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さみしい減税

読者の皆さんの中には、「ドイツ政府が、2013年と2014年に、60億ユーロ(6300億円)規模で所得税の減税を実施することを閣議決定した」というニュースを聞いて、胸を躍らせた方もおられるのではないだろうか。

だが、ドイツには「悪魔は細部にひそむ」という諺(ことわざ)がある。今回の減税についても、細かい所を見ると喜びも半減する。標準世帯の減税額は、月に25ユーロ(2625円)前後。課税対象額が9000ユーロの市民の減税率は36.5%だが、8万ユーロを超える市民の場合は、2%にも満たない。

納税者連盟は「市民の負担が大きく軽減されることにはならない」と指摘。税制問題に詳しいクレメンツ・フュスト教授も「減税額は少なく、経済の活性化につながるとはとても言えない。メルケル政権は、有権者に減税を約束してきたのに、これまで実現できなかった。今回のミニ減税は、政府が面目を保つためのジェスチャーにすぎない」と厳しく批判している。

たしかに月25ユーロの減税では、内需の拡大にはつながらないだろう。現在ヨーロッパでは債務危機が深刻化し、景気の先行きに陰りが見えていることから、むしろ消費を差し控える市民が増えると予想されている。こうした逆風の下では、年に300ユーロ前後可処分所得が増えても、焼け石に水かもしれない。

ドイツにお住まいの皆さんはご存知のように、この国の税金と社会保険料は高い。付加価値税(消費税)も、日本とは比べ物にならないほど高くなっている。このためドイツは伝統的に国内消費が少なく、内需が弱い。したがって、企業は外国に製品やサービスを輸出することによって、収益を確保せざるを得なかった。ドイツは人件費が高いので、安価な大衆向け製品には強くないが、高価な自動車や工業製品では抜群の競争力を誇っている。ギリシャやポルトガルとは違って、外国で売れる、付加価値の高い製品を作ることができる。つまり、高品質な物作りが、この国の経済を支えているのだ。ドイツで働く市民の3人に1人が、輸出に関係のある産業で働いているのも、このためである。

しかしフランスなどほかのEU加盟国からは、批判も出ている。「ドイツでは内需が弱過ぎるために、輸出によって多額の貿易黒字をためこんでいる。このため欧州連合(EU)域内では、ドイツのような工業国と、南ヨーロッパのような農業国との間に大きな経済格差が生まれてしまった。これが債務危機の原因の1つとなった」という主張だ。フランス政府は、メルケル政権に対して「もっと税金や社会保険料を下げて国民の可処分所得を増やし、内需を拡大するべきだ」と訴えてきた。

現在、ドイツの公共債務は国内総生産(GDP)の約83%であり、リスボン条約がユーロ圏加盟国に義務付けている債務比率(60%未満)を大きく上回っている。このため、メルケル政権は、大幅な所得税減税に踏み切ることはできない。しかしフランス政府の主張にも一理ある。ヨーロッパ北部と南部の間に横たわる、貿易収支の大きな格差を減らすためにも、ドイツ政府は将来、債務比率が60%を割った時点で本格的な所得税減税を実施して、すべての国民に勤勉が生んだ利益を還元してほしい。ヨーロッパ最大の経済パワーで内需が拡大すれば、自国企業だけではなくEUのほかの国々にとっても、福音となるのではないか。

このことは、ヨーロッパの経済格差の是正に向けて、重要な一歩にもなるだろう。

18 November 2011 Nr. 894

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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