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運命の映画に出会える祭りに - ベルリン映画祭レポート

ベルリン映画祭レポート

足立ラーベ加代(映画研究者)

ベルリン映画祭暖冬に恵まれた今年のベルリナーレは、43万人もの観客を迎え、大盛況のうちに幕を閉じた。金熊賞は王全安監督の「トゥヤの結婚」(中国)、銀熊審査員特別賞はアリエル・ロッター監督「ジ・アザー」(アルゼンチン)、同監督賞はヨセフ・シダー監督の「ボーフォール」(イスラエル)、同芸術賞はロバート・デニーロ監督の「ザ・グッド・シェパード」(アメリカ)が受賞した。

しかし、今年は低調だったという印象が否めない。「これは是非観たい」と思うような、カルトな監督の新作が少なかった。フェスティバルの規模を拡大するよりも、優れた芸術作品をできるだけ多く見せてほしいものである。人生を変えてしまうような運命の映画に、毎年の映画祭で出会いたいと思うのは欲張りだろうか?

修復版「ベルリン・アレキサンダー広場」の公開

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の「ベルリン・アレキサンダー広場」の修復版が、華やかなレセプション付き特別上映会で披露された。1980年、全15時間半の連続テレビ映画として撮影された16ミリフィルムが、デジタル・リマスタード版として蘇る。偉大な芸術家のライフワークとは言え、このような問題作を国営テレビで放 映し、国費で修復したドイツの文化水準には畏敬の念を覚える。

ベルリン・アレキサンダー広場
「ベルリン・アレキサンダー広場」撮影中の
ファスビンダー監督とハンナ・シグ

アルフレート・デーブリン原作の主人公ビーバーコプフは、旧約聖書の「ヨブ」の化身としてワイマール共和国の首都に生きる。ファスビンダーの映画版は、「都市小説のメロドラマ化」と揶揄(やゆ)されたものだが、それは外面を内面にひっくり返す、魔術的な仕業であった。

修復版には文字通り目から鱗が落ちる思いがした。柔らかな色合い、透明感、きらめき。従来のコピーとは全く違ったクオリティーが現出している。ファスビンダーが晩年に到達した、完璧なスタイルの封印が今初めて解かれたのである。連日の一般上映会では、若い人たちが食い入るように観ている姿が印象的だった。これはちなみに筆者にとっては青春時代の「運命の一本」だった。

復古調の美 マディン、ソダーバーグ、オゾン

Brand Upon the Brain!
ガイ・マディン「Brand Upon the Brain!」

ガイ・マディンの新作無声映画「Brand Upon the Brain!」 は、オーケストラの生演奏付きで上映された。主人公が子供時代に住んでいた灯台を訪ねると、今は亡き家族の面影が浮かび上がってくる。幻想的な白黒映像が、荒唐無稽なホラー仕立ての物語を蜘蛛の巣のように繊細に織り上げてゆく。舞台上には白衣を着た3人の音響技師たちもいて、水桶をバシャバシャいわせたり、野菜をちぎったり、昔ながらの方法でノイズを製作していた。弁士として登場したのは、なんと女優のイザベラ・ロッセリーニ。観客たちは、無声の画面が醸し出す「音」を現実音が 「模倣する」妖しい実験の虜となった。

スティーヴン・ソダーバーグの「The Good German」は、ドイツの亡命映画人がハリウッドにもたらしたフィルム・ノワールのスタイルを「逆輸出」し、第2次大戦直後の荒廃したベルリンを描いた。当時の記録映像とフィクション映像をコラージュし、思いきり光量を絞って廃虚の陰翳を撮り、ケイト・ブランシェット扮するファム・ファタールのドイツ語オフ・モノローグを流すなど、とてもマニアック。 ただ、いかんせん内容が短絡的で、占領国側の視点に立っているため、ドイツ人観客の逆鱗に触れていた。

