Hanacell
特集


ドイツでスタート!気になる習い事

今年もやってきたクリスマスマーケットの季節!
1年の中で最も暗くて寒く、心細い季節に、暗闇を照らす光のように
街中に現れるクリスマスマーケットは、
ドイツに住んでいて良かった!と思える一大イベントです。
今年はクリスマスマーケットの屋台に焦点を当て、地元民目線での楽しみ方に迫ります。
(テキスト:見市 知、編集部)

マーケットの屋台で何を食べる?

焼きソーセージ 焼きソーセージ
Bratwurst

クリスマスマーケットの、というよりドイツと言えばおなじみの焼きソーセージ。各地のクリスマスマーケットではご当地 ソーセージを食べ比べてみるチャンス!定番のテューリンゲン風ソーセージから、小さいサイズで濃厚な味のニュルンベルク風ソーセージまで、クリスマスマーケットを渡り歩くと、ソーセージのバリエーションの豊富さを知ることができます。

ライベクーヘンライベクーヘン
Reibekuchen

すりおろしたジャガイモを油で揚げたものに、リンゴムースを添えて食べます。ライベクーヘン1枚だけでも十分胃に重いというのに、3枚セットになっています。それでも毎年見掛けると、ついつい食べたくなってしまうんですよね。

シュップフヌーデルン
Schupfnudeln

シュップフヌーデルン主に南東部のクリスマスマーケットでよく見掛 けるのがシュップフヌーデルン。ザワークラウ トとベーコンを、太くて短いヌードルと煮込ん だ「おふくろの味」風ドイツ料理。寒い日に食 べると体が温まって、ザワークラウトでビタミンも補給できる、嬉しい一品です。

フラムラックスフラムラックス
Flamlachs

直火で焼いたサーモンの身をほぐしてサンドイッチにしたフラムラックスは、最近ベルリンのクリスマスマーケットでよく見 掛けます。ちなみにこれ、もともとはフィンランド辺りの北欧料理から発想を得たものだったとか。

クリスマスの名物お菓子あれこれ

ペッファークーヘンペッファークーヘン
Pfefferkuchen

レープクーヘンと似ていますが、甘みにハチミツではなくテンサイ糖を使用しており、素朴な味わいがペッファークーヘンの魅力。ドレスデン近郊のプルスニッツという町が、ペッファークーヘン作りで有名です。

シュトレンシュトレン
Stollen

ドレスデン発祥とされるシュトレンも、クリスマスシーズンになくてはならないお菓子の一つ。12月5日(土)には、巨大なシュトレンを載せた山車が街中を練り歩く、「シュトレンフェスト」がドレスデンで開催されます。

レープクーヘンレープクーヘン
Lebkuchen

クリスマスのお菓子の代表格といえばレープクーヘン!レープクーヘンの中でも最高級品 とされるエリーゼンレープクーヘンは、小麦粉でなくナッツが主原料。ニュルンベルクはレープクーヘンの町として有名です。

フリュヒテブロートフリュヒテブロート
Früchtebrot

干しイチジクなどの乾燥フルーツやナッツを固めて作ったフリュヒテブロート。薄くスライスして食べます。バターも卵もお砂糖も入っていない、自然派の「フルーツのパン」。フルーツの自然な甘みが、上品で心地良いお菓子です。

とっておきの工芸品を見つける

くるみ割り人形 くるみ割り人形
Nussknacker

ドイツのクリスマスと切っても切れない関係にあるこの伝統工芸品は、もともと権力への風刺として生まれたものだったとか。最近では、現代的な優しい顔のくるみ割り人形もありますが、やはり伝統的な怖い顔が、ドイツのクリスマスにはなくてはならない存在なのかも。

くるみ割り人形 スモーク人形
Räuchermännchen

木製の人形の中にお香を入れて炊くと、口から煙が出てくる仕掛けのスモーク人形。この煙が家の煙突から出てくるという仕掛けのものもあります。写真は、エルツ山地のクリスマスマーケットで見つけた煙突掃除屋さんのスモーク人形。煙突掃除屋さんは幸運のシンボルです。

蜜ろう細工
蜜ろう細工 Bienenwachs

ろうそくの明かりは、クリスマスシーズンのお部屋の雰囲気作りに欠かせません。蜜ろう細工のクリスマスオーナメントも、趣があります。ただ、天使や動物の形をしたろうそくは、火をつけるのがどうしてもためらわれます。そして、これは結局、火をつけずに飾って楽しむためのものなのだという結論に達しました。

陶器オーナメント
陶器オーナメントPorzellan

ニュルンベルクで見掛けた陶器のオーナメントは、古いレープクーヘン型を使って焼いたもの。こんな手作り感あふれる地元ならではの工芸品も魅了的。町によっては、クリスマスマーケットと並んで工芸市が開催されているところも。掘り出し物との出会いがあるかもしれないので、要チェックです!

小さな町の個性あふれる おすすめ穴場マーケット

フライブルク Freiburg

Freiburg

エコ都市として知られるフライブルク。かわいらしい街並みにエコの理念がしっかり息づいているこの町のクリスマスマーケットは、そんな土地柄を反映しています。屋台の食器はお持ち帰り用以外には紙皿やプラスチック容器を使わず、洗って再利用できるものが使われています。屋台からエコや健康への配慮が垣間見えます。

www.weihnachtsmarkt.freiburg.de
Rathausplatz, 79098 Freiburg
2022年11月17日~12月23日
月〜土曜日 10:00〜20:30
日曜日 11:30〜19:30
2022年12月23日 10:00〜19:30

ジークブルク Siegburg

ジークブルク Siegburg

ボンの北部に位置するジークブルクでは、中世の雰囲気を再現しています。売り子さんたちの衣装も屋台もすべて中世風で、昔ながらの手法で作られた工芸品が並び、木製メリーゴーラウンドは手動式という徹底ぶり。ここでは、はちみつ入りのホットワイン「Met(メート)」が売られています。甘さとアルコールが強めです。

www.mittelalterlicher-markt-siegburg.de
Marktplatz ,53721 Siegburg
2022年11月19日~12月22日
日〜木曜日 11:00〜20:00
金〜土曜日 11:00〜21:00

モンシャウ Monschau

モンシャウ Monschau

アーヘンからバスで1時間。ベルギー国境の山間部にあるモンシャウは、17世紀ドイツの木組みの家々がそっくりそのまま残り、別名「アイフェルの真珠」と呼ばれる美しい町です。マルクト広場に立つクリスマスマーケットは、この時期に降り始める雪を背景に、同地方で最もロマンチックなマーケットとして人気。

www.monschau.de/de/aktuell/veranstaltungen/detail/Monschauer-Weihnachtsmarkt-2022-3369G/
Marktplatz, 52156 Monschau
2022年11月25日〜2022年12月18日
金〜土曜日 11:00〜20:00
日曜日 11:00〜21:00

