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オスカー・ラフォンテーヌ

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オスカー・ラフォンテーヌ Oskar Lafontaine
ザールラント州ザールルイ生まれ。3番目の現妻は元ヘッセン州政府秘書官のクリスタ・ミュラー。

SPDの不満分子と労組により設立された政党WASG(労働と社会正義への選択肢)に、鳴り物入りで入党したのは05年総選挙の直前。たちまちトップに立ち、旧東に地盤を持つPDS(民主社会党)と選挙連合を組んで、連邦議会議員に返り咲いた。そして今年6月、2党合併のDie Linke(左派党)が発足すると、共産主義の老戦士ローター・ビスキーとともに双頭党首に就任。古巣のSPDを苛立たせている。

父親は大戦で戦死し、寄宿学校で育った。奨学金でボン大学へ進み、物理学修士を取得。アインシュタインの平和主義に共鳴してSPDに入った。ザールブリュッケン市長だった1979年、ソ連・NATO間のミサイル競争を支持するシュミット首相(SPD)を「その義務感と計画性と実行力なら強制収容所を運営できる」と批判。謝罪しながらも知名度を上げ、州首相、党の連邦首相候補、党首へと駆け上がった。

しかし1990年4月に精神異常者から刺され、九死に一生を得た後は、首相候補を当時の3巨頭シャーピングに譲り、98年10月には仇敵シュレーダーが樹立したSPD新政権で蔵相に就任するも、わずか5カ月で大臣、党首、連邦議員の3ポストと党員バッジを放棄し、SPDに拭いがたい不信感を植え付けてしまった。

が、その点をつかれても馬耳東風。政界復帰して左派党党首にまでなった現在、将来の連立政権入りを目指し、古巣に秋波を送っている。はたして関係修復は可能だろうか。

 
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高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。 www.geocities.jp/takahashi_mormann
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