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日独交流を楽しむヒントが満載! ドイツの中の「日本」

日独交流を楽しむヒントが満載!ドイツの中の「日本」

160年以上の交流の歴史を持つ日本とドイツ。ドイツに住んでいても、歴史や伝統文化をはじめ、経済分野、ポップカルチャー、言語など、あらゆる分野で日本との深い結びつきを感じることができる。本特集では、そんな日独交流の歴史をおさらいするとともに、ドイツにいながら日本文化が味わえるイベントやスポットをご紹介する。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

日独交流を楽しむヒントが満載!ドイツの中の「日本」

その歴史は160年以上!日独文化交流の歴史

参考:在ドイツ日本大使館「日独交流150周年/歴史」、nippon.com「日独修好160周年:日本の近代化にドイツが果たした役割」

日本とドイツの交流は、160年以上前にさかのぼる。江戸時代の鎖国政策下の日本には、ドイツ人のケンペル(1690年から3年間滞在)やシーボルト(1823〜28年、59〜62年に滞在)がオランダ商館付きの医師として長崎に滞在。日本に西洋の知識を伝え、帰国後にはドイツで日本についての知見を広めた。やがて1854年に日本の鎖国政策が解かれると、1861年1月24日、統一国家としてのドイツが成立する以前のプロイセン王国との間に日普修好通商条約を締結する。これにより日本との正式な関係が樹立された。

開国以来、日本は医学や法律、芸術などのさまざまな分野でドイツから知識を吸収し、近代国家としての礎を築いていった。一方で1914年に始まった第一次世界大戦では、日本はドイツに宣戦し、中国の山東半島に出兵して青島などのドイツの租借地を占領。その時に捕虜になったドイツ人兵士によって、日本にバウムクーヘンやソーセージがもたらされたといわれる。さらに徳島県鳴門市の板東俘虜 (ふりょ)収容所では、ドイツ人捕虜らによって日本で初めてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏された。1930年代に入るとナチス・ドイツとの関係が強まり、1940年にはイタリアも含めた日独伊三国軍事同盟へと発展。それぞれが軍国主義、そして戦争へと突き進んでしまう結果となった。

戦後、敗戦国として一時的に連合国軍の支配下に置かれた日本とドイツだったが、1951年には日本とドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の国交が再開。その後、両国共に奇跡的な経済成長を遂げるに至った。またドイツ民主共和国(旧東ドイツ)との国交も1973年には再開し、一定の交流が行われていた。そして1990年のドイツの再統一に伴い、日本との交流も一本化された。

今日、ドイツは日本にとって欧州最大の貿易相手国であり、日本はドイツにとって中国に次ぐアジア第2位の貿易相手国。またドイツには、学術・経済・政治・文化など幅広い分野にわたる日独の知的交流拠点「ベルリン日独センター」(https://jdzb.de)、ドイツにおける日本文化の紹介などを行う「ケルン日本文化会館」(https://co.jpf.go.jp)が置かれており、文化面でも緊密な交流が行われている。

数字で見る「ドイツの中の日本」

ドイツに住んでいる日本人

(2022年10月1日現在、海外在留邦人調査統計) 4万2266人(前年比+0.3%)

ドイツに住んでいる日本人

ドイツに拠点をおく日系企業

(2021年10月1日現在、日本外務省) 1934社(前年比+2%)

ドイツの公立大学にある日本関連の研究施設

(2023年5月現在) 約17カ所

日独姉妹都市・友好都市の数

(2023年5月現在) 61都市

在ドイツ日本国大使館・総領事館

(2023年5月現在) ベルリン、デュッセルドルフ、ハンブルク、フランクフルト、ミュンヘン

ドイツでも日本を満喫!おすすめ 日本イベント

ハンブルク

Japan Film Fest Hamburgハンブルク日本映画祭

今年で24回目を迎える日本映画に特化した映画祭。アニメはもちろん、短編から長編映画まで、あらゆるジャンルの映画が5日間にわたって上映される。日本の若手監督の作品が多く出品されるのも特徴の一つ。

2023年6月14日(水)〜18日(日) https://jffh.de

デュッセルドルフ

DoKomiドコミ

ドイツ最大の日本・アニメコンベンションで、5月にデュッセルドルフで開催される「日本デー」と並ぶ一大日本イベント。日本のポップカルチャーを軸に、日本から著名なミュージシャン、バンド、漫画家などが招待され、アーティストと触れ合う機会を提供している。

2023年6月30日(金)〜7月2日(日) www.dokomi.de

ミュンヘン

Japandult日本ダルト

今年10周年を迎えるミュンヘンの日本ダルトは、日本のデザインやアートをはじめ、音楽やグルメが楽しめる。武道や日本舞踊のパフォーマンス、着付けやマンガのワークショップなどの文化プログラムも充実。11月19日(日)には、日本ダルトのクリスマスマーケットも開催されるので要チェック!

