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BNDとナチスの過去

今日のドイツでは、ナチス時代の過去と批判的に対決するという姿勢が社会の常識になっており、大半の市民によって支持されている。こうした努力が、通常秘密のベールに覆われている部分にまで及び始めた。今年3月にドイツの対外諜報機関である連邦情報局(BND)が、初めてナチスの過去に関する秘密を公表したのは、その例である。

BNDが公表した資料によると、1960年にこのスパイ機関で働いていた2450人の職員の内、約200人が第2次世界大戦中に親衛隊(SS)に属し、帝国保安主務局(RSHA)やゲシュタポ(国家秘密警察)などでの勤務を通じて、直接、あるいは間接的にユダヤ人の大量虐殺や反体制派の追及に関わっていた。

BNDは1960年代に「グループ85」という組織を設けて、職員のナチス時代の経歴を調査。虐殺などに直接関わっていた71人については、密かに解雇もしくは退職金を払って辞職させたが、その事実は当時全く公表されなかった。

BNDの初代長官は、戦争中にドイツ国防軍でソ連に対する諜報・謀略活動を行っていたラインハルト・ゲーレン。彼は終戦後、ソ連と米国の対立が深刻化することを予見し、自分がソ連に持つスパイ網を米国に提供することを申し出た。彼が1946年にミュンヘン郊外のプラッハに創設したゲーレン機関は、戦後直ちに米国のために諜報活動を開始する。ゲーレンはこの功績をかわれて、BNDの初代長官に就任したのである。

当時多くの元親衛隊員らは戦争中の経歴を偽って、ゲーレン機関に加わりBNDに採用された。米ソ対立の暗雲が急速にヨーロッパに広がっていたため、BNDもスタッフを増強することを優先し、戦争中の過去について厳しくチェックしなかったのである。

しかし1961年にフェルフェという職員がソ連の二重スパイであることがわかったため逮捕したところ、この人物が戦争中にユダヤ人虐殺を担当したRSHAで働いていたことが判明した。ナチスの過去を隠している職員は、そのことを理由にソ連や東ドイツから脅されてスパイ活動を強要される危険がある。このため、BNDは「グループ85」による内部調査を行ったのである。その調査結果は、機密資料のスタンプを押されて40年以上にわたり、BNDの文書庫に隠されていた。

だが21世紀になって、連邦刑事局(BKA)が元ナチス関係者だった職員についてデータを公表するなど、BNDに対してもナチスの過去を明らかにするよう世論の圧力が高まった。このためエルンスト・ウーラウ長官は情報の公開に踏み切ったのである。

今回発表された記録によると、1960年にはBND職員の8%が元親衛隊員だったことになる。ちなみにゲーレンは、71年に出版した自伝の中で「BNDスタッフの中で親衛隊にいた者の占める率は、1%に満たない。ゲーレン機関のSS出身者はわずか7人だった」と書いているが、今回の発表でゲーレンの記述が真っ赤な嘘であることがわかった。

諜報機関という最も秘密を重視する組織までが自らの恥部を公にすることは、ドイツで過去との対決に関する世論の圧力がいかに高いかを示している。だが同時に、ソ連という新たな敵と戦うためには、SSのような犯罪組織の出身者もためらわずに利用した米国と初代西ドイツ政府の非道徳的な姿勢に、戦慄せざるを得ない。

23 April 2010 Nr. 813

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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