って挑んだ部分があって、大会を通して(目標に向かって)やり抜くことができた。それによって、新たな目標を見付けられたのが一番大きかったです。自分の中で1つ信念を持って挑み抜けたことがW杯での収穫です。

自分の目標だったものとは?

ドイツのサッカーを経験して、自分のサッカー観がガラっと変わりました。「フットボールとは何か」について、考えるようになったんです。正直、ここでプレーしている自分のすべてを日本のサッカーで出すことはできない。サッカーの考え方、戦術、システム、チームメートのプレーが、みんな違うからです。でも、日本のサッカーに合わせて個を消すのではなく、ドイツで見付けた自分の力を日本のサッカーで表現し続けたい、というチャレンジでした。結果的に、現段階でそれは難しいということが分かりました。それをやり続けたことによって、ドイツ戦(準々決勝)の前半で交替させられ、最後の2試合はベンチスタートになってしまった。でも、そこには自分として貫いた部分があったので、後悔はしていません。

自分が出したいものとチームの求めるものとの間で、せめぎ合いがあったのですね。

守備に回る時間の方が長くなり、結果、攻撃の部分で力を発揮できなかったのは確かです。日本のサッカーでは、FWに求めるのもまずは守備。もちろん、守備をしなければならないのは当然ですが、その方法が違います。日本では、数的優位を作ってボールを奪いにいく。ポツダムの守備は1対1を重視し、相手をどれだけ上回れるかということの連続。それだけ攻撃に掛けられる割合も多くなります。むしろ「下がってくるな!」と言われるほど。つまり、1人ひとりの責任が明確なのです。

永里選手が目指す理想のサッカーとは?

私は、自分でやっていても、見ていても楽しいサッカー、観客を「フットボール」として魅了できるサッカーをしたいと思っています。サッカー選手は表現者だから、フットボールの本当の魅力を表現すべき。守備的なサッカーには魅力を感じません。攻撃的でアグレッシブなサッカーが人を惹き付けるし、やっていても面白い。

新年に向けて

「継続して積み重ねていくこと」

2012年はロンドン五輪の年。多くの日本人がW杯の再来を期待していると思います。

トゥルビネ・ポツダム

出場国も全部決まっていない段階ですし、五輪のことはまだほとんど考えていません。もちろん、やるからには優勝を目指しますよ。チームのタイトルは後から付いてくるので、自分の目指すものがチームの目標につながっていけばいいですね。

永里選手の今年の抱負をお聞かせください。

リーグ戦は年をまたぐものなので、年が変わっても、大事なのはいつでも「継続して積み重ねていくこと」です。先ほどお話ししたように、今の私の課題は「中盤をサポートする時間帯が増える中でも、自分が得点を奪う時間を見付ける」ということですが、シーズンを通して目標、課題は変わっていきます。ピッチ内で起きている現象に対して、その時々で課題を見付けて取り組む。目標は1つではないし、いくつかの目標を同時進行していくものです。あとは単純にゴールを積み重ねることですね。今季は30ゴールが目標。それを目指す過程でいろんな感覚、経験を手にしていければいいなと思います。そして、確信できることを増やしたい。自分のゴール、ピッチで起きている現象をすべて言葉で説明できるようになりたいです。

感覚でサッカーをするという話が先ほど出ましたが、一方で「言葉にする」ことにも強い熱意を持っているのですね。

そうですね。自分が経験したことを言葉にできないと、社会に対して還元していくことはできませんから。

インタビュー中、20代前半の女性アスリートと話しているとはとても思えないと感じる瞬間が多々あった。とにかく徹底的に考える人だ。自分が感じたこと、考えたことだけを正直に話そうとする。そのまっすぐさ、潔さには感銘さえ受けた。最後に読者向けの新春のメッセージをお願いしようとしたが、ありきたりの言葉は彼女の口から出てきそうになかったし、すでに大事なメッセージは発せられていたのかもしれない。「年が変わっても、その時々で課題を見付けて、継続して積み重ねていくこと」。1人で黙々と筋トレをしている様子が脳裏に浮かぶ。永里選手の2012年の進化が楽しみだ。