2023年7月9日(日) https://japandult.de

マンハイム

AnimagiCアニマジック

1999年からマンハイムで開催されている、欧州最大規模のアニメ・マンガのコンベンション。コンサートや上映会、コスプレイベントなど、幅広いプログラムに加え、日本からマンガ家やアニメ声優などの豪華ゲストも来独する。

2023年8月4日(金)〜6日(日) https://animagic.de

オッフェンバッハ

Main Matsuriマイン祭り

3日間かけてマイン川沿いで開催される日本祭り。今年はオッフェンバッハで初の開催となる。屋台では日本料理を堪能できるほか、雑貨販売や文化ブースも。野外ステージでは数多くのアーティストが技を披露し、日本文化にたっぷり浸ることができる。

2023年8月18日(金)〜20日(日) www.main-matsuri.com

ヴィースバーデン

Connichiコンニチ

日本のサブカルチャーフェスティバルで、アニメ、マンガ、ゲーム、コスプレなど幅広い分野を網羅し、日独の架け橋として2014年に外務大臣表彰を受賞。今年は開催地をこれまでのカッセルからヴィースバーデンへと移し、さらにパワーアップして帰ってくる。

2023年9月1日(金)〜3日(日) www.connichi.de

ドイツで日本文化に触れるおすすめ ミュージアム&日本庭園

ケルン

Museum für Ostasiatische Kunstケルン東アジア美術館

1913年に開館した同美術館では、「東アジアの芸術を偏りのない新しい視点で紹介する」ことを目指しており、日本画をはじめ、初動や木版画、また韓国の陶芸や漆芸などの豊富なコレクションを有する。施設の中には、美しい日本庭園が広がっている。

Universitätsstr. 100, 50674 Köln https://museum-fuer-ostasiatische-kunst.de

ベルリン

Samurai Art Museumサムライアートミュージアム

ベルリンにあるサムライアートミュージアムは、日本刀や甲冑 (かっちゅう)をはじめとした4000点以上のプライベートコレクションを誇る。2022年にリニューアルオープンし、マルチメディアを使ったインタラクティブな展示が魅力。日本から輸送した能楽堂と茶室もお見逃しなく。

Auguststr. 68, 10117 Berlin https://samuraimuseum.de

テュルコー

Schloss Mitsukoシュロス・ミツコ

メクレンブルク=フォアポンメルン州テュルコーにある日本文化と現代アートの美術館。日本の美術品や民芸品、陶磁器、織物などの大規模なコレクションと日本文庫を所蔵している。現代彫刻家の深田充夫氏のインスタレーション作品も展示されている。

Kastanienallee 21-23, 17168 Thürkow-Todendorf https://schloss-mitsuko.org

デュッセルドルフ

Japanischer Garten im Nordpark

デュッセルドルフのノルトパークの北西部には、現地の日本企業と日本人コミュニティーによって1975年に寄贈された庭園がある。本格的な日本庭園をのんびり散歩できるほか、コスプレイヤーたちによる撮影会が行われていることもしばしば。

Stockumer Kirchstr., 40474 Düsseldorf www.duesseldorf.de/stadtgruen/park/nordpark/japanischer-garten.html

ベルリン

Gärten der Welt

ベルリン中心部からSバーンとバスで40分ほど行ったところにある「Gärten der Welt」(世界の庭園)では、欧州やアラブ諸国、アジアなど、世界中の特色ある庭園を楽しむことができる。日本人の作庭家によって設計された日本庭園「融水苑」をはじめ、韓国式庭園や中国式庭園も見応えあり。

Blumberger Damm 44, 12685 Berlin www.gaertenderwelt.de

バート・ランゲンザルツァ

Japanischer Garten „Garten der Glückligkeit“

テューリンゲン州バート・ランゲンザルツァにある日本庭園「幸福の庭」。春には桜をはじめツツジやシャクナゲが咲き、6月からはハナショウブやスイレンが日本庭園の池を彩る。植物館で茶会に参加ができるほか、お花見や七夕などの季節行事も充実。

Kurpromenade 15, 99947 Bad Langensalza https://badlangensalza.de/erleben/parks-gaerten/japanischer-garten

冷戦下の旧東ドイツとの文化交流も日本の有田焼をお手本にしたマイセン

17世紀の欧州では、薄い磁器を作る技術がなく、中国の景徳鎮や、日本の白く艶やかな磁器が貴族の間で高い人気を誇っていた。なかでも佐賀県有田市で製造されていた有田焼は、オランダ東インド会社によって1660年以降に欧州にも輸出されるように。伊万里港から出荷されることから、伊万里焼とも呼ばれた。特にその魅力に取りつかれたザクセン王国のアウグスト強王は、錬金術師を城に幽閉して白磁器の研究を行わせ、世界的に有名な磁器「マイセン」を誕生させた。その中でも力を入れたのが、「柿右衛門様式」の有田焼の模倣製造だったという。

そんな「陶都」である有田市とマイセン市が姉妹都市であることは不思議ではないが、姉妹都市の提携が結ばれたのは、なんとまだベルリンの壁によって東西ドイツが隔てられていた時代。1970年、ドレスデンに膨大な有田磁器のコレクションがあると知った有田町の窯業界の代表らが、東ドイツを訪問したことが契機となった。彼らは冷戦下の東ドイツを訪問するために外務省と地道に交渉し、最終的には文化交流使節という形で実現した。ドイツで有田焼のコレクションとの邂逅 (かいこう)を遂げた有田町の代表らは、1975年に福岡大博覧会で「古伊万里里帰り展」を開催し、ドレスデン美術館秘蔵の有田磁器を公開することに成功。さらに1979年には有田町から申し入れがあり、マイセン市と姉妹都市提携が結ばれることになった。以来40年以上にもわたって、世界有数の名陶磁器を誇る両都市の交流が続いている。

参考:Arita Episode 2「1970年―冷戦期、東西の壁を越え有田マイセン交流の架け橋となった7人のサムライ」、外務省「磁器が結び付けた絆(佐賀県有田町とドイツ連邦共和国マイセン市の交流)」

(写真左)柿右衛門様式を模して絵付けされた、1730年ごろのマイセン磁器(右)1970年、有田町の窯業界の代表らはドレスデンやマイセンをはじめ、欧州各地の有名な窯業地を訪れた(写真左)柿右衛門様式を模して絵付けされた、1730年ごろのマイセン磁器(右)1970年、有田町の窯業界の代表らはドレスデンやマイセンをはじめ、欧州各地の有名な窯業地を訪れた

