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特集


特別展「カンディンスキー、マレーヴィッチ、モンドリアン - 限りなく白い深淵」

カンディンスキー、マレーヴィッチ、モンドリアン特別展 限りなく白い深淵


カンディンスキー、マレーヴィッチ、モンドリアン。
20世紀を代表する3人の抽象画家の作品を、
デュッセルドルフのK20が
「白」というテーマに基づいてセレクトし、特別展を開催する。
題して『限りなく白い深淵』。
通常はカンバスの上で脇役に甘んじる白という色に、
3人の作家はどのような想いを込めたのだろうか。

2014年4月5日(土)〜7月6日(日)
開館時間:火水日祝 10:00–18:00 木金土 10:00–22:00 月曜休館
入場料:大人12ユーロ、割引9.50ユーロ
Kunstsammlung NRW K20 Grabbeplatz
Grabbeplatz 5 40213 Düsseldorf
Tel: 0211-8381 204 www.kunstsammlung.de

ワシーリー・カンディンスキーはロシア出身、「抽象絵画の父」と称される作家だ。彼は、音楽が“対象”を介さずに聴く者の感性や感覚を直接喚起するのと同じように、絵画が具象の物語性から離れ、純粋な色彩と形態だけで見る者に働き掛けることを目指した。

カンディンスキー初期の抽象絵画は、野獣派にも通じる色彩の乱舞が特徴的だが、後期の作品では色彩と幾何学的造形が画面上ですっきりと統合されている。そこで「白」は重要な役割を果たした。色彩が“和音”を奏でる役割を持つならば、白は“無音”、つまり静寂の役割を果たし、画面全体に安定感を与えている。色と形の冒険を繰り返してきた画家にとって、白はすべての色が消えた世界、喜怒哀楽や創作の葛藤を包み込んでくれる宇宙の象徴だった。カンディンスキーは言う。「白は我々の精神に大きな沈黙として働き掛ける。それは死ではなく無限の可能性なのだ」と。

カンディンスキー

一方、同じくロシア出身のカジミール・マレーヴィッチは、色や形を画面からどんどん排除していくことで、創作の意味そのものを揺るがす作品群を世に送り出した。カンディンスキーが様々な色や形の心理的効果を作品に利用したのに対し、マレーヴィッチは白黒の円や正方形だけを使うことにより、作者の意図や鑑賞者の感想の一切を拒否したのだ。その過激さは、ロシア革命という時代背景抜きには語れない。新時代を創造するには、芸術においてもすべての既存のアプローチを超越する理念が必要だった。

マレーヴィッチにとっては、「白」こそが革命への回答だった。彼は、「白く自由な限りない深淵が我々の前に横たわっている」と語っている。色を超え、理念として立ち現れる「白」。マレーヴィッチはそこに、どこまでも自由な「無」を見ていた。それは停止や無気力感ではなく、色やフォルムを意識的に超えて勝ち取られた、未知数としての「無」だったのだ。

そして、オランダの作家ピエト・モンドリアンである。その作品は1度見れば、まず忘れることはないだろう。真っ白なカンバスが黒い縦横の直線で分割され、線の交わりによってできた四角形のうち、ごく一部が赤、青、または黄色で塗りつぶされている。同じ幾何学的抽象であっても、有機性を感じさせるカンディンスキーの作品に比べて、無機的で取り付く島がない印象だ。

マレーヴィッチ

しかし、モンドリアンにしても、自分が肯定する世界の原理を描こうとした点ではカンディンスキーやマレーヴィッチと一致する。モンドリアンは、そのミニマルな表現で、どこまでも静謐で均衡の取れた世界を表現した。2度の世界大戦の狂気と混沌を体験したモンドリアンにとって、作品上の完璧な秩序は作家として、そして人間としての意思表示だったのだ。「コンポジション」というタイトルの作品が多いが、カンディンスキーの同題の作品群が「作曲」へのオマージュであったのに対し、モンドリアンのそれは「構成」である。そこでは、白が画面のほとんどを埋めることで初めて、最小限の線と色が最大限の意味と効果を持つことになる。

作品にそれぞれのユートピアを託した3人の作家たち。彼らが描いた未来が実現したのかどうか、本展の「白」を見つめながら考えてみたい。

(Kunstsammlung NRW 非常勤スタッフ 田中聖香)

最終更新 Dienstag, 02 Juli 2019 16:24
 

ドイツの音楽祭アラカルト2014

楽しみ方いろいろ ドイツの音楽祭アラカルト

暖かくなり、外出するのが楽しくなってきたこの季節。
それは、ドイツ各地で開催される音楽祭の始まりを意味します。
解放感溢れる野外コンサートに出掛けるも良し、
おめかしして夜の音楽祭を訪れてみるのも良し。
楽しみ方は人それぞれ、自由自在です。
今回は、クラシックからジャズ、ロックまで、
あらゆるジャンルの音楽祭を一挙にご紹介します。
(編集部:山口 理恵)

4月26日(土)~5月4日(日)
ハノーファー

国際アカペラ週間
14. Internationale A-Capella-Woche

国際アカペラ週間

期待の新星を発掘しつつ、アカペラ界で名を馳せるグループの歌を1週間にわたって披露する。楽曲のジャンルは聖歌からポップ、ダンスミュージックまで多岐にわたり、今年も様々な国からアーティストが参加する。目玉は米国のニューヨーク・ポリフォニー。中世の宗教曲を得意とする4人の正統派アカペラグループのハーモニーを、この機会にぜひ。

www.acappellawoche.com

5月9日(金)~7月12日(土)
ルール地方

ルール・ピアノ・フェスティバル
Klavier-Festival Ruhr

ルール・ピアノ・フェスティバル

ルール地方各地で開催される音楽祭は、毎回、ライヴ演奏を収録したアルバムが発売されるほどの人気。その理由は、参加する著名なゲストの顔ぶれにある。今年は中国のラン・ラン(5月16日)や、1996年以来、毎年、別府アルゲリッチ音楽祭を開催しているマルタ・アルゲリッチ(7月11日)が参加する。豪華なピアニストがそろうぜいたくな音楽祭。

www.klavierfestival.de

5月23日(金)、24日(土)
ハンブルク

エルプジャズ・フェスティバル
ELBJAZZ Festival 2014

エルプジャズ・フェスティバル

爽やかな初夏の風を感じながら、野外でジャズを楽しめる2日間。今年は、日本でも話題のダニエル・グラッツェル率いる19人のジャズバンド、アンドロメダ・メガ・エクスプレス・オーケストラがベルリンから参加。聴き逃せないのは、米音楽界最高峰のグラミー賞でベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞を受賞したグレゴリー・ポーターの歌声だ。