フランソワ・オゾンの「エンジェル」はヴィクトリア期の美学を背景にしたメロドラマ。ゴシック建築の邸宅に悪趣味な内装を施し、派手な衣装を身にまとう女性流行作家は、自ら編み出すロマンチックな虚構に埋没し、破滅する。豪奢な内面世界のビジョンが、悪夢のように形骸化してゆくプロセスが圧巻だ。

エンジェル
フランソワ・オゾン 「エンジェル」
記者会見中のフランソワ・オゾン監督
記者会見中のフランソワ・オゾン監督。
左が「エンジェル」主演のロモラ・ガライ

最優秀アジア映画賞受賞作「トゥリ」と「無花果の顔」

フィリピンのアウレウス・ソリト監督の「トゥリ」は新鮮だった。光が画面の中に溢れ、微妙に不安定なフレーミングのまま、思わぬ方向にカメラが移動する。まるでムルナウのタヒチ映画「タブー」を現地の人が撮ったかのような、真に奔放な作風が展開しているのだ。物語の内容もカミングアウトあり、掟破りあり、魔法ありと天衣無縫だ。一見、原始社会の話のようだが、これはたぶん未来の理想の共同体の姿を先取りしているのだろう。

トゥリ
アウレウス・ソリト監督 「トゥリ」

そして「無花果の顔」。「能ある鷹は爪を隠す」とはまさにこのこと。桃井かおりはなぜ今までメガホンを取らなかったのだろうか。数々の独立プロ作品に出演した彼女は、撮影現場の楽しさを熟知しているのだろう。カメラ目線を大胆に取り入れたり、舞台裏を露出したりと、映画というメディアを掌でもて遊ぶ。鈴木清順監督の美術で知られる木村威夫さんに、あんなに変わった間取りの家を発注するのもすごい。そこに桃井の温かい生活感覚が加わり、愛情に包まれた家庭の日常が生き生きと描かれる。演技の素晴らしさはもちろん言うまでもない。

がんばるヒロインたちの鮮烈な軌跡

クリスチアン・ペツォルド監督の「イエラ」は、追いすがり、心中まで企てる元夫を振り切って、都会でキャリアを手に入れようと出奔する女性の物語。観ていて、「えっ?」と思うところが多々あり、全体的にまるで「平凡な映画」を装っているのだが、最後にあっと驚く大逆転がある、恐るべき作品だ。観終わった後、観客は観たもの全てをもう一度頭の中で再構築しなければならない。全てに合点がいって初めて、ヒロインの妄執に心が痛む。ニナ・ホスはこの役で主演女優賞を獲得した。

エディット・ピアフの伝記映画「バラ色の人生」は、偉大な歌手がどのようにプロデュースされたかを、大胆な時空間の飛躍を伴って語る。大蛇のようにズルズルと移動するカメラが、どん底の時にも舞台に立たねばならないピアフを延々と追い回す。人生のあれこれの枝葉を切り落とし、栄光の瞬間にこそ、永遠の真実が宿ることを、ビシッと見せてくれるオリヴィエ・ダーン監督のサ ービス精神が憎い。

イリーナ・パルム
サム・エドワード・ガルバルスキ
「イリーナ・パルム」

サム・エドワード・ガルバルスキ監督の「イリーナ・パルム」で、病気の孫のためにセックス・ショップに働きに出る祖母の役を演じた、歌手のマリアンヌ・フェイスフルは映画祭一の人気者となった。ともすれば下世話な話になるところが、寓意に富んだメルヘンに昇華されており、ヒロインの人柄の温かさに胸を打たれる。ファスビンダーの「不安と魂」を思い出させた。

ドキュメンタリー映画の新時代

想田和弘監督の「選挙」には慄然とした。日本の選挙戦はかなり節操のないものだといわれるが、これほどまでとは。ドキュメンタリーとはとても思えないくらい、どこを切っても出来すぎた話で、まるで伊丹十三さんの劇映画を観ているみたいだ。近頃、政治家の失言が問題になっているが、あの「見識」は与党の体質から出たも ので、それに投票する有権者も同類であることが、この映画によって世界に向けて暴露されてしまった。