あの日本語がこんな意味に!?ドイツ語で使われている日本語

Sushi(すし)やManga(マンガ)、Emoji(絵文字)など、ドイツ語の中で当たり前のように使われている日本語が数多く存在する。しかし中には、元々の意味とは離れて独自の使われ方をしている、ちょっと不思議な日本語由来の言葉も。ここでは、そんな単語をいくつか紹介しよう。

Hokkaido ホッカイドウ

秋になるとスーパーにも並ぶ、オレンジ色のドイツ産カボチャ。1945年以降に、ドイツに初めて輸入され種子が北海道産であったころとから、シュトゥットガルト在住の日本人八百屋が「Hokkaidokürbis」(北海道カボチャ)という名前で販売したのが始まりだそう。

Mikado ミカド

色付けされた竹ひごのような棒を使った、欧州ではポピュラーなボードゲーム。棒にはいくつかの模様があり、それぞれミカド、ボウズ、サムライの名前が付いており、これらを集めて得点を競う。ちなみに日本でもおなじみのお菓子「ポッキー」は、欧州ではこのゲームの竹ひごに似ていることから「MIKADO」という名前で販売されている。

Kombucha コンブチャ

欧米をはじめドイツでも流行している健康飲料「コンブチャ」。これは日本語の「昆布茶」とは全くの別物。紅茶や緑茶などを発酵させたもので、日本では「紅茶キノコ」と呼ばれている。もともと中国やモンゴルからロシアに渡ったとされ、名前の理由は韓国語の「菌」(Kom)からきているとする説や、日本語の「酵母茶」が訛ったという説も。

最終更新 Freitag, 05 Mai 2023 15:39
 

Eurovision Song Contestのトリビア

今年はリヴァプールで開催Eurovision Song Contestのトリビア

ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト(以下、ユーロヴィジョン)は、主に欧州地域の国が出場できる視聴者参加型の音楽コンテスト。各国のパフォーマーが次々登場するライブ中継を観賞する楽しさはもちろんのこと、国際政治関係が色濃く感じられる決勝投票など、最後まで見どころがぎっしり詰まっている。まだ観たことがない人は、今年こそぜひ観賞してみてはいかがだろうか。

準決勝に進んだチームの組み合わせの抽選会が、英北部リヴァプールで行われた準決勝に進んだチームの組み合わせの抽選会が、英北部リヴァプールで行われた

Eurovision Song Contest

5月9日(火)、11日(木)、13日(土)
ドイツ時間21:00~
M&S Bank Arena Liverpool
https://eurovision.tv

視聴方法: 会場チケットは3月にソールド・アウトになったため、生放送での観覧のみ。ドイツでは、公共放送ARDのDas Ersteで生放送される。ストリーム配信を視聴する場合は、www.eurovision.deもしくはARD Mediathekから。

今年のドイツ代表は、ハンブルク出身のメタルバンドの「Lord of the Lost」。最新アルバム「Blood & Glitter」では、予約開始からわずか6日でドイツのチャートで1位を獲得した実力者だ。

1. ご長寿音楽コンテスト番組としてギネス世界記録に登録

ユーロヴィジョンは、1956年の第1回目を皮切りに、新型コロナウイルスが流行した2020年を除き毎年開催されている。第二次世界大戦後、欧州各地で放送網が整ってきたことを受け、「国境を越えたテレビ放送を通じ、欧州諸国間の協力関係を深める」ことを目的に、欧州放送連合(European Broadcasting Union=EBU)が1950年に誕生。そんなEBUの創成期において、ユーロヴィジョンは国際同時生放送という技術面でのテストという役割も担っていた。初回はオランダ、スイス、ベルギー、ドイツ、フランス、ルクセンブルク、イタリアが参加し、これまでに全52カ国が参加している。

1982年に優勝を飾ったドイツ代表のNicole(右から3人目)。冷戦下にあった東西ドイツ両方の人々の気持ちを歌った「Ein bisschen Frieden」を披露した1982年に優勝を飾ったドイツ代表のNicole(右から3人目)。冷戦下にあった東西ドイツ両方の人々の気持ちを歌った「Ein bisschen Frieden」を披露した

2. 歌詞は架空の言語でもOK

パフォーマーの人数や演奏の事前録音など、参加規則は時代に合わせかなり変更されてきたが、歌詞の言語規制もコロコロと変わっている。初期段階では特に制限が設けられていなかったものの、後に2曲中1曲は自国の公用語で歌わなければならなかったり(現在は各国が1曲のみ披露)、公用語のみが許されたりした時期も。現在は公用語に加え、誰も理解できない架空の言語での歌唱も認められている。ちなみに1973年に出場したノルウェー代表のベネディク・シンガーズは、曲中に12もの言語が登場する「It's Just A Game」を歌唱した。

3. ABBAが有名になったきっかけ

当日はユーロヴィジョン不参加国でも放映されるため、毎年約1億6000万人もの視聴者がおり、放映後数カ月は街の至る所で選出曲を耳にすることになる。1974年のスウェーデン代表だったABBAや、2014年のオーストリア代表で、髭を生やしたドラァグクイーンのコンチータ・ヴルストなど、後にスターやゲイのアイコンとなり、世界を席巻したパフォーマーを生んできた。一方で、なぜ選ばれたのかと思わせるような、誰も入り込めない世界観のパフォーマーが出てくることもしばしば。新生スターの輩出と同時に、一発屋も量産しがちだといわれている。

