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特集


この夏はドイツの海へ出かけよう

ドイツにだってビーチはある!この夏はドイツの海へ出かけよう

ドイツの水辺と聞いて、まず思い浮かぶのは河川や湖。真夏といえどもギラギラと太陽が照り付けることが少ないこの国にいると、南方の海への憧れが強くなりがちだが、ドイツにも魅力的なビーチが存在する。北海もバルト海も、北部ではあるものの、実は夏季には晴れの日が多い温暖なリゾート地。コロナ規制も解除され、いよいよ旅行シーズン本番に向けて、そんなドイツの海の魅力をたっぷり紹介する。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:本誌979号「この夏、北海・バルト海へ」、www.nordseetourismus.dewww.ostsee-schleswig-holstein.de

この夏はドイツの海へ出かけよう

Nordsee北海

北海

ノルウェー、デンマーク、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、英国の島々に囲まれた海。ドイツ国内の北海沿岸地域は、ニーダーザクセン州とシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州にまたがり、海岸の長さは約1300キロメートルに及ぶ。北海を象徴する光景は、フリースラント地方の干潟。1990年代までは、ドイツから北海へ出て、北欧諸国との国境地帯の非関税ゾーンで食品やタバコ、蒸留酒、香水などを買う「Butterfahrt」(バター航海)というツーリズムが行われていた。

北海のおすすめビーチ

Syltズュルト島

ズュルト島

スイスの人気作家クリスティアン・クラハトのデビュー作 『Faserland』(1995)の舞台となった北フリースラント地方最大にしてドイツ最北端の島。錨(いかり)型の特徴的な形で、東側には干潟があり、西側の砂浜は38キロメートルにも及ぶ。延々と続く海岸に点在する無数のシュトラントコルプはこの島の風物詩。
www.sylt-tourismus.de

Borkumボルクム島

ボルクム島

湾流が温風を運び込んでくるため、1年を通して晴れの日が多く、温暖な気候が特徴の島。26キロメートルに及ぶボルクムの海岸はのんびりと散歩するのにぴったり。ミネラルたっぷりの潮風で新陳代謝を促し、リフレッシュできる。海水のパワーを利用したタラソテラピーを体験できる施設も充実。
www.borkum.de

Cuxhavenクックスハーフェン

クックスハーフェン

エルベ川河口にある街で、北部で話される低地ドイツ語では「Cuxhoben」(クックスホーベン)と呼ばれる。海水浴はもちろん、裸足で干潟を歩いたり、海岸で馬車に乗ったり、温水プールで泳いだりと、年間を通して楽しめるスポット。漁業が盛んな街なので、ハンブルクの台所にもなっている。
http://tourismus.cuxhaven.de

そのほかの見どころ

Leuchtturm Arngastアルンガスト灯台

アルンガスト灯台

赤と白に塗られた灯台は、海辺の光景に欠かせないものの一つ。ヤーデブーゼン(Jadebusen)の入り江の中洲に立つアルンガスト灯台は、1910年にヴィルヘルムスハーフェン一帯を照らすために建造された。北海で最も伝統のある灯台として、文化財建造物にも指定されている。

Wattenmeerワッデン海

ワッデン海

オランダ、デンマーク、ドイツの三カ国にまたがる水域と湿原。北欧でも希少な動物・鳥類・植物相の豊かな生息地として、2009年に世界自然遺産に登録された。ドイツ国内ではニーダーザクセン、ハンブルク、シュレスヴィヒ=ホルシュタインの3州が、当該地域を国立公園に指定して管理している。
www.nationalpark-wattenmeer.de

Deutsches Auswandererhaus Bremerhavenブレーマーハーフェンの国外移住者博物館

ブレーマーハーフェンの国外移住者博物館

海上交易といえば、物流に焦点が当てられがちだが、海辺は人が出入りする場所でもある。ブレーマーハーフェンは、大航海時代から1890年までに約1200万人が米国へ旅立った起点。この国外移住者博物館では、各移住者の家族構成から渡米の理由、名前の由来まで、その歴史をたどることができる。
www.dah-bremerhaven.de

Ostseeバルト海

リューゲン島

スカンジナビア諸島に囲まれた海洋で、ドイツのバルト海沿岸地域はメクレンブルク=フォアポンメルン州とシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州にまたがり、海岸の長さは2247キロメートル。西海岸には、バルト海が現在の地形になったとされる、氷河期における氷河の衝突の跡が氷堆積などの形で残っている。この地域で、造船業と並んで最も盛んな産業は観光業。特に7〜8月は1年で最も多くの旅行者でにぎわう。シリヤラインやステナラインなどのバルト海クルーズも好評を得ている。

バルト海のおすすめビーチ

Rügenリューゲン島

リューゲン島

935キロ平方メートルに上るドイツ最大の島。ドイツ本土の街シュトラールズントと橋で結ばれており、フェリーで渡ることも可能。富裕層が集まる高級リゾート地としても有名で、島を囲む約60キロメートルの海岸には、ヌーディストビーチ(FKK)や、犬を連れて入れる場所、ビーチスポーツができる場所などが点在している。
www.ruegen.de

Fehmarnフェーマルン島

フェーマルン島

20世紀を代表する表現主義画家のエルンスト=ルートヴィヒ・キルヒナーが毎年夏に訪れ、「地上の楽園」と褒め称えたといわれる島。国内で最も日照時間が長い場所の一つで、太陽の光が肥沃(ひよく)なバルト海に輝く様子から、1580年にはデンマーク王フリードリヒ2世から青地に金の王冠をあしらった封建旗を与えられた。
www.fehmarn.de

Kellenhusenケレンフーゼン

ケレンフーゼン

リューベック湾にあるケレンフーゼンは、海辺には人工の海水浴施設が完備されており、気軽にビーチを楽しみたいという人や、家族連れにもぴったり。海に背を向ければ、そこには586ヘクタールの広大な森が広がる。ビーチでひと泳ぎした後に、のんびりと自然散策を満喫するのもおすすめ。
www.kellenhusen.de

そのほかの見どころ

Leuchtturm Bastorfバストルフ灯台

バストルフ灯台

レーリック(Rerik)とキュールングスボルン(Kühlungsborn)という街の中間に位置する、バルト海沿岸にある七つの灯台の中で最も高い場所に立つ灯台。高さ20.8メートルのレンガ造りの灯台の展望台からは、天気の良い日にはフェーマルン島や、はるかデンマークの島々までが見渡せる。

OZEANEUM Stralsundシュトラールズントのオツェアネウム

シュトラールズントのオツェアネウム

海洋博物館と水族館が一緒になったオツェアネウムは、2010年に欧州最優秀美術館賞を受賞したシュトラールズントの人気スポット。北海とバルト海、北大西洋をテーマにした常設展のほか、さまざまな魚や甲殻類、ペンギンなど海の仲間たちに会える。展示ホールに吊るされた等身大のシロナガスクジラの模型は圧巻だ。
www.ozeaneum.de

HANSA-PARK Sierksdorfハンザ・パーク・ジールクスドルフ

ハンザ・パーク・ジールクスドルフ

広大な海を眼前に、潮風を感じながら絶叫マシーンに乗って大はしゃぎ!リューベックの入り江に広がる約46ヘクタールのテーマパークには、大人も子どもも楽しめる計70のアトラクションのほか、季節ごとに花木が植え替えられる庭園も。パレードやサーカスなどのプログラムも充実している。
www.hansapark.de

ドイツのビーチをもっと楽しむ海辺での過ごし方

休暇の目的地を海にするからには、海辺ならではの滞在を満喫したいもの。どこに泊まるか、何をして遊ぶか、何を食べるか……。ドイツのビーチをもっと楽しむためのヒントを伝授する。

ビーチで見かけるあの椅子

泊まる

Strandkorb(シュトラントコルプ、「浜辺の籠」の意)は、ドイツのビーチで必ず見かける独特な椅子。砂浜にいくつも並べられ、各々がくつろいでいる様子は夏の風物詩でもある。1882年にロストックの籠細工職人がリュウマチを患っていた女性のために作ったのがはじまり。柳の枝で編まれたシュトラントコルプは、彼女を浜辺の強い風と日差しから守ったという。その後瞬く間に人気となり、ドイツの海辺に欠かせない存在となった。ビーチによってはオンライン予約もできるので、ぜひ海へ出かけるときは利用してみよう!

泊まる

泊まる

旅の宿泊施設といえばホテルが定番だけれど、ハイシーズンは早めの予約が必須。長期間滞在する場合はペンションやバンガロー(Bungalow)、貸し別荘(Ferienwohnung / Ferienhäuser)などを利用するという手もある。予約のストレスを避けたいという人は、キャンピングカーを借りて行くのもおすすめ。北海・バルト海の海辺にも、車を止めて車内で寝泊まりできるキャンプ場(Campingplatz)が数多く存在するので、事前に目的地付近の適した場所を調べておこう。

泊まる

貸し別荘の検索サイト
www.traum-ferienwohnungen.de
www.strandurlaub-nordsee.com(北海)
www.ostsee-strandurlaub.net(バルト海)

キャンプ場の検索サイト
www.camping.info

食べる

食べる

ニシンのマリネのサンドイッチ

北海・バルト海地域で味わいたいのは、もちろん豊富な海の幸! 生ガキやカレイのフライ、ニシンのマリネのサンドイッチなどに加え、タラの幼魚やコイなども。伝統的な料理を試すなら、「 Schnüsch」はいかがだろうか。これはドイツ北部で夏に食べられる定番料理で、ジャガイモ、豆、グリンピース、ニンジン、クリームソースを基本に、タマネギやベーコン、ハム、若ニシンなど、地方によって異なる食材が入った煮込みスープだ。この地域に定住したゲルマン人によって食されていたことに起源を持つという。肉料理なら、特にリューゲン島の人々に親しまれている「Königsberger Klopse」(仔牛と豚のひき肉を使った肉団子のホワイトソースがけ)がおすすめ。ほかにも生クリームをたっぷり載せたラム酒入りのココア「Tote Tante」や、小さな丸い焼き菓子の「Futjes」、梅ムースと生クリームをパイ生地で包んだ「Friesentorte」など、デザートも思う存分楽しんで。