アンナベルク Annabergアンナベルク Annaberg

クリスマスの伝統工芸品の産地として名高 いエルツ山地。その中でもアンナベルクのクリスマスマーケットはおすすめです。くるみ割り人形やスモーク人形、その他クリスマスの伝統工芸品やおもちゃの種類が豊富にあり、それを地元価格で購入できるのも魅力。一方で、日用雑貨や衣料品の屋台が目につく「普通っぽさ」もご愛嬌。

www.annaberg-buchholz.de/de/tourismus/annaberger-weihnachtsmarkt.php
Markt 1, 09456 Annaberg-Buchholz
2022年11月25日~12月23日
月〜木曜日 10:00〜19:00
金〜日曜日 10:00〜20:00

リューベックリューベック Lübeck

かつて商業都市として隆盛を誇ったハンザ都市の「女王」リューベックのクリスマスマーケットでは、この町の美しさを改めて 実感できます。13世紀に建てられたという古い市庁舎前のメイン会場に始まり、中世風クリスマスマーケット、グリム童話の場面を再現した子ども向けアトラクションなど見どころ十分。

www.luebecker-weihnachtsmarkt.de
Rathausmarkt / Breite Str., 23552 Lübeck
2022年11月21日~12月30日
月〜木曜日 11:00〜21:00
金〜土曜日 10:00〜22:00
2022年12月24日 11:00〜14:00
2022年12月25日 休み
2022年12月26日 13:00〜20:00
2022年12月30日 11:00〜18:00

クリスマスマーケット小話

クリストキントクリストキントは
どうやって選ばれるの?

毎年、オープニングの様子がテレビのニュースで報じられるニュルンベルクのクリスマス市。そのオープニングに登場する天使の姿をした「クリ ストキント」は、2年ごとに地元在住の16~19歳の女の子の中から選ばれます。身長は160センチ以上で高所恐怖症ではないことなどが条件。期間限定ご当地アイドルみたいな存在です。

グリューワイングリューワインの
おいしい飲み方は?

赤ワインに砂糖とスパイスが入ったグリューワインは、寒い日に飲むと身体が温まって嬉しい飲み物ですが、このグリューワイン、あまり温め過ぎてはいけないのです。専門家によると、理想的な温度は72~73度。78度を超えるとアルコール分が飛んでしまい、味わいや色にも変化が起こるのだそうです。

一番人気の高い国内で一番人気の高い
クリスマスマーケットは?

クリスマスマーケットの人気を訪問者数で計ると、ビルト紙などの調べで 一番人気が高いのはケルンのマーケット。毎年400万人以上の訪問者を記録しています。その中でも特に人気の場所が大聖堂前のクリスマス市。実はケルン大聖堂には、イエス・キリストの誕生を祝って訪れたと聖書に書かれている「東方の三博士たち」の遺骸が納められています。

暗くなってから?クリスマスマーケットは
暗くなってから行くもの?

クリスマスマーケットの楽しみ方は、各人様々あるけれど、「日が落ちて暗くなってから出掛けて行く」とこだわるドイツ人が結構多いのです。つまり、夜市のような感覚なのでしょう。しかし、寒い冬の夜に出掛ける場合、防寒は必須。特に足元はしっかりしたブーツや冬靴をはき、軽装、できれば手ぶらで出掛けるのがお勧めです。クリスマスマーケットの訪問客を狙ったスリも多発するので十分ご注意を。

ドイツ クリスマスマーケットめぐり

読者プレゼント!

ドイツ クリスマスマーケットめぐり
(産業編集センター)見市 知著

ドイツのクリスマスマーケットと、クリスマスの文化を紹介したフォトエッセイ。国内10都市の多彩なクリスマスマーケットを巡ります。

読者プレゼントの応募は締め切りました。
たくさんのご応募ありがとうございます。

最終更新 Freitag, 02 Dezember 2022 18:32
 

ドイツと日本の冬の行事カレンダー2015

冬の行事

古くから伝わる習慣や伝統には、健康に、
そして幸せに暮らせますようにという願いと、
生活の知恵が一杯に詰まっています。
だからこそ、日本から遠く離れて暮らしてはいても、
日本の風習を大切にしたい。
でも、ドイツで暮らしているからこそ、
この国の行事も経験したい。
そうお考えになる人は多いのではないでしょうか。
ドイツで過ごす冬が、日独の両文化を大切にした
温かいものになりますように。
(編集部: 高橋 萌)

ドイツ Deutschland

11月 November

29日1. Advent
第1アドヴェント

クリスマスを祝う期間であるアドヴェント(待降節)は、クリスマスの4週間前の日曜日から始まります。この日に、アドヴェンツクランツの1つ目のキャンドルに火を灯すので、アドヴェンツクランツのご用意はその前に。各地のクリスマスマーケットが続々とオープンし始めるのも、アドヴェントに入ってから。いよいよ、ドイツの冬の行事のハイライトであるクリスマス・シーズンの幕開けです!

アドヴェンツクランツアドヴェンツクランツ
もみの木などで作られたリースに4本のろうそくを立てたものが、アドヴェンツクランツ。第1アドヴェントの朝食時に最初の1本に火を灯し、第2、第3、第4と日曜日が来るたびに点火して、クリスマスの到来をカウントダウン!

クリスマスマーケット
ドイツ各地で開催されるクリスマスマーケットは、次号(11月20日発行)のクリスマスマーケット特集でご紹介します!

12月 Dezember

聖バルバラの日4日Barbaratag
聖バルバラの日

聖女バルバラの日には、さくらんぼの枝(Kirschzweige)を手折って水に差し、家に飾る習慣があります。暖かい家の中でつぼみを付け、クリスマスに白い花を咲かせる様子が、新しい生命、つまりキリストの誕生を祝福しているとされ、咲いた花の数で幸福を占うという風習も。

6日Nikolaustag / 2. Advent
聖ニコラウスの日 / 第2アドヴェント

ドイツでは、サンタクロースの起源とされる聖ニコラウスが12月6日にやって来るので、5日の夜に、子どもたちは洗いたての靴下をつり下げて眠りにつきます。聖ニコラウスは、子どもたちの日々の行いが記されている本を持っていて、靴下いっぱいのプレゼントをもらえるのは良い子だけ。悪い子は、大きな袋を持った恐ろしい風貌のクネヒト・ループレヒト聖バルバラの日(Knecht Ruprecht)という聖ニコラウスの従者によって鞭でお尻を叩かれ、最後は袋に詰められて連れ去られてしまうといいます。「ドイツ版なまはげ」のようなものですね。

アドヴェンツ・カレンダー
クリスマスを心待ちにする子どもたちにとって、アドヴェンツ・カレンダーも欠かせないアイテムの1つ。12月1日から24日まで、24の数字が窓になっているカレンダーで、毎朝日付に従って1つだけ窓を開けることが許されます。そこに、小さなプレゼントやチョコレートが入っているタイプのものが特に人気!