4. 各国代表による投票=国際政治

パフォーマーの決勝進出は視聴者投票、そして優勝者は視聴者と各国を代表する審査員の投票によって決まる。また今年から、指定された不参加国の視聴者もオンライン投票が可能になった。例年目が離せないのは各国代表による投票。純粋に歌やステージのパフォーマンスに対する評価だけでなく、各国同士の政治的な敵対・協力関係が絡んだ投票になるからだ。例えば北欧・バルト3国同士で入れ合ったり、毎年同じ国に投票している国が投票先を変えたりと、今日の政治情勢が垣間見えるのも興味深いだろう。

5. 今年はリヴァプールで開催

優勝国が翌年の主催国になるのが伝統だが、昨年の優勝国はウクライナ。ロシアによる侵攻で、同国での開催が叶わなかった。よって今年は「United By Music」のスローガンのもと、英北部リヴァプールが代わりを務める。英国は25年ぶり9回目の主催国で、最も多く開催地を提供している。

最終更新 Freitag, 05 Mai 2023 15:39
 

「日本の家」は続く、どこまでも!

ライプツィヒ東部にあるみんなの居場所「日本の家」は続く、どこまでも!

かつて「ドイツで最も危険な通り」と呼ばれたライプツィヒ東部のアイゼンバーン通り。安い家賃に惹かれた若者や移民が集まり、ここ数年で活気のある通りへと変貌した。一方で地域の活性化は、家賃上昇や低所得者の排除も引き起こす。この通りで10年以上活動してきたフリースペース「日本の家」も、昨年、賃上げによる退去勧告を受けた。今年3月、移転したばかりの日本の家で、運営メンバーたちに話を聞いた。

今年3月、引っ越し作業を終え、空になった旧日本の家の前で最後の記念撮影今年3月、引っ越し作業を終え、空になった旧日本の家の前で最後の記念撮影

お話を聞いた人
イェンスさん

イェンスさん

メンバー歴7年の古株。大工仕事や事務処理、コミュニケーション能力に長けた、日本の家の良心的存在

ダヴィッドさん

ダヴィッドさん

料理の腕とたくましいパンク精神、そして日本への愛で、コロナ禍で閉鎖の危機にあった日本の家を救った

郁子さん

郁子さん

岡山で「日本の家」のドキュメンタリーを観たのがきっかけで渡独。ここでの出会いから、日本食レストラン「ponpoco」を立ち上げた

晴香さん

晴香さん

日本の家の現代表の一人。自由人な運営メンバーたちを見守っていることが多いが、実は日本の家への愛は誰よりも深い

トビアスさん

トビアスさん

本業は心理カウンセラー。イベントでは琴の演奏やDJなどを行うほか、優れた日本語能力で運営メンバー間の橋渡し役にも

そもそも「日本の家」って?

「日本の家」(Das Japanische Haus e.V.)は、ライプツィヒの衰退していた一角の空き家を日本人チームが中心となってセルフリノベーションし、2011年に立ち上げた非営利団体。ライプツィヒ東部地域に根付いた活動を軸にさまざまな地域交流イベントを実施してきた。運営は常時10〜15人程度のコアメンバーによって、ボランティアで行われている。10年以上活動を続けるなかでメンバーの世代交代も何度かあったが、多様な人々が交流するスペースとして、地元民たちから愛されてきた。

 
 
 

トビアスさん:初期メンバーは建築やアート関係の人が多かったこともあり、展覧会や街づくりワークショップ、日本文化にまつわるイベントが中心だったそうです。それが大きく変わったのが、2014年からの「ごはんの会」。これは参加者みんなで調理をして、一緒にごはんを食べようというもので、お代は寄付制。日本に興味があるかどうかや、経済的・社会的状況に関係なく、さまざまな人が訪れるようになりました。現在も毎週木曜・土曜の夜に開催しています。

メンバーの交代が新しい風を呼ぶ

ごはんの会を契機に、「日本人が運営しているアートスペース」から「地域に開かれた交流の場」へと変化した日本の家。この場所の特徴の一つが、多様な背景を持つ人々によって運営されていることだろう。ワーキングホリデーや留学生、職人、フリーランサー、会社員、失業者、難民申請中など、国籍や世代、背景もばらばら。今回お話を伺った面々も、それぞれの思いがあってこの場所と関わっている。

イェンスさん:娘が日本のアニメやマンガが好きだったことがきっかけで、日本に興味を持つようになりました。その後ライプツィヒに引っ越してきて、日本関係でどんな場所があるかを調べたら「日本の家」に行き当たった。初めて遊びに行った日、すぐにみんなが私を輪の中に入れてくれて。とても幸せな時間で、いつの間にか自分も運営メンバーになっていました。

晴香さん:私がドイツに来たのは、コロナ禍でロックダウンしていた頃。もともとドイツ人のパートナーと暮らすためにこちらへ来たので、彼以外には知り合いもいなくて、初めのころは辛いことも多かったです。そんなときに勇気を出して日本の家に来てみたら、すごく居心地が良くて。ドイツ生活で大変なことがあったときは、日本の家があるから頑張ろうと思えています。

郁子さん:私が日本の家で面白いと思うのは、普段生活していてなかなか出会わないであろう人たちと肩書きなしで話せるところ。人種や性別、年代に関係なくオープンな人が多く、すごくエネルギーをもらえます。

モデルを決めて、似顔絵を描くイベントモデルを決めて、似顔絵を描くイベント
旧日本の家の裏側スペースでは、映画の上映会なども行われた旧日本の家の裏側スペースでは、映画の上映会なども行われた
 
 
 

運営メンバーのなかには、学生やワーキングホリデーなどドイツに滞在できる期間が限られている人も多いため、メンバーの入れ替わりも頻繁に起こる。そんなフレキシブルかつ多様な人たちの集まりをまとめていくのは、実際のところ大変ではないのだろうか。