カリガリ賞に輝いたアンニャ・ザロモノヴィッツ監督の「その少し前のことだった」の冒頭では、仕事中の国境警備員がふと顔を上げて、淡々と独白を始める。続いてストリップ劇場経営者が、訪問販売の女性が、合唱団の人が、リレー方式で語り継いでいくのは、人身売買被害者の調書だ。ストローブ&ユイレの「アンナ・マグダレナ・バッハの日記」を思わせるミニマルな形式を駆使し、フィクションの中にドキュメンタリーがあり、その逆も真なりという、リアリティーの特異な次元を浮かび上がらせた。

シンドラーの家
ハインツ・エミッヒホルツ監督
「シンドラーの家」

ハインツ・エミッヒホルツ監督の「シンドラーの家」は、建築家ルドルフ・シンドラーの建てた40軒の家を不動のショットでじっくりと見せる。画面はいつも少し傾いているが、それが空間をより立体化し、見る人をぐっと中に引き込む。映画がいかに私たちの知覚を押し拡げるかの潜在性を示す、要チェックのプロジェクトである。

回顧展「City Girl」と岡本喜八特集

その他、レトロスペクティブ部門では「City Girl」と題して、無声映画の女性像を特集、アスタ・ニールセン、グレタ・ガルボ、ルイーズ・ブルックスらと共に栗島すみ子、岡田嘉子も取り上げられていた。珠玉の名篇の数々が現代女性の魅力を回顧させる、すばらしいプログラムだった。

東京フィルメックス映画祭から巡回された、岡本喜八特集も好評を博していた。「独立愚連隊」や「肉弾」などの、アナーキーな笑いと真摯な反戦メッセージを振りまく傑作 群は、クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を遥かに凌ぐ。9作品が3月中旬までベルリン・アルゼナル館で続映されるので、是非お出掛けください。

最終更新 Dienstag, 03 September 2019 16:15
 

カーニバルがやってくる

カーニバルがやってくる

暗く長い冬の欧州で、春を待ちわびながら大人も子どもも関係なく盛り上がるのがカーニバル(謝肉祭)。日本人にとっては今イチ馴染みの薄いお祭りですが、せっかくドイツにいるのならば、一度は皆に混じって一緒に盛り上がってみたいもの。カーニバルのイロハからその楽しみ方までたっぷりご紹介します。(編集部)

1. カーニバルってなに?

イエス・キリストの復活を祝うのが春のイースター(復活祭)。そのイースターの前の40日間、キリスト教徒は断食と祈りで過ごすのが常だったが、その断食に入る前に思いっきり飲食と贅沢の限りを尽くすのがカーニバル。宗教色が薄れた現代では、この期間中だけは老いも若きもJecken(浮かれもの)とNarren(道化者)に化して、 寒く、暗い冬の憂鬱な気分を吹き飛ばそうとするイベント的な色彩が強い。

地域的にみると、カーニバルを盛大に祝うのは、ケルン、デュッセルドルフ、マインツなどカトリック教徒が人口の多数を占めるライン川沿いの町々。普段は生真面目なドイツのおじさん、おばさんたちもここぞとばかりに仮装し、馬鹿騒ぎを楽しむ。カーニバルによってもたらされる経済効果は絶大で、ちなみにケルン経済圏だけでも、その売り上げは、5億ユーロに上るという試算が出されている。