最終更新 Dienstag, 06 August 2019 16:39
 

ロンドン五輪 近代五種競技代表候補 レナ・シェーネボル選手インタビュー

ロンドン五輪代表候補にインタビュー

レナ・シェーネボル近代五種競技・ドイツ代表候補  レナ・シェーネボルン

Lena Schöneborn
1986年4月11日生まれ、ノルトライン=ヴェストファーレン州トロイスドルフ出身。幼少時から体操、陸上、テニス、水泳など様々なスポーツに挑戦し、14歳のときに近代五種競技 を始める。2008年北京五輪で優勝を果たし、同年、各界の活躍者に贈られるゴルデネ・ヘネ賞の「出世者賞」を受賞。10年欧州選手権2位、11年欧州選手権優勝。現在、世界ランキング1位。所属クラブはSSFボン05。ベルリン経済・法科大学でインターナショナル・マーケティング・マネージメントの修士課程に在籍中。好物はコーヒー。北京五輪前2週間はコーヒーを絶ち、競技当日の朝に飲んで 気合いを入れたというエピソードも。 www.lena-schoeneborn.com

「近代五種競技」というのは、文字通り5種目をこなすスポーツです。競技を始めたとき、「これはちょっと負荷が大きいかも」というような思いはありませんでしたか。

それは考えなかったですね。むしろ、「こんなに多くの種目を一度にできるなんてクール!」という思いでした。私は10歳の頃から地元のスポーツ・クラブで水泳を習っていたのですが、そのときのコーチが近代五種のトレーナーでもあったのです。そこで「ちょっと試してみるか」という話になり、ランニングや射撃、フェンシングと徐々に競技の幅を広げていきました。どれもすごく楽しくて。水泳を重点的に続けてはいたものの、1つの競技を徹底してやるという才能は自分にはないのかもしれないと思い始めていた時期だったので、近代五種をやろうと決意しました。

5種目の中で得意、不得意はありますか。

得意な種目はフェンシングです。習い始めた当初から左手を使い、しかも多くの選手のように柄の部分がピストル状になったベルギアンやヴィスコンチなどではなく、棒状のフレンチ剣を使用していますが、これだと剣 の後方を持ち、相手より素早く突くことができるのです。逆に言えば、グリップの安定感に欠け、ディフェンス面では劣るという弱点はあるのですが。いずれにせよ、この方法で相手より先に得点する技を学んできました。

不得意な種目は特にありません。5種目すべてにおいてバランスが取れているということが、私の長所だと思っています。得意なフェンシングを除き、ほかの種目では首位に立ったこともなければ、下位についたこともありません。

競技馬の抽選後に味わう
むずがゆいような緊張感が好きです

乗馬では、競技馬は大会当日に割り当てられるそうですね。

そう。どんな馬に当たるか分からないからこそ、抽選から実際に馬の背中にまたがるまでの間に味わう、むずがゆいような緊張感が好きです。そして、乗った瞬間に静かなタイプか、それともあまり落ち着きのないタイプかなど、馬の特徴を見極めなければいけないのですが、障害を越える過程で馬の性格が変わることがあります。また、すべての馬が一様に私の命令に従ってくれるわけでもなく、馬との意思疎通が図れないこともあるので、馬のスタイルを瞬時に把握し、適応することが重要になってきます。

2009年に射撃とランニングが複合形式となり、10年には射撃がエアピストルからレーザーへ変更されるなど、ルール改定が盛んな競技ですが、そうした動きに順応するのは大変ですか。

射撃とランニングが複合形式で行われることが決まったときは、「なんて意地悪な……」と思いました。やっと競技への取り組み方を見付けたと思っていたところだったので。あっという間に新ルールが導入され、気持ちも技術も追い付かず、ここで競技生活を辞めようかとも考えました。でも、やはりこのスポーツが大好きだし、それまでに多くの時間と労力を費やしてきた競技なので、気持ちを切り替え、「新たな挑戦」と捉えることにしました。そんな折に、今度は射撃の様式変更。それを聞かされたのが、昨年のワールドカップ開催の3週間前ですよ! 大会前は通常、熟知したルールをいかに上手く利用し、記録を出すかを考えながら練習するので、そのときはかなり不満を覚えましたね。私の場合、それまでランニングを終えて射撃の姿勢に入るまでに2回深呼吸する時間があったのですが、エアからレーザーになったことでその時間が持てなくなり、呼吸困難になるかと思いました。そのくらい大きな違いです。

今ようやくオフシーズンに入り、練習に集中できる時期なので、新方式に慣れるために色々試しています。

2008年、五輪初出場にして見事金メダルを獲得されました。

北京五輪で金メダル
2008年8月、北京五輪の競技後、表彰台にて。左は2位のヘザー・フェル(英国)、右は3位のヴィクトリア・テレシュク(ウクライナ)