イェンスさん:日本の家は、すごくカオスな集団です(笑)。月に一度Plenum(メンバーでの会議)を開き、大きなイベントの役割分担や、日本の家全体の方向性について議論をします。しかしそれ以外は、「今日は誰がごはんを作る?」「誰が来られる?」「こんなイベントをやりたい!」という感じで自発的に進んでいきます。

郁子さん:ダヴィッドのように料理が得意な人がいれば、家具作りや掃除が得意な人がいたり、残った雑務をイェンスやトビアスが片付けてくれたり。はっきり役割分担があるわけではなく、信頼関係によってゆるく成り立っています。さまざまな人がいる分、コミュニケーションに苦労することもありますが、このまとまりの無さも日本の家らしさかなと思います。

退去勧告は突然に……

日本の家がアイゼンバーン通りで活動を始めた当初、この地域は空き家だらけの廃れた場所だった。やがて日本の家のようなフリースペースが人を集めるようになり、通りの活性化が進んだが、それと引き換えに家賃が高騰。元の居住者たちが排除されてしまう、いわゆるジェントリフィケーションが起きつつある。日本の家にも2022年3月のある日、不動産管理会社から退去を求める手紙が届いた。

イェンスさん:手紙には、①私たちが退去しなければいけないこと、②私たちの建物の裏側に入居している自転車修理スペースRadsfatzとセッションバーTrautmannも退去させるので、そこに日本の家が引っ越したらどうか、ということが書かれていました。RadsfatzとTrautmannも地域交流の場であり、私たちの昔からの隣人で友人です。彼らを追い出して、そこに日本の家が入居するなんてありえない。すぐに弁護士に相談し、新しい引っ越し先を探し始めました。

ダヴィッドさん:退去の理由は、「日本の家よりも多く家賃を払える借り手がいるから」。自分たちは10年以上もここで活動し、家賃も常に期限通りに支払ってきました。コミュニティースペースとして地域に貢献している自負もあったので、とても残念です。とはいえ退去期限は迫るばかりなので、自分たちのベストを尽くそうと気持ちを切り替えました。

それから日本の家では「Wir müssen raus!」(私たちは出ていかなければならない)というプラカードを掲げ、発信を始めた。ライプツィヒ東部には、ほかにも有志で運営しているギャラリーやカフェ、スペースがいくつもある。日本の家がこのような形で退去させられることは、彼らにとっても他人事ではなかった。

郁子さん:日本の家の退去についてソーシャルメディアに投稿したところ、瞬く間に100件以上もシェアされて、さまざまなグループや地域団体が連帯を示してくれました。ほかにも近所の印刷屋さんが私たちの活動のチラシを印刷してくれたり、引っ越し費用や弁護士費用を集めるためにチャリティーイベントを実施したりするなかで、「ここに相談してみてはどうか」「あそこに空き物件があるよ」など、さまざまな情報が届くように。コミュニティーの力の強さに驚きました。

救世主となった200メートル先の隣人

転機が訪れたのは2022年8月。日本の家からアイゼンバーン通りをさらに東へ200メートルほど行ったところにある、「Gleiserei」(グライゼライ)というコレクティブから連絡を受けた。彼らはジェントリフィケーションの煽りを受けないようにと、2014年にアパートを一棟まるごと購入。1階は非商業的なイベントを行えるフリースペース、2階から上は自分たちの住宅として改装した。一方で、人手不足もあって1階スペースを有効活用できていなかったという。

トビアスさん:Gleisereiの人たちは、1階スペースを商業店舗ではなく、若者や移民たちがプロジェクトをできるような場所にしたいと考えていたそうです。これはまさに日本の家の在り方と一致します。それからGleisereiのメンバーと、スペースをどのように共有するか、お互いのイメージを擦り合わせていきました。約半年かけて話し合いを続け、今年3月、晴れて引っ越しが完了。Gleisereiの人たちも、私たちの入居を喜んでくれていて、まさにウィンウィンの関係ですね。

再出発した「日本の家」

こうして日本の家は、新しい場所でスタートを切った。全ての荷物を運び終えた翌週にはごはんの会も再開し、今までと変わらず多くの人が一緒にごはんを食べ、語り合う姿があった。

ダヴィッドさん:(新しい日本の家は)最高ですね。宝くじに当たったくらいラッキーだと思います。新しい日本の家の雰囲気も、引っ越し前と全く変わらない。前の場所からさほど離れていないので、今まで日本の家に来ていた人たちも変わらず遊びに来てくれています。

晴香さん:以前よりも座れる席が多く、キッチンやトイレも広くて使いやすい。キャパシティーが大きくなった分、ここでできるイベントの可能性も広がったので、これからが本当に楽しみです。

新しい日本の家は、バーカウンターも広々新しい日本の家は、バーカウンターも広々

これからの日本の家の活動に興味を持つ人や、日本の家を応援したいという人に向けて、どのような支援方法があるかを尋ねたところ、全員が口を揃えて「Mitmachen」(一緒にやること)と答えてくれた。

ダヴィッドさん:自分たちにとって一番の支えは、多くの人がここに来て、一緒にごはんを食べて、ビールを飲んで、楽しんでくれること。それが日本の家にとって最も大切なことだと思います。

晴香さん:遠方に住んでいる人は、たまに旅行で来たときに遊びに来たり、音楽をやっている人はコンサートを開いたり、あるいは一緒にごはんを作ったり。どんな関わり方も歓迎です。また日本の家の活動に共感する人や、ごはんの会やコンサートを楽しんだ人は、自分にできる範囲で寄付をしてくれたらありがたいです。