遊ぶ

遊ぶ

宿泊場所が決まったら、滞在中の遊びの計画もお忘れなく。ジェットスキーにウィンドサーフィン、スキューバダイビング、スノーケリング、ボート、ヨット…… 海でのバカンスの醍醐味の一つは、思う存分ウォータースポーツを楽しめること。ヨットはさまざまな種類のものがチャーター可能。ドイツの海でヨットに乗る体験は、生涯の思い出に残るはず。ほかにも干潟を散策したり、馬車に乗ったりと、海辺ならではのアクティビティーを満喫しよう。さらに旧市街地で美しい建築物を眺めたり、博物館で歴史を学んだりと、その島特有の歴史や文化に触れるのもおすすめ。

北海・バルト海の夏のイベント

北海

Wattolümpiade in Brunsbüttel泥オリンピック

泥オリンピック

干潟で泥んこ遊びをする風習がある北海のブルンスビュッテルで、「汚いスポーツは健全なこと」をモットーに2004年から毎年開かれている泥オリンピック。オリンピックという名が付くだけあって、本格的なスポーツ大会として定着しており、泥まみれになりながらハンドボールやサッカー、バレー、そりレース(干潟で使う木のそりを押して走る)など、真剣勝負が繰り広げられる。参加者はもちろん、観客も一体となって大いに盛り上がる大会だ。

2024年8月17日(土)
www.wattoluempia.de

北海

Husumer Hafentageフーズム港祭

フーズム港祭

今年で40周年を迎えるフーズム港祭。5日間の祭りの会期中、絵のように美しいフーズムの港を背景に、ポップスからロック、マーチングバンドや北ドイツの民族音楽まで、さまざまなスタイルのバンドの生演奏が披露される。街中が陽気な音楽で満たされるとともに、ストリートフードの屋台や観覧車、街中のツアー、港での綱引きなどのアクティビティーも満載。地元の人々も観光客も思いっきり楽しめる内容となっている。

2023年8月9日(水)~13日(日)
www.husum-tourismus.de

バルト海

Kieler Wocheキーラー・ヴォッヘ

キーラー・ヴォッヘ

シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の州都キールで毎年1週間にわたって開かれる北欧地域最大の夏祭り。その起源は1882年に当地で開催されたセーリングレガッタといわれ、今なおセーリングはこの祭りの最大のハイライトだ。世界各国から約4000人のヨット操縦者が集まり、その腕を競う姿は壮観。花火や音楽ライブなどのプログラムが、お祭りムードをさらに盛り上げる。

2023年6月17日(土)~25日(日)
www.kieler-woche.de

バルト海

Hanse Sail Rostockハンゼ・セイル・ロストック

ハンゼ・セイル・ロストック

ハンザ時代の興隆の名残りを今に伝えるロストックで行われる世界最大級の帆船祭り。最新の大型帆船から現在では使われていない旧型帆船まで、約200隻の帆船が一同にバルト海上を帆走する。ハイライトは、ドイツで最も美しいセーリングエリアであるヴァーネミュンデで行われる伝統的な帆船「スクーナー」のレガッタ。観客が実際に乗って操縦できる体験プログラムも。約4キロの遊歩道では、バルト海地域の伝統工芸品や郷土料理を売る屋台のほか、移動遊園地も出現する。

2022年8月10日(木)~13日(日)
www.hansesail.com

バルト海の住人にインタビューフェーマルン島での生活はどうですか?

ここまでドイツの島の魅力をたっぷり紹介してきたが、実際のところ、島での暮らしはどのようなものだろうか?ライプツィヒからバルト海のフェーマルン島(p9)に移住して約1年のフィル・ベッカーさんに、島暮らしの魅力や都市生活との違いを聞いた。

お話を聞いた方

フィル・ベッカーさん

フィル・ベッカーさん
Phil Becker

島暮らし歴1年。仕事・プライベート共に、大好きなカイトサーフィンを満喫中。

Q1. 移住したきっかけは?

フェーマルン島に住み始めたのは転職がきっかけです。現在働いているのは、カイトサーフィン用品を扱う会社。インターナショナルに展開しているブランドですが、その拠点がフェーマルン島にあり、カイトサーフィン用品に関わるサービスや修理の提供、技術的な問題についてのお客様へのアドバイスなどを行っています。もともとカイトサーフィンが趣味で、さらにこのブランドの大ファンだったこともあり、この会社のウェブサイトで求人を見つけました。この仕事がなければ、フェーマルン島に引っ越すことはなかったと思います。

Q2. 都市と島での生活には、どんな違いがありますか?

まず、ライプツィヒに住んでいた時よりも自由な時間が増えました。自然の中にいつでも身を置くことができるし、森や湖へ行くために電車や車に乗る必要がありません。大好きなカイトサーフィンも、都市に暮らしていた時よりもずっと簡単に、そして頻繁に練習することができるようになりました。またフェーマルンのような小さな島では、皆が顔見知りです。もしご近所さんに赤ちゃんが産まれたら、3日後には島中に知れ渡っていますよ。

Q3. 島での生活で、大変なことはありますか?

唯一苦労しているのは、冬の時間です。多くの人でにぎわう夏に比べて、シーズンオフ中はほとんどの施設が閉まるため訪れる人も少なく、厳しい冬がやってきます。あとは、ほかの都市に住むパートナーや友人と会いたいとき、それなりに移動に時間がかかってしまうことも難点の一つです。

Q4. 都市と島では、どちらが生活費がかかりますか?

街中に住むよりも日常生活で必要になるお金は多いと感じます。例えば、都市に住んでいたときは車を持つ必要がありませんでしたが、田舎では車がないと大変です。フェーマルン島では、ガソリン価格は平均して1リットル当たり10〜15セントくらい高く、車の管理や維持にもお金がかかります。またレストランやスナックバーの価格帯も、街中よりも高いと思います。

Q5. 買い物に困ることはありませんか?

スーパーマーケットや市場、ドラッグストアなどがありますし、日常生活に必要なものは何でも買えます。一方で、洋服などのショッピングの機会はやや限られており、チェーン店や大きなショッピングセンターなど、全てがそろっているわけではありません。そんなときは車で買い物に行くか、特別なものが必要な場合はインターネットで注文することにしています。

Q6. 週末は何をして過ごしていますか?

週末はパートナーや友人と過ごすか、風がある日は水上でカイトサーフィンをします。フェーマルン島には、自分の趣味を思いっきり楽しめるビーチがたくさんあってうれしいです。また月に1〜2回程度は、島を離れて街へと出かけます。久しぶりに街を訪れると、インビス(軽食店)やクナイペ(居酒屋)が充実している都市を懐かしく思いますね。

Q7. 移住して約1年、フェーマルン島の魅力は?

フェーマルン島での生活は、とても牧歌的で静かです。夏になると、島にはたくさんの花が咲き、畑は菜の花の緑や黄色で染まります。暖かくなってくると、夏の期間中には多くの観光客が訪れますし、おいしいフィッシュサンドも忘れてはいけません。なんといっても新鮮な空気と太陽光のおかげで、いつでもポジティブな気持ちになることができます。太陽の光を浴びて、気分が良くならない人はいないのではないでしょうか?

最終更新 Dienstag, 23 Mai 2023 17:03
 

ビールで味わうドイツ旅

連載「旅ールのススメ」からピックアップ!ビールで味わうドイツ旅

2017年から続く本誌の人気連載「旅ールのススメ」では、ビアジャーナリストのコウゴアヤコさんのナビゲートのもと、毎回おいしいビールを求めてドイツ各地での旅が楽しめる。本特集では、そんな過去の連載の中から、おすすめのご当地ビールを現地の見どころと共に一挙ご紹介。さらにコウゴさん自身のライフワークである「旅ール」との出会いについても語ってもらった。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部、監修:コウゴアヤコ)

参考:旅ールのススメ

ビールで味わうドイツ旅

お話を聞いた方

コウゴ アヤコ

Ayako Kogoコウゴ アヤコ

1978年東京生まれ。杏林大学保健学部卒業。ビール好きが高じて2008年から1年半、ミュンヘンで暮らす。旅とビールを組み合わせた「旅ール」(タビール)をライフワークに世界各国の醸造所や酒場を旅する。ビアジャーナリストとして『ビール王国』(ワイン王国)、『ビールの図鑑』(マイナビ)、『Coralway』(日本トランスオーシャン機内誌)など、さまざまなメディアで執筆。
http://www.jbja.jp/archives/author/kogo

「旅ールのススメ」から厳選!ドイツビール12種

ビールで味わうドイツ旅

デュッセルドルフ

鮮度が命!の「古くて新しい」ビール❶ アルトビア Altbier種類:エール

アルトビア Altbier

ライン河畔に位置するデュッセルドルフは、日系企業や和食レストランが多い「リトルトーキョー」としても有名。旧市街地には居酒屋やバーが軒を連ね、「世界一長いバーカウンター」と呼ばれる。ぜひ飲みたいのが、地ビールのアルトビア。アルト(Alt)とは「古い」という意味で、これは当時新しいスタイルだった下面発酵ビールに対し、伝統的な上面発酵で造られていることから。赤みを帯びた褐色で、引き締まったホップの苦味にカラメルモルトの香ばしい甘さが特徴。

鮮度が命のアルトビールは、居酒屋では小ぶりな円筒型グラスで提供される。飲み干してテーブルに置くと「おかわり」の合図になり、コースターでグラスに蓋をするまで延々とビールが来る。旧市街の中でも人気の酒場が「Zum Uerige」。酒場の建物内で醸造された、新鮮なアルトビールが飲める。

おすすめの醸造所&ビール

Uerige Alt

Uerige Alt
Uerige Obergärige
Hausbrauerei(ユーリゲ醸造所)
創業年:1862年
住所:Berger Str. 1, 40213 Düsseldorf
www.uerige.de

ケルン

大聖堂の街に相応しい上品なビール❷ ケルシュ Kölsch種類:エール

ケルシュ Kölsch

ケルシュは、伝統と品質を守る「ケルシュ協約」に調印しているケルン近郊の醸造所で造られたビール。薄い黄金色と純白のきめ細かい泡が特徴で、フルーティーな香りの上面発酵酵母を使用し、すっきりとした口当たりに仕上がる低温長期熟成で造られる。お店では、シュタンゲと呼ばれる200ミリリットルの細いグラスに注がれる。グラスが空になると新しいビールが提供される「椀子ビール」方式は、アルトビールと同じ。

世界最大のゴシック建築であり、街のシンボルでもあるケルン大聖堂の周囲には、ケルシュの醸造所直営店が数多くあるので、ケルシュのはしごビールにぴったり。「Früh Kölsch」もその一つで、ロゴに記された三つの王冠はケルン大聖堂の聖遺物、東方三博士を示す。大聖堂のすぐ横にある直営店は多くの人でにぎわっている。