8日Mariä Empfängnis
無原罪の聖マリアの日

クリスマス用のクッキー聖母マリアが、母聖アンナの胎内に宿ったことを記念する日。ドイツでは、伝統的にこの日からクリスマス用のクッキーや焼き菓子作りをスタートするのだそうです。

13日3. Advent
第3アドヴェント

20日4. Advent
第4アドヴェント

24日Heiliger Abend
聖夜

クリスマスの飾り4週間もかけてクリスマスの準備を進めるドイツですが、意外にも、家庭でクリスマスツリーの飾りつけが行われるのは、クリスマスイブになってから。もみの木(Tannenbaum)など、本物の針葉樹をツリー用に購入し、家族で飾りつけます。飾りつけが終わったら、家族がそれぞれに贈るプレゼントをツリーの下に置き、夕食の後にいよいよプレゼント交換です。クリスマスイヴは祝日ではありませんが、午後から交通機関が特別ダイヤで運行される地域もあります。

クリスマスの飾り
「クリスマスツリー」についての最古の記録は、1605年にまでさかのぼるそうで、クリスマスツリーの伝統はドイツが発祥。木製の装飾品やオーナメントで有名なのはエルツ山地。ろうそくの火の熱によって羽根飾りがくるくる回転する「クリスマスピラミッド」、アーチ型のろうそくスタンド「シュヴィーボーゲン」もドイツの伝統的な飾りです。くるみ割り人形やスモーカー人形も、クリスマスの顔。アドヴェントの時期には、キリスト生誕の場面を再現したドールハウスのような「クリッペ」が、家庭やマーケットで飾られます。

25日1. Weihnachtstag
第1クリスマス

キリストが誕生した日。待ちに待ったクリスマス、さぞ盛大な雰囲気で祝われるだろう! と思っていると驚かされるでしょう。ドイツのクリスマスの過ごし方は、日本の三が日の過ごし方と似ています。教会や墓参りに行き、散歩をする人もいるけれど、基本的には家で家族とのんびり過ごします。クリスマスの料理は、カモや七面鳥がメインで、ケーキはシュトレン!

七面鳥、シュトレン

26日2. Weihnachtstag
第2クリスマス

ドイツでは、第2クリスマスも祝日です。クリスマスに会えなかった親戚を尋ねたり、近しい友人に挨拶をしたり、クリスマス同様の過ごし方をします。

31日Silvester
大晦日

ドイツの大晦日は、日本のクリスマスのような雰囲気。厳かな風習というよりは、盛大にお祝いして楽しもうというお祭のような日。家族と過ごすより、友人や恋人とカウントダウン・パーティーに繰り出す若者も多く、ベルリンのブランデンブルク門周辺や、ドレスデンの旧市街などでは大規模な野外パーティーが開かれ、ホテルやレストランも様々な年越しパーティーを企画しています。

コメディー「Dinner for One」
英国のコメディー「Dinner for One(1人でディナーを)」は、ドイツの大晦日で毎年放映される恒例の番組。この番組を見ないと年末気分が盛り上がらない人も多いようで、日本の紅白歌合戦のようなものかもしれません。コメディー自体は10分ほどの寸劇、しかも英語なので、ドイツに来たばかりの人にも馴染みやすいかも!

鉛占い

鉛占い
ブライギーセン(Bleigießen)というドイツの伝統的な鉛占いは、大晦日の定番の余興の1つ。スプーンの上に鉛の塊を載せ、下からろうそくの火で熱し、溶けた鉛を水に注ぐと、様々な形に固まり、その形から新年の運勢が占えます。

ジルベスターコンサート
ベルリンフィルの大晦日コンサートは、例年注目される名物コンサートで、今年はスターヴァイオリニスト、アンネ=ゾフィー・ムターと共演する様子が、世界各国に中継されます。ニューイヤーコンサートなら、ウィーンフィル。こちらも、ドイツの公共放送で放映されます。

1月 Januar

1日Neujahrstag
元日

午前0時、新年へのカウントダウンに合わせて、ドイツ全土で盛大に花火が打ち上げられます。もともとは悪霊を追い払うために打ち上げられていたといいますが、個人で花火を打ち上げることが法律で禁じられているためか、例外的に解禁される年末年始の花火に対するドイツ人の意気込みはすごい! 鳴り止まない花火や爆竹の騒音を聞いて、この国の新年を実感する。大晦日から元旦にかけて、大いに飲み、夜更かしするので、元旦の朝はのんびりブランチ。

6日Heilige Drei könige
三王来朝

キリストが誕生したことを知った3人の賢者が、星に導かれて馬小屋にやって来たのが、三王来朝の日。この日をもって、クリスマス・シーズンは終わります。クリスマスツリーを片付け、翌日以降、ツリーに使った木々が路上に捨てられる光景が広がります。

日本 Japan

12月 師走

正月事始めを過ぎると、掃除を始めたり、餅つきをしたり、正月を迎える準備を始めます。門松やしめ縄といった正月飾りを出す日は、29日(二重苦)、31日(一夜飾り)を避けて。お歳暮の手配や年賀状の準備、カレンダー、手帳の用意もお忘れなく。忘新年会の予約はお早めに!!

13日正月事始め
ゆず湯 すす払い、餅つき

22日冬至
ゆず湯、かぼちゃ料理

23日天皇誕生日

1月 睦月

新年を迎えたら、三が日はおせち料理やお雑煮を食べて、初詣をして、新たな年の健康を願いたいものです。年賀状を新年に出す場合、7日以降は寒中見舞い、立春(2月4日)以降は余寒見舞い。門松やしめ縄を飾りは、1月7日に片付けます(地域により15日まで)。

1日おせち料理元旦
初日の出、初詣、おせち料理、お雑煮、お年玉

2日 初夢、初荷、書き初め

3日三が日
(元旦から3日まで)

7日人日
七草がゆ、松の内(元旦から7日まで)

9日

10日

11日十日戎(とおかえびす)
商売繁盛を祈願

11日鏡開き* 成人の日
(*15日の地域も)

15日小正月
どんと焼き、小豆がゆ

カレンダー販売中!

最終更新 Freitag, 06 November 2015 05:25
 

ドイツでスタート!気になる習い事

ドイツで習い事を始めてみたいと思っている人、いませんか? でも、一体どんな雰囲気なのだろう、授業はドイツ語のみで進められるのかな……と不安がよぎり、なかなか行動に 起こせない人もいるのでは。今回は、編集部員が身体を張って5つの習い事に挑戦しました。勇気を出して一歩踏み出すと、これまで見たことのない世界が広がりますよ。(編集部)

Kochen 料理

Kochen ist das Schönste, was man lernen kann.
料理とは、人間が学ぶことのできる最も素晴らしく美しいものだ
── ディルク・ホフマン氏

Da cookste !

テレビ番組に出演する人気シェフに料理を教えてもらえる!と息をまいて向かったのは、デュッセルドルフの閑静な通りの一角に佇む料理教室「Da cookste!」。ここで、1人暮らし暦やっと年、料理はレンジでチンが主流の 「料理超初心者」編集部員が、スペイン料理コースに挑戦!

体験談

料理「教室」に来たというよりは、1つの「イベント」に参加したような感覚。知らない人とも自然と仲良くなれるのは、カジュアルで明るい雰囲気の教室と、陽気なシェフのキャラクターのお陰かも!皆でレストランで食事をするのも楽しいけれど、家族や友人と一緒に作ると、美味しさも思い出もさらに特別なものになりそう。

Da cookste !
左:オープンな雰囲気の教室。お互いの顔を見ながら調理できるため、自然とコミュニケーションが生まれる
右:まるで映画のワンシーンのような1室で、出来立ての料理を「いただきます!」

ドイツ本場の味を日本語で学べる!