www.elbjazz.de

5月23日(金)~6月29日(日)
ヴュルツブルク

モーツァルト音楽祭
Mozartfest Würzburg

モーツァルト音楽祭

歴史的にオーストリアのザルツブルク音楽祭と双璧をなす音楽祭。今年もレジデンツの庭園で開かれる無料の"Mozart-Tag"を皮切りに、盛大に開催される。レジデンツのカイザーザール(皇帝の間)には、バイエルン放送交響楽団と、世界的に有名なクラリネット奏者で作曲家でもあるヨルク・ヴィトマンを迎え、モーツァルトの美しい旋律が奏でられる。

www.mozartfest.de

6月5日(木)~8日(日)
ニュルブルクリンク

ロック・アム・リング
Rock am Ring 2014

Rock am Ring 2014

サーキット内で開催される、欧州最大級のロックフェスティバル。今年は約85組のバンドが参加し、世界中で圧倒的な人気を誇るリンキン・パークや、多国籍パンクバンドのゴーゴル・ボルデロなどが、会場を熱狂の渦に巻き込む。日本からは大阪出身のメタルコアバンドCrossfaithが、ワールドデビューアルバム「APOCALYZE」を引っ提げて参加する。

www.rock-am-ring.com

6月13日(金)~22日(日)
ライプツィヒ

ライプツィヒ・バッハ音楽祭
Bach Festival Leipzig

ライプツィヒ・バッハ音楽祭

今年はヨハン・セバスチャン・バッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの生誕300年という記念年。プログラムは、彼と代父ゲオルク・フィリップ・テレマン、父バッハの作品で構成され、後世の音楽家に影響を与えた彼の古典派音楽の価値を再認識できる。ゲストには、カナダからターフェルムジーク・バロック・オーケストラを招へいする。

www.bach-leipzig.de

6月20日(金)~9月21日(日)
メクレンブルク=フォアポンメルン

メクレンブルク=フォアポンメルン音楽祭
Festspiele Mecklenburg-Vorpommern

メクレンブルク=フォアポンメルン音楽祭

3カ月にわたり開催される当地の音楽祭は、州内69カ所の会場に約270組のアーティストを迎え、盛大に催される。中でも注目なのは、飛び抜けた技巧、芸術的センスを併せ持つ、今世紀最大の天才ピアニストと称されるイゴール・レヴィット。ドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・ドイツ交響楽団などとの共演が予定されている。

www.festspiele-mv.de

6月28日(土)~9月13日(土)
ラインガウ

ラインガウ音楽祭
Rheingau Musik Festival

ラインガウ音楽祭

1988年から続く、ライン河畔の町々で開催されるこの音楽祭は、有名な演奏家が登場することで有名。今回は、デュイスブルク生まれの正統派バイオリニスト、フランツ・ぺーター・ツィマーマンや、現役ピアニストの中で最も高い評価を得ているイタリアのマウリツィオ・ポリーニのパフォーマンスが楽しめる。45の会場で全159のコンサートが催される。

www.rheingau-musik-festival.de

7月31日(木)~8月2日(土)
ヴァッケン

ヴァッケン・オープン・エア
Wacken Open Air

ヴァッケン・オープン・エア

世界最大のハードロック&ヘビーメタル・イベントは、北部の小さな町ヴァッケンで毎年開催され、今年で25回目。地元のバンドSKYLINEが町おこしとして始め、今でも地域の住民が一丸となって支え続けているフェスティバルだ。参加バンド数は約70組に上り、前夜祭の前夜祭が開催されるなど、ファン待望の一大イベントが今年も畑のど真ん中に現れる。

www.wacken.com

8月1日(金)~3日(日)
ハンスブリュック

ネイチャー・ワン
Nature One - The Golden 20

Nature One – The Golden 20

エレクトロ系やダンスミュージックで人気の音楽祭。観客動員数は年々増え続け、昨年は6万4000人が訪れた。照明技術も見どころで、野外に設置された会場では、ステージごとにハードコア、ハウス、テクノ、トランスと、それぞれ違ったライヴが楽しめる。参加DJは約70組で、日本からは東京を中心に活躍するカツ・アライ氏がテクノ・フロアに登場する。

www.nature-one.de

8月13日(水)~8月17日(日)
キームゼー

キームゼー・サマー
CHIEMSEE SUMMER

CHIEMSEE SUMMER

ブラック、レゲエ、ポップと多彩な音楽が楽しめるフェスティバルには、5日間の期間中に100以上のバンドが登場。レゲエ界からは、65歳の現在も現役で活躍するジミー・クリフが、ドイツのシンガーソングライターで、ヨーロッパ版グラミー賞・エコーでベスト・ミュージック・ビデオ賞にノミネートされたボッセも登場。自分の好みの音楽を開拓できるかも。

www.chiemsee-summer.de

8月23日(土)19:30
ベルリン

ベルリン野外オペラ「魔笛」
Open Air in der Waldbühne Berlin: Die Zauberflöte

ベルリン野外オペラ「魔笛」

毎年恒例、一夜限りの夏の野外オペラで、今年はモーツァルトの「魔笛」が上演される。ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団やコーラスとともに、悪人ザラストロ役で登場するのは、ドイツ内外で引っ張りだこのバリトン歌手アンテ・イェルクニカ。劇場に引けを取らない大掛かりな演出に加え、夕暮れ時の野外オペラは、背景の自然と相まって迫力満点。

www.deutscheoperberlin.de

リヒャルト・シュトラウス生誕150周年!
リヒャルト・シュトラウス・フェスティバル

リヒャルト・シュトラウス・フェスティバル
Richard Strauss Festival 2014

リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス
Richard Georg Strauss
1864–1949
シュトラウス
ミュンヘンに生まれ、宮廷歌劇場の首席ホルン演奏者であった父親の影響で、子どもの頃から英才教育を受ける。6歳で作曲を始め、学生時代にはソナタやオーケストラの楽曲に着手した。生涯で手掛けた作品にはオペラが多く、ドイツの後期ロマン派を代表する作曲家として偉大な功績を残した。

2014年6月11日(水)~19日(木)