北京五輪には、出場することに意義があると思って参加しました。特に印象的だったのが開幕式。ドイツ選手団が、大観衆が迎えるスタジアムへと行進していく中、気分が高揚して、とにかく感激しました。そんなに大きなイベントとは想像していなかったものですから。その感動が大き過ぎて、自分の競技自体はあまり重要ではないと思ったくらい(笑)。でも、最終種目のランニングを1位でスタートしたとき、「これはいける」と思いました。それまでトップでスタートした経験がなかったので。優勝を実感したのは、結果が出て表彰台に立ち、ドイツ国歌を聴き、家族や友人、大勢の報道陣に囲まれたときです。あんなに注目されたのは、スポーツ人生の中で初めてでした。

ロンドン五輪でも、目指すのはやはり「金」ですか。

「優勝したい」と、簡単には言えません。トレーニングで積み重ねてきたことを、最大限発揮するのみです。すべての種目で自己ベストを出して4位になったとしても、悔いはないと思います。経験上、全種目でベストを尽くせば、自ずとそれなりの結果が付いてくることは分かっています。

周囲からのプレッシャーも感じますが、それにとらわれ過ぎないようにしています。「結果を出さなきゃ」などと考えていると、国の代表として出場する栄誉も、重荷になってしまいますから。個々の種目に集中さえできれば、失敗することはないと信じています。

最小のエネルギーで
最大の効果を出すための計算は、一種の芸術

普段、どんなトレーニングをしていますか。

基礎体力を付けるため、ジョギングを週6回、水泳を週5回行っています。あとは、五輪に向け、現在は乗馬と射撃に注力しています。2月には、米コロラド・スプリングスで集中合宿を行う予定です。

何が最適な技術なのかを自分で把握しているので、トレーニングはその技術を身に付け、理想の状態に近付くための手段と捉えています。どこで何を改善できるのか、何が可能なのか、どんな練習が有益なのかを突き詰めるのです。例えば、水泳の記録を1秒縮めるために今より4時間長く泳ぐこともできますが、本当にそこに意味があるのかを考えます。だったら、その時間を射撃の練習に費やした方がより効果的なのではないかと。どの種目において最小のエネルギーで最大の効果を出せるか、そこを上手く計算する。それは一種の芸術のようなものです。

近代五種の知名度は高いとは言えず、競技人口も多くありません。この状況が変わる余地はあると思いますか。

世界選手権・射撃
2009年8月、ロンドンで行われた世界選手権、射撃に挑む瞬間。同大会では3位に輝いた

近代五種の競技人口がほかのスポーツに比べて少ないのは事実です。原因の1つは、膨大な時間とコストが掛かるという点にあると思います。ドイツ代表に選ばれて初めて、用具やトレーニング、大会遠征費が支給されるという状況です。また、各種目を週1回練習したとしても、それだけで5日掛かってしまうので、特にやりたいことがたくさんある若い世代には不人気なのかもしれません。私は両親の理解と支援のおかげで続けてこられましたが、「そこまでこのスポーツに肩入れできるか?」と考えるのは無理のないことだと思います。

ただ、私が北京五輪で優勝した後、ドイツでは近代五種をやりたいと地元のクラブに申し出る小さな子どもたちが増えたようです。特に女の子が多かったとか。この人気を維持し、後継者を育てるためには、五輪種目であり続けることが大事だと思います。五輪種目であるか否かは、そのスポーツの人気を左右しますから。そして、学業と両立できる支援体制が整えば、近代五種の未来はきっと明るいでしょう。

現在、大学の修士課程でマーケティングを専攻されています。将来の目標は。

「スポーツをやっていたら、いつけがをするか分からない。そうなったとき、ほかに選択肢がなかったら?」。両親が常に私にそう言い、勉強するよう鼓舞してくれました。だから、大学進学は当然の成り行きだったのです。マーケティングを専攻したのは、単に興味があったから。英語を使って何か国際的な学問を学びたいと考えて決めました。今の大学は、自分のトレーニング・プランに合わせて授業や試験のスケジュールを立てられるのがメリットです。

将来のことは……これまでオリンピック開催周期に合わせて計画を立ててきたので、今のところはロンドン五輪以降のことは考えていません。でも、もし将来、近代五種がテレビ中継されるようになったら、私はキャスターとして解説しているかもしれませんね(笑)。

競技解説
5種目/馬術フェンシング、水泳、馬術、バイアスロン形式の射撃とランニングを合わせた計5種目の複合競技。フェンシングは1分1本勝負の総当たり戦。水泳は200メートル自由形。馬術では15の障害を越え、ランニング & 射撃は、馬術の時点で最も記録が良かった選手からスタートするハンディキャップ制。19世紀、ナポレオン統治時代のフランスで、急使が馬を操り敵陣に乗り込んだものの、敵軍に突き落とされて剣とピストルで戦うことを余儀なくされ、川を泳いで渡り、最後は走って自陣にたどり着いたという故事が競技の由縁とされる。