おすすめの醸造所&ビール

Früh Kölsch

Früh Kölsch
Cölner Hofbräu P. Josef Früh KG(ケルナー・ホフブロイ・P. ヨーゼフ・フリュー)
創業年:1904年
住所:Robert-Bosch-Str. 15, 50769 Köln
www.frueh.de

フライジング

小麦を使った南ドイツ発祥のビール❸ ヴァイツェン/ヴァイスビア Weizen / Weißbier種類:エール

ヴァイツェン/ヴァイスビア Weizen / Weißbier

ミュンヘン空港から北へ車で15分、フライジングにあるヴァイエンシュテファン醸造所は、現存する世界最古の醸造所。聖コルビニアンが725年に建てた修道院が始まりで、1040年にはここで造ったビールを巡礼者にふるまったという記録も。「修道院でビール醸造」とは意外に思えるかもしれないが、当時の欧州は衛生状態が悪く、ビールは水を一度煮沸して造るため、安全な飲み物として重宝されていた。

醸造所が建つ小高い丘は、手入れされた草花がしげる美しい場所。敷地内にはミュンヘン工科大学の醸造学科も置かれ、最先端の教育や研究が行われている。「Hefeweißbier」は、小麦の麦芽を使用し、酵母をろ過せず瓶内に残したビール。白く濁ったオレンジ色で、苦味は弱く、熟したバナナのようなフルーティーな味わいが広がる。

おすすめの醸造所&ビール

Hefeweißbier

Hefeweißbier
Bayerische Staatsbrauerei Weihenstephan(バイエルン州立ヴァイエンシュテファン醸造所)
創業年:1040年
住所:Alte Akademie 2, 85354 Freising
www.weihenstephaner.de

ミュンヘン

ビール醸造の近代化に寄与したお祭りビール❹ オクトーバーフェストビア Oktoberfestbier種類:ラガー

オクトーバーフェストビア Oktoberfestbier

1810年から続く世界最大のビール祭り「オクトーバーフェスト」。広大な敷地内に巨大ビールテントが並び、初日と2日目にはビールたるを積み込んだ馬車と共にパレードが行われる。ここで提供されるメルツェンビールは、醸造シーズン最後の3月(März、メルツ)に仕込まれ、次の醸造シーズンを迎えるオクトーバーフェストで飲み切る習慣があったことから、オクトーバーフェストビアとも呼ばれる。

このメルツェンの品質向上とビール醸造の近代化に貢献した人物が、シュパーテン醸造所のガブリエル・ゼートルマイル2世。芳醇(ほうじゅん)な香りに仕上がるウィーン麦芽で造ったメルツェンは多くの醸造所の手本となったほか、当時開発されたばかりのアンモニア式冷凍機をビール造りに応用した。お祭りではマース(Maß)と呼ばれる1リットルジョッキで提供される。

おすすめの醸造所&ビール

Spaten Oktoberfestbier

Spaten Oktoberfestbier
Spaten-Franziskaner-Bräu GmbH(シュパーテン・フランチスカーナ醸造所)
創業年:1397年
住所:Marsstr. 46-48, 80335 München
https://spatenbraeu.de

ミュンヘン

「液体のパン」と呼ばれた高アルコールビール❺ ドッペルボック Doppelbock種類:ラガー

ドッペルボック Doppelbock

中世のころ、修道士たちはカトリック復活祭までの四旬節に断食の習慣があったが、液体の摂取なら許されていたことから、栄養が取れるように麦芽のエキス濃度を高め、アルコール度数も高いドッペルボックを飲むようになった。これが1780年に聖フランシスコ会(パウラナー)によって一般にも販売されると、たちまち大人気に。ラテン語で救世主を意味する「Salvator」と名付けられたこのビールに倣い、ほかの醸造所でも「~ ator」と名の付いたドッペルボックが造られた。

毎年3月中旬〜4月上旬には、パウラナー醸造所併設の巨大なホールで「Starkbierfest」を開催。民族音楽が鳴り響くホールで、アルコール度数が高いドッペルボックが提供される。カラメルのような香ばしさと複雑な甘みを味わい、酔いが回って愉快な気分に。

おすすめの醸造所&ビール

Salvator

Salvator
Paulaner Brauerei Gruppe GmbH & Co. KGaA(パウラナー醸造所)
創業年:1634年
住所:Ohlmüllerstr. 42, 81541 München
www.paulaner.comwww.hofbraeumuenchen.de

レーゲンスブルク

黄金色に輝く優しいビール❻ ヘレス Helles種類:ラガー

ヘレス Helles

レーゲンスブルクはローマ時代から続くドナウ河畔の古都で、美しい旧市街地は世界文化遺産にも登録されている。ドナウ川に架かる12世紀に建てられたドイツ最古の石橋を渡り切ったところにあるのが、聖カタリーナ施療院財団が運営するシュピタール醸造所。この施療院は司教とレーゲンスブルク市民によって、病人や老人など助けを必要とする人々のために創立され、ビール醸造は1226年から行われている。現在でも醸造所の奥に礼拝堂と老人ホームがあり、併設のビアガーデンでくつろぐことができる。醸造所がわが庭にある老後生活とはうらやましい限り……。

ここで造られている「Spital Helles」は、麦の香ばしさと甘さが心地よいビール。ホップの苦みは低く、すーっと体に染み込むような優しさがある。太陽の下、ゴクゴクと飲み干したくなる。

おすすめの醸造所&ビール

Spital Helles

Spital Helles
Spitalbrauerei Regensburg(シュピタール醸造所)
創業年:1226年
住所:Am Brückenfuß 1-3, 93059 Regensburg
www.spitalbrauerei.de

ヴェルテンブルク

「暗い」けれど重くないシャープなビール❼ デュンケル Dunkel種類:ラガー

デュンケル Dunkel

ヴェルテンブルク修道院付属醸造所は、南ドイツの自然に囲まれた秘境の地にある。春から秋にかけては、ケールハイムの街からドナウ川を上るクルーズ船が就航しており、40分ほどでこの修道院に到着できる。修道院の創立は600年頃。バロック様式の教会は18世紀の名匠アッサム兄弟によるもので、兄弟の名を冠したビールも。中庭のビアガーデンでは、南ドイツの伝統料理と新鮮なビールを楽しめる。

多くの人が注文する「Barock Dunkel」は、修道院に古くから伝わるレシピに基づいて造られる。デュンケルは「暗い」、「濃い」の意味。濃色から「重いビール」と思いきや、下面発酵、低温熟成で造られるためシャープで軽やか。ロースト麦芽由来のチョコレートのような香ばしい風味とホップの爽やかな苦味が調和し、すっきりと口当たりが良い。

おすすめの醸造所&ビール

Barock Dunkel

Barock Dunkel
Klosterbrauerei Weltenburg GmbH(クロスター・ヴェルテンブルク醸造所)
創業年:1050年
住所:Asamstr. 32, 93309 Kelheim
www.weltenburger.de

バンベルク

世界遺産の街が生んだ薫製ビール❽ ラオホ Rauch種類:ラガー

ラオホ Rauch

ラオホ(Rauch)がドイツ語で煙を意味する通り、薫製ビール(Rauchbier)は強烈な薫製香が漂う。このビールが造られているバンベルクの街は、中世の街並みが残る旧市街地の景観が美しく、世界文化遺産にも登録されている。バンベルクのあるフランケン地方は、良質なホップと大麦が収穫されるビールの銘醸地。

この街で1678年からビール造りをしているヘラー醸造所では、麦芽を焙煎する際、ブナを燃える炎の上に直接さらして乾燥させている。ブナの木はフランケン地方で伐採し、3年間寝かせたものを使用。これによりビールに独特の薫製香が付く。焦げたトーストや深いりのナッツのような香ばしさと苦味が口いっぱいに広がる。好き嫌いが分かれるが、飲み進めるうちにはまってしまう人も多い。スモークしたチーズやベーコンなどとも相性抜群。

おすすめの醸造所&ビール

Schlenkerla Rauchbier - Märzen

Schlenkerla Rauchbier - Märzen
Heller Bräu(ヘラー醸造所)
創業年:1678年
住所:Dominikanerstr. 6, 96049 Bamberg
www.schlenkerla.de

アインベック

マルティン・ルターのお気に入りビール❾ ボック Bock種類:ラガー

ボック Bock

ニーダーザクセン州南部の都市アインベックはハンザ同盟都市として栄えた街。古くから市民による自家醸造が盛んに行われ、アインベックのビールは高品質で知られていた。南はミュンヘンやインスブルック、北はロシアやスウェーデンにも輸出されていたという。寒い時期に好んで飲まれる高アルコールビール「ボック」は、「アインベック」がミュンヘンで訛ったものともいわれる。アインベックは、宗教改革をけん引したマルティン・ルターの大のお気に入りだったことでも有名。議会に呼び出されたルターは、異端者として処罰されかねない事態にあったが、アインベックを飲んで自分を奮い立たせたという。

「AinpöckischBier」は伝統的なレシピで造られたボックビール。ホップのグラッシーな苦さとアルコールの温かさが舌の上にどっしりと残る。

おすすめの醸造所&ビール

Ainpöckisch Bier

Ainpöckisch Bier
Einbecker Brauhaus AG(アインベッカー醸造所)
創業年:1378年
住所:Papenstr. 4-7, 37574 Einbeck
www.einbecker.de

ライプツィヒ

ゲーテの晩年を支えた黒ビール❿ シュヴァルツ Schwarz種類:ラガー

シュヴァルツ Schwarz

ライプツィヒは学問と芸術の街。街の中心にあるライプツィヒ大学では詩人ゲーテや哲学者ニーチェなどが学び、音楽ではバッハやシューマンらにゆかりが深い。ゲーテは晩年、ビールを好み、友人が書簡に「ゲーテはビールとゼンメル(丸いパン)で生きている。召使いにケストリッツァーの黒ビールか、茶褐色のビールを注文するだけなのだ」と書き残しているほど。このケストリッツァーは、ライプツィヒの南東5キロに位置するバート・ケストリッツ村にある醸造所で造られる。

艶やかな黒ビールで漆器を連想させ、ロースト麦芽由来のビターチョコレートのようなほろ苦さと上品な甘みがあり、口当たりはシャープ。ゲーテが学生時代に通い、代表作『ファウスト』のインスピレーションを得たライプツィヒの酒場、Auerbachs Kellerで歴史と共に味わって。

