Hanacell

Nr.4 太陽は赤いか、黄色いか?

「黄色い太陽」と聞くと、あまり良い連想はないかもしれません。しかしドイツの子どもたちに太陽の絵を描かせると、黄色に塗ります(月は黄色か白ですが、三日月や半月の形で太陽と区別します)。では、交差点の信号は?ドイツでは緑です。「ゴーサインを出す」という場合もgrünes Licht geben と言います。私たちは、ついドイツ語でも「青信号」と言いがちですが、日本の信号は本当に「青」だと主張するドイツ人もいます。

世の中には「言語相対論」という仮説があって、人間は言葉なしに考えることはできない、周りの世界を見る目は言葉によって決まるとされています。豊かな海の幸になじんできた日本人は魚や海藻を細かく分けますが、一般にドイツ語は海産物の語彙が非常に少なく、エビとカニを区別しないドイツ人もいます。一方、ヨーロッパの言葉では、家畜のウマやウシ、狩猟対象のシカやイノシシなどを、年齢や性別に応じて細かく区別します。このように、言葉は生活習慣と切り離せないので、両者はニワトリとタマゴのような関係とも思われます。

ところで、虹の色は波長の違いによる連続変化のはずですが、ドイツ語でも日本語でも7色で、それ以上の区別をしません。人間の感覚は「連続的=アナログ的」と言われますが、言葉の世界から見ると意外にもデジタル的です。細かく区別するには単語がいくつあっても足りないし、連続的な変化は原理的に言葉や感覚で捉えるのが不可能だからでしょう。

このように世界は「対比による単純化=図式化」して捉えるしかないのです。でも、一人ひとりの図式が違っていたら、コミュニケーションは困難です。ですから、仲間内で共通の了解が必要となり、それが言葉として、また文化として定着し、私たちの見方を決めているのです。

©Sae Esashi

この仮説の当否はともかく、このことは意識されていません。私たちは、「太陽は赤、信号は青」が当然だと“思い込んで”います。前回この欄で「固定観念は変えにくい」と書きましたが、こうした思い込みの構造がそれに関係しています。ましてや遠い国のことはなおさらで、なるべく自分の属する文化や社会と対比して単純化しておく方が実用的です。それが自分たちの「思い込み」と意識されないかぎり、世界のどこにでも通じる「常識」とされてしまいます。

みなさんが日ごろ感じていらっしゃるように、日本の常識は世界の常識ではなく、ドイツの常識も世界の常識ではありません。先ほどの仮説をもじっていえば、「常識相対論」ということになりますか……。

 
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Koji Ueda ケルン日本文化会館館長
早稲田大学、筑波大学でドイツ文化および異文化交流を担当。NHKのテレビ、ラジオ「ドイツ語講座」元講師。留学や客員教授などを合わせた在独歴は十数年。ベルリン日独センター副事務長(日本側代表)を経て、2007年3月より現職。
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