最終更新 Dienstag, 06 August 2019 16:43
 

英国各地のクリスマス・マーケット

英国各地のクリスマス・マーケット
クリスマス・マーケット地図寒く、暗く、どんよりした日々が続くのは、
ドイツのみならず英国の冬も同じこと。
フランクフルトから飛行機でたったの1時間半で
アクセスできるロンドンほか、英国各都市では、
本場ドイツに追い付け追い越せと、ロマンティックな
クリスマスマーケットが次々にオープン。
今回は、英国ニュースダイジェストがオススメする
クリスマスマーケット厳選10カ所をご紹介。

エディンバラ 本場のクリスマスの味わい
Traditional German Christmas Market

エディンバラクリスマスマーケットの本場であるドイツ西部フランクフルトに拠点を置く業者たちが開く市。「英国では滅多にお目にかかれないボリュームたっぷりのソーセージに、ドイツ産ビールやグリューワインを合わせるというのが風流な楽しみ」と言う。

12月24日(土)まで
10:00-20:00(木〜土は -22:00)
Mound Precinct, Edinburgh
www.edinburghschristmas.com
ロンドンから電車で約4時間半

ヨーク石畳の街が醸し出す中世の賑わい
York’s Festive Fayre

ヨーククリスマスマーケットを街の名物とするイングランド中部の街、ヨーク。最大規模の聖ニコラス祭に続いて開かれるマーケットがこれ。石畳の敷かれた狭い小道が入り組むこの街には、クリスマスマーケットの雰囲気がよく似合う。

12月18日(日)まで
9:30-19:30
Parliament Street, York
www.visityork.org/inspire/christmas
ロンドンから電車で約2時間

マンチェスター街全体がクリスマス・マーケットに
Manchester's Christmas Markets

マンチェスタードイツ、フランスさらにはそのほかの世界各地の名産品を集めたマーケットが、市内8カ所で開催されるという、まさにクリスマスマーケットづくしの催し。工業都市マンチェスターに温かみを添える、木組みの小屋が街に彩りを与えている。

12月21日(水)まで
時間の詳細は下記ウェブサイトを参照
市内各所
http://christmas.visitmanchester.com
ロンドンから電車で約2時間半

バーミンガム200近くの店舗がひしめく
Frankfurt Christmas Market & Craft Fair

バーミンガム長さ約1キロの距離に193店舗がひしめくという大規模なクリスマスマーケット。さらにその奥には、地元の職人たちが精魂込めて作り上げたという手工芸品を集めた市場が隣接している。木〜日はバンドによる生演奏も行われる。

12月23日(金)まで
10:00-21:00
Victoria Square & New Street, Birmingham
http://christmasinbirmingham.com/christmas-in-birmingham
ロンドンから電車で約2時間

カーディフ子供たちが喜ぶアトラクションあり
Cardiff Christmas Market

カーディフ1世紀半ばから建設されたというカーディフ城前ほか、市内中心部の数カ所で開かれるマーケット。また市庁舎前にアイススケート場や子どもたちが大好きな乗り物が用意された遊園地施設「ウィンターランド」は、2012年1月2日まで開催。

12月23日(金)まで
10:00-18:00(日は -17:00)
The Town Centre, Cardiff
www.cardiffchristmasmarket.com
ロンドンから電車で約2時間

バース身体の内と外から温まる
Bath Christmas Market

バース英語の「お風呂」の語源となったと言われるローマ浴場跡を持つバース。時間が許せば1泊して、マーケット巡りに加えて、同地のもう1つの観光名所であるスパ施設でもゆったりすれば、文字通り身体の芯から温まることができるはず。

12月11日(日)まで
時間の詳細は下記ウェブサイトを参照
The Town Centre, Bath
www.bathchristmasmarket.co.uk
ロンドンから電車で約1時間半

オックスフォード聖歌隊が街にやってくる
Oxford Christmas Market

オックスフォード街の中心に立つオックスフォード城の前で開催される。英国を代表する聖歌隊を持つオックスフォード大学を内包するこの街は、クリスマスとなると独特の静謐さを醸し出すようになる。クリスマスマーケットでは、地元の聖歌隊が合唱を披露。

12月18日(日)まで
10:00-20:00(日〜水は -18:00)
Oxford Castle, Oxford
www.oxfordchristmasmarket.co.uk
ロンドンから電車で約1時間