トビアスさん:得意なことで日本の家を助けてくれるのもうれしいですが、この場所では、逆に自分がやったことのないことにも挑戦できます。例えば人生で初めてイベントの企画に挑戦する人や、隠れた趣味である絵の展覧会をしてみんなを驚かせる人も。そういう新鮮な刺激が日本の家を面白い場所にしていると思うので、新しいことをしたい人にも訪れてみてほしいです。

新しい日本の家のキッチンで、ごはんの会の準備中新しい日本の家のキッチンで、ごはんの会の準備中
地元のアーティストらが、難民としてドイツに来た子どもたちとコミックワークショップを行いその成果物を発表地元のアーティストらが、難民としてドイツに来た子どもたちとコミックワークショップを行いその成果物を発表
 
 
 

ニューヨークやロンドン、ベルリンなどの大都市がそうであるように、今日、都市開発によってライプツィヒでも多くのフリースペースが消えつつある。文化的・社会的な活動を通して街を盛り上げてきた当事者たちが、やがてそこを追い出されるのだ。そんな社会の流れにあらがうのは簡単ではない。しかし日本の家の引っ越しは、この問題について地域共同体として考える機会にもなったと、彼らはポジティブに語る。

イェンスさん:今回の引っ越しは、日本の家の力をもっと発揮できるチャンスだと思っています。ごはんの会をはじめとする今までの活動を継続するのはもちろん、これからはアクセルをもう少し踏み込んで、ほかのコミュニティーとのネットワークを広げていきたい。Gleisereiの人たちと良い関係が続く限り、私たちはずっとここにいられるでしょう。この場所だからこそ、もっと多くのことに挑戦できるはずです!

info

日本の家

日本の家 Das Japanische Haus e.V.

Eisenbahnstr. 150, 04315 Leipzig
http://djh-leipzig.de
Instagram @dasjapanischehaus

都市ガイドシリーズ❻
歴史と若いエネルギーが混交する
ライプツィヒの魅力再発見!
最終更新 Donnerstag, 27 April 2023 10:03
 

60万人が訪れるドイツ最大の日本イベント 日本デー2023

[PR] 2023年5月13日(土)12:00~

60万人が訪れるドイツ最大の日本イベント日本デー2023

今年も「日本デー」がデュッセルドルフで開催される。ドイツの「リトルトーキョー」と呼ばれるこの街におよそ60万人が訪れ、伝統的な日本文化からポップカルチャー、音楽やパフォーマンスが楽しめるほか、フィナーレには日本の花火が打ち上がる。1日たっぷり日本を味わうためのヒントをご紹介しよう。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

日本デーの見どころをチェック!

十人十色のコスプレイヤーが大集結

十人十色のコスプレイヤーが大集結

アニメやマンガのキャラクターになりきったコスプレイヤーたちは、日本デーに欠かせない存在。ライン川沿いを散歩するだけでも、十人十色のコスプレイヤーと出会える。ポップカルチャーゾーン(MAP❺)のステージでは、14時から毎年恒例のコスプレファッションショーが開催される。会場で好きな作品の推しキャラを探してみよう。

ライン川沿いに総勢60のスタンド

ライン川沿いに総勢60のスタンド

着付けや書道などの日本の伝統文化を体験できるほか、マンガはもちろん、フィギュアなどのアニメ関連グッズ、陶器や和風雑貨、弁当用品、日本酒なども販売される。地方自治体や航空会社による観光ブースもあり、日本の魅力を再発見できるチャンス。遊歩道を歩きながら、気になったブースをのぞいてみて。

メインステージに今注目の日本人アーティスト

メインステージに今注目の日本人アーティスト

メインステージ(MAP❷)では、和太鼓演奏をはじめ、日本舞踊や書道パフォーマンスなど、さまざまなプログラムが繰り広げられる。今年のとりを務めるのは、日本人アーティストの中村佳穂さん。ドイツでも人気を博した細田守監督のアニメ映画「竜とそばかすの姫」の主人公の声と歌を担当した、今注目のミュージシャンの一人だ。ドイツでの貴重なライブをお見逃しなく!

日本の花火師による超本格花火

日本の花火師による超本格花火

日本デーを締めくくるのは、日本の花火師が作り出す本場の花火。打ち上げ会場はライン川を挟んだ旧市街の反対側で、すっかり日が沈んだ23時スタート。日本の花火大会さながらの雰囲気を味わおう。残念ながら会場に行けない……という人もどうぞご安心を。WDRで予定されている生放送(22:25~23:25予定)をチェックしよう。

関連プログラムも盛りだくさん

関連プログラムも盛りだくさん

市内各所では、ほかにも関連プログラムが多数企画されている。映画博物館での内田吐夢による無声映画「警察官」の無料上映をはじめ、市立博物館での折り紙ワークショップ、Polnisches InstitutDüsseldorfでは日本とポーランドのアーティストデュオによる展示「DIE KARTOFFEL IM ZENGARTEN」(写真)が開催されるなど、盛りだくさん。

マップ

:屋台

マップ

  • 1

    ロイターカゼルネ

    漫画&アニメゾーン

  • 2

    ブルク広場

    メインステージ日本食

  • 3

    マルクト広場

    子ども体験ゾーンドイツ料理

  • 4

    ライン川沿い遊歩道

    伝統文化ゾーン&武道ゾーン

  • 5

    ヨハネス・ラウ広場

    ポップカルチャーゾーン日本食

  • 6

    州議会前芝生広場

    文化体験ゾーン

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最終更新 Mittwoch, 03 Mai 2023 11:46
 

ドイツの春は「シュパーゲル(白アスパラ)」を食べなくちゃ!

ドイツの春は「シュパーゲル」を食べなくちゃ!