世界各国のユニークな料理をドイツ語と日本語で学ぶことができる料理教室「Da cookste!」。ビギナーコース、デュッセルドルフの郷土料理から時には 和食まで、様々なプランが用意されており、どのコースへ参加するか、選ぶのも楽しい。料理を習いながら同僚とのチームワークを深める企業向けのコースもあり、企業研修や会社のイベントにもオススメ。完全予約制なのでスケジュールの詳細はHPから確認を。せっかくドイツにいるのだから、本場ドイツの味を学んでみては。

Da cookste !ディルク・ホフマン氏(中央): 世界中で経験を積み、民放Kabel eins に自身のテレビ番組を持つ実力派シェフ。ユーモラスで陽気な語り口に、レッスン受講者はたちまち皆笑顔
望月こゆきさん(左): 分からないことがあれば丁寧に教えてくれるので、ドイツ語が不安な方も安心

Da cookste! Gabriel & Partner GmbH
Blücherstr. 63, 40477 Düsseldorf
Tel: 0211-51438511
E-Mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください ※完全予約制。ご予約はこちらのメールアドレスへ。日本語可。
www.dacookste.de

Sprache 言語

世界で4億2000万人以上に話され、国際機関の公用語の1つでもあるスペイン語。
就職にも有利なこの言語は、ドイツでも不動の人気

Sprachcaffe Düsseldorf

スペイン語学習経験ゼロの編集部員が、スペイン語初級クラスに潜入。 19:00から始まるクラスには、仕事帰りの生徒たちが次々と「Hola!(こんにちは)」と言いながら、楽しそうにやって来た。講師は、明るいラテンのノリで生徒をやる気にさせるプロフェッショナルのマリア先生。

体験談

生徒たちの職業は、パイロット、大学教員、パン屋、販売員などと幅広く、聞いてみれば学ぶ目的は皆様々。スペイン語を習得したい! という目標に向かって意欲的に学ぶ姿には刺激を受けた。また、先生の生徒1人ひとりに対する行き届いた配慮は素晴らしく、全部は理解できなくても、続けてスペイン語を勉強したいと思わせる、そんな授業だった。

Sprachcaffe Düsseldorf
参加したスペイン語の授業風景。仕事帰りとは思えない集中力で学ぶ生徒の皆さん

ドイツ語上達というメリットも

授業は基本的にスペイン語のみで進められるが、生徒がよく理解できない場 合は、ドイツ語で丁寧に解説してくれる。ドイツで他言語を学ぶと、知らず知らずのうちにドイツ語のブラッシュアップにも役立つというメリットがある。シュプラッハ・カフェは、広々とした校内のあちらこちらで先生やスタッフ、生徒たちが歓談しており、自由な雰囲気が心地良い。また、TestDaF や TELC の公認試験センターでもあり、DSHやTOEIC、TOEFL試験のための特別準備コースがあるのも魅力だ。

Sprachcaffe Düsseldorf
左:約30カ国語が学べるシュプラッハ・ カフェの表玄関
右:校舎の別棟。中庭を挟んだ向かい側にある

Sprachcaffe Düsseldorf
Grafenberger Allee 78-80, 40237 Düsseldorf
Tel: 0211-684152
www.sprachcaffe-duesseldorf.de
※ホームページには、日本語で相談や質問を送信できるコンタクト・フォームあり。

Gitarre ギター

即興で格好良くギターを弾けたら――。
そんな希望を叶えてくれる学校がある。しかも講師陣は、プロの先鋭ギタリスト集団!

Gitarrenakademie Düsseldorf

ギターの種類さえ知らぬまま学校を訪れた。が、そんな無知な生徒を前に、丁寧に「ギターのいろは」を説明してくれた校長先生(Ben Papst氏)。体験レッスン(45分)とは思えない充実した授業内容は、またたく間に過ぎていった。

体験談

弦を正しく押さえることに四苦八苦したものの、先生に励まされながら、クイーンの「We Will Rock You」に合わせてシンプルなリズムを何とか演奏?! 先生いわく、「ギターを上手く弾けるようになる近道は、学校で基礎を学ぶこと。自 己流で学んでしまうと、後で修正するのが大変なんだ。ギターを習いたいという子どもがいたら、物事を判断できるようになる6歳くらいからが良いと思う」。

Gitarrenakademie
左:学校の入り口。アルトバウ(旧築)の地下1階が教室
右:華麗な指さばきでギターを弾くベン先生。ドイツ語・英語・スペイン語での授業が可能

Gitarrenakademie
左:上から時計回りに、アコースティック・ギター、クラシック・ギター、エレクトリック・ギター
右:先生の最新アルバム『Details des Lebens』

Gitarrenakademie Düsseldorf
Karolingerstr. 88, 40223 Düsseldorf
Tel: 0211-87537133
E-Mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
www.gitarrenakademie-duesseldorf.de

Yoga ヨガ

「呼吸に意識を向け、自分の内側を見つめて "感じ取る"。
それがヨガ。続けていると、周りの人が気づくんだ。『最近変わったね』って」

Rundum Yoga

約10年前のヨガブーム期にヨガをかじった編集部員。さて、ヨガのポーズや その過程に至る動きの描写は細かいけれど、ドイツ語の指示を聞きながら、先生が求める様々なポーズを行えるのだろうか、という不安を胸に参加してみた。

体験談

ビンヤーサ・ヨガの初級クラスを体験した。 心配していたドイツ語での指示は、案の定、全部は理解できなかった。しかしレッスン中、 先生は見本を見せた後に教室内を回り、生徒全員のポーズを細かく修正してくれ、不安は解消された。「ヨガによって、性格も、食生活も、物事に対する見方も変わった。ヨガを始めると良いことばかり!」と話してくれたマーク先生 の笑顔が印象的だった。

Rundum Yoga
左:自分のマットがある人は、教室で保管してもらえる。貸し出し用もあり
右:ズザンネ先生とマーク先生

いくつになっても始められる。それがヨガの良さ

当教室を営むのは、Susanne & Marc Wenke夫妻。教室はデュッセルドルフに2カ所あり、学べるヨガ・スタイルは、ダイナミックな動きでパワーヨガの源流となったビンヤーサ・ヨガから、プラーナ(気)の流れを整えるハタ・ヨガ、エア・ヨガ、瞑想と多岐にわたる。インストラクターは世界中から集まった、経験・知識ともに豊富な24人。レッスンは毎日行われており、自身のレベル やスケジュールに合ったコースに参加できる。ワークショップも常時開催。

Rundum Yoga
Derendorfのスタジオ

Rundum Yoga
Studio Unterbilk: Kronenstr. 4, 40217 Düsseldorf
Tel: 0211-69168761
E-Mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
www.rundumyoga.de

Tanz ダンス

米国西海岸生まれの米国版社交ダンスWest Coast Swing。
基本のステップさえマスターすれば、アレンジは自由自在!

tanzraum

ムード満点の照明の下に広がるダンス・スタジオ。一歩足を踏み入れると、そこは華麗で優雅な世界だった。緊張しつつも、このダンスならできるのでは?! と淡い期待を抱いて挑戦した!

