特集


ドイツで挑戦する若手職人たちの夢

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祝!職人最高位・マイスター取得ドイツで挑戦する若手職人たちの夢

ものづくり大国ドイツで、今年新たに2人の日本人マイスターが誕生した。ビスポークテーラーの城田真至(まさよし)さんと整形靴職人の北川大介さんだ。マイスター取得後は日本を活動拠点に選ぶ人が多いなかで、ドイツで仕事を続けていく道を選んだおふたり。マイスターがどんな資格であるのかをはじめ、それぞれの職業やこれからの目標についてお話を伺った。(文: ドイツニュースダイジェスト編集部)

左:城田 真至さん、:北川 大介さん左:城田 真至さん、右:北川 大介さん

一人ひとりの着心地の良さを追求したい身体になじむドイツ仕立てのスーツ

城田 真至さん Masayoshi Shirota

1988年兵庫県生まれ。注文紳士服製造マイスター。日本での修行を経て、2015年からベルリンのテーラーに勤務。2021年にデュッセルドルフでマイスター取得後、工房をオープンした。

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Instagram:@masayoshi_shirota
Twitter:@shirota_bespoke

クラシックで細やかな技術が特徴

取材当日も自身が仕立てたスーツに身を包んでいた城田真至さん。ビスポークテーラー(Herrenmaßschneider)と呼ばれる職業で、お客さんと話し合う(be spoken)ことで、一人ひとりに合った服作りをする。日本人でドイツの注文紳士服製造マイスターを取得したのは、城田さんが初。ドイツ仕立ての注文洋服には、どんな魅力があるのだろうか。

工房で裁断する城田さん工房で裁断する城田さん

「あまり知られていませんが、ドイツ紳士服は19世紀後半に目まぐるしい発展を遂げ、世界をリードしました。脈々と受け継がれる伝統の裁断と縫製、そして確かな素材で仕立てる、気取らないクラシックなスタイルが特徴です」と城田さんは説明する。さらに、ドイツ紳士服の強みは着心地の良さ。その秘密はどうやら、ドイツならではの仕立て技術にあるようだ。

「ドイツではほとんどが手縫い。ミシンだと一定のリズムでしか縫うことができませんが、手縫いなら強弱を付けられるため、身体を動かした時に遊びが生まれて柔らかく感じるんです。それから『クセ取り』というアイロンワークで生地に立体感を出すことで、当たりが少なく軽く感じられる服になるのですが、ドイツ仕立てではしっかりとクセを取る。そういう隠れたところにある技術で、着心地の良さを作り出しています」

さまざまな服の悩みに応えられる職人

お客さんのさまざまな目的に合わせて服を仕立ててきた城田さん。その目的を達成させるだけでなく、それ以上の価値を生むことがテーラーの仕事だと語る。日本の師であるテーラーの佐伯博史さんの「僕たちは服を売っているんじゃない、夢を売っているんだ」という言葉に影響され、そう考えるようになった。

城田さんが仕立てたスーツ城田さんが仕立てたスーツ

城田さんがこの世界に入ったのは、学生時代に「長く着られる服がほしい」と思ったことが始まり。その背景には、まだ着られるのに流行を過ぎれば着なくなってしまう「ファッション」への強い違和感があったという。その点で、注文紳士服は持続可能で現代の価値感に合っている。

さらに、人生を変える出来事が城田さんの身に起こった。バイク事故に遭い、生死をさまよったのだ。「もともと戦場ジャーナリストになるという夢がありましたが、事故で進路変更を余儀なくされて」と城田さん。葛藤の末、仕立ての道へ進むことに決めた。その後、松葉づえをつきながら専門学校で洋裁を学び、神戸のテーラーで修行を積んだ。そして幼少期より憧れていたドイツで、仕立てのプロを目指すことを決意する。ベルリンのテーラーで縫製と裁断の全てを学んだ後、デュッセルドルフのマイスター学校に入学した。

仮縫い中の婦人用コート仮縫い中の婦人用コート

晴れてマイスターとなり、「目標だと思っていた場所がスタート地点に変わりました」と話す城田さんは、この秋に工房を構えた。ビスポークスーツはもちろん、ドイツではサイズが合わないという悩みに手頃な価格で応えるべく、パターンオーダースーツも展開する予定だ。また紳士服に限らず、婦人服やお直しなど、異国の地で大切な洋服を安心して任せられる「洋服のサービスポイント」になりたいと語る。

「僕がそうだったように、病気やけがで既製の洋服が着られない人の力になりたい。身体障がい者用の服を作ることも目標の一つで、今はその研究を進めています。障がいのある人が何に困っていて、どこが痛いかなどを理解して寄り添えることも自分の強み。僕は縫うことが好きだから、この技術で誰かを幸せにできたらうれしいです」

服を通してみんなを笑顔にしたいという城田さんの挑戦は、まだ始まったばかりだ。

どんな悩みもベストな解決策に導きたいおしゃれも楽しめるドイツ仕込みの整形靴

北川 大介さん Daisuke Kitagawa

1992年兵庫県生まれ。整形靴マイスター。神戸の会社で修行を積み、2015年に渡独。マイスター取得後、バイエルン州にあるOrthopädie Müller Zentrale in Fürthの整形靴部門の工房長として勤務している。

Instagram:@daisukeshoemaker

整形靴はドイツでは身近な選択肢

「整形靴」(Orthopädische Schuhe)とは、外反母趾(がいはんぼし)や足の長さが違うなど、足に悩みのある人たちのための特別な靴のこと。それぞれの悩みに応じてオーダーメイドの靴やインソール(中敷き)を作るほか、既製品の調整などを行うのが整形靴職人の仕事だ。北川大介さんは、そんな整形靴マイスターの資格を取得した。

木型制作のため足のギプスを取る北川さん木型制作のため足のギプスを取る北川さん

日本にも整形靴があるものの、ドイツの方がずっと認知度が高いと話す北川さん。病院で処方箋を出してもらい整形靴を作ることが多いドイツでは、足の問題を解決するための身近な選択肢の一つなのだ。

「初めての処方の方には外用に2足、室内用に1足作ることができます。日本だと高価ということもあって、どんな服装にも合わせやすい茶色や黒を選びがち。一方ドイツでは、次はこの色を試してみよう、今度はスニーカーが欲しいなど、デザインを楽しむことができるんです」

もともと北川さんには、スポーツメーカーで働くという夢があった。中学は野球部、高校はサッカー部に所属し、靴に興味を持ったと続ける。

「野球のスパイクは茶色や黒しかないのに対して、サッカーではピンクやオレンジと色鮮やか。そんなかっこいいスパイクを作ってみたいなと思って」

お客さんにとって最高の靴を作る喜び

高校卒業後、スポーツメーカーへの就職を目指し、地元にある整形靴の専門学校で学び始めた北川さん。ある授業で、大きな転機を迎える。

「実際に患者さんの話を聞きながら整形靴を作るという授業があったんです。ここに問題がある、こうしてみましょう、良くなった悪くなった……と患者さんからフィードバックをもらうのですが、こうしたやり取りのある仕事が自分に合っていると思いましたし、何より楽しかったんですね。そこで整形靴の世界に行こうと決意しました」

専門学校を卒業して、神戸にある工房に就職した北川さん。そこには、ドイツ出身のマイスターであるダニエル・ウィンデルさんがいた。しかし、入社1年目に作ったインソールを無言でごみ箱に捨てられてしまうという事件が発生……。

「当時は半泣きでしたが、『俺が一から教えてあげるから』と言って、本当に一から十まで横に立って教えてくれたんです。それから、『マイスターになりたいならドイツに行け』と後押しもしてもらいました」

そうして渡独した北川さんは、ウィンデルさんが修行したバイエルン州にある企業に就職し、マイスターを目指すことになった。語学面などで苦労も多かったが、最終の実技試験では成績は2位。州旗をモチーフにした青と白の着物地を使ったデザインで、何より患者さんが喜んでくれたことが印象的だったと話す。

青と白の着物地による靴青と白の着物地による靴

「マイスター学校の授業では足の長さが違う方の靴で、長さが違う部分に桜をデザインしたことも。それを友人たちに見せると言って、とても喜んでくれました。本来はハンディキャップの部分を人に自慢できる、そんな靴を作れたと思います」

桜を散らしたデザインの靴桜を散らしたデザインの靴

マイスターを取得して、「やっと終わった」とほっとした様子の北川さん。一方で工房長として、「お客さんがベストな選択をできるように心がけて働いていきたい」と意気込む。将来的にはドイツと日本に拠点を持ち、二国間の懸け橋となるような仕事をすることが北川さんの大きな目標だ。

「日本より身近なものなので、足に悩みがある人にはぜひインソールや整形靴などの選択肢があることを知っていただきたいです。僕たちの技術で、一人でも多くの人の生活をより良いものにできたらいいなと思います」

ドイツが誇るマイスター制度Q&A

Q1.そもそも「マイスター」とは?

