Hanacell

火山灰と現代文明

私が住んでいるミュンヘンで晴れた日に空を見上げると、飛行機雲が頭上を縦横に走っていることに気が付く。だが4月18日には、飛行機雲が1本も見えなかった。アイスランドの火山噴火の影響である。目を凝らしても見えないほど細かい火山灰が、約1週間にわたってヨーロッパ全体で空の旅をストップさせたのである。航空史上、火山灰が飛行機のエンジンを停止させた事例が何回か報告されている。このため管制当局は厳しい飛行禁止措置を取った。

この噴火のために世界中で10万本のフライトがキャンセルされ、1000万人が足止めを食った。ホテルの部屋を取ることができなかったために、空港の待合室に準備された簡易ベッドで夜を明かした人も多かった。ある人は、家族4人でニューヨークを観光した後、1週間にわたって足止めされ、滞在費が6000ドルも余計に掛かってしまった。ミュンヘンからブリュッセルまでタクシーに乗って、運転手に900ユーロ払った人もいる。

航空業界が受けた損害は、少なくとも15億ユーロ(約1800億円)に上る。ミュンヘンのBMWの工場では、空輸されるはずの自動車部品が飛行禁止のため届かず、一時生産活動に支障が出た。火山灰の影響で、空の旅にこれだけ深刻な影響が出たのは初めてのことである。航空会社は「テスト飛行の結果、飛行に問題はなかった」と主張したが、エンジンが止まる可能性がゼロでない限り、管制当局が禁止措置を緩めることはできないだろう。

アイスランドの問題の火山は今も活動を続けており、5月上旬にもスペインで20カ所を超える空港が火山灰の影響で閉鎖された。今後も噴火が激しくなれば、4月に発生したような事態が再びヨーロッパを襲う可能性がある。

技術の発達と価格競争のために、空の旅は本当に便利になった。ミュンヘンからロンドン、パリ、ミラノへ日帰りで出張する人も珍しくない。米国と日本の間を毎月往復している人も多い。ソ連崩壊後はシベリア上空を飛べるようになったので、ドイツから日本へはわずか11時間で帰ることができる。(私が学生だった頃には南回りか、アンカレッジ経由、もしくはモスクワ経由しかなかったので、片道に20時間近くかかった)

エアカーゴが発達したことによって、日本からの冷凍食品などが毎日ヨーロッパに手軽に運ばれ、フランスのボージョレ・ヌーボーが日本に空輸される。移植用の臓器が、飛行機で運ばれて患者が待つ病院に届けられることも珍しくない。

このようにして、我々の距離感覚は急速に失われてきた。インターネットやスカイプの普及も相まって、20年前に比べてドイツは日本にはるかに近くなった。しかし火山が大量の灰を噴き上げるだけで、その便利な生活は一瞬の内にストップしてしまう。科学技術がいくら発達しても、火山活動を制御することはできない。

アイスランドの噴火がもたらした飛行禁止措置は、現代の便利な生活がいかに薄い氷の上で営まれているかを我々に教えた。世界中で繰り返される地震や洪水の被害が教えているように、我々の存在は天変地異の前には余りにもはかなく、小さいことを忘れるべきではない。

18 Juni 2010 Nr. 821

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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