リヒャルト・シュトラウスが、死去するまでの40年間を過ごしたガルミッシュ=パルテンキルヒェンにおいて、生誕150年を記念した盛大な音楽祭が催される。プラハ放送交響楽団がオープニングを飾り、期間中は様々なアーティストによるコンサートも開催される。

www.gapa.de/Richard-Strauss-Festival


最終更新 Donnerstag, 04 Juli 2019 15:22
 

坂本あゆみ監督インタビュー

坂本あゆみ 監督インタビュー 第64回 ベルリン国際映画祭 FIPRESCI受賞映画『FORMA』

日本映画界に新星が現れた。その人は、坂本あゆみ監督。長編デビュー作となる『FORMA』が、 第64回ベルリン国際映画祭にてFIPRESCI(国際批評家連盟賞、各部門から選出される特別賞)を受賞したのだ。過去のベルリン国際映画祭において、初監督作品が本賞を受賞したのは史上初。映画のタイトルとなったラテン語の"FORMA"という言葉は、「本質」という意味を持つ。 坂本監督は、人間が本質的に持っている悪意や心の闇を、現代日本に生きる女性2人を通して斬新な手法で描いた。映画祭での公開初日の翌日、自身の映画や人間観について、坂本監督がみずみずしい言葉で語ってくれた。(取材・文:中村真人)

Ayumi Sakamoto
坂本あゆみ
Ayumi Sakamoto

1981年2月16日生まれ。熊本県出身。高校卒業後、映画監督を目指し上京。塚本晋也監督の作品に多数参加し、演出・撮影・照明技術を学ぶ。その後、照明技師となり、様々な作品の光の演出を手掛ける。現在、映像作家として、ミュージックビデオやドキュメンタリー、ライブ、インスタレーションなどの映像を演出する。本作が長編初監督作品。

撮ることで、生きていることの罪悪感を浄化したい

ベルリンに来られたのは今回が初めてですか?

海外の映画祭に参加するのも、ベルリンに来たのも初めてです。今回の映画祭ではオープニング作品、そして大好きなラース・フォン・トリアー監督の『Nymphomaniac』を観ました。日本の映画館はいつも静かなので、ここでは雰囲気や熱気を肌で感じることができ、面白かったですね。メイン会場でのオープニングセレモニーにも参加させていただき、それはもう圧倒されるほど素晴らしい世界でした。

一方で、ベルリンの街はまだ少ししか見られていません。今回借りているアパートの近くをうろうろしたり、タクシーの中から『ベルリン・天使の詩』(ヴィム・ヴェンダース監督)に出てくる女神像を見上げたり、(ユダヤ人犠牲者を慰霊する)つまずきの石のところを通ったり……。

今回、ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に出品された『FORMA』は、昨夜が初上映でした。観客の反応はいかがでしたか?

実は本当に緊張していて、心ここにあらずというか、気が気でなかったんです(笑)。上映後にQ&Aも控えていましたから。日本ではなかったところで笑いが起きることが何度かありましたが、皆さん淡々とじっくり観てくださっているようには感じました。

FORMA

最後のQ&Aでは多くの質問が出ましたね。

質問の内容は、日本で受けるものと大差はありませんでした。「こんなに不幸なのが日本なのですか?日本のOLってこうなんですか?」といった質問を受けましたが、反対に私が別の国の不幸な人々を描いた映画を観ても、それがその国のすべてだとは考えないと思うんです。私は、人間の根本的な姿というのは変わらないと思っているのですが、社会のある部分を切り取って忠実に再現することを追求したので、そういう質問が出てきたのは、逆にリアルに描けたからではないかとプラスに考えています。

本作は完成までに、実に6年掛かったとうかがっています。

まず4年程掛けて、別の撮影の仕事の合間に脚本家の仁志原了さんと一緒に脚本を作りました。2011年にこの映画の撮影をし、そこから編集作業を別の仕事の合間に少しずつ行いました。その後、体調を崩してしばらく作業を休んだ時期もありましたが、最終的に13年1月に完成披露となり、撮影から2年経って、ようやく皆さんにお見せすることができました。

映画監督になるまでの道のりを聞かせてください。

高校卒業後、映画監督を目指して熊本から上京し、塚本晋也監督のスタッフとして何作品かの制作に参加させていただきました。映画作りについて監督から直接得たものは大きいですね。

もう1つ、自分にとって大変ラッキーだったのは、プロデューサーの谷中史幸さんと出会えたことです。初めて台本を見せたときは、私自身の映画を撮る態勢が熟しておらず、撮らせてもらえませんでしたが、谷中さんの判断でOKが出た後は、自由にやらせてもらえました。芸術性、作家性を大事にしてくださったのです。こういうケースは稀だと思います。デビューしたいという人はたくさんいると思いますが、日本では若手の監督に対する支援がありません。商業性の強いプロデューサーの下では、どうしても様々な制約があり、自分が本当に撮りたいものとの折り合いを付けていくのが大変です。もちろん自分の気持ちは大切ですが、プロデューサーの存在は大きいと思いました。

坂本あゆみ監督(右)と谷中史幸プロデューサー
映画『FORMA』の坂本あゆみ監督(右)と谷中史幸プロデューサー

『FORMA』を撮影した際のエピソードを1つ教えてください。

実は、ラストシーンは別の設定を考えていました。撮影最終日の前日の深夜になって、谷中さんがそのことを根本から問うような意見を伝えてきたんです。「今ですか!?」と、私は唖然としました(笑)。眠れずにずっとそのことを考えていたのですが、翌朝現場に立って何テイクか撮っているうちに、自然とラストシーンが見えたというか、映画自体がラストシーンを作ったという瞬間が生まれたんです。スタッフ全員がそう感じたと思います。結果的に当初考えていた設定とは違うものになりました。様々なタイプの監督がいると思いますが、私はいかに芝居が"リアルな現実"になるかを目指していて、その集大成がラストシーンに向かったという感じです。

なぜ、この作品のタイトルが示す「人間の本質」や「心の闇」というテーマに取り組もうと思ったのですか?

私が映画を撮る理由の1つに「罪悪感」があります。生きていることに対して、すごく罪悪感があるのです。肉を食べたり、他人を傷つけたりと、人は生きているだけで加害者の立場からどうしても逃れられない。ものすごく人類を憎んでいるんです。殺し合ったり、睨み合ったり、動物をいじめたり……。かといって自分は完全な菜食主義者ではないし、いろいろな犠牲を生み出すことから逃れられない。自分もそのような人類に属するということの罪悪感ですね。それを浄化したいという気持ちが、何かを撮り、表現する行為に繋がっています。でも、憎んでいる反面、愛してもいるので、そのバランスを取るのは自分にとって難しい。この矛盾した気持ちを映画に投影できたら良いなと思います。

人物の造形で心掛けたことは?