体験談

自分のリズム感のなさにショックを受けつつ、細かなステップを踏みながら次々とパートナーを変えて踊るこのダンスの楽しさを味わった。先生は、身体の細かな部分の使い方にまで指示を与えてくれ、それだけで見栄えがぐっと良くなったりする。こんなに上手に教えてくれるのなら、基本の5ステップを踏めるようになる日も遠くない?!かも。

tanzraum
左:当日のWest Coast Swing のレッスン風景。練習に励む、幅広い年齢層の生徒たち
右:「若い人にも気軽に挑戦してほしい」と Johannes Tomczyk先生

2人で踊るダンスの楽しさは相手との一体感

ペアで踊るWest Coast Swing は、5種類の基本のステップを組み合わせ、 上半身は自在な動きを取り入れてOK というもの。また、男性のリードで次のステップが決まるという暗黙のルールがある。インストラクターのヨハネス先 生は米国人の先生から指南を受け、現在ドイツでの普及に努める若きダンサー。tanzraum はケルンを中心に全6教室あり、社交ダンスやポールダンス、タンゴ、ズンバに至るまで、あらゆるダンスを習うことができる。

tanzraum
ミラーボールが眩しい、広々とした1階のダンス・スタジオ

tanzraum Köln Zentrum
Salierring 33, 50677 Köln
Tel: 0221-233233
E-Mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
www.tanzschule-tanzraum.de

最終更新 Freitag, 16 Oktober 2015 13:07
 

本場ドイツのバウムクーヘンを味わおう!

バウムクーヘン(Baumkuchen)……おそらく日本で一番親しまれているドイツ語ではないでしょうか。本場のバウムクーヘンをドイツで食べたい! お土産に買いたい!という人も多いはず。しかし、当地のバウムクーヘン事情は、日本とはずいぶん違うようです。では一体、ドイツのバウムクーヘンとは、どんなものなのでしょう? その歴史やおいしさの秘密を探ってみました。
(テキスト:坪井由美子、撮影:坪井由美子、米田由佳)

バウムクーヘンバウムクーヘンに歴史あり

ドイツでバウムクーヘンが誕生したのは、1800年代の初めといわれています。発祥の地は諸説ありますが、最初にバウムクーヘンが焼かれたという記録が残っているのが、北部ザクセン=アンハルト州の小さな町、ザルツヴェーデル(Salzwedel)。このほかにも「バウムクーヘン発祥」を名乗る町はいくつかあって、東部のドレスデンやコットブスなどが有名です。

ドイツ人はバウムクーヘンを食べない?

皆さんご存じの通り、バウムは「木」、クーヘンは「ケーキ」を意味します。名前のごとく、木の年輪のような層を持つこのお菓子は、ドイツ生まれ。ところが意外にも、当地ではなかなかお目にかかることができません。それもそのはず、ドイツのバウムクーヘンは日本のように身近な食べものではなく、クリスマスやお祝いに贈る高級菓子という位置付けなのです。常時店頭に置いているお店は少なく、バウムクーヘンを「食べたことがない」というドイツ人もたくさんいるようです。

バウムクーヘンの定義とは

ドイツでは、ビールに「ビール純粋令」があるように、「バウムクーヘンの定義」が国立菓子協会によって定められています。油脂はバターのみ、ベーキングパウダーは使用しないなど、数々の厳しい基準をクリアしたものだけが本物と認められています。専用のオーブンで手間暇かけて作られるバウムクーヘンは、高度な技術と経験が必要 とされるため、菓子職人のマイスター試験の課題にもなっているほど。ドイツのバウムクーヘンは、限られた職人さんだけが作ることのできる「特別なお菓子」なのです。

ドイツと日本のバウムクーヘンは別物?

柔らかくてふわふわの食感が好まれる日本では、バウムクーヘンも日本人の舌に合わせて独自に進化し、味も形もバラエティーに富んだ新商品が開発され続けています。一方、ドイツのバウムクーヘンは、「バウムクーヘンの定義」に則り、昔ながらのレシピと製法に基づいて忠実に作られ、伝統の味が大切に守られています。主な材料は、小麦粉、バター、マジパン(アーモンド)、卵、砂糖など。これにアルコールやスパイスなど、各店秘伝の隠し味がプラスされます。フォンダンやチョコレートでコーティングされているのは乾燥を防ぐため。ドイツのバウムクーヘンは、まるで歴史の重みを内包しているかのような、ずっしり感が印象的です。

バウムクーヘンの美味しい食べ方

ドイツには、バウムクーヘンが食べられるカフェを併設したコンディトライも、少数ですがあります。 こういったカフェで供されるのは、横に薄くそぎ切 りにした「バウムクーヘン・シャイベ」。縦に切るよりも口当たりが柔らかくなり、どっしりとしたバウムクーヘンでも重さを感じません。ドイツ風に、たっぷりと生クリームを添えていただくのもお勧めです。チョコレートでコーティングされているものは、常温に戻し、お湯で温めた包丁でチョコレートを溶かしながら刃を入れると、きれいに切れます。

Salzwedeler Baumkuchen
ザルツヴェーデル地図 バウムクーヘン発祥の町
ザルツヴェーデルへ

旧東ドイツに位置するザルツヴェーデルは、ガイドブックにも載らない小さな町ですが、「バウムクーヘンの町」として、知る人ぞ知る存在。バウムクーヘンを売るコンディトライがあちこちにあり、200年以上前のレシピ通りに直火で焼かれるバウムクーヘンを見たり食べたりできるという、お菓子好きにはたまらない町なのです。

アクセス

ベルリン中央駅から ICでStendalへ向かい、乗り換えて ザルツヴェーデルまで約1時間40分
ハンブルク中央駅から Uelzenで乗り換え、ザルツヴェーデルまで約1時間半
デュッセルドルフ中央駅から HannoverとUelzenで乗り換え、ザルツヴェーデルまで約4時間40分
※ザルツヴェーデル駅から町の中心までは徒歩で約15分

ザルツヴェーデル

ザルツヴェーデルには有名な観光名所こそありませんが、古いレンガ造りや木組みの家がたくさん残っていて情緒たっぷり。のんびりお散歩しながらバウムクーヘンが辿った波乱万丈の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

最古のバウムクーヘン作りを見学しよう

ドイツ最古のバムクーヘンドイツ最古のバムクーヘンのレシピは、1800年代初めに書かれたものと伝えられています。その後、2つの世界大戦や激動の歴史を経る中で、いろいろな人の手に渡ることになるこのレシピを現在保有しているのが、ザルツヴェーデルでバウムクーヘン専門店を営むヘニヒ家。

「最初のザルツヴェーデルのバウムクーヘン工場」という店名のごとく、同店では代々受け継がれてきたレシピ通りの材料を使い、今でも直火でバウムクーヘンを1本ずつ焼き上げています。

併設の工房は見学もできるので、ぜひ訪問してみましょう(見学無料、通常13時まで)。材料を調合し、生地を一層ずつ杓子でかけながら焼き上げ、カットしてコーティングする過程に至るまで、すべて手作業で行われているバウムクーヘン作りが目の前で見られるなんて、これは貴重な体験です。ごうごうと燃え盛る炎の中でできあがっていくバウムクーヘンを前にしたら、興奮せずにはいられません!