マイスターとは、ドイツ語圏の国家資格で日本語の「親方」に当たる。高い技術力と、後継者を育てる教育力や会社を成長させる経営力を兼ね備えた者に与えられる職人最高位の称号で、試験合格者のみが取得できる。

手工業会議所(HWK)管轄の手工業マイスターには、家具や靴、時計などの手工業分野をはじめ、製菓や製パン、ハム・ソーセージなどの食品加工分野、自動車整備士や電気設備工が分類される機械分野などがある。城田さんと北川さんが合格した手工業分野は技能試験のレベルが高く、難関とされる。2021年現在、マイスターのある業種は145種類。

Q2.マイスターになるための条件は?

マイスター学校への入学には、国家資格「ゲゼレ」を取得していることが必須。ゲゼレは日本語の「職人」に当たり、見習い期間を経て、試験に合格したスペシャリストを指す。ただし日本ですでに修行したなど、ゲゼレと同様の経験があると認められた場合は、例外的にマイスター学校への入学が認められることもある。

マイスターの試験科目は、各業種の①専門実技と②専門知識、全業種共通の③経営学・商学・法学と④職業・労働教育学の四つで、各3回まで受験可能。ほとんどの場合は、連邦奨学金(BAföG)を利用して資格取得を目指す。

Q3.マイスター取得後の進路は?

晴れてマイスターになると、進む道は大きく分けて二つある。一つは城田さんのように起業という選択。マイスターのみが開業を認められている業種もあるが、任意でマイスターの資格を取得して開業することもできる。もう一つは、北川さんのように企業に勤務する道。マイスターは管理職など重要なポストに就くことが多く、北川さんは工房長に就任した。企業内に複数のマイスターがいることも珍しくない。

また、日本人でマイスターを取得した場合は、帰国して日本に拠点を置くという選択肢も。ドイツで得た経験を生かして、国内外で日本人マイスターたちが活躍している。

最終更新 Freitag, 03 Dezember 2021 13:03
 

世界中で愛されるシュタイフのぬいぐるみたち

ドイツ生まれの温もりを贈ろう世界中で愛されるシュタイフのぬいぐるみたち

1880年に世界で初めてぬいぐるみを生み出した「シュタイフ」。子ども時代をシュタイフ社のぬいぐるみと一緒に過ごしたという人は、ドイツに限らず世界中にいることだろう。実はシュタイフ社が誕生したきっかけは、大切な人へのクリスマスプレゼントだったそう。本特集では、そんなシュタイフ社の歴史をはじめ、贈り物におすすめのぬいぐるみをご紹介。さらに日独のシュタイフコレクターの方から、シュタイフとの思い出を語ってもらった。(文: ドイツニュースダイジェスト編集部)

世界中で愛されるシュタイフのぬいぐるみたち

ぬいぐるみの生みの親マルガレーテ・シュタイフの人生

エネルギッシュな少女マルガレーテ

若き日のマルガレーテ・シュタイフ若き日のマルガレーテ・シュタイフ

1847年7月24日、ドイツの小さな町ギーンゲンで、シュタイフ家の4人兄弟の3番目の子としてマルガレーテ・シュタイフ(1847-1909)は誕生した。後に世界初の「ぬいぐるみ」を生み出し、子どもの遊びの世界をがらりと変えた伝説的な人物である。しかし、かわいらしいぬいぐるみの裏には、人生のどん底を味わっても果敢に挑戦し続けるマルガレーテの姿があった。

マルガレーテは1歳半の時に高熱を出して倒れ、骨髄性小児まひを患う。何度も医者に通って治療をするも効果はみられず、両足と右手にハンデを負って生涯を車いすで過ごすことになった。しかし、楽しいことが大好きなマルガレーテは、自分の居場所を求め続け、やがて裁縫学校で手芸の才能を開花させる。1877年には「フェルト・メール・オーダー・カンパニー」を設立し、子どもや女性向けのフェルト衣料の販売を開始。マルガレーテが作るフェルト製品は評判となり、ビジネスとして成功を収めていった。

世界初のぬいぐるみは「ゾウ」だった

1879年12月のある日、マルガレーテはファッション雑誌「Modenwelt」で布製のゾウを目にする。そこからインスピレーションを得たマルガレーテは、クリスマスの贈り物として甥や姪にゾウの形のおもちゃを制作。大人用には針刺しとしてプレゼントした。その当時、人形といえばビスク・ドールが主流で、おもちゃも木やブリキなどの硬い素材で作られたものが多かった。そんななか、柔らかくて触り心地の良い、全く新しいおもちゃが誕生したのだ。

マルガレーテのアイデアから生まれたゾウのぬいぐるみマルガレーテのアイデアから生まれたゾウのぬいぐるみ

この小さなぬいぐるみは、瞬く間におもちゃとして大人気になった。年が明けた1880年、このゾウのぬいぐるみを求めてお店の前に行列ができるほど評判だったという。この年がシュタイフ社の創業年とされている。それからわずか6年で、マルガレーテは5000頭以上のゾウを販売した。さらにゾウに加えて、サル、ウマ、ブタ、イヌ、ネコ、ウサギなど、さまざまなぬいぐるみを生産していく。

永遠のベストセラー「テディベア」の誕生

1897年には、マルガレーテの甥であるリヒャルト・シュタイフが同社のスタッフとして加わる。彼はシュトゥットガルトの美術工芸学校に通い、英国に留学もした。リチャードが描いた動物のスケッチは、シュタイフ製品の多くの基礎となっている。そして1902年、リヒャルトは長年温めてきた、手足が動くクマのぬいぐるみデザインを手掛けることになった。

翌年、ライプツィヒで開催されたおもちゃ博覧会でリヒャルトのクマのぬいぐるみを発表すると、それを見つけた米国のバイヤーが3000体を注文。ルーズベルト大統領(当時)の晩餐会のテーブルディスプレイに使われたことで、大統領のミドルネーム「テディ」にちなんで「テディベア」と名付けられたのだった。これをきっかけに、テディベアは米国で空前の大ヒットを記録することになる。

1902年に作られた世界初のテディベア「Bär 55 PB」1902年に作られた世界初のテディベア「Bär 55 PB」

トレードマークの「ボタン・イン・イヤー」って?

