Hanacell

ドイツの街角から

岩本順子 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。
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コンクリートの墓場とつまずきの石

HOLOCAUST-MAHNMAL

2005年5月、ベルリンのブランデンブルク門から少し南に下ったところに、ナチス政権によるヨーロッパのユダヤ人大虐殺を戒める記念碑(石碑の広場)と地下情報センターが完成した。ユダヤ系米国人の建築家、ピーター・アイゼンマンがデザインした石碑群は、虐殺されたユダヤ人たちの墓場を連想させる。

ジャーナリストのレア・ロッシュらが、1980年代後半からイニシアチブをとって計画してきたこの「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」構想は1998年、コール前々首相がアイゼンマン案を支持し、99年に入ってようやく連邦議会で建設が決定し、2003年から着工となった。構想から完成まで、17年の歳月が流れている。

2万平米近い巨大な広場に、縦2.38メートル、横0.95メートルの2711基の石碑が立ち並ぶ。石碑の高さは1メートル以下のものから4メートル以上のものまで様々で、車椅子が通行できる幅の通路もある。

アイゼンマンの設計は、コンピューターを使った「偶然の産物」でもある。彼は、プログラム上で2つの平面を重ね、それらを石碑で繋ぎ、記念碑に最もふさわしいフォルムを探していったという。その結果、不規則な起伏のある地面の上に、不規則な高さと角度を持つ石碑が強い存在感を放って並ぶ、現在の形となった。

アイゼンマンの石碑の広場が、匿名の死者たちを一つの場所に集めて弔う作業であるならば、グンター・デムニッヒの仕事は、個々の死者たちのかつての住処に出向 き、その一人一人を弔う作業だ。

アイゼンマンの石碑の広場

ケルン在住の行動するアーティスト、デムニッヒが、ナチス政権下で虐殺された人たちの名前、生年月日、命日、そして死亡した場所を、一つ一つ10センチ四方の真鍮プレートに刻印してコンクリートの土台に固定し、その人がかつて住んでいた住居の前の舗道に埋める、という「つまずきの石(Stolpersteine)」と名付けられたプロジェクトにとりかかったのは92年のこと。97年には、最初の55個の「つまずきの石」がベルリンに埋められた。当時は違法と知りつつ埋めたそうだが、後に合法化された。

デムニッヒはベルリンを皮切りに、ハンブルク、フランクフルト、シュトゥットガルト、フライブルクなど、各都市に出向いて石を埋め続けた。この石を埋めると、舗道に軽いでこぼこができ、その名の通り、歩行者が「つまづいて」危険だといった理由で、市がなかなか許可をくれないこともあるそうだ。しかし現在では、国内を中心に世界186都市に、合わせて約9000個の「つまずきの石」が埋められている。ハンブルクだけで1600個が埋められているそうだ。ドイツ以外では、オーストリア、イタリア、オランダにも「つまずきの石」が埋められている。デムニッヒの仕事は、まだまだ完結しそうにない。

つまづきの石

アイゼンマンの広場を歩くと、深い墓場に迷い込んだような気持ちになり、4メートルもの石碑の谷間に身を沈めると、虐殺の非情さに対する恐怖の気持ちが起こってくる。一方デムニッヒのプレートは、街角の普段の散策コースに、まるで「踏み絵」のごとく現れるため、人々は平気でその上を歩くことができなくなる。虐殺された一人一人の命の重さを思い起こさせる仕掛けとなっているのだ。

アイゼンマンとデムニッヒのそれぞれの仕事は、あたかも互いに補完しあう供養であるように思える。

「つまずきの石」を埋めるグンター・デムニッヒ氏
ハンブルク市にて「つまずきの石」を埋めるグンター・デムニッヒ氏

 
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