大まかに言うと、多面的、客観的に描くようにしました。1人の主人公で押し切るのではなく、リアリティーの追及も含めて、いろいろな場面から切り取っていく話にしたいと思いました。多くの映画では、重要な登場人物が冒頭で説明されてから始まりますが、実際の日常生活では突然会う人っていますよね。それが映画の中で起きたら面白いなと思いましたし、説明ばかりしている映画に対しての反抗心も少しありました。

その意味では、観客の多くが意表を突かれ、ストーリーの中で重要な鍵を握っているのが長田修という役柄だったと思います。

多面的に描くに当たって、長田役は最初の構成の段階から決まっていました。突然、変な男が現れるという……。長田役のノゾエ征爾さんは普通の人と変な人の境目すれすれのところを絶妙に演じてくださいましたね。撮影の前にいろいろな話をして、人物を固めていく上で決めた結果ですが、素晴らしい演技をしてくださり、助けられました。主人公の女性2人の芝居もレベルが高く、リアルに演じてくださいました。

この映画でもう1つ特徴的だったのが、カメラを固定しての長撮りです。特にクライマックス・シーンは圧巻でした。

シーンを短くしてしまうと、どうしても「説明」になってしまうんです。私は説明をしたいのではなく、その人物の裏にある想いを描きたかった。例えば公園のシーンでは、子どもの頃はただ楽しい遊び場だった公園が大人になったら楽しめなくなったり、ブランコに乗っている2人がやがて悲劇を迎えてしまうなど、様々な感情や不可避の運命が凝縮されていると思うのですが、短くしてしまうと「公園にいた」という事実にしかなりません。人によっては長いと感じるでしょうし、それも理解できますが、私にとってはどうしてもあの長い尺が必要だったんです。観客の皆さんには、多分ボディーブローのように効いているとは思います。ありがたいことに、作品の長さは最初から気にせず作っていました。

綾子(梅野渚)が頭にダンボールを被る冒頭のシーンについて、「日本の何かの習慣なのですか?」と質問した観客がいました(笑)。

冒頭のシーンは最初の構成にはありませんでした。まず綾子の心の闇を抽象的に表したいと漠然と考えていたのですが、ある日、そのアイデアを仁志原さんが持ってきて、すぐには受け入れられなかったのですが、考えていくうちに自分の中で納得することができました。実は、安部公房の『箱男』へのオマージュも少し入っています。スタッフの間では、あのシーンを「箱女」と呼んでいました(笑)。

FORMA

坂本監督は、塚本晋也監督の下で学ばれました。特に影響を受けた監督、また好きな映画監督を何人か挙げていただけますか?

やはり、まず塚本監督ですね。塚本監督がいたから今の自分があると言っても過言ではありません。崇拝し、尊敬しています。パワーに溢れ、「芸術家とはこうあるべきだ」という鏡のような存在です。作風は全く異なりますが、ものを作る人としては、彼から大きな影響を受けました。

作風で影響を受けたとなると、イランのアッバス・キアロスタミ監督でしょうか。日常を決して劇的に描かないというか、「でも日常的なことこそ、実はドラマチックなのだ」というようなことを描いています。初めてイラン映画を観たときの衝撃は、ものすごかったですね。同監督が脚本を書いた『鍵』という作品で、部屋の中で少年が鍵を探すというだけの内容なんです。それまで映画には起承転結があるものだと思っていたので、ただ鍵を探すだけで成立している映画があることに驚きました。高校を卒業した頃、実際にイランに行きたいと思いましたよ。こういう風に映画を撮る国ってどんなところだろうと思ったし、とにかく憧れていました。まだ実現していないですが、いつか行ってみたいですね。

もう1人映画監督を挙げるとしたら?

1人ではなく、たくさん挙げてもいいですか?(笑)。好きな監督の名前を挙げるのは、それだけで楽しいので。ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督とポーランドのクシシュトフ・キェシロフスキ監督です。実は『FORMA』の中にもキェシロフスキ監督へのオマージュがあります。父親役の光石研さんがテレビのスポーツニュースを観ているシーンで、「キェシロフスキ」 が水泳競技の選手名として出てくるんです。まだ誰にも気付かれていませんよ(笑)。あとはラース・フォン・トリアー監督、オーストリアのミヒャエル・ハネケ監督ですね。映画の由香里(松岡恵望子)の部屋は実は私のアパートなのですが、ハネケのDVDボックスが置いてあります(笑)。

最後に、今後の目標を教えてください。

私の主題は、これからもずっと変わらないと思います。人間の偽善、原罪(人が生まれ持ったどうしても 逃れられない罪)、罪深さ。そういうことをもっともっと追求して描き続けていきたいです。またベルリンにも戻って来たいですね。これがスタートラインなので、怠らずに精進していきたいと思います。


『FORMA』あらすじ

ある日、金城綾子は同級生だった保坂由香里と再会する。綾子は由香里を自分の会社に誘い、由香里は綾子の会社で働くようになる。しかし、綾子は徐々に由香里に冷たくなり、奇妙な態度を取り始める。次第に追い詰められていく由香里。綾子には、ある想いがあった。積み重なった憎しみが、綾子の心の闇を深くする。その想いを確認するため、綾子は由香里を呼び出す。交錯する、それぞれの想い……。そして憎しみの連鎖は、どのような結末を迎えようとしているのか。

『FORMA』作品情報

監督・原案:坂本あゆみ
プロデューサー:谷中史幸
脚本:仁志原了
撮影監督:山田真也
ギャファー:竹本勝幸
録音:高橋勝
キャスティング・ディレクター:奏太
キャスト:松岡恵望子、梅野渚、ノゾエ征爾、光石研

2013年 / 日本 / 145分 / ステレオ / ©kukuru inc. /
配給: kukuru(株)
公式ホームページ:http://forma-movie.com/jp/
日本公開:2014年予定

最終更新 Dienstag, 02 Juli 2019 17:22
 

ドイツのビジネスマナー&コミュニケーション

ドイツ人と職場で仲良く ビジネスマナー&コミュニケーション

ドイツ人と働く日本人の中には、日独のビジネス文化の違いに戸惑った経験をお持ちの方も多いことでしょう。ドイツの会社で日本人が働くとき、あるいは日本の会社でドイツ人と働くとき、どのような問題が起こりやすいのでしょうか。スムーズなビジネスコミュニケーションには、異文化理解が不可欠。今回は日独の企業のビジネス事情に精通した人材エキスパートのお2人に、ドイツ人と仲良く、気持ち良く働くテクを教えていただきました。(編集部:林 康子)

