Hanacell

社会的市場経済誕生から60年

「Wohlstand für alle(全ての国民に繁栄を)!」。この言葉をスローガンに、西ドイツの経済大臣だったルートヴィヒ・エアハルトが通貨・経済改革を実行してから、今年はちょうど60年目にあたる。戦争で瓦礫の山となった西ドイツは、そのあと急速に復興して不死鳥のようによみがえった。この時エアハルトは「社会的市場経済(Soziale Marktwirtschaft)」という原則を提唱したが、この言葉は今日に至るまで、ドイツの経済モデルを象徴するものとして世界的に有名である。

社会的市場経済とは、一言でいえば競争と平等を同時に実現しようとするものだ。企業は競争を行うが、それは政府が定めた一定の枠の中で行われなければならない。勤労者が搾取されないように、労働時間や休暇についても法律で厳しく規定する。市民の間の格差が広がらないように、政府が企業の自由を制限したのである。競争に敗れた人、病気になったり失業したりした人には、政府が社会保障制度によって安全ネットを提供する。社会保障サービスが非常に少ない米国や英国とは対照的だ。

つまり西ドイツは、自由放任主義を基本とする、米英型の市場経済とは一線を画する資本主義を採用したのだ。このため私は、ドイツの社会的市場経済を「人間の顔を持った資本主義」と呼んでいる。アングロサクソン型の資本主義と区別するために、西ドイツの首都ボンがライン河畔にあったことにちなみ、「ライン型資本主義」と言われることもある。

ところが、いま社会的市場経済は大きく揺さぶられている。経済成長率が鈍化したのに、医療費や年金、失業保険の給付金など、社会保障サービスにかかるコストは急激に伸びている。社会保険料が高いためにドイツは労働コストが世界でトップクラスになってしまい、国際競争力が低下。工場が中東欧に移される原因の一つとなっている。

米国の経営学者らの間では、「社会的市場経済はコストがかかりすぎて、グローバル化の時代には適していない」という批判が出ている。また市民の間でも、社会的市場経済に対する不信感が強まっている。特に、シュレーダー前首相が財界の立場を代弁して、社会保障を削る改革を実行し始めてからは、庶民の間で「政府は自分を守ってくれないではないか」という不満が募っている。

1960年代の高度経済成長期に行われた世論調査では、「社会的市場経済ではもっと自由な分野を拡大するべきだ」という意見が強かった。しかし今では、将来に対する不安を訴え、「もっと生活の安全を保障してほしい」という声が大勢を占めるようになった。

ドイツ人が社会的市場経済を廃止して、米国型の経済に切り替えることはありえない。しかし、60年前の経済モデルをそのままグローバル化の時代に適用するのも無理がある。ドイツ人たちは、社会的市場経済を修正して、エアハルトの理想だった「平等と自由のバランス」を保つことに成功するだろうか?この問題は来年の連邦議会選挙でも重要な争点になる。世界中で幅を利かせる米国式経済モデルに対抗するためにも、「人間の顔を持つ資本主義」はぜひ存続させてほしいものだ。

4 Juli 2008 Nr. 721

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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