急成長したシュタイフ社は、数え切れないほどの模造品と闘うことを強いられる。偽造品と区別するために1904年、シュタイフは「Steiff - Knopf im Ohr」(ボタン・イン・イヤー)という商標を作成。これは世界で一番古いトレードマークといわれており、全ての商品にシュタイフタグが付けられている。

トレードマークの「ボタン・イン・イヤー」

タグには、品番、製品の素材などを表示。シュタイフ社といえば「黄タグ+赤文字」を思い浮かべるが、「白タグ+赤(黒)文字」も存在する。白タグは数量限定生産のもの、またはレプリカに付けられていて、シリアルナンバーも記載されている。

おもちゃ界の伝説となったマルガレーテ

シュタイフ社が大成功を収めた一方で、1909年、マルガレーテは肺炎のため61歳でこの世を去ってしまう。思いやりのある経営者として慕われていたマルガレーテの死は、シュタイフ家の人々や従業員にとってとても悲しい出来事だった。経営面では甥のリヒャルトが引き継ぎ、シュタイフ社はその後も「子どもたちには最高のものこそふさわしい」という、マルガレーテのモットーを守り続けていく。

シュタイフ社創設から140年以上が経った2021年、マルガレーテは米国の玩具業界団体の最高の栄誉である「Toy Industry Association」(TIA)にて殿堂入りを果たした。玩具業界のオスカーとしても知られているこの賞は、これまでにミッキーマウスの生みの親であるウォルト・ディズニーや、セサミストリートなどで知られる操り人形師のジム・ヘンソンなどが表彰されてきた。マルガレーテは玩具業界のパイオニア的存在であるだけでなく、障がいがありながらも世界で最も早い時期にCEOになった女性の一人として、今なお愛されている。

今日、シュタイフ社のクマや動物のコレクションは800種類以上にもなるという。シュタイフ社が一つひとつ丁寧に制作するぬいぐるみたちが、これからも世界中の子どもたちの「大切な友だち」であり続けるだろう。

シュタイフのものづくり精神

「一生の友だち」というスローガンを元に、最高品質の素材にこだわるシュタイフ社。世界基準の「ISO 9001 認証」を取得し、モヘアやアルパカどの最高級の天然繊維や、合成繊維から作られたファーを、自社製織工場のシュタイフシュルテ社で織り上げるというこだわりようだ。ぬいぐるみの詰め物も有毒・有害な物質を一切含まないものを使用し、自宅で簡単に洗うことができる。

さらに今日のシュタイフ社は、ぬいぐるみだけでなく子ども服や木のおもちゃも製作。また他企業や他団体とコラボレーションするなど、新たな活動にも挑戦している。

「クマのプーさん」はシュタイフ社のぬいぐるみがモデル!?

「クマのプーさん」はシュタイフ社のぬいぐるみがモデル!?

1926年にA・A・ミルンが書いた「クマのプーさん」。挿絵を担当したE・H・シェパードは、よくミルン家に遊びに行ってスケッチをし、次々とキャラクターを生み出した。プーさんは、シェパードの息子が持っていたシュタイフ社のテディベアをモデルにしたといわれている。

キング・オブ・ロックンロールもシュタイフを所有

キング・オブ・ロックンロールもシュタイフを所有

1957年にキング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーが「テディベア」という歌を発表したが、実はシュタイフ社のテディベアを実際に所有していたことはご存じだろうか。それは190 9 年製のもので「メイベル」という名前が付けられていた。写真は自宅のぬいぐるみたちに囲まれたエルヴィス。

2021年のクリスマスに贈りたいおすすめのシュタイフぬいぐるみ

マルガレーテに倣い、今年のクリスマスはシュタイフのぬいぐるみを贈るのはいかがだろうか?赤ちゃんが初めて抱きしめるぬいぐるみからコレクターが思わず欲しくなる逸品まで、シュタイフの魅力が際立つ商品をピックアップしてご紹介する。

来年はテディベア誕生から120周年!コージーイヤーベア 2022

コージーイヤーベア 2022コージーイヤーベア 2022

足の裏に年号が入った毎年登場するコージーイヤーベアは、赤ちゃんや小さな子どもに優しく寄り添ってくれるソフトタイプのぬいぐるみ。毎年色が変わるリボンは、今年はベージュの毛にもよくなじむシックなさび色だ。出産祝いや結婚祝いなどの贈り物として人気だが、特に2022年はシュタイフ社でテディベアが誕生してから120周年を迎えるため、ますます特別なぬいぐるみとして注目されそう。

Cosy Jahresbär 2022
34cm/49.90€
※洗濯可

特別なクリスマスツリーにオーナメント・ハリネズミ・イン・ミトン

オーナメント・ハリネズミ・イン・ミトンオーナメント・ハリネズミ・イン・ミトン

オーバーサイズのサンタクロースの赤い手袋から、ちょこんと顔を出しているハリネズミ。そんなぬくぬくと温まっているかわいらしい姿が、オーナメントとしてシュタイフの仲間入り。柔らかいモヘアの毛にフェルト製の小さな耳をのぞかせて、愛らしさ120%。小さいながらも絶妙な存在感で、わが家のクリスマスツリーをきっと特別なものにしてくれるはず。世界で2000体の限定生産なので、ご購入はお早めに。

Igel im Handschuh Ornament
11cm/99.90€

赤ちゃんのシュタイフデビューにソフトカドリーフレンズ ウサギのホッピー

ソフトカドリーフレンズ ウサギのホッピーソフトカドリーフレンズ ウサギのホッピー

足の裏に「My First Steiff」と刺しゅうされたカドリーフレンズシリーズで、その名の通りシュタイフデビューにふさわしいぬいぐるみだ。たれ耳が愛くるしいウサギのホッピーは、いつでもどこでも一緒の友だちになってくれるはず。毎晩眠る時に思わずほっぺたですりすりしたくなるほど、ふわふわな肌ざわりに赤ちゃんもきっとうっとり。色はベビーピンクのほかに、アイボリーとパステルブルーがある。

Soft Cuddly Friends My first Steiff Hoppie Hase
26cm/29.90€
※洗濯可

映画のイメージがそのままシュタイフにパディントン ベア™

パディントン ベア™パディントン ベア™

ディズニー映画をはじめ、シュタイフではさまざまなキャラクターのぬいぐるみも作られている。こちらは『くまのパディントン』(福音館書店)を実写化した映画「パディントン」とのコラボベア。トレードマークの赤い帽子と青いコートは、物語のイメージをそのままに、優しくぎゅっと抱きしめられるソフトタイプだ。サイズはほかに38cmと60cm。絵本が原作のシリーズでは、ピーターラビットもあるので要チェック!

Paddington Bear™
28cm/89.90€
※洗濯可

これぞテディベアの逸品!テディ・クラウン・レプリカ 1926

テディ・クラウン・レプリカ 1926テディ・クラウン・レプリカ 1926

青いポンポンの付いた帽子を被り、シフォンの襟巻をした優雅なテディ・クラウン。上質なチップドモヘアが生き生きとした印象を与え、シュタイフの品質へのこだわりが見て取れる逸品だ。たったの926体しか生産されていないというこのレプリカは、世界中のシュタイフコレクターをとりこにし、日本ではすでに完売。ドイツではまだ手に入れるチャンスがあるので、豪華なクリスマスプレゼントにいかが……?

Teddy Clown 1926 Replica
40cm /449.90€

自然を守るためのアクションにもナショナルジオグラフィック カバのヘダ

ナショナルジオグラフィック カバのヘダナショナルジオグラフィック カバのヘダ

米誌「ナショナルジオグラフィック」とコラボして、生物多様性を保護する目的で作られたコレクションで、収益はナショナルジオグラフィック協会に寄付される。ゴリラやペンギンなど、さまざまな絶滅危惧種の動物を撮影して作られたぬいぐるみたちは、リアルな見た目ながら優しい表情が特徴的。カバのヘダはサハラ南部の出身で、森林伐採や密猟などによって絶滅の危機に瀕している。ぬいぐるみを通じて、地球の仲間に思いを寄せてみよう。

National Geographic Hedda Nilpferd
43cm /99.90€
※洗濯可

リアルでかわいい森の友だち赤ちゃんキツネのフォクシー

赤ちゃんキツネのフォクシー赤ちゃんキツネのフォクシー

シュタイフのモチーフには、ドイツの森に住んでいる動物たちもいっぱい。キツネの赤ちゃんのフォクシーは、最近仲間入りしたばかり。賢そうな目にとがった耳、エアブラシで丁寧に陰影が付けられた毛並みは、本物のキツネそのものだ。小さめのサイズなので、子どもが抱いて遊ぶのにもぴったりな大きさ。ほかにもリスのニキやノロジカのロミ―など、森のベストフレンドを探してみて!