おすすめの醸造所&ビール

Köstritzer Schwarzbier

Köstritzer Schwarzbier
Köstlitzer Schwarzbierbrauerei GmbH(ケストリッツァー醸造所)
創業年:1543年
住所:Heinrich-Schütz-Str. 16, 07586 Bad Köstritz, Thuringen
www.koestritzer.de

ベルリン

「時間」が味に深みを与えるビール⓫ ベルリナーヴァイセ Berlinerweiße種類:エール

ベルリナーヴァイセ Berlinerweiße

ベルリナーヴァイセは、ビール酵母だけでなく乳酸菌や野生酵母によって発酵させるビールで、ベルリンで醸造されたものだけが名乗ることができる。複雑な香りとレモンのような酸味が特徴で19世紀には人気を博したが、人々の趣向の変化により、第二次世界大戦後に残ったのは2社のみに。そんな失われたベルリン独自のビール文化を取り戻すべく、2016年にベルリナーヴァイセ専門の醸造所として誕生したのがシュネーオイレ醸造所。

雪のように白いシロフクロウ(Schneeeule)のイラストと、「e」が三つ連なる醸造名が目印だ。創業者のウルリケ・ゲンツ氏は、「本物の味」を忠実に再現するため、60年ものにもなるボトルから酵母を取り出して培養した。この古い特別な酵母株によって、ビールをグラスに注ぐその瞬間まで瓶の中で発酵と熟成が続く。

おすすめの醸造所&ビール

Schneeeule Kennedy

Schneeeule Kennedy
Schneeeule Brauerei GmbH(シュネーオイレ醸造所)
創業年:2016年
住所:Edinburger Str. 59, 13349 Berlin
https://schneeeule.myshopify.com

ブレーメン

ドイツを代表する圧倒的な人気ビール⓬ ピルスナー Pilsner種類:ラガー

ピルスナー Pilsner

ハンザ同盟都市としてハンブルクに次ぐ港街として栄えたブレーメンには、その繁栄を物語る美しい建物が数多く残る。グリム童話ゆかりの地を結ぶメルヘン街道の終着地でもあり、市庁舎脇には「ブレーメンの音楽隊」の像が立つ。街のもう一つの名物、ベックスの前身となる醸造所Kaiserbrauerei Beck&May o.H.G.は、1873年に創業。すぐにブレーメンを代表する醸造所へと成長したが、経営者も社名も次々と変わり、2016年に業界2位の英国SABミラーを買収してビール飲料の世界シェア3割を占めるまでに。

世界90カ国以上で飲まれるドイツを代表する銘柄へと飛躍した。BECK'S Pilsは、ドイツでも圧倒的な人気を誇るピルスナー。ホップの爽快な苦みと炭酸がしっかりと感じられ、カラカラに乾いた喉にゴクゴクと流し込みたくなる。

おすすめの醸造所&ビール

BECK'S Pils

BECK'S Pils
Brauerei Beck & Co(ベックス醸造所)
創業年:1873年
住所:Beck’s und Haake- Beck Besucherzentrum Am Deich 18/19, 28199 Bremen
https://becks.de

「旅ール」を楽しむための豆知識

ビールの種類は大きく分けて3つ

❶下面発酵ビール(ラガー)

5度程度の低温で発酵させるビール。最終段階で酵母がタンクの底に沈むことから、この名称になった。すっきりと爽やかでシャープな飲み心地が特徴。

❷上面発酵ビール(エール)

15〜25度の高温で発酵させるビール。発酵中に酵母が浮上し、上面に酵母の層ができることからこう呼ばれる。フルーティーで華やかな香り。

❸自然発酵ビール

培養した酵母を使用せず、空気中に存在する野生酵母の力を利用して発酵させるビール。主にベルギーで製造されている。

「ビール純粋令」って?

ビール純粋令(Reinheitsgebot)は、1516年4月23日にバイエルン公国ヴィルヘルム4世が制定した法律。南ドイツのインゴルシュタットで公布され、ビールの品質を保証するために原料を「麦芽、ホップ、水」(1551年には原料に「酵母」が追加)に限定した。

もともとビール純粋令の狙いは、パンを焼くための小麦が不足しがちであったためビールに使わせないこと、小麦ビールの醸造権を独占することにあった。また当時、北ドイツのアインベック(p10)が評判で、一方のバイエルンでは不純物が入ったビールが横行。純粋令によってそれらを一掃し、バイエルンのビールの品質が格段に向上したのだ。1919年、バイエルン公国はワイマール共和国に組み込まれる条件の一つに、ドイツ全体でビール純粋令を採択することを挙げた。これにより、純粋令はドイツ全土で順守されるようになった。

現在もビール純粋令は、ドイツ国内の醸造者や消費者から支持されている。四つの原料しか使用しないが、組み合わせや醸造の方法を変えることで、多種多様なビールが生み出される。近年では、品種改良によってメロンやかんきつ類などフルーティーな香りのホップも誕生。ビール純粋令の伝統にのっとりつつ、醸造家たちの豊かなアイデアと絶え間ぬ努力によって、質の高いドイツビールのブランドが維持されているのだ。

ビール純粋例を制定したバイエルン公国ヴィルヘルム4世。ビール純粋令は、ドイツがビール大国となる大きな契機となったビール純粋例を制定したバイエルン公国ヴィルヘルム4世。ビール純粋令は、ドイツがビール大国となる大きな契機となった

参考:本誌1024号「ビール小話:500周年のビール純粋令」

ビールと料理のペアリング

皆さんが好きなビールのおつまみは?「 ドイツビールにはソーセージ」のイメージが強いかもしれないが、世界中には140種類以上のビアスタイルがあり、味わいもさまざま。どんな食べ物にどんなビールが合うか、ペアリングに挑戦してみよう。

❶ ビールの誕生した国・地域と、料理を合わせる

ビールにはそれぞれ発祥の地があり、その土地の水や風土がビールのキャラクターを作っている。それは料理も同じ。ドイツのピルスナーやヴァイツェンには、ドイツ生まれのソーセージやザワークラウト、プレッツェルがよく合う。旅先のレストランで、ぜひその土地の伝統料理と地ビールを一緒にいただこう。

❷ ビールの色と料理の色を合わせる

ビールの色は、麦芽をローストした時の色によって決まる。色の濃いビールはそれだけロースト香が強いので、焦げ目のついた食べ物や、色の濃い食べ物と合わせてみよう。デュンケルにはシュヴァイネブラーテン(ドイツ風ローストポーク)、アルトにはタレの焼き鳥など、濃い色のビール特有の麦芽の甘味が甘辛いソースと相性ぴったり。ピルスナーならジャガイモ、ヴァイツェンには白ソーセージやシュパーゲルとご一緒に。

❸ 味の相関関係で合わせる

上級編としては、「味の相関関係」を考えてのペアリング。例えば、苦いものに甘いもの(エスプレッソに砂糖)、甘いものに塩気(スイカに塩)といった具合に、味同士の関係性をビールと料理に当てはめてみる。以下の表を参考に、ぜひお気に入りの組み合わせを見つけてみて。

ペアリングの例

  • 酸味×塩味(塩レモンの法則):ゴーゼ×塩焼き鳥
  • 甘味×苦味(コーヒーに砂糖の法則):ドッペルボック× チョコレートケーキ
  • 甘味×酸味(蜂蜜レモンの法則):シュヴァルツ×トマト煮込み
  • 苦味×旨味(味の増幅):ピルスナー×おでん、デュンケル× ハードチーズ
  • 甘味×辛味(和らげ効果):デュンケル×麻婆豆腐
  • スパイシー× スパイシー(香辛料を補う):ヴァイツェン×鶏のハーブ焼き

参考:本誌1018号「ビール小話:ビールと料理のペアリング」

コウゴさんに聞く「旅ール」の楽しみ方ビールに旅をさせない自分から会いに行くのが旅ール

これまでドイツ各地の醸造所を切り口に、ビールのおいしさをはじめ、その土地の歴史や文化など、さまざまな魅力を紹介してくださったコウゴさん。旅とビールを組み合わせた「旅ール」はどのように生まれたのか?そのルーツと共に、旅ールの楽しみ方についてご寄稿いただいた。(文、写真:コウゴアヤコ)

南ドイツでは冬が終わると同時に、公園や広場に椅子とテーブルが並べられビアガーデンがオープンする南ドイツでは冬が終わると同時に、公園や広場に椅子とテーブルが並べられビアガーデンがオープンする

「旅ール」はこうして生まれた

ドイツ人に「どのビールが一番おいしいか」を聞くと、必ず返ってくる言葉があります。「そりゃ、自分の街のビールが一番さ!」。ドイツには街ごとに醸造所があり、みんな自分の街のビールを誇りに思っている。それって、すてきなことだと思いませんか?

何といってもビールは出来立てが一番ですから、ビールに旅をさせず、自分から会いに出かけましょう。醸造所直営の酒場で「グビグビ、プハーっ」とおいしそうに飲み干せば、地元の人が満面の笑みで声をかけてきてくれます。

私が旅とビールを結び付けるようになったのは、バックパッカーとして訪れたベルギーの首都ブリュッセルでのことでした。世界遺産にも認定されているきらびやかな広場グランプラスで、ブリュッセル固有の野生酵母を使った甘酸っぱいビールを口に含んだ瞬間、五感がビビビッと刺激され、自分も歴史に溶け込んだような気分になったのです。

グランプラスを囲むネオゴシック様式の豪華な建築物は、ビール博物館や観光案内所、カフェとして使われているグランプラスを囲むネオゴシック様式の豪華な建築物は、ビール博物館や観光案内所、カフェとして使われている

ビールを通して歴史や文化に触れる

欧州は醸造所の歴史が古く、どこもストーリー性がありますよね。例えば、現存するドイツ最古の醸造所はミュンヘン郊外にあるヴァイエンシュテファン醸造所といわれていて、1040年にはすでにその存在が確認されています。日本だと平安時代です!