ドイツの会社で働く

Q「日本の会社で数年の勤務経験があるという人が、ドイツの会社で初めて働くことになった場合、予めどのようなことを知っておくと良いでしょうか。日本の会社では通例であっても、ドイツではやっていけないことなどはありますか。
answer

田沼 久美子さん
Kienbaum Executive Consultants GmbH
田沼 久美子さん

世界20カ国にネットワークを持つドイツ最大手のヒューマンリソース・コンサルティング会社キーンバウム・コンサルタンツの日系企業グループに所属。日本人コンサルタントの下で在欧日系企業や日本進出の欧州企業を対象としたグローバルなリクルートメントおよびHRコンサルティング活動をサポート。

田沼さんから見たドイツ人の働き方
「ドイツ人にとって、 仕事は個人の生活の一部」

仕事に飲み込まれてしまうことがない。仕事は自分という核の周りを回っている様々な要素のうちの1つなのです。オンとオフの切り替え方が上手く、仕事中は集中し、自分が納得いくまで追及するプロ意識を持っていると思います。

プロフェッショナルに対応する

ドイツには新入社員であっても遠慮せず、自分がしたいことを積極的に提案する人が多いと思います。日本の会社の場合、入社したらまず上司や先輩がやっていることを真似て、きっちり覚えてから次のステップへ移る。しかし、そうこうしているうちに業務の中に取り込まれ、入社した頃に何を考えていたか、何を変えたいと思っていたのかを忘れてしまいがちです。

一方、ドイツではそのようなことはありません。極端な例ですが、入社2日目に「このオフィスの家具が気に入らないから替えてほしい」と言った人もいるほどです。ドイツで求められる人材は、その職種の業務を完璧にこなせる人。だからこそ、「私はこの会社でこれをやりたい、こう変えたい」と言いやすいのかもしれません。日本人は「会社が社員を育てる」という風習から遠慮しがちですが、ドイツでは指示を待つより、「自分が会社を改革してやろう」というくらいの積極的な姿勢でいた方が良いでしょう。

敬称と親称はしっかり使い分けを

ドイツ語では「Sie」と「Du」がそれぞれ敬称、親称として区別されますが、この2つの呼び方をどう使い分けるかは会社によって様々です。基本的に上司に対しては敬称を使いますが、上司が「ここではフランクに、友達同士のように呼び合おう」と言えば、それに従うでしょう。米系の企業では英語を使うことが多く、全員がファーストネームで呼び合うこともあるようですが、それでもドイツでは、上司には敬称を使うことが多い気がします。また、同僚同士、ポジションが同じくらいの人であれば親称が基本です。なお、Dr.(ドクター)やProf.(プロフェッサー)などの肩書きがある人に対しては、必ずそれを付けて呼びます。

スモールトーク同僚の輪に入るコツはスモールトーク

ドイツでは、日本で言う「飲み会」のようなものをランチタイムに行うことが多いですね。特にタイムカードを導入している会社の場合、勤務時間数さえ合っていれば、事前に上司の承諾を得て昼休憩を少し長めに取り、同僚と外食に出ることもあります。そのような機会に仲良くなれば、仕事以外でもイベントや映画に誘われることもあるでしょう。その他、一般的な集まりとして、大体どの会社もクリスマスパーティーを開催します。

そのような場で話す内容は、週末の予定や体験、趣味のこと、また食事のときであれば料理についてなど、スモールトークが多いですね。ただし、恋愛話やテレビの話などはあまり深く話しません。話すとしても、あくまで趣味の1つという感じ。特に恋愛に関する話をしないのは、そこで仕事とプライベートの線引きをしているのかもしれません。いずれにせよ、ドイツ人の同僚の輪の中に入りたいと思うなら、自分から積極的に話し掛けることが大事です。話すのはドイツ語より英語の方が得意という人が、ドイツ語での質問に対して英語で答え、上手くコミュニケーションを取っている姿を何度か見掛けたことがあります。それでも、反応するということは「聞いたことを理解しています」というアピールにもなるので、相手に受け入れられやすくなります。

休暇を取らないと呼び出される!?

休暇は、取らなければいけないものとされています。年間の有給休暇をすべて消化しなかった人は人事部から呼び出され、なぜ消化しなかったのか追及されることさえあります。ドイツは日本と比べて休暇が多い国なので、企業によっては年間休暇カレンダーを張り出し、各社員の休暇を年の初めにすべて決めてしまうところもあります。それを見れば、誰がいつ不在で、休暇代理が必要になるのかということが一目瞭然ですから。子どもがいる場合は、休暇を学校の休みと合わせたいでしょうし、クリスマスの時期は休暇の希望が重なりやすいので、その際は同僚とローテーションを組んだりして調整します。また、日本人であればお正月は家族と過ごすという伝統があるので帰国させてもらいたいと話せば、大抵の人は納得してくれると思います。

指示は理解できるまでしつこく聞く

上司に何かを指示され、内容がよく分からなかったのに分かった振りをするというのは、一番やってはいけないことです。それをすると、後で自分が一番困ることになりますから。どんなに上司が忙しそうなときでも、煙たがられて叱られることになっても、しつこく聞いて言われた内容をしっかり理解すること。同様に電話応対の際も、切った後に「なんだかよく分からない人から急ぎの電話があったな……」ということにならないよう、相手の名前と用件が聞き取れなかったら、分かるまで聞き返してしっかり理解することが大切です。ドイツでは、会話の中に「○○さん」と相手の名前を入れることは、好印象を与えますしね。

ドイツ人の部下を持つ / ドイツ企業の接待

Q日本の本社から駐在員としてドイツに派遣され、上司としてドイツ人の部下を抱えることになった場合、どのような点に気を付けるべきでしょうか。また、一定以上のポジションに就いていれば接待の機会もあると思いますが、その際、日独でマナーの違いはありますか。
answer

伊藤 朗子さん
Fischer HRM GmbH
伊藤 朗子さん

ドイツ国内をはじめとする世界全域での人材採用サポートを、各カントリー・デスクを通して提供しているドイツ系インターナショナル人材リクルート会社フィッシャーHRMに勤務。在ドイツ・在欧州の日系企業のための人材リクルート・サポートを主軸にする「日本デスク」を統括している。

