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Sa. 16. Feb. 2019

ドイツ外務省の過去

世界には、自国の歴史の暗い部分を隠そうとする国と、積極的に公表して犯罪の再発を防ごうとする国の2種類がある。ドイツは世界で最も積極的に、過去の犯罪を自ら暴いてきた国である。この秋、歴史と批判的に対決する試みに、新たな1ページが加えられた。

シュレーダー政権の外相だったヨーゼフ・フィッシャー氏は、在任中に4人の歴史学者に外務省の内部文書を公開して、ナチス時代の外務省の役割について研究を依頼していた。そして今年10月末、ついに歴史家たちが最終報告書を発表した。その結果、ドイツ外務省がこれまで知られていた以上に、ナチスの犯罪に積極的に加担していたことが明らかになったのだ。

当時の外務省の職員の中には、ユダヤ人虐殺に積極的に加担していた者もいた。たとえば「ユダヤ人問題担当課」に属していた外交官フランツ・ラーデマッハーが、ベオグラードとブダペストに出張した際の旅費の精算書類には、出張目的として「ベオグラードのユダヤ人殲滅(Liquidation)」とはっきり記されている。この1枚の紙片には、外交官たちの間で犯罪の感覚が麻痺していたことが浮き彫りにされている。旅費の精算を担当した事務職員も、ユダヤ人虐殺を知っていたことになる。

リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元連邦大統領は、ドイツの政治家の中でも過去との対決を最も重視した人物だが、彼の父親エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー氏は、ナチス政権のリッベントロップ外相の下で外務次官を務めていた。今回公表された文書から、エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー氏が、ナチスに批判的だったために迫害された作家トーマス・マンの市民権の剥奪に賛成していたことが、初めて明らかになった。この事実は、息子であるヴァイツゼッカー元連邦大統領も知らなかったという。報告書を執筆した歴史家の1人、エッカート・コンツェ氏は、「ナチス時代の外務省は、犯罪的な組織だった」と断言している。

さらに報告書は、戦後ドイツ外務省がナチスに協力した外交官の大半を追放せず、多くの協力者が外交官として勤務し続けたことも指摘。特に注目されるのは、戦後外務省に設置された「中央権利保護局」である。この機関は、外国に逃亡したナチスの戦犯に対して、どの国で逮捕状が出ているかを教える一種の情報サービスを行っていた。役所が犯罪者を助けるとは、今日のドイツの価値観では考えられないことである。フィッシャー元外相はこの組織の存在を、「最大のスキャンダルの1つ」として厳しく批判している。1950年代の西ドイツでは、ホロコーストの全容すら、まだ市民には明らかになっていなかった。このため、ナチスを批判的に見る社会の空気は、現在に比べてはるかに薄かったのである。

最終報告書は「役所と過去・第三帝国とドイツ連邦共和国の外交官たち」という本として書店で販売される。半世紀以上前のこととはいえ、ドイツ人にとって歴史の恥部を全世界に公表することは、つらい作業である。それでもドイツ政府は、周辺諸国の信頼を維持するには、自らの過去と批判的に対峙する以外、道はないと考えて、1960年代からこうした作業を地道に行ってきたのである。過去との対決は、被害者への補償、教育、犯罪捜査、マスメディアによる報道、若者のボランティア活動など様々な形で行われており、国民の大半が支持している。一部の大企業も社史の中で暗部を公表している。もしもドイツが戦後こうした努力を怠っていたら、この国が現在ほど周辺諸国、そして被害者が最も多く住んでいるイスラエルから信頼されることはなかったに違いない。

5 November 2010 Nr. 841

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「びっくり先進国ドイツ」(新潮社)など。
http://www.tkumagai.de
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