Hanacell

ドイツの街角から

岩本順子 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。
www.junkoiwamoto.com

イタリアン・ジェラートの季節

Italienisches Eiscafe

イタリアン・ジェラートの季節
今でもたまに見られる、街角のアイスク
リーム売り © Uniteis e.V.

現在、ドイツ在住のイタリア人の数は、トルコ人、旧ユーゴスラビア人に次いで多く、60万人に上る。1950年代半ばから、主に建設・工場労働者としてやってきた彼らは、戦後のドイツにおける初の移民グループだった。1970年代前半頃までは、イタリア人移民の数は、後続のトルコ人移民の数を上回っていた。

しかし、自営業者数を見ると、イタリア人が4万人で、今なおトルコ人の3万人を上回っている。その多くが飲食業に従事していることは、ドイツの街に住んでいると実感できる。街角のイタリアン・アイスカフェ、ピザ屋、イタリアン・レストランは、ドイツに豊かな食文化をもたらした。

100年ほど前のアイスクリーム屋さん
今から100 年ほど前のイタリアン・
アイスクリーム屋さん © Uniteis e.V.

気鋭のトルコ人映 画監督ファティ・アキンの作品「Solino (ソリーノ)」は、60年代に炭坑労働者としてデュイスブルクへ移住したイタリア人の家族が、ルール地方で初のピザ屋を開業する話を描いたものだ(原作/ルート・トーマ)。トルコ人移民の息子であるアキン監督が、処女作でイタリア人移民をテーマに取り上げていたと知って意外に思ったが、同じ移民としての優しい眼差しが感じられ、個人的には、彼が同郷人を描いた作品よりも気に入っている。「Solino」は、イタリア人移民1世の時代の生活を垣間見ることができる格好の作品だ。

当時のドイツには、赤く熟れたトマトも、パリッとしたピザも、アルデンテのパスタも、濃いエスプレッソも、泡立てた牛乳を注いだカプチーノもまだ存在しなかった。 それが今や、いずれもドイツの食生活に欠かせない要素になっている。

ただイタリア風アイスクリームだけは、今から100年以上も前からドイツで人気を博していたそうだ。1969年に設立されたドイツ・イタリアンアイスクリーム製造業者協会(Uniteis e.V.)の資料によると、19世紀末頃には、アイスクリームのメッカ、ヴェネト地方のアイスクリーム職人がドイツに出向いて、アイスクリームを製造していたという。1927年にアイスクリーム製造機が発明されると、ヴィネト地方のみならずイタリア全土から、アイスクリーム職人が北ヨーロッパにやってくるようになった。

北極グマも嫌がる寒中水泳を敢行
© Uniteis e.V.

戦後の一時期、イタリア職人の手作りアイスクリームは、工場で大量生産されるアイスクリームを相手に苦戦した。中には、アイスカフェをたたんで故郷に帰ったイタリア人もいる。しかし60年代に入ると、人々の暮らしにゆとりが生まれ、観光地を中心にイタリアン・アイスカフェが流行りだした。イタリアン・アイスカフェの店先は開放的で、ドイツにいながらにしてバカンス気分が味わえる小さな「異国」だった。70年代後半頃から、紙製カップで持ち帰りができるようになると、自宅でも楽しめるようになり、売れ行きもアップした。今ではドイツ全国に9000店ものイタリアン・アイスカフェがあり、そのうち3300店が自家製アイスクリームを提供しているという。

かつては、イタリアン・アイスカフェといえば、夏場だけ営業するところが多かった。同協会のアナ=リザ・カルニオさんによると、かつてイタリアのアイスクリーム職人たちは季節労働者としてドイツに出稼ぎに来ていたそうで、10月から3月頃までは故郷に帰っていたそうだ。そういえば、冬になると、そこにあったはずのアイスカフェが、ロウソクなどの冬向けの商品を販売する店に様変わりしていた。しかし10年くらい前からは、アイスクリームも季節を選ばなくなり、エスプレッソ人気も手伝って、ほとんどの店が年間を通じてアイスカフェを営業している。

 
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