ジャパンダイジェスト

統一記念日が浮き彫りにしたドイツ社会の深い溝

デモ
10月3日、ドレスデンで行われたデモに参加した市民

10月3日は、東西ドイツが1990年に統一されたことを祝う記念日である。統一から26年目にあたる今年、連邦政府は旧東ドイツ・ドレスデンのゼンパー歌劇場で記念式典を開催した。だが、ドイツが東西分断を克服し、国家主権を回復したという偉業を思い起こすべき記念日は、今日のドイツ社会に刻まれた深い溝と混乱を浮き彫りにする日となった。

首相に対する怒号

式典にはメルケル首相、ガウク連邦大統領、ラマート連邦議会議長のほか、閣僚や経済団体の代表など、この国の政財界や学会、論壇を代表する数百人が出席した。ラマート議長は、「ドイツは、かつてなかったほど良好な状態にある。我々の状況は、世界中の人々がうらやむほどだ。ドイツ人は、もっと自信と楽観主義を持つべきだ。なぜならば、東西は統一され、我々は自由と正義を手にした。これは、東西分断時代には夢想することすらできなかったことだ」と述べ、統一がこの国を大きく成長させたという立場を打ち出した。これはドイツの指導層、いわばメインストリーム(主流派)の代表的な意見である。

しかし、式典会場の外では、全く異なる雰囲気が支配していた。「Merkel muss weg(メルケルは退陣しろ)」などと書かれたプラカードを掲げた約200人の市民がデモを行い、笛を鳴らして政府に抗議した。彼らはメルケル首相やガウク大統領に対して、「Volksverräter(裏切り者)」、「Widerstand(我々は抵抗する)」などという罵声を浴びせかけた。

エスカレートする極右勢力

抗議デモには、ドレスデンで2014年に結成された右派市民団体PEGIDA(先進国のイスラム化に反対する愛国的ヨーロッパ人)のメンバーも加わっていた。彼らは外国からの移民や難民の受け入れに強く反対しており、メルケル政権やメディアに敵対する姿勢を隠さない。毎週月曜日のPEGIDAのデモには毎回3000~5000人の市民が参加するが、2015年には2万5000人が参加したこともある。

今回の抗議行動は、特にメルケルの難民政策をめぐり、旧東ドイツの一部の市民の間でいかに反感が強まっているかを浮き彫りにした。右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の得票率が旧東ドイツで高くなっている背景にも、こうした反感がある。ドレスデンでは、式典直前の9月28日にイスラム教寺院の前で爆弾テロも起きている。幸い死傷者はなかったが、極右勢力はイスラム教徒を標的としている。

1989年のドレスデンとの格差

私はドレスデンで市民が政治家たちに罵声を浴びせる光景を見て、1989年11月28日に、当時西ドイツの首相だったヘルムート・コールがドレスデンを訪れた夜のことを思い出した。ベルリンの壁が崩壊してから約2週間。当時東ドイツ市民の間では、西ドイツとの統一を求める声が急激に高まり、「Deutschland, einig Vaterland(ドイツよ、祖国を統一せよ)」という言葉が、プラカードに目立つようになった。

当時ドレスデンの聖母教会はまだ再建されておらず、がれきの山だった。車で近くに到着したコールは、聖母教会の廃墟前に集まった数千人の群衆をかき分けるようにして、演説台にたどり着いた。人々は東西ドイツ国旗を掲げ、西ドイツの首相を「ヘルムート、ヘルムート」という歓呼の声で迎えた。コールは「自由なしに平和はあり得ない。東西ドイツ人が共通の家に住めるよう努力する」と語り、聴衆から万雷の拍手を浴びた。多くの東ドイツ人が、コールに大きな期待を寄せていた。

東ドイツ市民が西側の首相の言葉に熱狂してから、27年後の今、当時の歓呼の声は怒号に変わり、統一を喜ぶ雰囲気よりも中央政府を敵視する姿勢の方が目立つようになった。当時コールが人波の中を歩いても、身の安全を心配する必要はなかった。そこでは、政治家と群衆の心が一体となっていた。今年のドレスデンでの式典では、警官隊が金属製の防護柵を立てて、メルケルやガウクが群衆に襲われないように注意しなくてはならなかった。政治家たちと市民の心は、冷戦時代の東ドイツと西ドイツのように、バリケードによって隔絶されていた。

東西ドイツ間の格差も原因

東西ドイツ間には、今も生活水準の格差がある。今年9月の旧東ドイツの失業率は7.9%で、西側(5.4%)よりも高い。旧東ドイツの5州の市民一人当たりの国内総生産は旧西ドイツよりも低く、同じ職種でも旧東ドイツで働くと、賃金が西側に比べて数百ユーロ少ないケースが見られる。旧東ドイツでは大手企業の投資が進まず、多くの若者たちが職を求めて旧西ドイツに移住した。このため旧東ドイツ市民の間では、「自分は統一による負け組だ」という不満感がある。東西を分断していた壁は取り除かれたが、心の中の壁は一部の市民の間に残っている。

東ドイツ出身のメルケル首相とガウク大統領は、抗議デモを見てもポーカーフェイスを崩さなかったが、その心中は穏やかではなかったに違いない。ドレスデンの怒号は、難民危機をめぐってこの国がもはや真の意味で「統一」されていないことを浮き彫りにした。来年は連邦議会選挙など重要な選挙が目白押しだ。メルケル首相だけでなく、伝統的な政党の指導者たちは社会を分断する亀裂を埋めることができるだろうか?

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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