Foxy Baby-Fuchs
19cm /39.90€
※洗濯可

シュタイフのお手入れ方法

洗濯可のぬいぐるみは、洗濯ネットに入れて洗濯機に入れ、中性洗剤を使って30℃で洗おう。アルパカやモヘアのぬいぐるみの場合は拭き洗いがベスト。中性洗剤を付けたタオルで表面を丁寧にこすり、さらに水を含ませたタオルですすぎの拭き洗いをしよう。

日独コレクターに聞いた!わたしの宝物シュタイフ

シュタイフ社員のコレクションは100体!ジモーネ・ピュルクハウアーさん

Simone Pürckhauer
1997年にMargarete Steiff GmbHに入社し、現在はPRを担当している。2013年に東京おもちゃショーに招かれた経験もある。

古いものから新しいものまで、およそ100体ものシュタイフを持っているため、一番を選ぶことができません。初めてのシュタイフは、テディベアのモリー。11歳のクリスマスに両親からもらい、今でも大切に持っています。シュタイフ・スタジオのボクサー犬もお気に入りの一つです。わが家にはディガーという名前の本物のボクサー犬がいて、一緒に写真も撮りました。

息子さんとディガー、シュタイフ製のボクサー犬と一緒に息子さんとディガー、シュタイフ製のボクサー犬と一緒に

それから、私の宝物で古いテディベアがあるのですが、なんと私の祖父がマルガレーテ・シュタイフの甥っ子であるフリードヘルムからもらったものなんです。群議会で祖父が彼の隣に座った時、「もしたばこを吸うのをやめてもらえたら、テディベアをプレゼントしましょう」と言われたのだそう。そうしてもらったテディベアが私の父へと受け継がれ、今は私の元にあります。祖父の代からすでにシュタイフとのつながりがあったと思うと不思議です。

お祖父さんから代々受け継がれてきたテディベアお祖父さんから代々受け継がれてきたテディベア

のみの市で出会ったシュタイフたち守屋 亜衣さん

Ai Moliya
2017年よりベルリン在住。主にグラフィックデザイン、ファインアート、金継ぎの3領域で活動中。幼少からぬいぐるみに親しみ、のみの市に行っては宝探しをしている。

わが家にたくさんあるぬいぐるみのうち、シュタイフのものは5体です。一番のお気に入りは、ベルリンののみの市で見つけたオープンマウスのビーバーのナギー。とぼけたような表情、愛くるしい前歯、体幹の強い立ち姿がポイントです。シュタイフファンの方ならぜひとも訪れてほしいシュタイフミュージアムでは、展示冒頭、よりすぐりのぬいぐるみたちによって短い劇が上演されます。その物語にいたく感動して涙したことは、今も忘れられない思い出です。

守屋さんがコレクションしているシュタイフたち守屋さんがコレクションしているシュタイフたち

シュタイフにしかない魅力、それは歴史と誇りに支えられた品質の高さだと思います。シュタイフは「子どもにこそ本物を」というポリシーのもと、まるで発明品ともいえるほどの、楽しく遊べるデザインを作り出し続けています。口に入れられても振り回されても、その姿を崩すことなく寄り添ってくれる丈夫さはシュタイフならでは。どこまでも手を抜かず、世代を超えて愛され受け継がれるぬいぐるみは唯一無二の存在ではないでしょうか。

何ともいえない表情のビーバーのナギー何ともいえない表情のビーバーのナギー

もっと知りたい人にシュタイフミュージアム

2005年にオープンしたシュタイフミュージアム。ギーンゲンの町外れにあるシュタイフ本社の隣にそびえる円形建物がそうだ。最初にマルガレーテ・シュタイフとシュタイフ社の歩みがストーリー仕立て紹介され、次に歴代シュタイフ製品の展示コーナーへと進む。3階から2階へ降りる蛇の形をした巨大チューブの滑り台は大人にも人気。

製造工程を紹介したミニ工場では、丁寧な作業を見学できる。1階にシュタイフショップがあるほか、レストランやアウトレットも隣接しており、季節ごとにイベントも開かれている。

シュタイフミュージアム

Steiff Museum
Margarete-Steiff-Platz 1, 89537 Giengen an der Brenz
火〜日 10:00-17:00
入場料:10€(一般)
www.steiff.com/de-de/i/steiff-museum

最終更新 Freitag, 26 November 2021 10:42
 

展覧会「オモシロガラ」が好評開催中!

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着物と現代美術から日本の近代化をめぐるダイナミズムを紐解く展覧会「オモシロガラ」が好評開催中!

期間2022年2月27日(日)まで

会場DKM美術館(NRW州デュイスブルク)

麻の葉旗文帯、1930 ~ 40年代、乾淑子氏所蔵、DKM美術館会場風景(写真: クリスティーナ・ワイルド)麻の葉旗文帯、1930 ~ 40年代、乾淑子氏所蔵、DKM美術館会場風景(写真: クリスティーナ・ワイルド)

現在デュイスブルクで開催中の「オモシロガラ」展。着物と現代美術から、日本を軸としたアジアの近代化をめぐるダイナミズムを多角的な視点から紐解く野心的な展覧会だ。

展覧会「オモシロガラ」が好評開催中!ミッキーマウス襦袢、1930年代、乾淑子氏所蔵

面白柄とは、明治初期から太平洋戦争中期まで生産されていた、主に男性向けの着物のジャンル。羽織の裏や襦袢など、外からは見えない所に奇抜な模様や図柄が描かれ、「粋」としてもてはやされた。例えば日清・日露戦争の錦絵風刺画のほか、映画、ミッキーマウス、絵葉書、新聞の切り抜きなど大衆文化を反映した図柄、ナチスの鉤十字や満州国の鉄道地図など帝国主義的な図柄、そして銃後の模範的な生活が1時間ごとに描かれた図柄など、そのモチーフは多岐にわたる。そんな激動の近代化を迎えた日本社会や緊迫した世界情勢を鮮やかに物語る面白柄着物が、これまで語られることの少なかった一般市民の近代化の体験を色濃く反映する貴重な史料として、近年欧米の美術館および博物館から注目を集めている。

小林エリカ《彼女たちは待っていた》2019/2021年、DKM美術館会場風景(写真: 森脇統)小林エリカ《彼女たちは待っていた》2019/2021年、DKM美術館会場風景(写真: 森脇統)

「オモシロガラ」展では、第12回ドクメンタ(2007年)の芸術監督を務めたロガー・M・ビュルゲルによるディレクションのもと、美術史家であり世界的な面白柄研究の第一人者である乾淑子(いぬい よしこ)氏(東海大学名誉教授)の稀有な着物コレクションが、かつてない規模で大胆に展示されている。さらに荒木悠、小林エリカ、李晶玉、竹村京、田村友一郎の5人の気鋭の現代美術家の作品に加え、DKM美術館のコレクションも登場する。会場で無料配布される資料は日独英の3カ国語表記。またDKM美術館は、優れた東アジア美術を多く所蔵することで知られ、仏像から陶磁器、重要な現代美術作品まで幅広く展開する常設展も、一見の価値ありだ。

オモシロガラ / OMOSHIROGARA

2022年2月27日(日)まで
土日祝日・毎月第1金曜日、12:00~18:00*
DKM美術館 Güntherstr. 13-15, 47051 Duisburg
www.museum-dkm.de

キュレーション: ロガー・M・ビュルゲル、根来美和、三上真理子
助成: ドイツ外務省、国際交流基金
ウェブサイト: http://omoshirogara.org
お問い合わせ(日本語可): このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください

*月曜日から金曜日に訪問を希望する場合は、要予約。毎月第1金曜日には16:00から美術館スタッフによる無料ガイドツアーが実施されている。また日本語でのガイドツアーも実施予定。詳細は要問い合わせ。

最終更新 Freitag, 19 November 2021 10:22
 

今見るべき、ドイツのテレビドラマ12選

社会や歴史も深掘りできる!今見るべき、ドイツのテレビドラマ12選

テレビドラマは時代を映し出す鏡だといわれる。ドイツのテレビドラマは、人々の生活や文化をリアルに描くだけでなく、歴史や現代社会が抱える問題にも、時にユーモアをもって切り込んでいくのが特徴だ。そんな数々のドラマから、選りすぐりの12作品をご紹介。テレビドラマを通して、ドイツ社会や歴史についての新たな発見があるかも?(文: ドイツニュースダイジェスト編集部)