最初のザルツヴェーデルのバウムクーヘン工場

焼き上がったバウムクーヘンは手作りならではの、でこぼこを残したワイルドな形で、しっとりと柔らかく優しい味わい。美味しさに感動したのはもちろんですが、伝統と歴史の継承について考える、良い機会となりました。

Erste Salzwedeler Baumkuchenfabrik
St.-Georg-Str.87, 29410 Salzwedel
※工房見学時間は要確認
www.baumkuchen-salzwedel.de

ザルツヴェーデルのバウムクーヘン巡り

歴史あるバウムクーヘン・カフェ
Café Kruse

Café Kruse

「Erste Salzwedeler Baumkuchenfabrik」が保有する最古のレシピと、同じ時代から伝わる古いレシピを受け継ぐお店が、こちらのカフェ・クルーゼ。ほのかなスパイスとバニラの風味が印象的なバウムクーヘンです。200席もある広々としたカフェの中庭にはテラス席もあります。種類豊富なケーキやアイス、バウムクーヘンに生クリームをこんもりトッピングしたデザートもいただけます。

Café Kruse
Holzmarktstr.4-6, 29410 Salzwedel
www.Kruse-Baumkuchen.de

町の中心のコンディトライ・カフェ
Treff im Adler Horst

Treff im Adler Horst

ザルツヴェーデルとその近郊に何軒もの支店を持つバウムクーヘン工房「ザルツ ヴェーデラー・バウムクーヘン」が経営するコンディトライ・カフェ「トレフ・イム・アドラー」。町の中心広場に面した明るい雰囲気のお店で、朝食やランチ、アイスデザートなどもいただけます。バウムクーヘンはフォンダン、チョコレートがけのほか、2つの味が楽しめるハーフ&ハーフもあり。

Treff im Adler Horst(Salzwedeler Baumkuchen GmbH)
Neuperverstr.29, 29410 Salzwedel
www.baumkuchen-saw.de


バウムクーヘンの名店ドイツ全国
バウムクーヘンの名店5選

ドイツ各地で伝統の味を守り続ける、バウムクーヘンの名店をご紹介します。これらのお店なら、間違いなく「本物のバウムクーヘン」が手に入るはず!

コンディトライ・ラビーン
Konditorei Rabien
スパイスがほんのり香る優しい味。手作りならではの凸凹がいい!

コンディトライ・ラビーン

ベルリン郊外の住宅地に佇む「ラビーン」は、1878年の創業から、4代にわたって伝統の味を継承しています。当時のレシピと製法を守り、自然で新鮮な材料のみで手作りされているバウムクーヘンは、素朴で優しい味わいが魅力。海外からも注文がくるほどの人気ぶりで、一番多いお客様は日本人だとか。クリスマス前には1日に50本以上焼くこともあるというから驚きです。同店を訪れたなら、種類豊富なケーキもぜひお試しあれ。

Konditorei Rabien
Klingsorstr.13 12167 Berlin
www.rabien-berlin.de

コンディトライ・クロイツカム
Conditorei Kreutzkamm
見た目も味も上品でリッチな味わいのバウムクーヘン!

コンディトライ・クロイツカム

1825年にドレスデンで創業した クロイツカムは、ザクセン王国のアルバート王から王室御用達の称号を受けた、まさに「王様のお菓子」。第2次世界大戦時の空爆の影響で、ドレスデンは廃墟となってしまいましたが、ミュンヘンに拠点を移して再スタート。東西ドイツ再統一後、ドレスデンでも店を再開することができました。いまや日本人の間では、同店のバウムクーヘンはドイツの定番土産として大人気。ドレスデン銘菓のシュトレンも絶品です。

Conditorei Kreutzkamm
Altmarkt 25 01067 Dresden
http://kreutzkamm.de

ホレンディッシェ・カカオシュトゥーべ
Holländische Kakao-Stube
レトロなパッケージがかわいい!昔ながらの正統派バウムクーヘン。

ホレンディッシェ・カカオシュトゥーべ

数年前に日本のデパートに登場するやいなや、可愛いパッケージと本場の味で多くの女性ファンを獲得した同店は、1895年にハノーファーで創業。舌を噛みそうな店名は、オランダの老舗ココア「ヴァン・ホーテン」の試飲所としてオープンしたことに由来します。日本で「行列ができるバウムクーヘン」として有名になった今も、本店は変わらずレトロ感たっぷり。100年前にタイムトリップできる、愛すべきオーマ・カフェです。

Holländische Kakao-Stube
Ständehausstr. 2 30159 Hannover
http://hollaendische-kakao-stube.de

コンディトライ・ハイネマン
Konditrei Heinemann
しっとりとして口溶けが良い!外側のチョコレートもさすがの美味しさ!

コンディトライ・ハイネマン

1932年に、メンヒェングラットバッハの小さなお菓子屋さんから始まったハイネマン。支店を置くのは品質管理の行き届く近郊のみ、というこだわりからデュッセルドルフを中心に展開していますが、その美味しさは世界中のグルメから絶賛されるほど有名です。看板商品のシャンパントリュフのほか、日本人の間で圧倒的人気を誇る逸品がバウムクーヘン。一口サイズのバウムクーヘン・シュピッツェや各種ケーキもお勧めです。

Konditrei Heinemann
Martin-Luther-Platz 32 40212 Düsseldorf
www.konditorei-heinemann.de

ライジーファー
Leysieffer
オレンジ・リキュールを効かせた大人味。缶がステキ!

ライジーファー

ドイツ北部のオスナブリュックで1909年に創業したライジーファーは、現在はベルリンやミュンヘンをはじめ、20店舗以上を展開する人気店。主要空港内でも取り扱っているので、お土産 探しに困ったときにも重宝します。ドイツでは高級チョコレート店として知られていますが、日本人に人気なのは、やはりバウムクーヘン。同店ではコアントロー風味の生地に合うチョコレートがけのものがお勧めです。なかでも缶入り商品は贈り物に最適。

Leysieffer
Kranstr.41 49074 Osnabrück(本店)
www.leysieffer.com

番外編: スーパーのバウムクーヘン
普段のおやつにぴったり。
甘すぎないビターチョコがおすすめ!

