Sバーンのフリードリヒシュトラーセ駅前に、対照的な二つの部分から成る記念碑があります。明るい表情で西側を向く男の子と女の子の像、そして一様に沈んだ表情で東側を向いたブロンズ像の子どもたち。記念碑の下には「生への列車―死への列車 1938~1945」と書かれています。
9月4日、ナチス支配からの解放75年に際して、この記念碑の前でキンダートランスポートに想いをはせる記念式典が行われました。キンダートランスポートとは、ナチスの支配下に置かれたドイツやオーストリア、チェコなどに住んでいたユダヤ人の子ども約1万人が主に英国に送られて救出された出来事。1938年11月9日に起きた反ユダヤ主義の暴動「水晶の夜」の後から第二次世界大戦が始まるまで、ベルリン、ハンブルク、ウィーン、ダンツィヒなど各都市から子どもたちを乗せた列車が西に発って行ったのでした。この日に式典が行われたのは、39年9月1日の第二次世界大戦の開戦により、救出作戦が中止に追い込まれたことを想起してのことです。
フリードリヒシュトラーセ駅前の記念碑前で行われた記念式典にて。スピーチをするペトラ・パウ連邦議会副議長
式典が始まる直前、若手の警察官約30人が現れて、記念碑の周りをずらりと囲みました。一体何だろうと思っていたら、ドイツ・キンダートランスポート団体の代表を務めるリザ・ベヒナーさんの挨拶で明らかになります。2008年にこの記念碑が設置された際、ベルリン市の警察学校が記念碑の後援を引き受けたのみならず、当時救出された子どもたちの歴史を警察学校の学生が学ぶ機会に活用されているとのこと。
挨拶をしたペトラ・パウ連邦議会副議長は、2008年にキンダートランスポートで救出された当時の子どもたちに面会した際、彼らが放つ生へのエネルギーに感銘を受け、自分自身へのモチベーションになったそうです。そしてスピーチの中でこう述べます。「反ユダヤ主義は世界中に横行し、この国でも再び頭を上げています。単に過去の出来事を思い起こすだけでは不十分です。私たちは日常生活やあらゆる場所で、それと闘うことを求められているのです」。
記念式典の後、「生への列車」の前に献花する人
折しもベルリンでは、政府の新型コロナウイルスの政策に反対する極右勢力の人々が連邦議会議事堂に乱入を図るという事件が起き、社会に衝撃をもたらしました。
式典には英国のセバスティアン・ウッド駐独大使やベルリン市のアンドレアス・ガイゼル内務大臣も参列。最後にアメリカ出身のシンガーソングライター、エミーナ・ソナッドさんが、ジョン・レノンの「イマジン」を歌いました。過去の歴史から学ぶこと。そして、差別や暴力の連鎖の果てには何が待ち受けているのか、私たちに想像する力が問われています。