ロンドンロンドン随一の冬の催し
Hyde Park Winter Wonderland

ハイドパークご存知ハイド・パークが、巨大な冬のエンターテイメント施設に様変わりする。園内に観覧車やアイススケート・リンクが出現。休憩所で、生演奏に合わせてワイン片手に踊る来場者たちの姿を目にすれば、幸せな気持ちになること請け合い。

2012年1月3日(火)まで
10:00-22:00
Hyde Park, London
www.hydeparkwinterwonderland.com

ウィンチェスター大聖堂の明かりに照らされながら
Winchester Christmas Market

ウィンチェスター歴史的建造物に囲まれた街、ウィンチェスター。この街のランドマークとなっているウィンチェスター大聖堂の前で、今年も毎年恒例のクリスマスマーケットが開かれる。ライトアップされた大聖堂前の広場の雰囲気は格別。

12月21日(水)まで
10:00-18:00(木〜土は -19:30)
Winchester Cathedral, Winchester
http://winchester-cathedral.org.uk/christmas
ロンドンから電車で約1時間

ボーンマスドイツ山間部のクリスマスを再現
Bournemouth Christmas Market

ボーンマス木組みの山小屋に、雪景色をイメージした飾り付け。ドイツ山間部のクリスマスを再現した風景の中に、炭火で焼いたソーセージ、巨大なステーキからナッツまで本格的な食の屋台が並ぶ。また、教会の音楽隊も演奏で冬の夜を盛り上げる。

2012年1月3日(火)まで
10:00-18:00(日は -16:00)
※12月12日〜24日
10:00-20:00(日は -16:00)
The Town Centre, Bournemouth
www.bournemouthchristmasmarkets.com
ロンドンから電車で約2時間

クリスマスマーケットのある街へひとっ飛び
ドイツの主要都市から直行便が飛ぶ街
フランクフルト国際空港
www.frankfurt-airport.com
ロンドン(シティ、ヒースロー、ガトウィックの各空港)
バーミンガム国際空港
マンチェスター国際空港
エディンバラ空港
ミュンヘン国際空港
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最終更新 Freitag, 09 August 2019 15:58
 

葉加瀬太郎インタビュー

葉加瀬太郎インタビュー

「情熱大陸」──その言葉を聞いた瞬間に、頭の中に響く旋律がある。やさしく軽快、かつ力強い音色は、聴き手の心にすとんと落ち、住み着いてしまう。テレビでお馴染みのその音の持ち主は、言わずと知れたスター・ヴァイオリニスト葉加瀬太郎。彼の音楽を聴き、個性的なアフロヘアを揺らしながら、躍動感みなぎる音を奏でる姿を連想する人は多いはず。日本でヴァイオリンの音をお茶の間に浸透させ、演奏家、作曲家、エンターテイナーとして不動の地位を築いてきた彼が12月、ドイツ初公演を開く。クラシックの本場に降り立つに当たり、活動の軸である音楽への想いと現在の心境をうかがった。(編集部:林 康子)

はかせ たろう
1968年1月23日、大阪府生まれ。90年、東京藝術大学在籍中にバンド『KRYZLER&KOMPANY』を結成し、ヴァイオリニストとしてデビュー。96年、同バンド解散後、セリーヌ・ディオンのワールドツアーに参加し、世界的に名を知られるようになる。2002年、自身が音楽総監督を務めるレーベル「HATS」を設立。以後、プロデューサーとして活躍、数多くのテレビやラジオ番組に出演する傍ら、画家としての顔も持つ。07年より英国を拠点に活動中。代表作に、毎日放送(MBS)のドキュメンタリー番組『情熱大陸』のテーマ曲「情熱大陸」「Etupirka」やゲーム『ファイナルファンタジーXII』の交響詩「希望」、NHKの連続テレビ小説『てっぱん』のテーマ曲「ひまわり」など。

大好きな街に住んでいるという充実感は大きい

1996年から3年間、カナダが誇る歌姫セリーヌ・ディオンのツアーに参加し、世界をめぐる中で、ヴァイオリニスト葉加瀬太郎がいたく気に入った街、それがロンドンだ。そして2007年、恋焦がれ続けた地に居を構えた。それから5年。異国での生活のリズムは、掴めてきたのだろうか。

僕は、ロンドンという街のすべてが気に入っています。時間の流れ、気候、そして街を成す一番の要素である建物。レンガ造りで、白い窓枠があって、周りには緑がたくさんあって。写真でも、テレビの映像でも、ぱっと見て一番好きだと思うのは、やはりイギリスの街ですね。