伊藤さんから見たドイツ人の働き方
「ドイツ人は、仕事に対する考え方が合理的」

回りくどい社交辞令などなく、休暇を取る際も同僚や上司に遠慮はしない。「私がいない間、あなたの仕事が増えて大変でしょうけれど、あなたの休暇中は私の仕事が増えるわけで、お互い様」という付き合い方ができます。

「目的」へ向かう方法は個人の自由

日本では、よく「報(ホウ)・連(レン)・相(ソウ)」と言われるように、どのような業務でも報告、連絡、相談をしながら進めるのが基本ですよね。一方、ドイツ人の考え方は、課題と期限を与えられたら、あとはどのようなやり方で仕事を進めても良いというものなのです。「○月○日までにリポートを提出する」「売上を○○ユーロまで伸ばす」といった“Ziel=目的”が明確に定められたら、そこへ向かう過程は個人の自由。要は結果を出せば良いのです。実はここが、一番誤解を招きやすいポイントでもあります。  

日本人の上司にしてみれば、報告がないことを不満に思うことがあるかもしれません。逆に、ドイツ人の上司を持つ日本人の場合、課題と期限を指示されたら、当然それを遂行するための相談やミーティングの時間があるのだろうと考えますが、上司は何も言って来ず、いざ期限当日になってみたら何もできていなかったという事態になりかねません。  

また、残業に対する姿勢も違います。上司が残っている限り帰れないというような、日本人が持つ感覚はドイツ人にはなく、定時になれば帰ります。もちろん、やることが多いために残業をする人もいますが、それは次の日までに片付けておかなければ自分が困るからであって、会社や上司のためではありません。仕事は会社のためではなく、自分のためにするものという意識が根底にあるのです。日本人が仕事80%、プライベート20%の感覚でいるとすれば、ドイツ人の場合はそれぞれ50%というわけではなく、双方100%。ですから、仕事さえきちんとこなしていれば、定時で帰るのは当然のことなのです。一方、日本では残業をすることがモチベーションの表れと捉える風潮がありますよね。

これら仕事に対する価値観の違いを、仕事を始める段階でお互いに認識しておかなければ、コミュニケーションは成り立ちません。

ビジネス

褒めることで、信頼関係を築く

コミュニケーションを上手く取るためには、部下を褒めることも大切です。これは簡単そうでいて、日本人が特に苦手としていることなのですが、褒めてあげることでドイツ人は自分が期待され、認められているのだと分かり、それがさらなるモチベーションに繋がって、そこから会社に対するロイヤリティーも変わってきます。批判ばかりされると聞く耳を持たなくなりますが、普段から褒めていれば信頼関係が生まれ、不満や批判も聞き入れられやすくなります。ですから、叱るよりはどんどん褒めてあげると良いと思います。褒めることは、ただでできますしね。

権限を与え、横へのキャリアアップを支援

ドイツ語圏の人々の転職理由の上位3位はお金(報酬)ではなく、仕事の内容に関係しています。働き始めの頃は、限られた枠の中で新しい仕事を次々に覚えていきますが、3年くらい経つと、どうしても仕事がルーティン化してきます。そこで必要なのが、できるだけ権限を増やし、業務の幅を広げていくこと。「キャリアアップ」というと、日本では一般的に上へ向かうこと、昇進を指しますが、役割や課題、権限を増やしていくという横へのキャリアアップもあるのです。これは案外思い付かないことですが、それが与えられないとドイツ人は辞めてしまいます。良い働きをしてくれる社員には、会社に長くいてほしいですよね。会社にとって必要な人材をリテンションするという意味でも、入社3年目くらいに頃合を見計らって権限を増やすことをお勧めします。

接待でもビジネスの話をする

日本ほど頻繁ではありませんが、ドイツの会社も接待は行います。接待のあり方も異なるので、ここでは私が以前務めていたドイツの会社での失敗談をお話ししましょう。自社の商品を売り込むため、日本の会社とアポを取って出張し、会食をすることになりました。先方としては、ドイツからはるばる来てくれたということで、接待のつもりだったと思います。皆でお酒を飲んで楽しく歓談し、「そろそろお開きにしましょうか」という場面で私の上司がビジネスの話を始めたのです。きっと上司は、そのような場でも最後に仕事の話をするというやり方に慣れているから、そうしたのでしょう。しかし、その瞬間に和やかだった場の雰囲気がぶち壊されましたね。

日本では、初めての接待の場でビジネスの話はしないですよね。そこでは世間話などをしてお互いをよく知る機会にとどめ、その後、何度もやり取りをする中でようやく仕事の話を切り出せるようになります。商談がまとまるまでに10段階あるとしたら、初回の接待というのはその初めの1歩だということはお互いにとって暗黙の了解であり、その上で会っているわけですから、そこで野暮な話はしません。しかし、ドイツ人は合理的に考える人たちですから、目的がビジネス関係の締結なのであれば、その場で何らかの結果を出して帰りたいのでしょう。ドイツの会社では、接待の場でもビジネスの話をすると思いますよ。

電話ドイツ語で電話

秘書など、特に印象が大事な職種の場合、明るい声で、できるだけポジティブなことを言うのが◎。たとえネガティブなことでも、心を込めて言うことで気持ちを伝えましょう。

お役立ちフレーズ

Vielen Dank für Ihren Anruf / fürs Warten!
お電話ありがとうございます / お待たせしました。

Wie war denn nochmal Ihr Firmenname, Herr Schmidt?
シュミットさん、もう一度御社名をお伺いできますか?