※情報は2021年11月現在のものです。

ドイツのテレビドラマ12選

犯罪ドラマ

ドイツの定番ドラマといえば、犯罪ドラマは欠かせない。いわゆる「刑事が犯人を逮捕する」という王道の流れだけでなく、社会に対する鋭い眼差しと説得力のあるストーリー展開が人気の秘訣だ。ここではドイツを代表する犯罪ドラマ2作と、ドイツジョークの効いた作品をピックアップ

ドイツが誇る犯罪ドラマの金字塔Tatort

公開年:1970年〜
各話:約90分
言語:ドイツ語
最新話は毎週日曜日20:15~放送
ARD Mediathekでも視聴可

1970年に西ドイツで制作されてから50年以上続く、刑事ドラマシリーズ。ベルリンやハンブルクをはじめ、ミュンヘン、ケルンなどを舞台に、それぞれの都市ごとに捜査チームが組まれ、毎週異なる刑事チームが事件を解決に導く。扱われるテーマは今日のドイツ社会を反映したものが多く、環境問題や難民、外国人労働者、ネオナチ、貧困などさまざま。オープニングに流れるレトロなタイトルデザインと緊迫したジャズのメロディーは、1970年当初からほぼ変わっていない。

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Tatortの魅力は何と言っても、各都市ごとに組まれる個性的な刑事チームの面々。優等生タイプはどちらかといえば少数派で、感情的になって失敗したり、プライベートで問題を抱えていたりと、人間味溢れる刑事たちがドラマの魅力を引き立てる。例えばミュンスターのTatortは、皮肉っぽい法医学者のティールと、それに振り回されるサッカー好きの刑事ボーアの絶妙なコンビネーションで人気が高い。さらにドラマに映し出される各都市の街並みや、登場人物たちが話す方言も見どころだ。

DDR時代に生まれた犯罪ドラマPolizeiruf 110

公開年:1971年〜
各話:約90分
言語:ドイツ語
ARD Mediathek、AppleTVで視聴可

Tatortが放送された1年後の1971年に、ドイツ民主共和国(DDR)で製作された犯罪ドラマ。Tatortとは対照的に、このドラマでは日常の小さな犯罪を扱い、犯人の心理を理解できるような構成になっているのが特徴だ。ベルリンの壁崩後に放送が中止されたが、東西双方で人気が高かったため、1993年に復活。最近の「Bis Mitternacht」(2021年)というエピソードでは、物語の中心となる性犯罪者と殺人事件の容疑者の動機が詳細に分析されており、内容も奥深い。

作品をもっと知る

DDR時代の社会主義体制下では、そもそも犯罪が起きないことが前提。内務省が脚本をチェックし、撮影にも立ち会っていた。そのため、加害者が犯罪を犯した理由を詳細に説明する必要があった。この物語構造こそが、後にPolizeiruf 110の強みに発展していったのだ。Tatortとの違いは、捜査員の固定チームがないことと、舞台となる地名がほとんど出てこないこと。またPolizeiruf 110では、1971年の最初のエピソードで女性捜査官が活躍するが、Tatortで女性捜査官が初登場したのは1978年。

殺人現場の清掃人による異色コメディーDer Tatortreiniger

公開年:2011〜2018年
各話:約25分
言語:ドイツ語
Netflixで視聴可

主人公のショッティは、ハンブルク周辺で清掃員として働いている。といってもただの清掃員ではなく、凶悪犯罪の現場で警察が捜査を終えてから、遺体を片付けたり血痕を掃除したりするのが専門だ。警察と関わりはないので、事件の詳細については何も知らない。しかし現場を清掃する過程で、ショッティは見ず知らずの被害者の遺族や知人に出会い、不思議な状況に陥る。その出会いから、人間の生と死をめぐる奇妙で難解な会話が展開されていくのだった。

作品をもっと知る

NDRのコメディシリーズで、放送開始当初は広告を控えていたため、一部の人にしか見られていなかった。しかし熱狂的な支持者によって徐々に広まり、評論家に高く評価されたことで、第2シーズン以降は脚光を浴びるようになった。この作品の特徴は約25分間のエピソードが室内劇のように一つの場所で展開され、毎回数人の俳優のみが登場すること。知的なユーモア、秀逸な台詞回し、そして役者の力強い演技が魅力だ。

サスペンス

ドイツのサスペンスドラマといえば、暗い、重い、難解……なのにどんどん深みにハマってしまう!ここで紹介する三つの作品もそうした特徴を持ちつつ、壮大なスケールで独自の世界観を描き出している。手に汗握る展開に、夢中になること必至。

難解すぎる展開にハマる人続出Dark

公開年:2017〜2020年
各話:45〜73分
言語:ドイツ語(日本語字幕あり)
Netflixで視聴可

舞台は田舎町ヴィンデン。原子力発電所が中心に佇むこの町で、住民たちは最近起きた子どもの失踪事件に心を痛め、また不安に包まれている。主人公のヨナスは、数カ月前に父親が自殺したことにショックを受けて学校を休んでいたが、周りにはパリに留学していることにしていた。ようやく復帰するも、夜に友人たちと一緒に森の中の洞窟へ肝試しに行った際、さらに仲間の一人が失踪。それきっかけに、この町に暮らす4家族の親子何世代にもわたる秘密が暴かれていく。

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ミステリーとタイムトラベルが組み合わさったドラマで、物語も人間関係もあまりに複雑なため、混乱しながらも深みにはまっていく視聴者が続出。登場人物が多いだけでなく、お互いに恨みを持っていたり、あるいは不倫関係にあったりとドロドロ。また2019年、1986年、1953年という主に三つの時間軸が絡み合うので、綿密に組み立てられたストーリーはもちろん、各時代のファッションや音楽なども注目すべきポイントだ。全体を通してほの暗く美しい映像と音楽が、物語の世界をより立体的に魅せる。

美しく退廃的なベルリンに酔うBabylon Berlin

公開年:2017年〜
各話:約45分
言語:ドイツ語(日本語字幕あり)
ARD Mediathek、Amazonプライム・ビデオで視聴可

ヴァイマール共和国崩壊前のベルリンに、ケルンから刑事ゲレオンがやってくる。品行方正なゲレオンだが、第一次世界大戦の退役軍人でPTSDを抱えていた。もう一人の主人公シャルロッテは貧しい家計を助けるため、昼は警察庁の記録係として、夜はナイトクラブで娼婦として働く。ある時彼女は、警察庁のトイレで発作を起こしたゲレオンを助けたことから、捜査を手伝うように。きらびやかで退廃的なベルリンを舞台に、二人は次第に巨大な陰謀に巻き込まれていく。

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ドイツのテレビドラマ史上、最大規模の製作費が投じられた超大作。情勢が不安定なヴァイマール共和国期のベルリンでは、民主主義を崩壊させようと企む「黒い国防軍」のほか、トロツキストや共産主義者、ナチ党員など、さまざまな政治的陰謀が絡み合う。さらに世界恐慌によってドイツが混乱に陥るなか、それまで注目されていなかったナチスがどのように勢力を増していくのか、その歴史的な正確さを追求する姿勢も評価されている。政治家の汚職や貧富の差、性的アイデンティティーなど、今日に通じるテーマも。

最先端科学と「倫理の境界線」Biohackers

公開年:2020年〜
各話:約45分
言語:ドイツ語(日本語字幕あり)
Netflixで視聴可

ミアが入学したのは、遺伝子研究の第一人者であるロレンツ教授がいるフライブルク大学医学部。実は彼女には秘密があった。教授がまだ医師として病院に勤務していた時に、ミアの弟のベンが遺伝子研究に利用され、死亡したのだ。ベンが亡くなった後に交通事故で両親も失ったが、それにもロレンツ教授が関与していると疑っていた。まずは教授の助手のヤスパーに接近し、助手になる。そして「ホモ・デウス」という名の計画があったことをつかみ、家族の死因へと迫っていく。