ロンドンの自宅前で
ロンドンの自宅前で

そんな自分の好きな街に住んでいるという充実感は大きいです。随分前から、いつかロンドンに住みたいと思い続けてきて、それを実現できたわけだし、この街で家族との時間も持てるようになったので。日本での仕事量が減ったわけではありませんが、ロンドンで生活している時間と、日本でツアーを中心に仕事をしている時間のメリハリが付いたというか、オンとオフがはっきりしてきたことが、自分にとって一番大きな変化です。もちろん、ロンドンでも公演を行っているので、そのための準備や作曲の時間は必要ですが、(日本にいたときのように)毎日外に出て人に揉まれて・・・・・・ということがない。音楽家としての個人的な時間を取れるようになりました。

好きな場所で大切な家族と暮らすことの充足感、それは葉加瀬氏自身の演奏スタイルにも少なからず影響を与えている。

ロンドンで最初に公演をした際は当地の日本人の観客が多かったのですが、今では日本人とそれ以外の現地の観客の割合が半々くらいになってきました。観客にはリピーターが多く、(何度も足を運んでくれる)その気持ちがとても嬉しいですね。また、ロンドンでは日本で何十年も行っていなかったクラシカルなスタイル、つまりアコースティックな音で演奏しています。それは自分にとって新たな挑戦だし、ロンドンの観客にとっても、日本でポピュラーな音楽を手掛けている僕がロンドンでクラシカルな演奏をしている姿を見るのは初めての体験だったと思います。その意味で、自分とお客さんがお互いに育ってきたというか、僕のコンサートのスタイルが出来上がりつつある気がしています。

ロンドンでの生活が、葉加瀬氏に精神的な豊かさをもたらしていることは間違いない。とはいえ、英国と日本を行き来しながら年間100公演にもおよぶ超過密スケジュールをこなすのは、まさに神業。想像を絶するほどの体力、精神力を奮い立たせているのは、音楽への"情熱"以外の何物でもない。

(ロンドンに)住みたいという気持ちは抑えられないですから、大変なのは仕方ないですね。日本での仕事を少し減らしていければという気持ちがある一方で、ずっと公演活動を続けているので、ハードではあるけれど、やっている間はそれを頑張る、ということでしょうか。

また、家族はもちろん、スタッフも僕を支えてくれています。あとは、音楽をどこででもやりたい、という気持ちだけですね。デビューして20年が過ぎましたが、一度も公演をキャンセルしたことがないというのが僕の自慢だし、休めばそこで終わりだとも思っています。とにかく僕の音楽を欲し、求めてくれる人がいれば出向いていくというのが僕の使命ですから。そのことと、プライベートで過ごしたい場所が違うというだけの話です。

r葉加瀬太郎さん、ロンドンにて

ノンストップで走り続けるヴァイオリン弾き。今度のドイツ公演は、葉加瀬氏のロンドン公演を訪れた主催者のBerenberg Bankや会場となるオペラハウスの担当者から熱烈なラブコールを受けたことがきっかけだった。その依頼を快諾し、何ができるかと考え、主催者と共に温めてきた企画。それを披露する日を間近に控え、いくらか興奮気味に「今回の公演をとても楽しみにしている」と語る。

日本ではポピュラーな音楽で仕事をしていますが、何しろ僕の最も好きな音楽は公言しているようにブラームスです。恐らく僕がこれまで最も長く聴いてきた音楽がヨーロッパのクラシックで、中でもドイツ・ロマン派のブラームスやシューマンをこよなく愛しています。ヨーロッパのクラシック音楽には300年余りの歴史がありますが、僕はベートーヴェン以前、ドビュッシー以降の音楽にはそれほど興味がありません。心底好きなのが19世紀後半の音楽で、ブラームスの音楽をずっと追いかけてきました。今回の開催地は、その音楽が生まれたドイツ、しかもデュッセルドルフはシューマンとも縁の深い街なので、とても興味があり、自分にとって新たな挑戦になると思います。

会場が由緒あるオペラハウスであるということも、楽しみですね。アコースティックな音でコンサートをする場合は、ホールも楽器の1つになるので。素晴らしい会場で演奏できることは大変栄誉なことです。また、すでにドイツ各紙にも今回の公演を取り上げていただいていており、そうした皆様のご協力に感謝するとともに、その期待に精一杯応えたいと思っています。

ヴァイオリン音楽の"今"を創りたい

葉加瀬氏の言う「挑戦」とは? 日本で、「ヴァイオリンでポピュラーな音を作る」ことを音楽活動の原点としてきた彼は、クラシック音楽が深く根付き、聴衆の耳も肥えているドイツで、どんなチャレンジを目論んでいるのだろうか。