スーパーのバウムクーヘン

普段はなかなかお目にかかれないバウムクーヘンですが、秋からクリスマスにかけては、スーパーマーケットでも購入可。年々売り出す時期が早まっているようで、最近は9月頃からクリスマス菓子のワゴンが見られます。大型スーパーケットから町のディスカウントスーパーまで、どのお店でもバウムクーヘンを見かけます。たいていは同じ形の箱入りのもので、味はミルクとビターチョコレートがけの2種類が定番。3ユーロ以下という安さなので、家庭でも手軽に楽しめますね。

購入できる場所:REWE、KAISER'S、
Aldi、realなど各種スーパー

最終更新 Dienstag, 27 Oktober 2020 18:07
 

特別寄稿・ドイツ再統一25周年
歴史学からとらえる
「ドイツ再統一」経済史研究者の視点から

1989年11月9日の「ベルリンの壁崩壊」のニュース。当時、大学で経済学を研究していた私は、言葉にならない焦燥感に駆り立てられ、その現場をこの目で一目見ようとベルリンへと向かったのでした。ドイツは再統一を果たし、25年を経て経済史学の教鞭を執る立場となった今、こうした大事件を正しく後世に伝える方法は何かを考えています。
(大阪大学大学院経済学研究科教授 鴋澤 歩)

Ayumu Banzawa 鴋澤 歩 Ayumu Banzawa
大阪大学大学院経済学研究科教授。1966年生。専門分野 は経済史・経営史。工業化期 ドイツにおける鉄道業の展開を多角的に調査。著書『ドイツ工業化における鉄道業』(有斐閣、2006年、第50回日経経済図書文化賞)、『西洋経済史』(共著、有斐閣アルマ、2010年)、『ドイツ現代史探訪―社会・政治・経済―』(編著、大阪大学出版会、2011年)

世代間の歴史的実感の差

現在、京阪神のいくつかの大学で経済史学の講義を受け持っています。講義の題目に「西洋」や「外国」 などの言葉が付くことが多いということは、研究者としての専攻に近いところを教えることができているわけで、これは最近の大学教員としては恵まれているほうです。例えば「西洋経済史」という科目を受け持つわけですが、中世から始めて、1セメスター(半年間の学期)計15回の授業進行が順調に進めば、学期の終わり頃には現代史、つまり20世紀西洋(欧州、米国)史を取り扱うことになります。

ご多分に漏れず、40代も終わりの年齢になると、教室で接する学生たちとの世代差による感覚のズレに気づかされることが増えてきました。もっとも、授業中にスマートフォンでLINEを、というようなことは、単純にマナーの問題です。私語や「内職」の小道具が変わっただけのことですから、それほど当方もショックを受けることはありません。

深甚な衝撃を与えてくれるのは、やはり彼らとの時間の感覚の差異、さらに大げさにいえば、現代史をめぐる歴史的実感の隔たりです。

要するに、「ああ、この18歳から20代前半の大学生や大学院生は、"ベルリンの壁崩壊"や"ドイツ再統一"をリアルタイムでは知らないのだ」ということです。今20歳の学生が生まれたのは……と指を折って数えるまでもないこの当然の事実に気づくと、いつも驚きを禁じ得ません。

ドイツ再統一までの
近代ドイツ史年表

1866 普墺戦争
1867 北ドイツ連邦成立
1870/
1871
普仏戦争、
ドイツ帝国成立
1888 ヴィルヘルム2世即位
1890 ビスマルク帝国宰相辞任
1914~
1918
第1次世界大戦勃発
1933 ヒトラー内閣成立
1938 「水晶の夜」事件
1939〜
1945
第2次世界大戦勃発
1949 アデナウアー内閣成立
1961 ベルリンの壁構築
1963 エアハルト内閣成立
1972 ミュンヘン・
オリンピック開催
1989 ベルリンの壁崩壊
1990 東西ドイツ再統一

「近現代経済史」という授業の憂うつ

20世紀経済史について、講義の場で語るべきトピックは豊富です。「20世紀」といっても、もちろん1901年1月1日から話が始まるわけではありません。まずは、「短い20世紀(1914~91年)」という、英国の歴史家エリック・ホブズボームが提唱した歴史区分を、ここで学生諸君に覚えてもらうことになります。1914年、第1次世界大戦の勃発によって、18世紀末以降、「革命の時代」「資本の時代」「帝国の時代」を通じて確立した欧州の市民社会が崩落し、いわゆる「長い19世紀(1789~1914年)」が終わります。この後、ホブズボームいうところの「極端な時代」、つまり、世界戦争と革命と大恐慌の時代がやってきました。経済史が取り扱うのは、世界大戦=総力戦を支えるための統制経済体制の出現、社会主義革命とソビエト連邦・計画経済のインパクト、世界大不況と様々な全体主義の台頭、第2次世界大戦という再びの破局、冷戦体制下の西側における復興と高成長……、といったところでしょう。

そして、こうした「短い20世紀」の終焉について教室で話すとき、1991年のソビエト連邦の崩壊にせよ、それに先立つ1990年のドイツ再統一にせよ、それらがつい最近の出来事であることを、私はまるで疑っていません。「皆さん、ご存じの……」と、自然に言ってしまいますし、決して「ご存じ」ではないと分かっていても、「あの」とか「例の」などという口調になってしまうのです。

そういうときは決まって、困惑したような、白けたような気配が伝わってくるのが分かります。学生にしてみれば、「このおじさんは何を大昔のことを、さも見てきたかのようにしゃべるのだろう? まあ、アナタは知っているかもしれないけれど、こっちは生まれる前のことでねえ……」でしょう。

加齢とともに時間の経過が早く感じられるというのには医学的根拠があるそうですが、しかし25年など、あっという間とは言わないまでも、それほど昔のことではありますまい、と言いたくはなります。25、6年前、私は大学院の1年生でしたが、本質的には今とあまり変わらない生活をしていました。学生時代と変わらず、いまだに坂の上の同じ大学に毎日通っているのがそもそもおかしいのかもしれませんし、院生室で隣の机に座っていた同期の院生が現在の職場の同僚、というような極めて狭い世間に生きているのも我ながらどうかとは思いますが、そのせいか頭の中身も、残念ながらそれほど進歩したわけではないようです。だからでしょうか、四半世紀の隔たりをそれほど実感できないのが、正直なところです。

「壁崩壊」直後のベルリンへ

1990年10月3日に行われた統一記念式典にて国旗掲揚
1990年10月3日に行われた
統一記念式典にて国旗掲揚

それに何より、私は確かに「ベルリンの壁崩壊」や「ドイツ再統一」を、少なくともそのほんの一局面だけは、この目で見ることができた気がするのです。

1989年の日本時間で11月10日の午前中、テレビのニュースであの(と、ここでもつい書いてしまいましたが)、壁崩壊の夜の光景を目にして仰天し、いろいろと考えた末に、何とかしてベルリンに行かなければならないという考えに、その日のうちに取りつかれていました。そして年が明けた2月には、私は生まれて初めて、滑稽にもこれが最後の渡独かもしれないと一種悲壮な思いすら持ってドイツの土地を踏み、当時の西ベルリンから「壁」をくぐって東ベルリンへも入りました。

「壁」の構造物そのものは、すでに物理的な破壊が かなり進んでいましたが、コンクリートの壁に大きく開いた穴の赤茶色い鉄骨の隙間から、東独の国境警備隊員たちが苦笑に近い表情でこちらを見ていたのですから、なお「壁」は残っていたといえます。「壁」の上に立って見知らぬ見物人同士が互いに写真を撮り合い、それは大したツーリストぶりではありました が、一定額の東ドイツマルクとの換金の義務を果たして国境を通過するという経験には、まだ何かしらの緊張感は残っていました。一見ご大層な東独の貨幣を換金所で受け取ったとき、その軽さにひどく驚きました。軽金属製貨幣の頼りなさは、今も掌にあります。

年寄りの思い出話でしかないこんな私事を授業でしゃべったりはしませんが、どんな重要事件でも、四半世紀前の出来事をついこのあいだ経験したことのように説明すると、小さなディスコミュニケーションが教室に生じるのでした。しかし、これは仕方のないことです。