作品をもっと知る

自分の兄弟や両親に起きた悲劇の真相を探るべく、事件に関わっていると思われる教授に接近するSF&サスペンスドラマ。配信開始を予定していた2020年4月は、ちょうど新型コロナの感染拡大が始まった時期。ドラマの中でウイルス感染症のシーンがあることから視聴者の感情に配慮し、8月まで配信が延期された。今日、合成生物学は著しく進歩しているが、同時に倫理的な問題も引き起こしているため、リアリティー抜群。

歴史・文化

二度の世界大戦や、その後の東西分裂時代など、ドイツの歴史をテーマにしたドラマも人気ジャンルの一つ。ドイツが経験してきた激動の時代と、そこを全力で駆け抜けた人々の姿は、現代を生きる私たちにも勇気を与えてくれるだろう

ドイツの歴史も見える医療ドラマCharité

公開年:2017~2021年
各話:約45分
言語:ドイツ語
ARD Mediathek、Netflixで視聴可

1888年のある日、シャリテー病院にイーダ・レンツェが駆け込んできた。盲腸を患っていた彼女は一命を取り留めたものの、治療費を払えないため、そのまま看護師として勤務することになる。シャリテーには、細菌学者のロベルト・コッホをはじめ、後世に名を残した研究者らが所属し、多くの男子学生が学んでいた。イーダは自分のように貧しい人々を看病するかたわら、研究者たちに付いて働いたり、大学の講義に紛れ込んだり、自身も医師になりたいと夢見るようになる。

作品をもっと知る

ベルリンに実在するシャリテー病院はペストが流行していた1710年に創立され、その後大学病院となった。主人公イーダは架空の人物だが、実在した人物も多数描かれており、コッホに師事した細菌学者の北里柴三郎も登場する。医療ドラマでありながら、女性の権利向上のほか、反ユダヤ主義や軍国主義などの問題を取り込んでいるところはドイツドラマらしい。シーズン2は第二次世界大戦期、シーズン3は東ドイツ時代が舞台で、その時代ごとの問題意識を通じてシャリテーの歴史を描く。

実話に基づいたビールをめぐる抗争Oktoberfest 1900

公開年:2020年〜
各話:約45分
言語:ドイツ語(日本語字幕あり)
ARD Mediathek、Netflixで視聴可

1990年、野心的な醸造家カート・プランクがミュンヘンにやってきた。彼はビールの祭典「オクトーバーフェスト」で、6000人を収容できる巨大なビールテントを建設するという壮大な夢を抱いているが、そのためには脅迫や賄賂、殺人も辞さない構えだ。カートはミュンヘンの伝統的な五つの小規模醸造家から土地を奪い取ろうと画策し、壮絶な覇権争いが幕を開ける。職人たちのビール造りへの情熱や、ビール醸造協会と政治的な思惑、さらに許されざる恋など、見どころあるシーンも盛りだくさん。

作品をもっと知る

主人公のカート・プランクのモデルになったのは、ニュルンベルクの実業家ゲオルグ・ラングという実在の人物。実際、19世紀のオクトーバーフェストでは、会場のテレージエンヴィーゼで各醸造家が小さなブースでビールを提供するだけだった。1889年にラングは五つの屋台スペースを確保して巨大なテントを建設。ドラマのような血みどろの抗争はなかったものの、そこから世界最大のビール祭りへと発展していった。

冷戦最盛期のリアルなスパイドラマDeutschland 83, 86, 89

公開年:2015〜2020年
各話:約45分
言語:ドイツ語
Amazon プライム・ビデオほかで視聴可

舞台は1983年、冷戦の最盛期の東ドイツ。国家人民軍の若き兵士、マルティン・ラウフは、シュタージの対外諜報機関に属する叔母のレノラによって、スパイ任務につくことが決まった。マルティンは病気の母とガールフレンドを東ベルリンに残していけないと一度は拒否したものの、目覚めるとすでに西ドイツの首都ボンにいた。彼に与えられた任務は、ドイツ連邦軍に潜入してNATOの計画を暴くという重要かつ危険なもの。そして、名前も経歴も全てを偽り、スパイ生活をスタートさせるのだった。

作品をもっと知る

2015年のベルリン映画祭で公開後、米国で初めてドイツ語(英語字幕付き)で放映されたドラマシリーズで、数々の国際的な賞を受賞したヒット作。原案には、80年代に実際にドイツ連邦軍のラジオ局で働いていたヨルク・ヴィンガーが携わっており、よりリアルな物語に仕上げられている。続くシーズン2は86年、シーズン3ではベルリンの壁が崩壊した89年が舞台に。任務遂行下で東西の異なる価値観に挟まれ、イデオロギーに揺らぎを感じていくマルティンを時代の流れとともに描く。

戦後の激動を駆け抜ける三姉妹Ku'damm 56, 59, 63

公開年:2016〜2021年
各話:約90分
言語:ドイツ語
ZDF、Netflixで視聴可

ベルリンでダンススクールを経営する保守的な母親・カテリーナ。彼女は3人の娘の社会的地位を結婚によって上げようと必死だ。長女のヘルガは将来有望な若手弁護士ヴォルフガングと結婚し、三女のイーファは上司で富豪のファスベンダー教授を狙っている。しかし二女のモニカは何をやってもうまくいかず、学校からは追い出される始末。ただしモニカはダンスの才能に恵まれていた。ヘルガの結婚式の日、カテリーナはモニカに裕福な工場主の息子で気難しいヨアヒムを紹介したが……。

作品をもっと知る

Ku'dammシリーズは、1956〜63年という第二次世界大戦の終戦から経済成長を遂げるまでの時代が舞台。シリーズ1〜2では、戦後の混乱期に保守的な母親の元で育った娘が、経済成長を遂げる社会と共に新たな価値と向き合っていく姿が描き出される。そしてシリーズ3では1960年代初頭、社会的な制約や個人的な制限から解放され、娘たちが新たな自立への道を探していく。まさに激動の時代を生きた女性たちのドラマだ。

クロスカルチャー

今やドイツ全人口の25%が移民を背景に持ち、名実ともに移民国家となったドイツ。異文化同士の交流は、時に衝突を生むこともあるが、新たな発見や多様性の中で生きることの大切さを教えてくれる。クロスカルチャーを題材にしたこれらのドラマは、近年のドイツ社会を反映した注目すべきジャンルだ。

ドイツ×トルコ家族のドタバタ新生活Türkisch für Anfänger

16歳のレナは、ある日弟のニルスと共に母親のドリスのボーイフレンドと会うことに。そのお相手とはトルコ人のメティンだった。そして、メティンと息子のジェム、娘のヤグムルとの共同生活がスタートする。宗教も考え方も異なる人々が一つ屋根の下、小さなハプニングは日常茶飯事。多感な時期の子どもたちの悩みは尽きない一方で、ラブラブなドリスとメティンも彼らに寄り添おうとして空回りしてしまう。そんな一見シリアスともいえる状況を笑いをもって描きつつ、それぞれが少しずつ変化してゆくファミリードラマ。

作品をもっと知る

ドイツには数百万人ものトルコ系移民がいるが、「ドイツの中のトルコ」は異文化を象徴するものとしてたびたび話題になる。タイトルの「初心者のためのトルコ」の通り、特に厳格なムスリムであるヤムグルは、まさに異文化的な存在として分かりやすく描かれている。また国籍問わずパッチワークファミリーが多いドイツでは、レナの家族も新しい家族スタイルの一つともいえる。描かれる文化や家族のすれ違いには、実は誰もが経験することも含まれ、「あるある」と笑ったり考えさせられたりするシーンもあるはず。

