Hanacell

最終回 異文化の世界に暮らす

今回で、このコラムは最終回です。これまでいろいろな角度から日独間の文化の違いやお互いのイメージを取り上げてきましたが、最後にドイツで暮らす中で、文化の違いのせいで腹を立てたり、胃を痛くしないための方法を考えましょう。

「解釈学」という学問があります。聖書や文学作品などのテキスト(あるいは映像)を理解する際に生じる問題を取り扱う分野です。例えば、太平洋戦争を扱った映画を見るとしましょう。当然ながらアメリカと日本の観客では、個々のシーンの持つ意味合いやそこから受ける印象が異なるでしょう。それほど極端ではないにせよ、しばしば似たような現象は起こります。同じ明るさの灰色も、明るい環境の下では黒っぽく、暗い背景の前では明るく見えます。見る側の条件次第で、同じものが違って見えるということです。

ドイツで暮らす中で不愉快なことがあった場合、腹を立てる前に自分がなぜ感情的になるのかを考えて見ましょう。「あんなに良くしてやったんだから、言わなくても当然これくらいは……」と期待して、落胆させられることがあります。これは日本的な無言の期待(=甘え)と関係しています。自分の感情の動きを決める文化的な前提を自覚すれば、感情的にならずに済むかもしれません。キーワードで言えば、「文化的な要因の意識化」ということです。

ドイツ人がこちらの顔に眼を据えたまま自分の意見を述べると、私たちには批判的あるいは反抗的だと感じられます。逆に、相手の眼を直視せず、視線を落としたり始終動かしたりする日本人の話し方は、自信のなさや後ろめたさを表すものと解釈されます。自分たちの習慣が無条件で相手に共有されると思うのは、誤解が生じる原因です。いつも学生に「日本の常識は世界の非常識」(逆に「世界の常識は日本の非常識」)と極言してショック療法を試みていますが、キーワードにすれば「自文化の相対化」ということになります。

自分の感情が動き始めたら、こうしたチェックをしてみませんか。その理由が文化や習慣に根ざしたものであれば、腹を立てずに済みます。あるいは腹が立っても、相手の感情を理解できるかもしれません。

ただ、これによって困難が生じることもあります。本当に必要な場合であっても、素直に怒れなくなります。解決法としては、自分の感情を説明して相手に分かってもらうことでストレスを解消することくらいでしょうか。しかし、つい感情を抑えがちな日本人としては、ドイツ人のようにすぐ感情を表に出せれば精神衛生上楽だろうなと羨ましくなることもありますが……。

©Sae Esashi

 
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Koji Ueda ケルン日本文化会館館長
早稲田大学、筑波大学でドイツ文化および異文化交流を担当。NHKのテレビ、ラジオ「ドイツ語講座」元講師。留学や客員教授などを合わせた在独歴は十数年。ベルリン日独センター副事務長(日本側代表)を経て、2007年3月より現職。
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