Hanacell

教会の苦悩

アウグスブルクのカトリック教会の司教ヴァルター・ミクサ氏が過去に子どもたちに暴力をふるっていたことがわかり、司教の座を辞任したというニュースは、多くのドイツ人に衝撃を与えた。

教会から委託されて調査を行った弁護士の最終報告書によると、ミクサ氏は1975~96年、バイエルン州シュローベンハウゼンの神父だった時期に、孤児院の子どもたちをげんこつや平手で殴る、髪の毛を引っ張るなどの暴行を加えていた。子どもが倒れると立ち上がるように命令し、再び殴ったこともあるという。また子どもの尻を杖やベルトで叩くこともあった。ドイツの学校などでは体罰は禁止されているが、調査にあたった弁護士は「ミクサ氏は体罰を組織的に行っていた疑いがある」としている。

さらに、孤児院を運営する財団の金を、ワインや骨董品など財団とは関係がない品物の購入に充てていた。このためミクサ氏は、カトリック教会内で厳しい批判を浴び、司教を辞任することをローマ教皇ベネディクト16世に申請して認められた。

このような過去を持つ人物が司教という高い地位を与えられていたことは、驚きである。バチカンは、司教になる人物の素行調査を行わないのだろうか?

また、ドイツでは米国やアイルランドと同様に、寄宿舎や修道院での聖職者による性的虐待に関するニュースが後を絶たない。この問題は、ミュンヘンで5月中旬に開かれたカトリック教徒とプロテスタント教徒の合同会議でも議論のテーマになった。

聖職者による性的虐待の特徴は、分厚い沈黙の壁である。被害者たちは何十年もの間、虐待によるトラウマに悩まされながら、加害者を捜査当局に告訴できなかった。中にはすでに時効になったり、加害者が亡くなったりしているケースもある。被害者が沈黙を破れなかった背景には、カトリック教会の権威主義や威圧的な空気もあっただろう。そして教会が何十年にもわたって、この問題を司直の手にゆだね、刑事事件としての解明を怠ってきたことも、大きな問題である。犯罪を犯した聖職者たちが、修道院の分厚い壁に守られて刑事訴追を免れてきたとしたら、法治国家ドイツの名が廃るではないか。

だが、昨年から被害者たちが家族や警察に対して苦い体験を少しずつ語り始めたため、教会も正面からこの問題に取り組まざるを得なくなった。今年行われたある世論調査によると、ドイツのカトリック教徒のおよそ4人に1人が、「聖職者による性的虐待問題に憤慨して、教会を脱退することを考えた」と答えている。また回答者の77%が、「カトリック教会は事実を隠そうとしている」という疑いを持っている。つまり信者の間にも、教会のこの問題への対応の仕方に不満を抱いている人が多いのだ。

カトリック教会はプロテスタント教会と同じく、長年にわたり脱退者が後を絶たないことに頭を悩ませてきた。これまで教会脱退の主な理由は教会税に対する不満だったが、今後は性的虐待問題が、この傾向に拍車をかける恐れがある。

私はキリスト教徒ではないが、小学生の頃に東京・国立市のプロテスタント教会の「日曜学校」の礼拝に参加して聖書について学んだことがある。それだけにキリスト教的な価値観には親しみを抱いていたのだが、教会内部に隠されていた現実が次々に明るみに出るのを見て、がっかりしている。

カトリック教会は聖職者の適格性について審査を厳しくするとともに体制改革を進め、このような悲劇が2度と繰り返されないように努力してほしい。

11 Juni 2010 Nr. 820

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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