ベルリンで見つけた自由と解放Unorthodox

公開年:2020年
各話:約50分
言語:ドイツ語(日本語字幕あり)
Netflixで視聴可

ニューヨークに住む19歳のエスティ。彼女は、ハンガリー出身でホロコーストの生存者である祖母のもとで育ち、超正統派ユダヤ教コミュニティーの一員だ。同じく超正統派のヤンキーと見合い結婚をしたが、子どもにも恵まれず不幸な結婚生活を送っている。ある安息日、エステルは全てを捨てて、ベルリンへと旅立った。ベルリンでは、さまざまな国から来た音大生たちと出会い、初めて多様性や自由を知る。しかし夫とその家族は、彼女を連れ戻そうと計画する。

作品をもっと知る

2012年に出版されたデボラ・フェルドマンの著書『アンオーソドックス』(辰巳出版)が原作で、イディッシュ語(東欧のユダヤ人の間で話されるドイツ語に近い言葉)で初めて制作されたドラマ。 超正統派ユダヤ教では、女性は結婚すると髪を剃ってスカーフやカツラで頭を覆い、できるだけ多くの子どもを産む義務があるという。1人の女性が産む子どもの数は、なんと平均6.6人。その背景には、ホロコーストによって尊い命を失った過去があり、そのため子孫を増やさなければならないという考えに基づいている。

最終更新 Montag, 08 November 2021 09:32
 

マイセンで生まれた「白い金」 美しきドイツの白磁器たち

マイセンで生まれた「白い金」美しきドイツの白磁器たち

18世紀、欧州各国の王侯貴族たちが自らの名誉を誇示するために東洋の磁器を買い求めるなか、ザクセン州マイセンでは白磁器の魅力に取りつかれた王の命令により、才能ある職人たちが欧州初の白磁器の製造に取り組んでいた……。そうして始まった白磁器をめぐる物語は、今なおドイツ各地の名窯で紡ぎ続けられている。そんな磁器の歴史をはじめ、伝統と革新を併せ持つ5大名窯のものづくり精神を通して、ドイツが世界に誇る「白い金」の魅力に迫ってみよう。(文: ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:www.porzellan-museum.com、ad-magazin.de「China, made by Meissen」、Deutschlandfunk「Weißes Gold aus der Wiener Porzellanmanufaktur」、holst Porzellan Germany「François Vatel」

1739年に完成された「ブルーオニオン」(青い玉ネギ模様)の絵柄は、マイセンの代名詞的存在 1739年に完成された「ブルーオニオン」(青い玉ネギ模様)の絵柄は、マイセンの代名詞的存在

「白い金」の誕生秘話

王侯貴族を虜にしていた白磁器

時は17世紀、欧州の王侯貴族たちは競い合うように白磁器を買い集めていた。欧州では18世紀初頭になるまで白磁器を造り出すことができなかったため、彼らは中国の景徳鎮や日本の伊万里焼などのたくさんの白磁器を購入し、富と権力の象徴としてそれらを宮殿に飾っていたのである。

そんななか、1701年にベトガーという19歳の錬金術師が、プロイセンからアウグスト強王が治めるザクセンのドレスデンへと逃れてきた。ベトガーに興味を持ったアウグスト強王はザクセンで保護することを決め、彼に金を生み出すように命じたのだった。

一方、白磁器に関して30年近く研究を続け、欧州中の窯元を視察していたザクセン出身の科学者がいた。エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスである。彼は1704年の時点で、原材料の改善さえ進めば白磁器まであと一歩というところまで到達していた。

錬金術師ベトガーが白磁器を発明

ベトガーやチルンハウスたちが幽閉され、白磁器の研究を行っていたマイセンのアルブレヒト城 ベトガーやチルンハウスたちが幽閉され、白磁器の研究を行っていたマイセンのアルブレヒト城

アウグスト強王は、白磁器の研究においてベトガーの錬金術に期待をかけていた。1705年、強王はベトガーとチルンハウスを空き家となっていたマイセンのアルブレヒト城に移し、共同で実験を行わせることに。チルンハウスはベトガーと実験を重ねるうちに彼の才能に気付き始める。そしてベトガーはチルンハウス指導の下、本格的に白磁器の制作に取り組むようになった。

1708年7月、ついに白磁器の試作品が出来上がった。しかしこの試作品は釉薬に問題があることが判明し、まだ完成には至っていなかった。そんななか、チルンハウスが9月になって突然体調を崩し、そのまま帰らぬ人となってしまう。チルンハウスの死後、ベトガーは完全な釉薬を開発し、1709年3月にとうとう白磁器を完成させたのだった。「白い金」と呼ばれたマイセン磁器の誕生である。

アルブレヒト城内の壁画には、アウグスト強王に実験の成果を見せるベトガーらの姿も アルブレヒト城内の壁画には、アウグスト強王に実験の成果を見せるベトガーらの姿も

瞬く間に世界へ広まったマイセン磁器

1710年になると、王立マイセン磁器工場がアルブレヒト城の中に設立され、操業が開始された。ベトガーは十分な報酬を得ていたものの、製法が外に漏れないように、幽閉に近い状態で過ごさねばならなかった。その後、マイセン磁器の生産は順調に続けられ、欧州初の白磁器はたちまち世間に知れ渡った。世界最古として知られるライプツィヒのメッセでは飛ぶように売れたという。ベトガーはそれから間もなくして、拘束を解かれて自由にどこへでも外出できるようになった。しかし、長年にわたる換気の悪い狭い部屋での実験生活は彼の体を蝕んでいたのだろう、1719年3月にベトガーは37歳でこの世を去っている。

翌年、マイセンの発展に欠かせない人物がやって来た。名前はヨハン・グレゴリウス・ヘロルト。彼は焼成可能な多くの磁器用顔料を開発し、マイセン磁器に鮮やかな色彩をもたらすことになる。早くから東洋の飾色を研究していたヘロルトは、色鮮やかな絵の具の開発に貢献したほか、マイセンの絵柄の基礎を築いたのだった。

ヘロルトは当時流行していた中国的趣味を取り入れた絵付けをいち早く完成させ、人気を博した ヘロルトは当時流行していた中国的趣味を取り入れた絵付けをいち早く完成させ、人気を博した

マリア・テレジアが食器として使い始める

マイセン磁器が生産されるようになっても、上流階級の人々は銀もしくは金の皿で食事をしていたため、磁器で食事をする文化はまだなかった。磁器が食器として成功を収めたのは、ウィーンの宮廷といわれている。1718年、マイセンに続いてウィーンにパキエ磁器工房が創設された。独特のデザート文化を持つウィーンの宮廷では、磁器製のテーブル装飾品をいち早く生産。そしてオーストリアの皇帝マリア・テレジアは、デザートだけは磁器の皿で食べたいと言い出し、磁器の皿で食べるようになったのだとか。

またカフェ文化の普及によってコーヒーが市民の飲み物として広まったことから、磁器のコーヒーカップが浸透していく。19世紀はじめになると、欧州のブルジョワ階級の食卓でも次第に使われるようになっていくのだった。

アウグスト強王の妙案!?「マイセンからフンメルを壊さずに持ち帰れ」

アウグスト強王は、ドレスデンから毎日マイセンのアルブレヒト城に使者を送っては、白磁器の研究の進捗状況を報告させていた。しかし城の周囲には、おいしいマイセン・ワインが飲める居酒屋がたくさん。使者は酔っぱらってドレスデンに帰ってくることが多く、アウグスト強王はその報告になかなか満足がいかなかった。そこで強王は、マイセンのパン屋に薄くて壊れやすい「フンメル」(Fummel)というパンを焼かせ、使者には毎回これを持って帰るように命じた。フンメルを壊さずに持ち帰ることができたら、その日は合格というわけだ。

それ以来、使者はマイセンでワインを飲むことができなくなった。現在でも、このフンメルを焼いているお店がある。マイセンにある1844年創業の老舗ケーキ屋、ツィーガー(Konditorei Zieger Meißen)だ。アウグスト強王の時代と同じレシピでフンメルを焼く許可を同市から得ているのはこの一軒だけだが、店の人によれば「小麦粉だけで焼いているのでおいしくはない」という。