春の香りがしてくると、シュパーゲル愛好家であるドイツ人たちには落ち着かない日々の幕開け。「野菜の王様」や「食べられる象牙」と美辞麗句を欲しいままにしているシュパーゲル。本特集では、シュパーゲルの季節を楽しみ、味わい尽くすためのヒントをお届けする。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部、レシピ:坪井由美子)
※本特集で「シュパーゲル」と表記する場合は、基本的に「白アスパラガス」を指す

参考:planet wissen「Spargel」、Welt「Goethe war ein stolzer Spargelbauer」、Wirtschafts Woche「Die Mär vom besten Spargel」、Niedersächsische Spargelstrasse e.V. ホームページ、Soargekstadt Beelitz「Spargelfest」Touristinformation Schwetzingen「Spargel」、本誌713号「春がきた! シュパーゲルの季節だ!!」

シュパーゲル

ドイツ人が熱狂する「野菜の王様」シュパーゲル大解剖!

古来から人々をとりこにしてきたシュパーゲル(アスパラガス)。「野菜の王様」と呼ばれるゆえんをひも解くとともに、シュパーゲルの季節を祝うイベントやおいしいレシピなど、その魅力を徹底紹介する。

貴族の高級グルメから国民食へシュパーゲルの歴史

シュパーゲルの主要生産産地であるブラウンシュヴァイクにて、シュパーゲルの皮むきに従事する女性たち。1850年ごろから缶詰での保存技術が発達し、長距離輸送も可能になったシュパーゲルの主要生産産地であるブラウンシュヴァイクにて、シュパーゲルの皮むきに従事する女性たち。1850年ごろから缶詰での保存技術が発達し、長距離輸送も可能になった

シュパーゲルの歴史は古く、約5000年前のエジプトにまでさかのぼる。なんとピラミッドの壁画にシュパーゲルが描かれているのだ。紀元前のギリシャでは、ヒポクラテスがシュパーゲルの医学的効果を発見。古代ローマ時代には、哲学者のプラトンや詩人のアリストファネスも好んで食していたと伝えられている。しかし、この時代におけるシュパーゲルは緑色のものが主流。白いシュパーゲルが栽培されるようになるのは、そのずっと後になってからのことだった。

シュパーゲルが商人によって売り買いされ始めたのは、17世紀に入ってから。その当時、貴族階級の美食家たちは好んでシュパーゲルを求めた。文豪ゲーテはあまりのおいしさに「野菜の王様」とたたえ、さらに自家栽培もしていたという。19世紀に入ると、各地で白いシュパーゲルの栽培が始まった。厳しい選抜基準をクリアして市場に出された高級シュパーゲルは、高値で取り引きされるように。1929年には、シュパーゲルをもっと広めようと、シュパーゲル農園の協同組合が結成され、市民運動が活発になった。その頃には、シュパーゲルの栽培には砂地が適していることも研究によって明らかになった。

2021年の統計によると、ドイツの全作付面積のうち、約20%に当たる2万5683ヘクタールがシュパーゲル畑だという。この数字は、ニンジンやタマネギを抑えてナンバー1。さらに農耕面積は年々拡大傾向にある。シュパーゲルは、名実ともにドイツの「野菜の王様」として君臨しているのだ。

シュパーゲルを存分に楽しむための Q&A

Q. 白いシュパーゲルと緑のシュパーゲル、違いはどこに?

A. 栽培方法によって色が変わる。 色が白か緑かは、栽培方法の違いにある。緑のシュパーゲルは太陽の光をいっぱい浴びせながら栽培するのに対し、白いシュパーゲルは砂地に潜らせたまま栽培し、先端が地表にちょっと顔を出した頃に収穫される。緑のシュパーゲルは調理の際に皮をむく必要はないが、白は皮むき必須。栄養価から見ると、緑のシュパーゲルは緑の色素成分、クロロフィルを含むため、白いシュパーゲルよりもビタミンCとカロテンが豊富だ。

Q. 新鮮でおいしいシュパーゲルの見分け方は?

A. シュパーゲルの先端に注目! 新鮮なシュパーゲルを見分けるには、まず、シュパーゲルの先端を観察しよう。先端が広がっていない、しっかりと閉じている状態のものが鮮度の保たれたシュパーゲルだ。切り口が乾き切っていないかどうかもチェックポイントの一つ。好みの問題もあるが、太く長いシュパーゲルは皮もむきやすく、食べ応えがある。また、茎の部分がシャキッと堅いものは採れたての証拠だ。

Q. 白シュパーゲルの旬はいつ?

A. 4月から6月24日の聖ヨハネの日まで。 ドイツでは「サクランボが赤くなると、シュパーゲルの季節は終わり」といわれている。国内産のシュパーゲルは4月に入ると収穫・出荷され始め、6月24日の聖ヨハネの日に収穫を終えるのが伝統。この日は初霜から100日前とされており、シュパーゲルの根に十分な休息期間を与えることによって、次の春に最高のシュパーゲルを収穫できるのだという。

Q. シュパーゲルが苦い!どうして?

A. 成長し過ぎで、苦味が発生することも。 正しく栽培され、適切な時期に収穫されたシュパーゲルであれば、苦味は感じないはず。でも成長しすぎている場合は、根元が硬く、そこから苦味が発生する。もし、苦味のあるシュパーゲルに当たってしまったら、根元を惜しまず切り落として、やわらかい部分だけを調理しよう。シュパーゲルの基本的なゆで方は、こちらのレシピをチェック!