カドガンホールでのコンサート
カドガンホールでのコンサート

何を成し遂げたいかと言えば、僕の場合はいつでもどこでも同じだけれど、ヴァイオリン音楽の、何か新しいページを創ってみたいですね。ヴァイオリンの"今"を創り出せれば、と思っています。

ヴァイオリン音楽は19世紀に一度大きな花を咲かせました。しかし20世紀以降、ジャズやロックでも使われてはいるものの、もはやメインの楽器ではありません。そのように大きな音楽の歴史の流れの中で、ヴァイオリンという楽器が今、どのようなものを創り出せるかを探るというか。僕は19世紀のロマン派に影響を受けているので、それを踏まえつつ、今の自分のヴァイオリン音楽を創りたいと思っています。だから今回の公演では、クラシックに慣れ親しんでいるドイツの方々に新しいヴァイオリン音楽を聴かせたいですね。基本的にはいつも通りの演奏を心掛けますが、日本で行っているようなエンターテインメント色の濃いコンサートとは違う、クラシック音楽のスタイルで僕ができるすべてのことをやろうと思います。

プログラムは、挨拶代わりにシューマンの曲を弾くほかは、ほとんどが自作の曲です。前半はブラームスに影響を受けて作ったピアノ三重奏曲をメインに、後半ではイギリス室内楽管弦楽団のメンバーと一緒に僕の自作の曲と、ヴァイオリンに親しみを持っていただけるような曲をチョイスしています。

今回共演するのは、自身が敬愛して止まないイギリス室内管弦楽団のメンバーと、パートナーを組むポーランド人ピアニストのマチェック・ヤナス氏。彼らには、絶大な信頼を寄せている。

ピアニストのヤナス君とは、出会って6年程経ちます。もともとは僕がポーランドに出向いたときに彼のピアノを聴いて、その音色が気に入り、"ひと耳惚れ"をして「日本、ロンドンでの活動を一緒にしてくれないか」とお願いしたのがきっかけです。彼がまだ22、23歳の頃だったのですが、「君の10年を僕にくれ」と言ってね。それ以来ずっと一緒に活動しています。

イギリス室内管弦楽団については、もう小学生の頃から憧れ続けているアンサンブルで、数々のレコードを聴いて、ずっといつの日か共演したいと思っていました。ただ、誰とでもすぐに共演してくれるような楽団ではないので、ロンドンで何度も僕のコンサートを聴いてもらい、話をさせていただいて、かなり頑張って交渉した末に共演できることになりました。それから3年来、年に一度共演しています。

彼らは世界一高性能な職人集団で、あんな一糸乱れぬアンサンブルは聴いたことがない。ほかにはまずない音なので、共演はもう、言葉にできないほどすごい体験です。

ドイツ初公演の開催地となるデュッセルドルフ。欧州内でも特に日本人が集中するこの地で演奏することは、日本人同士のつながりを大切にしたいという彼の想いとも重なり合う。

デュッセルドルフは、日本人にとっては大きな意味を持つ街ですよね。僕はロンドンに住んで5年になりますが、やはり海外で暮らす日本人として、日本人同士のコミュニケーションはとても大切だと思っています。東北で大地震・津波が起きた3月11日、僕はロンドンにいたのですが、日本人同士が手をつないで、日本のために何ができるかと考え行動しているのを見て、僕も考えさせられました。日本人同士は一緒になっていかなければいけないと。今回の公演でも、デュッセルドルフにいる日本人の皆さんに純粋に会いに行きたいという気持ちでいますし、多くの日本人の皆様に楽しんでいただきたいです。

できることを、できるだけ

日本人同士のつながりを葉加瀬氏に強く意識させた出来事、東日本大震災。その気持ちは、海外にいる日本人として、いち早くチャリティー・コンサートの開催に乗り出した行動力に、克明に表れている。地震発生から8カ月が経った今も、被災地の支援を続けたいという意志は変わらない。

3月11日の3日後に、ロンドン三越でコンサートを行いました。直後の2日間は自分でも何をして良いか分からなかったんです。そして3日後、今自分にできることは、ヴァイオリンを弾いて募金を集め、日本に届けることしかないと考えました。正直、自分の使命なんて考える暇もなく、ただ何かに突き動かされたように行動していましたね。でも、誰もが何かをしなければいけないという気持ちだったと思います。たまたま僕が周りの人たちに声を掛けたら、すぐに動いてくれたというだけで、自分1人の力で実現したわけではありません。あの時ばかりは、人のつながりというか、一団となる力を肌で感じました。とても速い動きの中で多くのお金を集められたというだけでなく、皆がすぐに行動し、それぞれできることをした、奇跡のような1週間でした。