天災や戦争などで幾度も閉鎖の危機にさらされながらも、努力の末に現在に受け継がれてきた一杯のビール。昔の人からのバトンをもらっているかのようです。何百年も前の旅人も、私たちと同じようにビールを楽しんだのでしょう。

また、デュッセルドルフにある酒場「Zum Schiffchen」には、ナポレオンが座ったという席があります。当時の店主はどんな気持ちでナポレオンを迎えたのかしら。旅ールは距離(横軸)だけでなく、時間(縦軸)も探求できるという究極のツールなのです。そうやってビールを探求することで、私は街の文化や人々に敬意を払うようになりました。

「Zum Schiffchen」にて、1811年にナポレオンが座った場所「Zum Schiffchen」にて、1811年にナポレオンが座った場所

自分の世界を広げてくれる「旅ール」

さらに、仕事関係ではない友だちができるのも旅ールの「効能」の一つです。各地で開催されるビールイベントやビール醸造所を巡るようになると、そのたびに顔見知りが増えたり、醸造家の人たちと仲良くなったりと、どんどん縁がつながっていきます。

州立ホフブロイ醸造所直営レストランにて。民族音楽が演奏されてお祭り気分!州立ホフブロイ醸造所直営レストランにて。民族音楽が演奏されてお祭り気分!

お気に入りの醸造所を見つけてしまえばもう「沼」です(笑)。季節ごとの限定ビールの発売やビールイベントの開催を、指折り数えて待つようになります。

ビールに会いにいく「旅ール」は、あなたの世界をさらに広げてくれるかもしれません。次の休日はドイツニュースダイジェストを持って、ぜひビールに会いに旅に出ませんか?

コウゴさんが選ぶドイツでの思い出「旅ール」

レーゲンスブルク古き良き田舎町の小規模醸造所

ドイツのビール文化の根幹を支えているのは、田舎に古くからある家族経営の小規模醸造所だと私は考えます。それを実感したのは、レーゲンスブルク郊外のラーバー村にあるミヒャエル・プランク醸造所(Privatbrauerei Michael Plank)でのこと。1617年の創業以来、代々長男がミヒャエル・プランクの名前と共に醸造所を世襲し、現当主で16代目です!直営のガストホフとビアガーデンには村の人たちが自然に集まっておしゃべりをしていて、まるで公共のリビングルームのよう。

親日の人が多く、すぐに笑顔を向けてくれました。ローカルな醸造所ながら、世界的なビアコンペで何度も受賞しており、ドイツビールの基盤の強さを感じました。

ガストホフの壁一面に飾られたビアコンペの賞状は今も増え続けている。田舎では、穏やかな時間と人の温かさが最高のおもてなしガストホフの壁一面に飾られたビアコンペの賞状は今も増え続けている。田舎では、穏やかな時間と人の温かさが最高のおもてなし

ベルリンクラフトビールの飲み歩き

世界的に流行しているクラフトビール。ドイツでもベルリンやハンブルク、ミュンヘンを中心に次々と醸造所がオープンしています。なかでもベルリンにあるレムケ醸造所(Brauhaus Lemke)はそのリーダー的存在。

ハッケシェ・ヘーフェに近いSバーン高架下にある醸造所併設のレストランでいただく樽熟成ビールの豊潤なこと!食事とのペアリングを楽しむなら、クロイツベルク地区でガストロノミーを併設するベルロ醸造所(BRLOBrwhouse)へ。ベルリンには伝統的なベルリナーヴァイセを復刻させたシュネーオイレ醸造所(Schneeeule Brauerei)や、同社が手掛けるクラフトブランド「アナログビア」(Analog.Bier)など、飲みたいものがありすぎて困っちゃう。はしご酒がテッパンです!

クラフトビールとは米国の西海岸に端を発する。ドイツでは2010年以降の潮流クラフトビールとは米国の西海岸に端を発する。ドイツでは2010年以降の潮流

最終更新 Donnerstag, 29 September 2022 08:35
 

アンティークマーケットに出かけよう!

ドイツで「古き良きもの」との一期一会を求めてアンティークマーケットに出かけよう!

ドイツ各地で開催されているアンティークマーケットでは、何十年何百年もの時間を生きてきた食器や洋服、花瓶や小物などの古道具と出会うことができる。特集では、のみの市の歴史をはじめ、ドイツ各地のおすすめマーケット、さらに普段使いしやすいドイツのアンティークなど、その魅力をたっぷりご紹介。ドイツの味わい深い古道具を探しに、アンティークマーケットへと出かけてみては? (文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

アンティークマーケットの起源は?

アンティークマーケットの始まりは、中世末期のフランスとする説が有名だ。当時、中流から上流階級の人々は豪華な服や家具、食器などを使って暮らしていたが、流行が過ぎたり飽きたりするとそれらを捨てていた。商人たちは、この富裕層が捨てたものを回収して庶民向けに販売するように。しかし当時は衛生状態が悪く、捨てられた洋服などからノミ(Floh)が見つかることも少なくなかったことから、「のみの市」(Flohmarkt)という名前が付いたという説がある。その後1890年ごろにパリで、いわゆる今のような形でのみの市が開催されるようになった。

ドイツで最初に開かれたのみの市は、1967年にハノーファーの旧市街地で行われたAltstadtflohmarkt am Hohen Uferで、現在もライネ川のほとりで毎週土曜日に開催されている。さらにその数年後には、ドイツのほとんどの大都市でのみの市が開かれるようになった。ドイツは各地域によって風土や文化が異なるため、マーケットで見られる商品のラインアップが微妙に異なるのが特徴。特にベルリンやライプツィヒ、ドレスデンなどでは旧東ドイツ(DDR)時代の製品が多く見られ、アンティーク好きの間でも人気が高い。

ドイツ語の「Flohmarkt」(のみの市)もしくは「Trödelmarkt」(がらくた市)は、アンティークから手作り雑貨、ジャンク品まで、いわゆる何でもありのマーケットのことを指すことが多いが、それ以外にもコレクターや専門家のための特別なマーケットが開催されている。例えば「Antikmarkt」(アンティークマーケット)や「Briefmarken- / Münzbörsen」(切手/コインのマーケット)、「Computer- / Musikbaser」(コンピューター/音楽のマーケット)、さらに子ども向けの特別なのみの市なども。以下ではその中でも、特にドイツのアンティークが手に入りやすいマーケットを紹介しよう。

参考:flohmarkt-termine.net「Geschichte Flohmarkt」、ARD Planet wissen「Geschichte der Flohmärkte」

一度は行ってみたい!ドイツのおすすめアンティークマーケット

ベルリンマウアーパークののみの市
Flohmarkt im Mauerpark

ベルリンでは週末になると、あちこちで個性豊かなマーケットが開かれる。最も規模が大きいのはマウアーパークで開かれるのみの市。古着や食器、家具をはじめ、手作り雑貨やがらくたなどが山のように並ぶ。国際色豊かな屋台やストリートミュージシャンも多く、ベルリンらしい雰囲気が楽しめる。ここからほど近いアルコナプラッツのマーケットや、オスト駅前で開かれるアンティークマーケット、6月17日通りマーケットなど、数件はしごするのも◎。
www.flohmarktimmauerpark.de

ライプツィヒアグラ・アンティークマルクト
Agra Antikmarkt

ライプツィヒ南東部で毎月最後の週末に開催される「アグラ・アンティークマルクト」は、アンティークに特化したマーケットとしては欧州最大規模を誇る。約90ヘクタールの広大な敷地内には二つの大きなホールがあり、毎回1000以上の出店者が参加している。商品は中古品のみに限られており、新しい製品を売ることは禁止。王朝時代、アールデコ様式、旧東ドイツ製品など、さまざまな時代の家具や製品が所狭しと並んでいる。
www.abuha.de

ニュルンベルクトレンペルマルクト
Trempelmarkt

ニュルンベルクといえば、ドイツ三大クリスマスマーケットの一つが行われる場所だが、この美しい旧市街地では毎年5月と9月に2日間ずつ(金曜・土曜)、盛大なアンティークマーケットが開かれている。約4000のディーラーが集まり、中央広場だけでなく街の至る所にスタンドが立つ。金曜日は24時まで開催されるため、美しくライトアップされたニュルンベルクの街を背景に、ほかでは味わえない特別な買い物を楽しめる。今年は5月13~14日、9月9~10日に開催予定!
www.nuernberg.de/internet/marktamt/trempel.html

アンティークマーケットで見つかる!日常で使えるドイツの古道具

アンティークマーケットに所狭しと並ぶ数々の商品……感性の赴くままに回るのも楽しいけれど、何を買っていいか迷う人も多いかもしれない。ここでは東京でドイツ古道具「doremifa」を営む伊藤夏実さんにナビゲートいただき、比較的手に取りやすく生活になじみやすいドイツの古道具をご紹介。自分で買ったお気に入りのアンティークを、ぜひ暮らしに取り入れてみよう。
写真提供:doremifa

お話を聞いた人

伊藤 夏実さん

伊藤 夏実さん Natsumi Ito

ベルリン留学中にドイツのアンティークと出会い、現在は東京都台東区鳥越にてドイツ古道具店「doremifa」を営んでいる。これまでに買い付けのため、ドイツをはじめ欧州各地のさまざまなマーケットを訪れる。特に好きなアンティークは「銀化したガラスびん」。

素朴な表情が愛らしいヴィンテージのぬいぐるみ

ヴィンテージのぬいぐるみ

ぬいぐるみといえば今やふわふわが主流ですが、古いものだと「木毛(もくもう)」という木から出る長いかんなくずが詰め物になっていて、触り心地も硬めで独特の風合いがあります。特にDDR時代に作られたテディベアは、頭でっかちで手足がずどんとしていて、シンプルな表情がたまりません。またシュタイフ社のヴィンテージのぬいぐるみは全体的に値段も高めですが、たまにお手頃価格の掘り出しものが見つかることもあるので、ぜひ探してみてください。

芸術性の高いイラストに注目博物画

博物画

「博物画」は動植物や鉱物などを詳細に記録したイラストで、もともと16世紀の欧州で博物学とともに発展し、学校などでも使われていました。動物や昆虫の図解など、なかにはデザイン的にぎょっとするものもありますが、どれも独特の面白さがあります。芸術性が高く美しいイラストなので、額に入れて部屋に飾るのもいいですね。

食卓を美しく彩るヴィンテージのカトラリー

ヴィンテージのカトラリー

シルバーのカトラリーは食卓での存在感抜群。特に人気なのが、持ち手部分にバラの花があしらわれた「ヒルデスハイムローズ」のシリーズです。ドイツ北部のヒルデスハイムの大聖堂に咲くバラをモチーフに、1920年代ごろから造られているのですが、年代によって製造方法やシルバーの純度、バラのデザインが微妙に異なります。日本の方からは、装飾が華やかなトングも人気が高いです。