Q. シュパーゲルは健康に良い?

A. 腎臓の動きを活発化し、血液もサラサラに。 シュパーゲルの主成分は水分で、全体の約90%を占める。そのため、カロリーは100グラム当たり20カロリーとヘルシー。一方、ビタミン(A / B1/ B2/ C / E)が豊富であるほか、利尿効果のある成分も確認されている。腎臓の活動を活発にして体内の水分の循環を良くするため、肥満やむくみにお悩みの人にもおすすめ。血液サラサラ食材としても注目を集めている。

Q. シュパーゲルの皮は、絶対にむかなければいけない?

A. 皮は絶対にむこう! 一般的な野菜用の皮むき器でも用は足りるが、シュパーゲル専用の皮むき器を使うと、より簡単に皮をむくことができる。皮のむき方は、頭の方から根元の方へ。またシュパーゲル専用の底の深い鍋も販売されている。

春の遠足にもぴったり!シュパーゲルの街を訪ねて

ドイツにはシュパーゲルの産地を結んだ「シュパーゲル街道」がいくつかあるが、ここでは特に有名なシュパーゲルの名産地をご紹介。シュパーゲルの収穫体験や、おいしいシュパーゲル料理が楽しめるレストランがあるほか、シーズン中さまざまなイベントが開催されている。

バーデン=ヴュルテンブルク州シュヴェツィンゲン Schwetzingen

シュトゥットガルト近郊の街シュヴェツィンゲンは、「シュパーゲルのメッカ」とも呼ばれるシュパーゲルの名産地。同地は、かつてプファルツ選帝侯によって建てられたシュヴェツィンゲン城やそこで行われる音楽祭で有名だ。このお城の庭園で、17世紀に選帝侯のためにシュパーゲルの栽培が始められたといわれ、シュパーゲルは王室御用達の野菜として振る舞われた。宮殿前の広場にあるシュパーゲルを売る女性の銅像(写真)は、この街のランドマークとして知られる。シュパーゲルのシーズン中、シュヴェツィンゲンではシュパーゲル女王を決めるコンテストや、シュパーゲルハイキングなど、イベントが目白押し。

ノルトライン=ヴェストファーレン州ヴァルベック Walbeck

デュッセルドルフの北西に位置するヴァルベックは、ライン川下流の美しい風景に囲まれた小さな村。広い丘の上には教会と、歴史ある二つの風車が立ち、村に足を踏み入れると「シュパーゲルの村にようこそ」と書かれた看板が出迎えてくれる。見渡す限りのシュパーゲル畑が広がり、春にはシュパーゲルの農家での直販やシュパーゲル祭り(写真)などが行われる。シュパーゲルを思いっきり味わうなら、レストラン「Haus Deckers」の「シュパーゲルビュッフェ」がおすすめ。毎週金曜日のディナーにこの時期限定で提供されており、前菜からメインまでシュパーゲル尽くし。毎年混み合うため事前の予約がおすすめ。

ニーダーザクセン州ニーンブルク Nienburg

ニーダーザクセン州では、ドイツのシュパーゲルの5分の1が栽培されている。なかでもハノーファーとブレーメンの間に位置する街ニーンブルクは特に有名。街中にはシュパーゲルを販売する人々のブロンズ像が並ぶ噴水があるほか、シーズン中はシュパーゲル祭りやマラソンイベントなども。もともと農家として使われていた築400年の家を利用したニーダーザクセン州シュパーゲル博物館(写真)では、シュパーゲルの栽培方法をはじめ、保存や加工、販売に至るまで、歴史と共にその作業工程が紹介されている。

ブランデンブルク州ベーリッツ Beelitz

ベルリン近郊で最も有名なシュパーゲル産地のブランデンブルク州ベーリッツでは、ブランデンブルク州のシュパーゲル収穫量のうち50%近くを生産している。旧東ドイツ時代にベーリッツで栽培されたシュパーゲルは、非公式の通貨「白い黄金」として、希少な品との物々交換にも使われたとか。毎年6月の最初の週末に開催されるシュパーゲル祭りでは、シュパーゲル女王やベーリッツのマスコットキャラクター「シュパーゲリーノ&シュパーゲリーナ」(写真)をはじめ、色とりどりの山車(だし)やマーチングバンドが旧市街地をパレードする。

シュパーゲルを味わうレシピ

シュパーゲルの基本的なゆで方

  1. シュパーゲルは先端部分を残してピーラーで皮を厚めにむき(皮は捨てない)、根元を2cm切り落とす。
  2. 鍋にシュパーゲルと皮、ひたひたの水、塩・砂糖各ひとつまみとバターひとかけを入れる。
  3. 鍋を火にかけて、約10分~好みの固さにゆでる。

王道レシピは外せない!シュパーゲルのオランデーズソース

シュパーゲルのオランデーズソース

シュパーゲル料理の定番中の定番といえば、シュパーゲルのオランデーズソース添え。ゆでたジャガイモと生ハムを添えて、シュパーゲルを堪能しよう。市販のソースもスーパーで手軽に購入できるが、自宅でも簡単にできるレシピをご紹介。

(本誌1097号より) レシピはこちらから

うま味たっぷりのゆで汁を使ってシュパーゲルのリゾット

シュパーゲルのリゾット

シュパーゲルのゆで汁にはうま味がたっぷりと出ているので、スープやお味噌汁にリメイクするのがおすすめ。こちらのリゾットでは、そのうま味を吸ったお米をシンプルな味付けで楽しもう。

(本誌1169号より) レシピはこちらから

皮まで味わい尽くす!シュパーゲルのきんぴら

シュパーゲルのリゾット

シュパーゲルを余すところなく味わいたい!という熱い思いから生まれたこちらのレシピ。ごま油で炒めて味付けをすれば、繊維質のある食感が生かされたきんぴらに。ごはんのお供にもぴったり。

(本誌1145号より) レシピはこちらから 春を食べ尽くそう!
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最終更新 Freitag, 24 März 2023 17:21
 

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