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ロンドンのゲストハウス
So. 20. Okt. 2019

16歳、亡命への道

自宅の玄関の扉を開けると、初老の男性が待っていた。ゲルハルト・メシングさん(63)。筆者の知人の中に父親が壁を越えた体験を持つという方がおり、ご好意により当時の現場に行って話を聞かせていただくことになったのである。

現場に向かう車の中で、メシングさんは自身の来歴について語ってくれた。両親は東プロイセンのメールザック(現ポーランド)に住んでいたが、第2次大戦末期の1945年3月、お腹に自分を抱えた母親は子ども2人を連れてデンマークに逃れて来た(父親は出兵中で、後に戦争捕虜となる)。終戦の年の8月31日、メシングさんはそこで生まれる。ブランデンブルク州のヴォリンに5年間住んだ後、東ベルリンのトレプトウ地区にあるアルト・グリニケに越して来た。

50年代当時はまだ東西ベルリン間の行き来が可能で、メシングさん自身西側の隣町ルードウに買い物に行ったり、映画を観に出かけたりしていたという(毎週日曜は東の50ペニヒで映画を観られたそうだ)。オレンジ類や牛肉は手に入らなかったが、ひもじい思いはしなかった。ただ、連日4千、5千もの人々が西側に逃れている事態をRIAS(西ベルリンのラジオ局)が盛んに伝えていたことはよく覚えている。

61年8月13日、状況は急変する。自宅のある通りAm Kiesbergの向こうに、突然鉄条網が張り巡らされた。メシングさんは亡命を決意。だが、この月末に16歳の誕生日が来るのを待った。なぜか?16歳以下の者は、たとえ亡命に成功しても、未成年者として再び東側に連れ戻されてしまったからである。

当初はもう1人の同級生と実行するつもりだったが、直前に近くの運河を泳いで渡ろうとした人が射殺されたニュースを聞き、彼は怖気づいてしまった。メシングさんが1人で鉄条網(この時点ではまだ壁ではなかった)を越えようと試みたのは、9月7日の深夜である。

Am Kiesbergの道が途切れる場所からは野原が広がっている。あれからほぼ半世紀が経とうとしているが、メシングさんは当時の状況をリアルに語ってくれた。「ここに小さな詰め所があって、衛兵が立っていました。そこから向こうは立ち入り禁止だったんです」。森までは約100メートル。その間に2本の鉄条網が立ち構え、ロープでつながれた番犬がうなっていた。見張り台はサーチライトを照らしていたが、メシングさんは数日前からすべての位置を確認して、死角を見つけていた。父親からこっそり持って来た溶接用の大きな手袋をはめて鉄条網をこじ開け、ケガをすることなく丘の上を越えることに成功した。

悪天候の夜だった。西側のルードウにたどり着くと、雨でずぶぬれになったメシングさんを見つけた警官が「泳いで来たのか?」と聞いてきた。「これからどこに行けばいいのかわかるか?」「はい」。警官は彼を車で最寄りのバス停まで連れて行き、自分の財布からバス代50ペニヒを渡して去った。向かったのはマリーエンフェルデにある臨時収容施設。「私はほかに東ドイツの身分証明書しか持っていなかったので、この50ペニヒからすべてが始まったのです。亡命のことは両親にも伝えていませんでした。ただ、西ベルリンの親戚を通じて、私の無事は知ったようです。両親にその後初めて会ったのは、定年になった父親が西ベルリンを訪問する自由を得た69年のことです」。頭では理解していても、平和な日本で育った私にはなかなか実感できない。

ゲルハルト・メシングさん
「まだ残っていた!」。壁よりも古い鉄条網の鉄骨跡を見つけて
指し示すゲルハルト・メシングさん

メシングさんが亡命を試みた一番の理由は、「自分が行きたい場所に行く自由のため」。14歳のときに、学校の地理の時間で日本のことを学び、いつか行ってみたいという思いを抱き続けていた。西ドイツに亡命した後、ハンブルクで船員学校に通い、東京オリンピックの64年に船乗りとして初めて日本に渡った。やがて日本人の夫人と出会い、現在に至る。

「人生のモットーは?」と聞くと、“Leben und leben lassen“という答えが返ってきた。「生きたいように生き、他人にもまた干渉しない」という意味になるだろうか。

 
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中村さん中村真人(なかむらまさと) 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。現在はフリーのライター。著書に『ベルリンガイドブック』(ダイヤモンド社)など。
ブログ「ベルリン中央駅」 http://berlinhbf.com
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