レトロで凝ったデザインが美しい陶器・ガラスの食器

陶器・ガラスの食器

旧東ドイツで造られていた食器は、裏側に「DDR」もしくは「GDR」と書かれているのが目印です。DDR陶器の代表格の一つである「Colditz」は、デザインが素朴で優しい感じのものが多く、日本人の生活にもなじみやすいと思います。ガラスのお皿では、こちらもDDRで造られていた「Olbernhau」(写真)のものが一押し。薄いガラスに凝ったレトロな模様が描かれていて、個人的にはマーケットで見つけるとテンションが上がる品の一つですね。

レトロキッチュなザ・DDR製品DDRの洋服ハンガー

DDRの洋服ハンガー

DDR時代に一般家庭でよく使われていたハンガーで、肩の部分がレトロキッチュな柄で覆われている「ザ・DDR」な商品です。布や毛糸で包まれたもの以外にも、ビニールでコーティングされたものもあり、洋服を掛けるとぐっと雰囲気が出ます。木製のハンガーも素朴でいいですよ。

夜のひとときに温かい光をキャンドルスタンド

キャンドルスタンド

ドイツでは、夕食の時に毎晩キャンドルに火をともすという人や、カフェや居酒屋で夜になるとキャンドルに火を付けてくれるお店などが多く、ろうそく文化が生活に根付いていると感じます。それもあってか、マーケットで見かける燭台のデザインはバリエーション豊か。アドベント用のものや、ろうそくを上げ下げできるものなど、選びがいがあります。小さいものもすてきですが、受け皿が広いキャンドルスタンドだと、ろうがテーブルに垂れなくて実用的です。

当時の生活文化が垣間見える昔の写真&カード

昔の写真&カード

紙ものといえば昔の雑誌や絵本などが定番ですが、アンティークマーケットでは古い写真アルバムやフィルムなどもよく見かけます。当時の生活の様子なども分かるので、ドイツの歴史に興味がある人におすすめです。また昔の結婚式の招待状や、堅信式(小児洗礼を受けた人が、12~13歳ごろに自身で信仰を表明する儀式)のカードなどは、エンボスや箔はく押し加工のぜいたくな作りになっていて、紙製品が好きな人には面白いと思います。

お気に入りを発掘しようヴィンテージのアクセサリー&ボタン

ヴィンテージのアクセサリー&ボタン

ヴィンテージのアクセサリーは、ぐちゃっと山のように積まれた中から、よくよく探すとかわいらしいものを発掘できることが多々あります。個人的には植物や動物がモチーフになっているものが好きです。古いブローチの場合、もともと溶接されていた金具が外れてしまっていると直すのが難しいので買う時にチェックしましょう。また、ガラスボタンは1個売りだけでなく、1枚のシートにたくさん付いて売られているものも。洋服のボタンを付け替えたり、ボタンを使ってアクセサリーを作ったりと、生活に取り入れやすいのがいいですね。

古びた輝きがくせになる銀化したガラスびん

銀化したガラスびん

古いガラスびんを見つけたら、太陽にかざしてみてください。ガラスの表面に雲うんも母状の薄い膜が何層にも形成されていて、プリズムのように光を乱反射してきらめきます! これは ガラスが砂や土に埋まっている間に、土中の鉄、銅、マグネシウムなどと化学変化を起こしたもので、「銀化(ぎんか)」と呼ばれます。銀化したガラスびんの魅力は、やっぱり時間の経過が一目瞭然なところ。花瓶やルームフレグランスとして使うのも良いですが、銀化している部分は水に濡れると見えなくなるので、内側が銀化しているびんにドライフラワーを生けるのもおすすめです。

銀化した表面銀化した表面

いざアンティークマーケットへ押さえておくべき3つの心得

1. 現金は必須

多くのスタンドではカードでの支払いを受け付けていないため、マーケットへ出かける際は現金を用意しましょう。また高額紙幣だと店舗によってはお釣りが無いと言われることもあるので、5~20ユーロ札を用意しておくと無難です。ほとんどのマーケットでトイレが有料なので小銭もあるとベター。盗難やスリなどにも注意しましょう。

2. 梱こんぽう包材を持参する

基本的に、マーケットで購入したものは梱包などせずにそのまま手渡されます。そのため特に陶器やガラス製品などを買いたい人は、新聞紙などの梱包材を用意していくと良いでしょう。アンティークは年季が入っている分、もろくなってしまっていることもあるので、壊さずに持ち帰れるように工夫を。

3. 値段交渉も楽しむ!

マーケットでは値段の交渉も醍醐味(だいごみ)の一つ。全ての商品に決まった値段が付いているわけではないので、まずは「自分がこれをいくらで買いたいか」を考えてみましょう。その上で値段を尋ねてみて、あまりに値段がかけ離れていたら諦められるし、少し予想より高いようであれば交渉の余地あり。あまりしつこく交渉すると嫌な顔をされることもありますが、多くのディーラーさんは、値下げ交渉される前提で値段を伝えてくるので、勇気を出して提案してみましょう。まとめ買いする場合は、値下げ交渉のチャンス!

アンティークマーケットで使えるドイツ語

  • ● Was kostet das?
  • これはいくらですか?
  • ● Das ist viel zu teuer!
  • 値段が高すぎます!
  • ● Können Sie mit dem Preis ein wenig runtergehen?
  • 少し安くしてもらえませんか?
  • ● Wie wäre es mit +(金額)?
  • (金額)でどうですか?
  • ● Ich nehme es.
  • これを買います。

ドイツ古道具店「doremifa」の店主が語るドイツのアンティークに魅せられて

ここまでアンティークマーケットを案内してくれた伊藤さんは、自他共に認めるアンティークファン。東京で経営するドイツ古道具店「doremifa」では、欧州で買い付けた商品のほか、ドイツのアンティークから着想を得たオリジナル商品も販売している。最後に、そんな伊藤さんからドイツアンティークの魅力を聞いた。
写真提供:doremifa

店内にある伊藤さんの宝物コーナー(非売品)

アンティークに興味を持ったきっかけは?

伊藤さんがアンティークと出会ったのは、ベルリンに留学していたころのこと。「ベルリンに住み始めたころ、ドイツでは日曜日にスーパーや小売店など、ほとんどのお店が閉まっていることに驚きました。『みんな、一体何をして過ごしているのだろう?』と思いながら日曜日に散歩をしていたら、たまたまマウアーパークに行きついて。そこで開催されているのみの市がとてもにぎわっていて、面白いなと思ったのが始まりです」。

また、当時伊藤さんが住んでいた家のオーナーも、のみの市で購入したDDR製のポットを大切に使っていたという。「『これはのみの市で買ったのよ。すてきでしょ』と言いながら、普段使いしているのがとても印象的で。生活の中でのこうした古道具の在り方がとてもいいなと思いました」。

doremifa店主の宝物コーナー

そこから週末になると、さまざまなマーケットを回るようになり、アンティークの魅力にどんどんはまっていったという伊藤さん。日本への帰国を決めたころには、本格的に商売としてドイツ古道具店をやろうと思い至り、ベルリン以外にもライプツィヒやドレスデン、さらにブリュッセルなど、欧州のさまざまなマーケットで買い付けを行った。

そして伊藤さんは現在、東京でドイツ古道具店「doremifa」を営んでいる。コロナ禍以前は買い付けのために年に数回ドイツを訪れていたといい、店内に所狭しと並べられたアンティークの数々はまさにドイツのマーケットをほうふつとさせる。「お店には私の宝物たちを並べた『非売品ゾーン』があります(笑)。古い図版やお皿、貝殻などを並べたりしていますが、特に好きなのは、猛烈に銀化したガラスびん。黒っぽいけれど全面が虹色に銀化していて、ベルリンのマーケットで見つけた時はときめきました」。

店内にある伊藤さんの宝物コーナー(非売品)店内にある伊藤さんの宝物コーナー(非売品)

アンティークへの愛が詰まったオリジナル商品も

さらに伊藤さんは、学生時代に彫刻を学んだ経歴の持ち主。アンティークへの愛情とものづくりの技術を掛け合わせて、これまでにさまざまなオリジナル商品を生み出している。

その一つが、ドールヘッド付きのガラスびんだ。頭部の人形は、20世紀初期のドイツで造られていた「チャイナヘッドドール」と呼ばれる頭と手足が陶器、胴体が布でできたもの。しかし壊れやすく、マーケットで見つけるドールは割れていたり、頭部だけになったものがほとんど。「それをびんのディーラーさんが、インクびんのふたに取り付けてリメイクしていました。独特の組み合わせに一目ぼれしたのですが数自体が少ないので、割れたドールを買って自分でも作るようになりました」。

チャイナヘッドドールは、細長い眉にきゅっと結ばれた口元、ほんのり頬を染めた優しげな表情が魅力チャイナヘッドドールは、細長い眉にきゅっと結ばれた口元、 ほんのり頬を染めた優しげな表情が魅力

もう一つは、ウサギとリスのミツロウキャンドル。「クリスマスにベルリンのデザイナーズマーケットに行った時、ウサギのチョコレート型を使って作ったキャンドルを売っている人がいて。そこから着想を得たのですが、家にあったチョコレート型だと安定しなかったので自分で型を作りました。それに溶かしたミツロウを流し込んで一つひとつ作っています」。

ウサギのキャンドルは、ドイツの画家アルブレヒト・デューラーの「野うさぎ」(1502年)を参考に、伊藤さんが原型を彫ったウサギのキャンドルは、ドイツの画家アルブレヒト・デューラーの「野うさぎ」(1502年)を参考に、伊藤さんが原型を彫った

ドイツのアンティークの魅力と共に、古いものを大切にする文化や、日々の生活を楽しくさせるヒントを教えてくれた伊藤さん。アンティークマーケットでの古き良きものたちとの一期一会の出会いを、これからも多くの人に届けてくれるだろう。

ドイツ古道具 doremifa

ドイツ古道具 doremifa

東京都台東区鳥越1-17-3
水:14:00-18:00、金~日:12:00-18:00
Instagram:@doremifatorigoe

最終更新 Dienstag, 10 Mai 2022 14:13
 

ベーシックインカムで月1000ユーロをもらう暮らしとは?

ドイツでただいま実証実験中!ベーシックインカムで月1000ユーロをもらう暮らしとは?

