Hanacell

ノルウェーの惨劇

「あんな平和な国でこんなことが起こるとは、信じられない」。ノルウェーで働いたことがある知人は、つぶやいた。7月22日に同国で起きた惨劇は、ヨーロッパ全体に強い衝撃を与えた。狂信的な思想が、またもや多くの人々の命を奪ったのである。

32歳のアンネシュ・ブレイビク容疑者は、まず首都オスロの官庁街で自動車に積んだ爆弾を炸裂させて8人を殺害し、首相府や司法省などが入った建物に大きな被害を与えた。彼はポーランドから購入した大量の肥料を使って、自分で爆薬を作っていた。その後容疑者は、車で38キロ北東のウトヤ島に向かい、警察官に変装して社会民主党に属する青少年たちが休暇を過ごしていたキャンプ場に侵入。「皆さんの安全を守るためです」と言って若者を整列させると、自動小銃と拳銃を乱射。68人の若者が命を落とした。

警察の特殊部隊はすぐにヘリを調達することができなかったため、車両で現場へ向かったが、フェリー乗り場で船を見付けるのにも手間取った。このため警察官が島に到着した時、ブレイビク容疑者はすでに1時間半にわたってティーンエージャーたちに発砲し続けていた。逃げ場のない島で1人、また1人と殺人鬼に追い詰められて狩られて行く恐怖感は、想像するに余りある。生き残った若者たちも、当分の間は精神的なトラウマ(傷)に悩まされるだろう。ブレイビク容疑者は、警察官に銃を突き付けられると、あっさり銃を捨てて逮捕された。特殊部隊が現場にヘリで到着していたら、死者の数はもっと少なかったのではないだろうか。ノルウェーだけでなく、ヨーロッパ全体が深い悲しみに包まれた。

ブレイビク容疑者がインターネット上に発表していた1500ページに上る文書によると、この男は極右勢力を支持し、イスラム教徒に強い反感を抱いていたことがわかる。また自動小銃を構えた自分の写真をネット上に公開していたことから見て、熱狂的な銃器マニアであることも推察される。さらに、容疑者は「ヨーロッパをイスラム教徒から守らなくてはならない。社会民主党などの左派政党は、イスラム教徒がヨーロッパに侵入するのを許したので、罰するべきだ」という異常な考えに取りつかれていたこともわかっている。犯人が社会民主党の青少年キャンプを襲ったのもそのためだと推測されているが、なぜノルウェー人の若者を殺すことが、ヨーロッパをイスラム教徒から防衛することにつながるのかは、常識では到底理解できない。

フランクフルター・アルゲマイネ紙は「この大量殺人は、狂気によって引き起こされたとしか言えない」と断定している。容疑者の弁護士も「ブレイビク容疑者は自分のことをイスラム教徒やマルクス主義者と戦う戦士だと思い込んでおり、精神を病んでいる疑いがある」と述べている。

近年、米国だけでなくヨーロッパでもこの種の乱射事件は後を絶たない。だが、ノルウェーの容疑者は周到な準備に基づいてたった1人で官庁街を破壊し、76人もの人命を奪っており、その異常さと冷血ぶりは特に際立っている。

ヨーロッパではイスラム教徒をめぐる議論が白熱している。オランダではイスラム批判で知られる右翼政治家ヘルト・ヴィルダース率いる自由党が、議会で第3位の勢力にのし上がっている。今後もヨーロッパではイスラムをめぐる意見の対立や論争が強まるだろう。警察は爆薬の製造に使える物質や銃器所持のライセンス、インターネット上に発表されている極右勢力の文書や写真について、監視を強めるべきではないだろうか。オスロの夏の惨劇が繰り返されることは、絶対に防がなければならない。

5 August 2011 Nr. 879

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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