Es tut mir sehr leid, wir müssen aber den Termin absagen.
大変申し訳ございませんが、アポイントメントをキャンセルしなければなりません。

Sie haben Recht, das können wir aber leider nur schwer ändern.
仰ることはごもっともですが、それは変更しかねます。

誰かに電話をつなぐことが目的の場合、日本の会社では余談は良しとされず、事務的な受け答えに徹する傾向がありますが、ドイツでは、何度かやり取りしている人であれば「Guten Tag, Frau Mayer. Wie geht es Ihnen? =マイヤーさん、お世話になっております(こんにちは)。お元気ですか?」などと言うことで、好感度がアップします。

最終更新 Freitag, 07 März 2014 17:05
 

ストリートペーパーが映し出すドイツ社会 - 「ホームレス」支援の意味するもの

ストリートペーパーが映し出すドイツ社会「ホームレス」支援の意味するもの

ストリートペーパー(ドイツ語でStraßenmagazin)をご存じだろうか。それは、ホームレスに路上での販売を委ねることで彼らの仕事を創出して自立を支援し、ホームレス問題を世に喚起する意味を持つ雑誌や新聞のこと。販売価格の半分以上が販売者の現金収益になるという仕組みだ。ストリートペーパーそのものの存在を知らなくても、路上で販売者の姿を見掛けたことがあるという人は多いのではないだろうか。

世界で初めてストリートペーパーのビジネスモデルが誕生したのは1991年。英ロンドンでの「ビッグイシュー」だ。以後、その波は世界中に広がり、日本でも2003年に「ビッグイシュー日本版」が創刊された。ドイツでは、ある程度の規模以 上の都市には必ずと言って良いほど「ご当地ストリートペーパー」があり、一般紙さながらに豊かな地域色と個性を押し出している。ドイツを代表する2誌のストリートペーパーが創刊されたのは1993年。10月にミュンヘンの「BISS」、続く11月にハンブルクで「Hinz&Kunzt」が産声を上げた。ストリートペーパーの誕生はまさに、ドイツでは1990年の東西統一の熱狂が冷め、酷な現実を突き付けられていた頃、世界的には経済のグローバル化の波が加速した時代と一致する。

急激な社会の変化に伴って底辺に追いやられた人たちの姿は、私たちが生きる現代社会の1つの象徴でもある。ストリートペーパーは、そこから目を背けるのではなく、光を当てることで問題と向き合い、共生の道を探ろうとする試みなのだ。 ここでは、ドイツのストリートペーパー5誌を通して、その現状と取り組みを紹介したい。 

(取材・文:見市 知)

ストリートペーパーの名前が語る「ホームレス」

ストリートペーパー販売の担い手となる「ホームレス」と呼ばれる人々は、一体誰なのか。それは、いくつかのストリートペーパーの名前がいみじくも示している。例えばミュンヘンの「BISS」は、「社会的困難の中にある市民(Bürger in Sozialen Schwierigkeiten)」の頭文字。ハンブルクの「Hinz& Kunzt」は「Hinz und Kunz =どこにでもいる人」という慣用句からきている。そのクンツに「芸術(Kunst)」を掛けて、「Lebenskünstler=生き抜く術を知っている人」という意味も込められている。

ミュンヘンBISS ビス

BISS
販売者のマルティン・ベラバーさんは正社員として働いている

「BISS」
創刊:1993年10月
発行部数:平均3万8000部(月刊)
販売地域:ミュンヘン
従業員数:46人(うち40人が正規雇用の販売者)
販売者数:約100人
価格:2.20ユーロ(販売者の収益:1.10ユーロ)
www.biss-magazin.de

人々がホームレスになってしまう原因は何か。この問い掛けに対し、 「BISS」発行人のヒルデガルト・デニンガーさんはこう説明してくれた。「貧困家庭に生まれ、学歴が低く、職業訓練を受けたり、資格を得たりする 機会を逃してきたというのが一番多いパターンです。そこに借金や病気、離婚などの不運が重なり、自分の人生を抱えきれなくなる。ホームレス1人ひとりに、そこに至るまでの長く複雑な経緯があるのです」。

月刊で発行される「BISS」の誌面は30ページ。南ドイツ新聞など、高級紙出身のプロのジャーナリストが、社会的テーマから時事問題、娯楽まで幅広いコンテンツを手掛け、読み応えは十分だ。中でも、販売者たちが プロの編集者の指導を受けて書く「雑記工房」はちょっとした名物。日常 生活のことや自分の子ども時代の思い出などが飾り気のない筆致で綴られており、彼らの人生がぐっと身近に感じられる。

「BISS」では、販売者の社会福祉手当の申請やアパートへの入居も積極的にサポートし、その一方で、仕事を求めて訪れる若いホームレスには、提携する自転車修理工場などへの職業訓練を斡旋。1998年以降は、販売者の正社員雇用も行っている。

ドルトムント / ボーフムBODO ボド

BODO ボド
販売者のロジーさん。膝が悪いため、外に立てるのは1日3時間のみ

「BODO」
創刊:1995年2月
発行部数:平均2万部(月刊)
販売地域:ドルトムント、ボーフム
従業員数:6人
販売者数:約110人
価格:2.50ユーロ (販売者の収益:1.25ユーロ)
www.bodoev.de

「サッカーとビールに興味がなければ、この街では生きていけない」と言われるルール工業地帯の主要都市ドルトムント。かつて鉄鋼業で栄えたこの地域も、構造不況の波にさらされ、深刻な貧困が広がりつつある。

「ルール地方には、労働者の街特有のユーモアとオープンな気質があります。現状を悲観していても始まらない。そのような精神は『BODO』の中にも流れています」。編集長のバスティアン・ピュッターさんはそう語る。誌面は、セレブインタビューなどの華やかなページが目を引く、ちょっとおしゃれなシティーマガジンといった体裁だが、20%程度は読む人に貧困問題の切実さを感じさせるような構成にしているという。「問題提起は必要ですが、プロパガンダでは人の心を掴むことはできません」。

「BODO」の販売者の20%は、アルコール依存や薬物中毒の問題を抱えた人たち。精神疾患を患っていたり、多額の借金を抱えている人も多い。さらに最近では、ルーマニアやブルガリアなどからの移民が20%を占めているという。

「販売者になりたいと希望する人に対しては、最初に必ず面談を行います。そして彼らの問題の根幹がどこにあるのかを認識する。今、ただ少しお金が必要なだけなのか、それとも本当は薬物中毒の治療を必要としている人なのか、見極めることが重要です」とピュッターさんは語る。個々のケースに対応したサポートが可能な公的機関とのネットワークも機能している。

ベルリンstrassenfeger シュトラーセンフェーガー

strassenfeger シュトラーセンフェーガー
編集長のアンドレアス・デュリックさん

「strassenfeger」
創刊:1994年
発行部数:平均2万部(隔週)
販売地域:ベルリン
従業員数:4人
販売者数:約1700人
価格:1.50ユーロ(販売者の収益:0.90ユーロ)
www.strassenfeger.org

高い失業率を抱え、国内16 州の中で最も深刻な財政難を抱える首都ベルリン。「ここには、人 生に失敗したあらゆる人々が流れ着く」と、「strassenfeger」の編集長アンドレアス・デュリックさんは言う。近年では外国人、特にルーマニア人の販売希望者が増え、販売者が必ず目を通して同意しなければならない規約は、ドイツ語と英語、そしてルーマニア語の3カ国語で書かれている。