また一口にカーニバルといっても、都市や町によって祝い方は様々。はしごして異なる雰囲気を味わってもいいかもしれない。

カーニバル
右)デュッセルドルフ市内にあるカーニバルハウスに描かれたホッペディッツ

2. カーニバルの歴史

カーニバルを祝うようになったのは中世から。騎士と貴族による宮廷での舞踏会や仮装パーティーがその発端となった。19世紀初頭に入ると、為政者やお上を揶揄するという要素が加味されるようになり、フランス人やプロイセン人など支配者が持ち込んだ軍隊的な風俗習慣がからかいや笑いの対象となった。今でもカーニバルの宴会でみられる近衛兵の制服を着た一団(Prinzengarde)や木製の銃、Tanzmarichenと呼ばれる踊り子もナポレオンを皮肉ったことから生まれたものだ。

カーニバルのハイライト、ローゼンモンタークの山車行列が始まったのはケルンとデュッセルドルフがそれぞれ1823年と1825年、マインツはその11年後の1836年で、現在にいたるまで戦争などの非常事態を除き、毎年、山車行列が続いている。

カーニバルは、政治の影響とも無縁ではいられない。例えば同性愛者が弾圧されたナチス政権下では、本来男性が仮装するカーニバルの王女役が禁止され、女性が王女に扮することが強制された。また山車にもユダヤ人の追放を示唆するプラカードが掲げられ、暗い影を投げ掛けた。世相を濃厚に反映するお祭り、それがカーニバルなのだ。


三角帽子はプロイセン時代の名残り

3. 年明け前からカーニバル

カーニバルといえばとにかく、ローゼンモンタークのパレードが大々的に取り上げられる。何十台も連なる山車(Kamelle)が繰り出され、沿道を埋めた観衆にお菓子がばらまかれる風景はすっかりお馴染みだろう。とはいえこの日ばかりがカーニバルではない。カーニバルシーズンの幕開けを迎えるのは前年の11月11日11時11分。カーニバルの精霊であるHoppeditz(ホッペデイッツ)が目覚め、シーズンの開始を宣言する。そして年明けの1月6日(Heilige Drei Könige)にはカーニバルの王子(Prinz)と王女の披露宴(Prinzenkürung)が開かれ、カーニバルの宴会(Karnevalsitzung)が次々とスタート。その後、室内での催会はローゼンモンタークのパレード前週の木曜日から街へと外に移行し(Straßenkarneval)、クライマックスに向けてムードは徐々に高まっていくのだ。

カーニバルカレンダー
2月15日(木) 女性たちのカーニバル Weiberfastnacht
2月17日(土) カーネーションの土曜日 Nelkensamstag
各地の居酒屋は飲めや歌えやで大賑わい
2月18日(日) チューリップの日曜日 Tulpensonntag
ケルンでは町内会や学校単位の行列が出る。小さいながらも「最もオリジナリティ溢れる」とし て定評がある
2月19日(月) ローゼンモンターク Rosenmontag
山車行列 * Rosen - はバラの意ではなく、 rasen(=騒ぎ狂う)という言葉から来ている
2月20日(火) スミレの火曜日 Veilchendienstag
小さい町や大都市の周辺自治体ではこの日に山車行列が出るところも多い
2月21日(水) 灰の水曜日 Aschermittwoch
ホッペディッツの人形が燃やされ、人々は魚などを 食べ、ささやかな祝いでカーニバルを締めくくる
カーニバルを女性の手に
男性の手にあったカーニバルのお祭りを女性も楽しもうとしたのがWeiberfastnacht。ボンのボイエル地区では、洗濯女たちがカーニバル前の木曜日には洗濯屋を閉めて1年に1回の休みを楽しむという慣わしがあり、そこから1824年には女性委員会というのを立ち上げ、カーニバルの女性参加を働きかけるようになった。そしてこの洗濯女による「女性パワー」を象徴する記念として、1957年からは「洗濯王女」(Wäscherprinzessin)を先頭に、女性委員会の面々がボイエルの役所を占拠するというイベントが開かれている。

4. 歌え♪カーニバル♪♪

カーニバルは歌がなくちゃ始まらない、とばかりにカーニバル期間中、電車に乗った人は皆で合唱して盛り上がるドイツ人の一団に出くわすことが多い。「Einmal am Rhein」や「Viva Colonia」など定番曲を耳にした人もいるだろう。CDも販売されているので、ドイツ人との斉唱を目指して購入するもよし、「これぞドイツならではのお土産」にしてもいいかもしれない。