日本人として、やれることを皆がやるべきだと思います。今、僕もツアーをしていますが、その中でずっとチャリティー活動も行っています。東北の被災地以外の場所にいると、皆どんどん普通の生活を取り戻しているので忘れがちですが、まだまだ日本は大変な時期なので。よその街ではなく、自分たちの国のことですから、やれることをやらなければいけない。無理をして自分がパンクしたら元も子もないですが、「できることを、できるだけ」というスローガンでやっています、僕は。

葉加瀬太郎さん、チャリティコンサート
ロンドンのセント・パンクラス駅で行ったチャリティー・コンサート(左写真)

その「できること」とは、音楽活動にとどまらず、絵画制作やテレビ番組の司会、ゲスト出演、ラジオのパーソナリティーなど多岐にわたる。音楽が活動の幅を広げ、そこで得られたものが、また音楽に集約する。程よいバランスが保たれているようだ。

絵画制作は、芸術活動として自分の中で大きな割合を占めています。主たる活動は楽曲制作や公演ではありますが、どうやっても飽きることがありますからね。そんな時に絵を描くと、とてもリフレッシュできます。僕にとって絵と音楽は、行ったり来たりしているものです。絵も音楽も、同じ心の中から発せられている。ただ、あまりにも作業工程が違うので、それが逆にリフレッシュという意味ではとても良いのです。絵と音楽が互いにインスピレーションを与えあっているのかもしれません。その自覚はありませんが。

テレビなどへの出演は自分が作った音、描いた絵を皆さんに届けるための作業、より多くのお客さんに届けるための手段と捉えています。コンサートに出掛けるための宣伝活動、というような意識です。

長期的な目標は持たない。
でも、ブラームスのソナタだけは続けたい

コンサートでは凝った演出で聴衆を沸かせ、テレビに出演しては明るいキャラクターとキレのあるトークで視聴者に好印象を与える一方、弦と弓から紡がれる音で聴き手の心を満たすヴァイオリニスト。マルチな才能を惜しみなく発揮する彼に音楽家としての理想像を訪ねると、「ない」との答えが。

葉加瀬太郎さん ピカデリーサーカス

長期的な目標は持たないことにしているんです。人生、"ローリング・ストーンズ"ですから(笑)。1年1年をしっかり生きる、その時やりたいことだけを考えています。だから、1年先までは見通していても、10年、20年先まではイメージしないことにしています。ただ、ブラームスの音楽だけは、自分にとって大切な世界なので、続けていきます。これは、日本でのビジネス的なコンサート活動とは全くリンクしていません。

30代までは、ブラームスのソナタを弾かなくても良いと思っていました。数々の素晴らしいヴァイオリニストが多くの名盤を遺しているし、専門家もたくさんいるのでね。だから僕が弾かなくても良いと思って生きてきたんです。でも、40歳を迎える頃に自分とブラームスの関係を意識し始め、取り組むようになりました。始めてまだ5、6年ですが、60歳くらいまでには自分のものにしたいと思っていて、そのときにはレコーディングをしたいなという気持ちもあります。彼が遺した3つのヴァイオリンソナタは、僕にとっては聖書のような音楽なので、一生付き合っていきたいです。

葉加瀬氏にとって、4歳の頃、物心ついたときには始めていたというヴァイオリンは、単なる商売道具の域を超えた体の一部。クラシック音楽の演奏の際には、1714年製のストラディヴァリウスを使用している。世界で5本の指に入るとされる歴史的なヴァイオリンは、持ち歩くのも緊張するほどだと言う。その楽器を手に、そして溢れんばかりの情熱を胸に、ヴァイオリニスト葉加瀬太郎がデュッセルドルフ、オペラハウスの舞台に立つ。

葉加瀬太郎 ドイツ公演
Berenberg Asia Classics TARO HAKASE

日時 2011年12月5日(月) 19:30
料金 17.30~74.80ユーロ
会場 Deutsche Oper am Rhein
Opernhaus Düsseldorf
Heinrich-Heine-Allee 16a, 40213 Düsseldorf
曲目 ロベルト・シューマン「ロマンス」、
フリッツ・クライスラー「プレリュードとアレグロ」、
ヨハネス・ブラームス「ハンガリー舞曲」ほか
共演 マチェック・ヤナス(ピアニスト)、 イギリス室内楽管弦楽団
チケット www.rheinoper.de
0211-8925211(Opernshop Düsseldorf)
主催 Berenberg Bank, kurwenalKULTUR
最終更新 Donnerstag, 10 November 2011 10:31
 

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