もし今月、いつもよりも1000ユーロ(約13万円)多い収入が得られるとしたら、あなたは一体どうするだろうか? そしてそれが1回だけでなく、恒常的に続いたとしたら……。現在ドイツでは、NPOによるベーシックインカムの実証実験が行われており、そんな問いを社会に投げかけている。コロナ禍で多くの人が仕事や収入を失う事態が発生するなか、欧州ではますますベーシックインカムへの注目が高まった。そもそもベーシックインカムとは何なのか、Q&Aでお答えしつつ、実証実験の様子をレポートする。 (企画・文:見市知)

参考:『ベーシック・インカム』(中公新書)、Michael Bohmeyer・Claudia Cornelsen『Was würdest du tun?』(Econ)、Mein Grundeinkommenホームページ、Pilotprojekt Grundeinkommenホームページ、現代ビジネス「フィンランド政府が2年間ベーシックインカム給付をして分かったこと」(2019年6月17日)、Newsweek Japan「ベーシックインカムはどうだったのか?フィンランド政府が最終報告書を公表」(2020年5月11日)

ベーシックインカムで月1000ユーロをもらう暮らしとは?

ベーシックインカムにまつわるQ&A

Q1 そもそも「ベーシックインカム」って何?

ベーシックインカム(Grundeinkommen)は、日本語では「基本所得」や「基礎的所得」と訳される。労働することによって得る対価ではなく、存在することで得られる対価という発想だ。人間が存在し、生活していくために保障される基本的人権が、経済制度の形を取っているとも説明できる。

「国家が国民の所得を直接保障すべき」という考え方は、実は古くからあった。ベーシックインカムの根本には、「全ての人に最低限の生活ができる所得を支給することで貧困問題が解決できる」という考え方があり、それは「家族手当」や「救貧法」などの形で存在してきている。17世紀の英国では、それまで教会の役割だった「社会的弱者救済」を国家が制度として引き受け、「エリザベス救貧法」(1601年)が制定された。これは、近代社会福祉制度の出発点になったといわれ、哲学者のジョン・スチュアート・ミル(1806〜73)の『経済学原理』(1848年刊)でも、そうした試みが紹介されている。

Q2 生活保護とは何が違うの?

生活保護などの社会保障との最も大きな違いは、無条件で受給でき、使い道も自由であること。また、ほかの収入が増えたとしても、それによってベーシックインカムが減額されたりもらえなくなったりすることはない。無条件で受給できるということは、生活保護や失業手当の場合に必要な受給資格の審査がなく、煩雑な手続きが不要となることを意味する。受給することの対価条件として、何らかの成果を求められることもないのだ。

これにより、生活保護を受ける際にしばしば問題になる「スティグマ」(差別・偏見)の問題がベーシックインカムでは解消され、経済的安定を得ることに対する心理的負担が少ないといえる。生活の不安から解放されるため、労働条件の悪い仕事を回避することにもつながり、人生の選択の自由度が上がることで社会全体の幸福度を押し上げることにもなる。

また、従来の社会保障と比べて手続きが簡略化されるという点から、ベーシックインカムが導入されることで行政コストを大幅に削減できるともされている。

Q3 ベーシックインカムのデメリットは?

最も多く聞かれる反対論が「就労意欲が低下するリスク」だ。「何もせずにもらえるお金があれば、人々は働かなくなる」とする説は根強い。ベーシックインカムを得られるならば、「望まない仕事を我慢する必要がない」として労働を拒否する人が出てくる可能性もある。

さらに財源の確保へのハードルがある。ベーシックインカムを社会保障制度として導入する場合、年金、失業保険、生活保護などに充てられている社会保障がその財源として流用されることになるが、これでは十分ではない。ベーシックインカムを実現するためにはこれ以外に、所得控除をやめてベーシックインカムに置き換え、さらにベーシックインカム以外の所得への課税率を引き上げる必要があるとされている。また、ベーシックインカムは高所得者に対しても同様に支給されるため、富の再分配機能が低下するとも指摘される。

メリット

  • 無条件で受給でき、使い道が自由
  • 生活の不安からの解放、自由な人生の選択
  • 起業や自由な開発の後押し
  • 行政コストの削減

デメリット

  • 就労意欲が低下するリスク
  • 財源の確保へのハードル
  • 所得の再分配機能の低下

Q4 なぜ今、ベーシックインカム導入について論議されているの?

21世紀に入り、急激なデジタル化や技術革新、グローバル化によって社会構造および労働市場に大きな変化が起こっており、近い将来はAIの発達によって旧来の雇用の多くが消滅するといわれている。さらに、地球温暖化などの環境問題に配慮した社会経済の新たな仕組みが求められていることなどが、ベーシックインカム論議の背景として挙げられる。

また、新型コロナウイルスの流行によって、世界中で社会生活制限に伴う経済活動の停滞が起こり、かつてない大規模な補償金や支援金の拠出が各国で必要となった。特に飲食業や観光業、そして芸術・エンターテイメント部門が深刻な打撃を受けたことは言うまでもないだろう。長期化するコロナ禍で、多くの人が先行きの見えない状況に不安やストレスを感じていることから、「補償ではなくベーシックインカムを」という声も上がっている。

期間限定のベーシックインカムとして、毎月支払われる金額はいくらが妥当だと思うか?

期間限定のベーシックインカムとして、毎月支払われる金額はいくらが妥当だと思うか?

※MG(Q6参照)が世論調査研究所Civeyに委託。2020年4月1〜5日にかけて、18歳以上の2000人に調査

コロナ禍を受けて、全ての市民に6カ月間ベーシックインカムが支払われるべきだと思うか?

コロナ禍を受けて、全ての市民に6カ月間ベーシックインカムが支払われるべきだと思うか? ※MG(Q6参照)が世論調査研究所Civeyに委託。2020年4月1〜5日にかけて、18歳以上の2000人に調査

参考:「Grundeinkommen jetzt!」※2020年4月に発表された統計。コロナ禍における休業補償の代わりとして提案された、期限付きベーシックインカム導入に対して実施されたアンケート

Q5 すでにベーシックインカムを導入している国はある?

現時点ではない。しかしフィンランドでは、失業手当を受給している市民2000人を対象に、2017年から2年間にわたって月額560ユーロのベーシックインカムを支給するという実験が行われたことがある。

この結果、雇用においてはベーシックインカム給付を受けた2000人と、それ以外の失業者の間に大きな差はなく、ベーシックインカムの受給が雇用促進には結びつかなかったという結果が出ている。ただし、これは同時に「ベーシックインカムを受給した人が働かなくなるわけではない」という立証にもなった。一方で、健康やストレスの面においてはベーシックインカムの給付を受けたグループの方が肯定的な数字が出ており、全体的な幸福度は上がったという分析がなされている。

Q6 ドイツではベーシックインカムを導入する計画はある?

政府の施策ではないが、ドイツでも2014年からNPOの「Mein Grundeinkommen」(以下MG、「私のベーシックインカム」の意味)が、クラウドファンディングで資金を募り、抽選で選ばれた希望者に1年間ベーシックインカムを支給するという実験を続けている。

MG創設者のミヒャエル・ボーマイヤー氏は、「ベーシックインカムを受給することによって人は自分の存在意義を認識し、経済の不安を取り除くことができる。そうすれば、人生における判断や選択の基準は大きく変わってくるはず」と述べている。ボーマイヤー氏自身が副収入を得ることで同時に心理的安定を得た経験から、この実証実験をする発想に至ったと話している。

さらにMGが中心となり、2021年6月から3年間、選ばれた120人に月1200ユーロのベーシックインカムを支給するという実証実験が始まった。ドイツ国内有数のシンクタンク、ドイツ経済研究所やマックス・プランク研究所、ケルン大学と共同で、ベーシックインカムを受給した人の人生が、経済的、社会的、さらには心理的側面から見てどのように変化するのかを3年間かけて検証する。

ちなみに、2020年8〜11月にかけて実施された受給者の募集では、18歳以上でドイツに住民票があることが応募条件となったが、ドイツ国籍の有無は不問。これに約200万人が応募したという。

特設のライブスタジオで受給者を決める抽選が行われる特設のライブスタジオで受給者を決める抽選が行われる

Mein Grundeinkommen主催者&受給者の声ベーシックインカム実証実験で人生はどう変わるか

ベーシックインカムの分野で注目を浴びている「Mein Grundeinkommen」(以下、MG)は、一体どのようにして始まったのだろうか。前代未聞の実証実験に迫るとともに、実際にベーシックインカムを受給した方にも話を聞いた。

クラウドファンディングで実験資金を調達

コロナ禍前の2019年、ドイツでベストセラーになった本がある。『Was würdest du tun?』(君ならどうする?、Econ刊)は、MGが行なっているベーシックインカム実験の実録だ。月1000ユーロの臨時収入をもらった人たちが何をするのか、彼らの人生はどのように変わるのか、など個々のストーリーをつづったもので、MG主催者のミヒャエル・ボーマイヤーさんが共著の一人となっている。そもそもなぜこの活動を始めたのかを、ボーマイヤーさんはこう説明する。

「本業の傍らやっていたオンラインビジネスで、ある時から月1000ユーロほどの副収入を得るようになったのです。予期せず得るようになったその副収入は、私にとってお金以上の意味を持っていました。経済的な余裕がもたらす心理的作用は大きく、そして選択の自由が広がることに気付きました。

一般からの寄付で財源を集め、3年間のベーシックインカム実証実験が2021年6月1日からスタートした。連邦議会を背景にしたプロジェクトの主要メンバー。左から3人目がMG主催者のミヒャエル・ボーマイヤーさん一般からの寄付で財源を集め、3年間のベーシックインカム実証実験が2021年6月1日からスタートした。連邦議会を背景にしたプロジェクトの主要メンバー。左から3人目がMG主催者のミヒャエル・ボーマイヤーさん

人はよく『楽にお金を得ると働かなくなる』と考えるものですが、そんなことはありませんでした。仕事をするということは、その人が生活の糧を得るだけでなく、社会的アイデンティティーを作る重要な意味を持っているものなのでしょう。そこで、ほかの人たちにもこの体験をしてもらいたいなと思いました。彼らが1000ユーロのベーシックインカムを手にしたとき、何をするのだろうか? と知りたくなったのです」

2014年から始まったこのプロジェクトは今年で8年目、受給者の累計人数は1000人を突破した。MGではクラウドファンディングで資金を集め、応募者の中から無作為で受給者を選び、当選者1人につき1年間、毎月1000ユーロのベーシックインカムを支給する。この1000ユーロは「贈与」とされるため、基本非課税だ。

コロナで失業!ベーシックインカムを受給して再就職

2021年1月から1年間、このベーシックインカムを受給したナージャ・シュメルツァーさんはベルリン在住の仕立て職人だ。シュメルツァーさんは2020年10月までブライダル関係の会社で仕事をしていたが、コロナ禍で結婚式関連のイベントが減少。それ以前からすでに経営が苦しかった会社により解雇された。失業保険や起業補助手当を受けて生活していたシュメルツァーさん。そんな彼女がMGに応募したのは軽い気持ちからだった。

