Hanacell

Nr.16 すれ違う思い込み

数年前になりますが、日本に向かう飛行機の中でのことです。隣に座ったドイツの青年が日本の女性週刊誌に目を通していました。日本語の勉強をしているのかと思って声をかけたところ、理科系の学生で日本語は勉強したことがなく、もちろん雑誌は読めません。そこでイタズラ心を起こして、週刊誌に載っていた整形外科の広告を指して、どちらが術前・術後かと尋ねてみました。すると、少しドロ臭い日本的な顔立ちの方が整形後に決まっている、と言うのです。

異なる文化の美の基準は、自分が見慣れた西欧風の顔からは遠いはずだと考えたのでしょう。もしかすると彼自身がそのような顔に憧れていて、生涯のパートナーにはこんな女性をと望んでいたのかもしれません。一言で言えば、エキゾチックな顔立ちの魅力なのでしょうが、その背景は思ったほど単純ではなさそうです。日本人が美の規準だと考える西欧的な顔立ちへの憧れと、西欧人が抱く日本的な美に対する考えには、何か大きな違いがありそうです。

直感的に言うなら、この両者にはシンメトリーでない感じがつきまといます。西欧に近づこうという試みには、どこでも通じる「世界標準」への憧れというような意識が働いています。逆に日本的なものへの憧れの場合には、他にない「特別なもの」が求められているようです。

近年は「異文化」という言葉が氾濫していますが、現実には異文化を対等に見る視点はなかなか持てません。あまりに遠くて知らない文化には親近感が湧かず、多くの場合には関心すら持たないのが普通でしょう。その反対の極にあるのが、誰もが憧れるお手本のような「世界標準」です。こちらに関しては、「異文化」とか「エキゾチック」という言葉は当てはまらない気がします。自分と同一視したい対象なので、なるべく距離感を感じたくないのでしょう。そして多くの場合、「エキゾチック」と感じられるのは、遠すぎず近すぎずの関係にあって、しかも自分が余裕をもって眺められる対象に限られそうです。こうした「距離」は、近代に生み出された力関係によって決められているようです。

こんなことを考えさせられたのは、共産圏がまだあった時代に初めてブダペストに行った時のことでした。ハンガリーはアジア系の民族がつくった国ですが、なんとデパートのショーウインドーに並ぶマネキンは、すべてアジア的な顔つきだったのです!すっかり驚き感心すると同時に、日本では和服の宣伝のマネキン人形でさえ「バタ臭い」顔つきをしていることに、初めて気づかされたのです。

©Sae Esashi

 
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Koji Ueda ケルン日本文化会館館長
早稲田大学、筑波大学でドイツ文化および異文化交流を担当。NHKのテレビ、ラジオ「ドイツ語講座」元講師。留学や客員教授などを合わせた在独歴は十数年。ベルリン日独センター副事務長(日本側代表)を経て、2007年3月より現職。
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