それこそ、実際若い学生だった1989~90年頃の私の前で、先生が25、6年前の、例えば中ソ論争だの部分的核実験停止条約締結だの、いよいよ仕上げ段階に入っていた所得倍増計画だの、あるいは68年のピークに向かって高揚と膨張を続けていた学生運動だのの話を、「あの」「君たちもよく知っている」ことのようにしゃべっていたら、それは違和感を覚えたに違いありません。何しろ、私は生まれてもいなかったのですから。東京オリンピックや東海道新幹線開通(ともに1964年)には、何の記憶の持ちようもないのです。

先行する世代が、自分たちの経験を絶対視して後続の世代にそれを押し付けることは、何にせよ感心できないことですし、教師は特に避けるべきことでしょう。我が国の教室では、これまでそれが必ずしも守られていなかった、むしろその逆ですらあったことを考え、今日のその結果をみると、これは確かだと思えます。

ブランデンブルク門
(上)「壁」建設直前のブランデンブルク門前(1961年)
(下)「壁」崩壊直後のブランデンブルク門前の様子(1989年)

「再統一」以前のドイツ史

およそ25年前の、さらにその25年前の歴史について振り返ってみましたから、この試みをドイツに当てはめて続けてみましょう。1989年の25年前、1964年のドイツは、ルートヴィヒ・エアハルトが西独の首相でした。「経済の奇跡」のスタートを演出した経済相だったエアハルトは、63年にようやく初代首相コンラート・アデナウアーの後を襲ったばかり。「社会的市場経済」というそのモットーは、東側・社会主義体制への鋭い対抗意識に裏打ちされています。63年には、当時の米大統領ジョン・F・ケネディが西ベルリンを訪問しています。「Ich bin ein Berliner! (私は1人のベルリン市民だ)」* で有名な (という言い方も、いまどきの教室では良くないのかもしれませんが)訪問です。「壁」はまだ61年にできたばかりで、冷戦下の西ベルリン市民は米国に見捨てられる恐怖を、このケネディの演説で拭わなければならなかったのでした。

さらにその25年前は1939年。ドイツはナチス体制下にありました。89年の「壁」崩壊が始まった11月9日は、38年においては「水晶の夜」と呼ばれるユダヤ人大迫害事件の初日でした。39年9月、アドルフ・ヒトラーはポーランドに侵攻し、第2次世界大戦の火蓋を切ります。

さらにその25年前は1914年。第1次世界大戦が勃発した年です。クリスマスの頃には勲章の1つも下げて帰国できるはずだった兵士たちは、誰も予期しなかった長期戦と大量殺戮に投げ込まれることになりました。15年初頭には、銃後での食糧配給制度が始まります。

それから25年をさかのぼると、ドイツ帝国のビスマルク時代が終焉を迎えていました。「第2次産業革命」の時代で、1889年にダイムラーが自動車を製造しました。新帝ヴィルヘルム2世との衝突により、オットー・フォン・ビスマルクが自身で作り上げた帝国の宰相を辞任したのは、1890年のことです。その25年前といえば1860年代の半ば。「ドイツ」という統一国家はまだなく、「ドイツ連邦」の各邦君主たちが集まる連邦議会の議長国オーストリア帝国と、ドイツ関税同盟の議長国プロイセン王国とが、「ドイツ」の主導権をめぐって角逐しているところでした。1866年の普墺戦争で、ようやく統一の主導権がビ スマルク首相率いるプロイセン王国の手に落ちます。

さらにその25年前といえば……もう良いでしょうね。こうしてみると、近現代のドイツ史の展開が極 めて急激だったことが改めてよく分かります。「一身にして二生を経るが如く」という福沢諭吉の言葉がありますが、再統一の1990年に70代半ば以上だった人々は、帝政、ワイマール共和制、ナチス期、東西のいずれかの体制、統一ドイツと、いわば"五生"を経験したことになります。

*第35代米合衆国大統領ジョン・F・ケネディが、冷戦時代、東西に分裂されていた旧西ベルリンで行った演説の一節。ベルリン市民に勇気と希望を与えた。

ポツダム広場
ポツダム広場にある壁の展示(筆者撮影)

「希望」を伝えるには

気づかされるのは、およそ25年ごとに起こった出来事と比べて、ドイツ再統一を生んだ「ベルリンの壁崩壊」が、激烈ではあっても血なまぐささの薄い、端的にいって、はるかにまともな出来事だったということです。戦争によって失われた何ものかが回復されたというだけではなく、そこには何か新しい、より良いものが近づいてくる予感が感じられました。いっそのこと、それをもう一度、希望と呼んでもいい。私も含めた無数の能天気なツーリストまでをも世界中から惹きつけたのは、その希望の匂いだったのではないかと思われます。目の前の出来事が、自由や人権といった言葉を輝かせてくれる。そんなことが、ドイツ史に限らず、私たちの現代史にそう多くあったでしょうか。

この「希望」そのものが、後の世代にも伝えられるかどうかは疑わしいことです。実感や記憶は掛け替えのないものですが、それらを伝承することは、おそらく思うようにはできないことなのでしょう。また、25年の歳月のうちに、「希望」がある意味では色褪せたことも、残念ながら私たちは知っています。

ただ、それでも、そこに確かに希望があったことは、伝えられるべきでしょう。そうでなければ「壁」崩壊も結局は、過去の無数の事実の1つ、1回きりの片々たる事件に過ぎないものになってしまいます。

歴史を伝えるには、話者の実体験やその場の感情を語り伝えることによってだけでは、やはり不十分であると思えます。それらが偏りや変形を免れないからだけではなく、事件の経緯を明らかにし、その含意をより広い文脈に位置付けること、すなわち、歴史的事件の意味まで理解するためには、生々しいその形のままでは、かえって役に立たない恐れがあるからです。ここにこそ、歴史学の出番があるのかもしれません。こんな風に思うのは我田引水というものでしょうが、かつて感じられた「希望」の意味を、"歴史"として距離を置くことで個々人が理解することは、将来に再び見出すべき希望の在り処を探るために、とても必要なことだと思えます。

そのとき、四半世紀、さらにそれ以上という時間の経過には、かえってメリットが生じることが期待できるのではないでしょうか。すなわち、揺らぎやすい記憶や同時代感覚をも、より確たる記録"史料"に昇華させ、理解の材料に変えられるかもしれません。歴史学の方法とは、これだといえます。もっとも、そのためには、四半世紀はどうも十分に長い時間とはいえないようです。日本をはじめ東アジアの戦後70年ですら、どうやらそのようなのですから。

しかし、もしもあと10年も同じように教壇に立っていられるならば、私も「ドイツ再統一」について、 きちんと歴史の中に位置付けて、伝えることができるかもしれません。その間に、「壁」や「再統一」、それを取り巻く私たちの時代については、この歴史学の方法がより正確な知識をより多く与えてくれるに違いありません。そのときには、教室での世代のギャップや違和感も、すでに感じる必要はなくなっているのではないかと思えます。これは希望的観測、ないしは私の教師根性というものかもしれませんが……。

最終更新 Mittwoch, 26 Juni 2019 16:08
 

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