Hanacell

ナチス戦犯追及は終わらず

日本では航空幕僚長という国の防衛に大きな責任を持つ軍人が、「日本が侵略戦争を行ったというのはぬれぎぬだ」という論文を発表して更迭された。日本は米国に押しつけられた歴史観から脱却するべきだという。現職の将校が政府の路線を批判する意見を堂々と公表するとは、文民統制に対する挑戦である。

これに対しドイツ人たちは敗戦から63年経った今も、ナチス時代のドイツを批判し、過去と対決する作業を続けている。今月10日、ルートヴィヒスブルクのナチス犯罪追及センター(ナチス戦犯に関する検察庁の専門調査機関)は、米国在住のジョン・デムヤンユク(88)が1943年にナチスの強制収容所ソビボールで、ユダヤ人ら少なくとも2万9000人の殺害に加わったと断定し、ミュンヘン検察庁に書類を送致した。

デムヤンユクはナチスに協力してユダヤ人を迫害したウクライナ人の1人で、52年に米国へ移住。帰化して自動車工場の工員として働いていた。だが別の強制収容所トレブリンカで生き残ったユダヤ人らの証言により、同収容所で「イワン雷帝」と恐れられた看守だった疑いが強まり、逮捕されて86年にイスラエルで裁判にかけられた。彼は絞首刑の判決を受けたが、本当にトレブリンカの看守と同一人物だったかどうかについて疑問が浮上したため、釈放され米国に戻っていた。

だが、米国司法省の特別捜査部は99年に再捜査を開始。ドイツ検察庁は「デムヤンユクがソビボール収容所の看守だったことを示す身分証明書が確認された。ソビボールはユダヤ人殺害を目的として作られた絶滅収容所であり、そこで働いただけでも虐殺に関与したことになる」として、この老人をドイツでの最後の居住地ミュンヘンに移送するよう米国政府に要請している。

日本では、連合軍の極東軍事法廷によって、戦争遂行に責任のあった軍人らが訴追された。しかし日本の司法当局が、現在に至るまで自らの手で市民の虐殺や捕虜虐待に関与した軍人を裁くなどということは想像もできない。米国の占領政策によって、日本は戦前・戦中の体制を戦後も部分的に温存することを認められた。その方が米国にとって日本を統治しやすかったからである。したがって、今の日本と敗戦以前の日本との間には明確な境界線が引かれていない。

これに対しドイツ社会は、敗戦以前のドイツを「犯罪国家」と断定して一線を画している。ユダヤ人虐殺のような悪質・計画的な犯罪については時効を廃止して、容疑者が生きている限り刑事責任を追及する。日本には、「今日のドイツは戦中・戦前のドイツ人に罪を着せているのだからずるい」という批判がある。しかし90年代以降のドイツでは、ナチスの関係者が戦後社会でどのような役割を演じてきたかについての批判的な研究も行われている。もちろん日本とドイツを単純に比較することはできない。だが、ドイツが63年前までいかに恐ろしい国であったかについて細部を知れば知るほど、過去との対決の象徴的な行為として戦犯追及を続けるドイツの姿勢は正しいと感じる。この国はその努力によって、周辺諸国の信頼を得ているのだ。

28 November 2008 Nr. 742

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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