5. 初めてのカーニバルを楽しむための5カ条

tick仮装して楽しもう。ドイツ人は、お年寄りだってここぞとばかりに仮装する。「ちょっと恥ずかしい」なんて照れずにド派手な衣装で繰り出そう。ただ薄着で風邪をひいたなんてことにならないよう気温は天気予報で確認するのを忘れずに。

tickAltweiberfastnachtの「女性パワー」は、今でも会社で男性の着けているネクタイをちょん切るパフォーマンスに象徴されている。ドイツ人の女性従業員がこの日、ハサミ持ってあなたの所に近寄ってきてもあせらないように!

tick期間中に盛り場を歩いていてまるで見も知らぬ女性からチュッと接吻されても動転しないように!これは「Buetzchen」と称されるれっきとしたカーニバルの伝統。初心者なれどもここはBuetzchenで返そう。

tickカーニバルの賑やかな雰囲気にはやっぱりアルコール。デュッセルドルフなら地元のアルトビール、ケル ンならケルシュで盛り上がろう。

tickパレードへの掛け声はゆめゆめ、お間違えなきよう。「Alaaf(アラーフ)」と叫んでもいいのはケルンだけ。 敵対関係にあるデュッセルドルフ(ここでの掛け声は Helau(ヘラウ))でAlaaf なんて口走ろうもんなら袋叩きにあっちゃう?

6. ミュージアムでカーニバルを予習する

カーニバルミュージアム カーニバルについてもっと深く知りたいという人にはケルンのカーニバルミュージアムがお薦めだ。神話に登場する神々を称えて古代ローマ人が仮面をかぶって行列をなした祝いから始まって現代まで、時代とともに変遷していったカーニバルの姿が写真や展示品を通じて分かりやすく説明されている。

例えば、「プロイセンの支配時代には、カーニバルの華やかさは陰をひそめ、統制されるようになったが、それでも禁止されることがなかったのはプロイセン人がカーニバルを祝うことを許し仮面をつける許可を与える代わりに、代金を徴収し、そのお金で貧しい人々の食事をまかなうようにしたからだった。そして志を一つにするという意味で三角帽子をかぶる習慣が広がっていった」とい うような、豆知識を身に付け、うんちくをかたむけられるようになればあなたもカーニバル通だ。

Kölner Karnevalmuseum
Maarweg 134-136, 50825 Köln
0221-574-00-0
0221-574-00-37
www.koelnerkarnevalmuseum.de

7. カーニバルはドイツ人だけのものではない!

カーニバル特有のノリを初めて目の当たりにして「ついていけない」と思った人も多いはず。でもこういう時こそ、ドイツ人社会に溶け込むいいチャンスなのだ。デュッセルドルフ日本人学校の元教諭中嶋総雄さんも子供たちにドイツの生活文化に触れる機会を作ろうと自らがまず飛び込み、同市のカーニバルの宴会(Karnevalsitzung)の舞台に日本人として初めて立ち、デュッセルドルフ方言を駆使した漫談で笑いをとった強者だ。その軽妙なしゃべりぶりだけでなく、その年ごとのテーマに合わせた仮装(ネアンデルタール人から女装まで!)も堂々と着こなし、すっかり人気者になった。「やり始めるとノッちゃうんですね。日本人が誰もいないから抵抗なくできちゃうんです」と語る。また中嶋さんが1981年にアレンジして実現した、日本人学校生徒によるカーニバルの行列行進は今も引き継がれている。

中嶋さん
右)カーニバルの宴会で、盛り上げ係にも抜擢された (Zeremoniemeister)
左)ドイツ人も真っ青のジョークで話題の人に

最終更新 Dienstag, 03 September 2019 16:23
 

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