「1ユーロの寄付をするだけで自動的に応募資格が得られると聞いたので、趣旨に賛同するつもりで毎月寄付を始めたのがきっかけです。でも、まさか自分が当選するとは思っていませんでした」

そしてベーシックインカムを受給し始めたシュメルツァーさんの生活に、大きな変化が訪れた。

「その頃はフリーランスで細々と仕事をしていたのですが、ベーシックインカムをもらったことで、あせって仕事を探さなくてもよくなりました。そうしたら、3月に好条件で大手の有名企業から仕事の依頼が来たんです。それが縁になって、7月にはその企業と正規雇用契約を結びました」

シュメルツァーさんのケースは、単に「運がいい人」の話のようにも聞こえる。しかしそこには、仕事をする上でのいくつかの重要なポイントが含まれている。

  • ● 自分にとって条件の良い働き方を探し続けていたこと
  • ● 経済的余裕ができたことで、仕事を選べるようになったこと
  • ● 仕事に必要な先行投資が可能になったこと

さらにシュメルツァーさんが指摘するのが、失業保険などの社会保障に比べて心理的な負担が大きく違う点だ。

「失業保険や起業補助手当の場合、受給にたどり着くまでにたくさんの書類を提出して審査を経る必要があります。さらに、条件対価で何らかの成果を求められる性質を持っています。しかしベーシックインカムの場合は無条件で使い道も自由。お金をもらうことの心理的負担がないんです。この違いは大きいと感じました」

シュメルツァーさんは受給期間中に運転免許証を取り、仕事用に新しいミシンを買った。「一つひとつは膨大な出費ではありませんが、経済的に余裕があってこそできる仕事への投資でした」というシュメルツァーさんは受給期間中に運転免許証を取り、仕事用に新しいミシンを買った。「一つひとつは膨大な出費ではありませんが、経済的に余裕があってこそできる仕事への投資でした」という

これからの生き方に選択肢を与えるベーシックインカム

また、MGスタッフのマリーナ・ギュンツェルさんは、コロナ禍が始まってからの変化について次のように語る。「驚くべきことに、クラウドファンディングへのサポーターが増えました。ベーシックインカムへの応募者が増えることは予想していたのですが、出資者が増えることは想定外でした」。社会全体でベーシックインカムへの関心が高まり、連帯したいと考える人が増えてきたことの表れだとギュンツェルさんは分析している。

世界第4位のGDP(国内総生産)を誇り、経済的に最も豊かな国の一つであるはずのドイツ。しかしその中で多くの人がストレスを抱え、働く人の2人に1人が燃え尽き症候群を経験し、5人に1人の子どもが貧困家庭で育つといわれている。

急激なデジタル化、気候問題、過剰消費、台頭するポピュリズム、そしてコロナ禍……この社会で生きる人々は未来への不安とストレスにさらされ続けている。私たちは今一度立ち止まって、自分たちが生きている社会の在り方を根本的に見直し、自分自身の人生の価値を取り戻す時に来ているのではないだろうか。

MGスタッフのギュンツェルさんは、「コロナ禍が始まってから、ドイツ社会のベーシックインカムへの関心と連帯が高まった」と話すMGスタッフのギュンツェルさんは、「コロナ禍が始まってから、ドイツ社会のベーシックインカムへの関心と連帯が高まった」と話す

最終更新 Dienstag, 19 April 2022 14:17
 

ドイツに生きた永井潤子さん

追悼記事

生涯現役のジャーナリストドイツに生きた永井潤子さん

2022年4月4日、ベルリンに住む一人の日本人ジャーナリストが他界した。3月に米寿を迎えられたばかりだった永井潤子さんは、男女格差が今よりもはるかに大きかった時代に自ら道を切り開き、およそ50年にわたってドイツの地で活躍してきた。常に弱い立場の人々に目を向け、ときに怒りをもって社会情勢を伝えてこられた永井さん。そのかっこいい生き様とは対照的に、どこかお茶目なところもある人物だった。そんな永井さんを偲び、ジャーナリスト精神を貫いてきた彼女の人生を振り返りたい。 (文:ドイツニュースダイジェスト編集部 土井美穂)

参考:永井潤子『放送記者、ドイツに生きる』(未来社)、ベルリン日独センター「永井潤子――87歳の現役ジャーナリスト(リレー❤ エッセイ 日独交流の懸け橋をわたる人)」

おかっぱヘアがトレードマークだった永井さんには、おしゃれな一面もおかっぱヘアがトレードマークだった永井さんには、おしゃれな一面も

筆者が永井潤子さんに初めてお会いしたのは、彼女が83歳のときだった。渡独して間もなかった私を、「ずいぶん年下のジャーナリストの後輩」としていつも気にかけてくださっていた。ケーキがおいしい老舗カフェに連れて行っていただいたり、クリスマスに毎年焼くという「メクレンブルク風ローストダック」の作り方を伝授していただいたり、一見すると祖母と孫のような関係だったかもしれない。一方で、彼女の人生を少しずつ知るにつれて、「厳しい時代を生き抜いてきた強い女性」という印象がどんどん強くなっていった。

女性は出世できないのが当たり前の時代に

1958年に東京外国語大学ドイツ語科を卒業した永井さんは、就職活動で苦労したという。希望していたジャーナリズムの業界では、募集は男性のみというのも当たり前の時代。そんな厳しい条件下で見つけたのが、日本短波放送(現日経ラジオ社)の制作部での仕事だった。プロデューサーとして働き、充実した日々を過ごしていた永井さんだったが、男性の後輩たちがどんどん出世していくなか、自分はいつまでたっても平社員のまま。入社から10年以上がたって導入された能力給も「新人と女性はゼロ」がまかり通っていた。永井さんはいつしか「こんなところで働いていけない」と思うようになる。

そんな折、3週間の休暇でドイツへ旅行したときに転機が訪れる。ドイツ各地に暮らす同級生や先輩を北から訪ねてまわり、ケルンにたどり着いた永井さんは、国際放送ドイチェ・ヴェレの日本語課で働く先輩の職場を訪問した。そこでドイツ人の課長にこう聞かれたという。「ここで働く気はありませんか?」。同社ではちょうど、放送の経験がある日本人女性を探していたのだった。「喜んで」と即答したものの、実際に転職までには2年もの歳月がかかることに。

ドイチェ・ヴェレの日本語放送記者に抜てき

ドイツへの留学経験はなかったが、14年のキャリアを買われて採用された永井さん。1972年にいよいよケルンへ移住したときは38歳だった。新しい職場では、女性はもちろん若い人から年配の人まで、既婚か独身か、子どもがいるかどうかも関係なく働いており、そうした環境に勇気付けられたという。

ドイチェ・ヴェレは当時、30以上の言語で外国向けに放送しており、日本語放送は正午から1時間、短波でドイツに関する情報を発信していた。永井さんの仕事は、ドイツ語のニュースを日本語に訳し、その原稿をマイクの前で読むというもの。基本業務とは別に、積極的に取材にも出かけた。

生前、永井さんのお話によく登場したのが、同僚で親友でもあるブリギッテさんだ。彼女は東ドイツの出身で、「潤子はジャーナリストとして東ドイツの実態を知らなければいけない」と言って、帰省時には永井さんを実家へ連れていった。何度も訪ねるうちに、ブリギッテさんのご家族は永井さんの「ドイツの家族」となった。そして、ベルリンの壁が崩壊したときは、真夜中に電話口で二人で涙を流して喜んだのだった。

ウーマンリブの運動が盛んだった時期、関連テーマの番組をよく制作していたという永井さん。日本人の同僚には、リスナーは日本人男性が多いから、そうしたテーマばかり取り上げるのは良くないと批判されていたことも。逆にドイツ人の課長からは、女性の問題は男性の問題でもあるから、批判を気にせずにどんどん取り上げてください、と背中を押されたのだという。

ドイチェ・ヴェレで働かれていたころの永井さんドイチェ・ヴェレで働かれていたころの永井さん

定年後もジャーナリストとして走り続けた永井さんのエネルギー源とは?

ドイチェ・ヴェレでは定年の65歳まで働き、27年間勤め上げた。そして、2000年の夏には第二の故郷であるケルンを離れてベルリンへと引っ越す。フリージャーナリストとなった永井さんは新首都ベルリンの現状を伝える一方で、NHKのラジオ深夜便で2008年3月までベルリンのリポーターを務め、ラジオ人生は50周年を迎えた。

さらに2011年3月に起こった福島原発事故をきっかけに、ベルリンに住む日本人女性たちと共にウェブサイト「みどりの1kWh」を立ち上げる。脱原発を決めたドイツの政策や再生可能エネルギーに関する情報を日本語で発信するほか、女性、また東独出身者として初めて首相を務めたアンゲラ・メルケル氏についても、永井さんはよく取り上げていた。メルケル氏を評価しつつも、ドイツにおける男女平等や東西格差などの諸問題に対して、常に厳しい視点で記事を執筆していたのが印象に残っている。

永井さんの記事は「ナガーイ」ことでも有名だが、それほど熱のこもった文章だった。彼女のジャーナリストとしての活動はとどまることを知らず、そのエネルギーはどこから来るのだろうとよく不思議に思ったものだ。こうして彼女の人生を振り返ってみると、社会的に弱い立場であった自身の経験からも、おかしいことに対してはっきりおかしいと言う、強いジャーナリスト精神から来ていたのかもしれない。みどりの1kWhへの寄稿は今年1月まで続き、あとから聞いた話では、亡くなる直前も次の記事を計画していたという。

永井さんが亡くなる2週間前、自宅療養していた彼女と電話で話す機会があった。ほんの10分ほどだったが、「こんな世の中になっちゃってね」と、ロシアのウクライナ侵攻について深く嘆いていた。多感な子ども時代に第二次世界大戦を経験した彼女のその言葉を、私は重く受け止めた。コロナ禍に始まり暗いことばかりが続く時代だが、それでも永井さんなら世の中が明るい方へ向かうよう、闘い続けるのだろう。そして今はきっと、まだこれからを生きていく私たちを天国から見守ってくれているはずだ。その生き方からいつも勇気を与えてくださった永井さんに感謝するとともに、心からご冥福をお祈りする。

最終更新 Mittwoch, 20 April 2022 09:02
 

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