Hanacell

Nr.12 ヨーロッパの街と駅

休暇シーズンまっさかり。そこで、旅の原点である鉄道の駅と街の構造とを重ね合わせて考えてみましょう。

石川啄木が懐かしい故郷の訛りを聞きに行ったのは上野駅でした。今でも在来線は、東北・上信越方面は上野駅、東海・関西方面は東京駅、中央本線方面は新宿駅と、行き先ごとに始発駅が違います。

ヨーロッパでも、ウィーン、パリ、ロンドンなどの大都市では事情は同じで、初めて訪れる旅行者は戸惑います。また上野駅は、Kopfbahnhof(頭端駅=行き止まり型)として知られています。ミュンヘン、シュトゥットガルト、フランクフルトの各駅なども同じ構造で、ガラスに覆われ悠然と構えた姿が歴史を感じさせます。ただ、中央駅の多くは旅行者が目指す旧市街からは遠く、駅から重いトランクを持って歩くとひどい目に遭います。どうして、こんな面倒なことになっているのでしょう。

ニュルンベルクからフュルトまで、ドイツで最初の汽車が走ったのは1835年のことです。文豪ゲーテも、あと3年長生きすれば汽車に乗れるところでした。その頃、歴史が古い都市は、まだ自衛のための市壁(=城壁)に囲まれていました。

しかし、近代化が進んで壁の内側の人口が爆発的に増え、食料や生活用品を大量に搬入する必要が生じたため、邪魔になる城壁は19世紀半ばから撤去されます。そして城壁の跡には、旧市街を取り巻くように広い環状道路ができます(その形からRingと呼ばれます)。リングの両側には、19世紀後半の“バブル”のおかげで、次々にモニュメンタルな擬古典主義の建物が建てられました。それが今では排気ガスなどで黒く煤けて見えるので、事情を知らないと、古き良き時代の建物と思ってしまいます。

©Sae Esashi

そうです、鉄道は早く生まれすぎたのです。古い都市の壁に突き当たって旧市街に入れなかったのです。行き先の異なる複数の駅が、旧市街のはずれにあるのはこのためです。そうでない都市の場合には、それぞれ特殊な事情があるようです。たとえば、有名な「ウィーン会議」の結果プロイセンに組み込まれたケルンは、反抗的であったため、罰として大聖堂のすぐ横に駅を作らされたとも言われています。

そんなことを思いつつ、列車を待つ間、いかにも歴史を感じさせる巨大な駅の建物をじっくり観察してみませんか。日本より鉄道の歴史が長いだけに、日本では味わえない雰囲気があります。きっと、未知の遠い地への憧れや、不思議な懐かしさが込み上げてくるのではないでしょうか。

 
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Koji Ueda ケルン日本文化会館館長
早稲田大学、筑波大学でドイツ文化および異文化交流を担当。NHKのテレビ、ラジオ「ドイツ語講座」元講師。留学や客員教授などを合わせた在独歴は十数年。ベルリン日独センター副事務長(日本側代表)を経て、2007年3月より現職。
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