ベルリンのストリートペーパー事情は、他都市と比べて深刻さの度合いが異なる。同じ大都市 でもミュンヘンやハンブルクの場合、社会的意識の高い富裕層の存在がストリートペーパーを支え ていると言われるが、ベルリンは貧富のバランスにおいて貧困層の割合が突出している。そのため、 ベルリンでのストリートペーパーの販売はホームレスの人々にとって、「自立支援」というよりは「とりあえず現金を稼げる応急手段」という意味合いが強い。30ページにわたる誌面は、ホームレスと貧困問題についてのテーマが多くを占める。

「strassenfeger」は、ホームレスのための簡易宿泊所を運営する団体の一部として機能してい る。デュリックさんはこう語る。「私たちに問題を解決することはできない。できるのは、事態を緩和することだけです」。

デュッセル ドルフfiftyfifty フィフティーフィフティー

fiftyfifty フィフティーフィフティー
販売者のベルノーさんは、販売を始めて2~3年になる

「fiftyfifty」
創刊:1995年4月
発行部数:平均4万部(月刊)
販売地域:デュッセルドルフ
従業員数:7人
販売者数:約700人
価格:1.90ユーロ(販売者の収益:0.95ユーロ)
www.fiftyfifty-galerie.de

「ルール工業地帯の事務デスク」と呼ばれ、アートの街としても名高いデュッセルドルフは、同じノルトライン=ヴェストファーレン州にありながら、ドルトムントと比べると圧倒的に裕福な土地柄。その分、貧富の差が大きい場所とも言える。「fiftyfifty」販売者のベルノーさんは、「クリスマスの時期は雑誌がよく売れる。この時期、人は販売者を見ると良心が痛むんじゃないのかな」と話す。

「fiftyfifty」は、カトリック教会のフランシスコ会が後援者となって設立された。創刊者は、アート系のジャーナリストだったフーバー・オステンドルフさん。彼はアート界の人脈を活かし、独自の経営基盤を作ることに成功した。ギャラリーを運営し、そこに故イェルク・インメンドルフやゲルハルト・リヒターなど、デュッセルドルフとゆかりの深い著名アーティストが自身の作品を寄付。その収益がストリートペーパーの発行を支えてきた。さらに、7人の常勤スタッフのうち3人はソーシャルワーカーで、誌面作りそのものに力を入れるというよりも、どちらかというと慈善事業的側面が強い印象だ。

「fiftyfifty」では販売者の人数制限を設けておらず、希望者を断ることは基本的にしない。販売者の男女比はだいたい男性8割、女性2割だという。

ハンブルクHinz&Kunzt ヒンツ・ウント・クンツト

Hinz&Kunzt ヒンツ・ウント・クンツト
編集長のビルギット・ミュラーさんは創刊時からのスタッフ

「Hinz&Kunzt」
創刊:1993年11月
発行部数:平均6万8000部(月刊)
販売地域:ハンブルク
従業員数:26人(うち10人が元販売者)
販売者数:約500 人
価格:1.90ユーロ(販売者の収益:1ユーロ)
www.hinzundkunzt.de

「私たちが作っているのはホームレスマガジンではありません。ストリートペーパーです。また、ライフスタイルマガジンではなく、生身の人間の物語を綴っているのです」。ハンブルガー・アーベントブラッ ト紙のジャーナリストだったビルギット・ミュラー編集長は、「Hinz&Kunzt」の創刊時からのスタッフだ。

「本誌が創刊された1993年は、東西ドイツ統一から3年が経って世の中全体が悲観的になり、人の心も冷たくなっていた頃でした。そこへ登場した『Hinz&Kunzt』は、失われつつあった人々の良心に訴え掛ける力を持っていたのでしょう、予想外の支持を持って迎えられました。最初の10日で3万部が完売したんです」。

しかし、ホームレス問題というのは一朝一夕に解決するものではない。東西統一によって社会的地位や職を失った人々、若年ホームレス、そして最近ではルーマニアやブルガリアからの貧困移民と、販売者のプロフィールは常にその時々の世相を反映しながら変遷してきた。「貧しい人々と富める人々の間に、どうしたら橋を架けられるのか。そのために対話を続けることが、私たちの仕事なのです」。

「Hinz&Kunzt」では、1年半前から販売者のための社会福祉住宅を運営し、学校などでのホーム レス問題の啓蒙活動にも力を入れている。また、26人の常勤スタッフのうち10人は元販売者で、内「Hinz&Kunzt」勤業務に従事している。

貧困移民問題とストリートペーパー ARMUTSEINWANDERER UND STR ASSENMAGAZIN

ストリートペーパー販売者のプロフィールは、その国の社会問題を映し出す。

今、ドイツで発行されているストリートペーパーの間で共通のテーマとなっているのは「貧困移民(Armutseinwanderer)」と呼ばれる、ルーマニアおよびブルガリア出身の販売者の増加問題だ。  

2013年夏、ストリートペーパーの国際ネットワーク「INSP」の総会がミュンヘンで開催され、29カ国が参加した。ドイツ国内からは最多の14誌が集い、オーストリア、スイスも交えたドイツ語圏の分科会では、「貧困移民」の急増が主要な議題となった。欧州連合(EU)の新規加盟国からドイツ語圏のストリートペーパーに仕事を求めてくる人々が急増しており、中でも多いのが、本国での差別や貧困から逃れるようにやって来るロマの人々だ。

貧困移民問題とストリートペーパー
左)INSP会議のドイツ語圏分科会。 写真中央がBODO編集長のバスティアン・ピュッターさん
右)BISS発行人のヒルデガルト・デニンガーさん

ハンブルクの「Hinz&Kunzt」誌は、このような事態に直面して現地調査を行い、ルーマニ アとブルガリア出身の販売者を50人まで受け入れることを決めた。ほかの媒体でも、無料のドイツ語講座を提供したり、ルーマニア語やブルガリア語の通訳を臨時スタッフとして雇ったり、ストリートペーパーのスタッフ自身がルーマニア語の勉強を始めたりと、具体的な対応がなされつつあるという。  

助けを求めている困窮者がいる。それが誰であろうと排除せず、まず包摂の道を探る。そして問題そのものを顕在化させて世に訴える。それがストリートペーパーに共通する哲学であり、闘い方なのだと感じた。

最終更新 Freitag, 21 Februar 2014 15:13
 

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