アウグスト強王ゆかりのマイセン土産として購入してみるのもいいが、壊さずに持ち帰るのは至難の業らしい アウグスト強王ゆかりのマイセン土産として購入してみるのもいいが、壊さずに持ち帰るのは至難の業らしい

白磁器の「今」が見えてくる!ドイツ5大名窯&おすすめ商品

1710年に欧州初の白磁器がマイセンで産声を上げてから、ドイツでは1746年にヘーヒスト、1747年にフュルステンベルクとニンフェンブルク、1751年にベルリン……と、相次いで磁器工場が誕生した。これらの歴史ある名窯は、伝統的な手仕事の技術やブランド精神を守るだけでなく、今日では気鋭のアーティストやデザイナーと協働するなど、白磁器の可能性を広げ続けている。そんなドイツの5大名窯について、彼らの「今」が垣間見える逸品と共にご紹介しよう。

Meissenマイセン

創業年:1710年
創業場所:マイセン
www.meissen.com

Der Ring Blüte 花の指輪 Der Ring "Blüte" 花の指輪

「白い金」の誕生秘話 でも紹介した欧州初の磁器メーカーであるマイセンは、300年以上の伝統を受け継ぎ、最高品質の製品を造り続けてきた。国内外のさまざまな分野のアーティストとコラボレーションし、ユニークなモチーフのオブジェからモダンなデザインの食器まで、常に新しいものを生み出している。そんなマイセンでは、珍しい磁器のアクセサリーも生産。この指輪の花は、もともとは1739年にアウグスト3世が「王妃に枯れない花を贈りたい」と願ったことから生まれた装飾で、現在でも花瓶などに散りばめるように使われているモチーフの一つだ。一輪だけでもしっかりと存在感があり、手元を美しく飾ってくれる。同じモチーフのピアスやネックレスも。

Königliche Porzellan-Manufaktur Berlin (KPM)ベルリン王立磁器製陶所

創業年:1763年創業
創業場所:ベルリン
www.kpm-berlin.com

To-go Becher コーヒータンブラー To-go Becher コーヒータンブラー

1763年にプロイセン王フリードリヒ2世によってベルリンで設立されたKPM。現在も、食器セットやフィギュアなどの全ての製品がほぼ手作業で造られ、フリーハンドペインティングで装飾されている。ロゴマークは、ブランデンブルク選帝侯の紋章に由来する「王笏」。さらに装飾された全てのKPM製品には、絵付けの種類を表すマークと、絵付け職人のサインが施されており、この世でたった一つの製品であるということを象徴している。数あるKPM商品の中でもおすすめしたいのが、環境に配慮した磁器製のタンブラー。見た目が美しいだけでなく、蓋もしっかり閉まるので、コーヒーなどのテイクアウトにもぴったり。磁器製なので臭いや色移りもなく、手入れが簡単なのもうれしい。

Königliche Porzellan Manufaktur Nymphenburgニンフェンブルク王立磁器製陶所

創業年:1747年
創業場所:ミュンヘン
www.nymphenburg.com

The White Doves 平和のハト The White Doves 平和のハト

バイエルン選帝侯であったヴィッテルスバッハ家のマクシミリアン3世ヨーゼフの命によって、1747年にミュンヘンにあるノイデック城内に磁器工場が設立された。設立当初は、莫大な投資をしたにもかかわらず大きな成功を得られなかったため、次第にヨーゼフは関心を失っていった。1754年にやっと磁器の製造に成功すると、ニンフェンブルクの高品質な磁器は国を越えて知られるようになっていった。ここで製造された全ての商品には、ヴィッテルスバッハ家の紋章をもとにしたロゴが施されている。2020年に発売された「The White Doves」は、白いハトのモチーフを使ったインスタレーションで知られるアーティスト、マイケル・ペンドリーとのコラボ作品。一見シンプルな造りに見えるが、実は胴体と翼、それぞれのパーツを鋳造した後に結合するなど、非常に複雑な工程を踏んでおり、高い技術力が光る逸品だ。

Höchster Porzellan-Manufakturヘーヒスト陶磁器工房

創業年:1746年
創業場所:ヘーヒスト
www.hoechster-porzellan.de

Office-Serie オフィスシリーズ Office-Serie オフィスシリーズ

マインツ選帝侯ヨハン・カール・フォン・オスタインの保護のもと設立された、マイセンに次ぐドイツで2番目に古い磁器工場。手作業で成形・絵付けされた最高品質の磁器を製造する、ヘッセン州唯一の伝統的な窯として知られており、ブランドロゴはマインツの紋章である「マインツの車輪」にちなむ。最高品質の素材をモダンにデザインしたオフィスシリーズでは、レターオープナーがフランクフルトの国際消費財見本市Ambienteでデザインプラス賞を受賞した。そのほかペントレイや名刺スタンド、インク壺など、白と青を基調とするスタイリッシュなアイテムがデスクに落ち着いた雰囲気を与えてくれる。このシリーズは、実店舗で購入可。

Porzellanmanufaktur Fürstenbergフュルステンベルク磁器

創業年:1747年
創業場所:フュルステンベルク
www.fuerstenberg-porzellan.com

Office-Serie オフィスシリーズ Office-Serie オフィスシリーズ

ニンフェンブルクと同年の1747年に、経済や産業、教育の振興に功績があるカール1世(ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公爵)の命によって設立された。フュルステンベルクの商品は、高い職人技術はもちろん、その時代の精神、生活態度、美学を常に反映しているのが特徴だ。創業から270年以上が経つ今でも、その大部分は工房で職人たちの手作業によって造られている。そんな歴史と伝統を兼ね備えるフュルステンベルクだが、近年ではドイツ国内外のデザイナーと協働し、新しいフィールドでの挑戦も。例えば2018年にリリースされた「PLISAGO」は、磁器の優雅さと洗練された雰囲気を現代の生活に取り入れたサイドテーブルだ。ドイツ・デザイン・アワード2019の家具部門で金賞を受賞し、磁器が単なるテーブルウェアでないということを示すとともに、磁器の持つ可能性をぐっと押し広げた。

かつては7大名窯だった?消えてしまった2つの磁器ブランド

Frankenthaler Porzellanフランケンハルター磁器

創業期間: 1755-1799年

国王ルイ15世の時代、フランス国内では王立窯セーヴル以外の磁器生産が禁じられるようになった。それに伴い1755年、ストラスブールのポール・ハノンが率いる窯はカール・テオドール選帝侯の支援を受け、フランケンタールに磁器工場を設立。

白磁器の芸術性としては成功の域に達していたが、販売不振や多額の未払い金に悩まされた。フランクフルトやマインツをはじめとする都市に販売拠点を増やしたものの軌道に乗れず、1780年代末になると生産量も激減。さらにライン川左岸がフランス軍に征服されると、工場の衰退は決定的となり、1799年に生産を終了した。フランケンタールの伝統を受け継ぐニンフェンブルク王立磁器製陶所には、型や優秀な職人たちが移されたという。

フランケンタールにあるエアケンベルト美術館では、今はなきフランケンハルター磁器を見ることができる フランケンタールにあるエアケンベルト美術館では、今はなきフランケンハルター磁器を見ることができる

Ludwigsburger Porzellanルートヴィヒスブルク磁器

創業期間:1758-2016年

1758年、時の大公カール・アウグストが「マイセンよりも素晴らしい磁器を生産する」として、ルートヴィヒスブルク磁器の生産を開始。1759年には、ウィーン窯をはじめとする名門窯元を渡り歩いたベテラン職人、ヨゼフ・ヤーコプ・リングラーを雇い入れたことで最盛期を迎えた。しかし順調だった工場も19世紀前半に行き詰まる。1920年に工場はルートヴィヒスブルク磁器製作所AGとして、実用的な食器の生産にも取り掛かったが、20世紀末には売れ行きが悪化していった。

2004年にドイツの皮革製造社ゴールドプファイルが株主となったが、同社が2008年に倒産。新たな株主を見つけられず、2016年1月に最後の生産が終わったのだった。

最終更新 Dienstag, 19 Oktober 2021 14:32
 

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