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最低賃金をめぐる議論の背景

読者のなかには、「なぜいまドイツで最低賃金(Mindestlohn)をめぐる議論が激しく行われているのだろう」と思われる方がいるかもしれない。社会民主党(SPD)は賃金の最低水準を法律で定めることに積極的で、まず郵便配達人に最低賃金が導入されることがほぼ確実になった。これに対しキリスト教民主同盟(CDU)は、「最低賃金を導入すると、働こうという人は増えるが、人件費が増えるので企業は採用を手控えるかもしれない」として、やや慎重な姿勢である。

最低賃金の導入は、経済のグローバル化、欧州の拡大と大いに関係がある。ご承知のように、欧州連合(EU)の加盟国は現在27カ国で、人口は5億人に近づいている。今後も旧ユーゴスラビア諸国や旧ソ連の国々が、加盟を申請する見通しだ。

今月21日からは、国境検査を廃止し、人や物の行き来を容易にするシェンゲン協定が、ブルガリアや英国などの5カ国を除くすべてのEU加盟国で発効する。ドイツからフランスやオーストリアに旅行するときパスポートや税関検査はないが、これがポーランドやチェコ、ハンガリーなどでも適用されるのだ。今後は、中欧、東欧の国々からさらに多くの人々が、職を求めてドイツなど西欧諸国に移住する可能性が強い。

ところで、中東欧の国々では、賃金がドイツに比べて大幅に安い。このため、なかにはドイツ人よりも低い給料で働く労働移民も少なくない。人件費の削減を望んでいる経営者にとっては、願ってもない話である。

実際、ドイツのある工場では、20人のドイツ人が月給1528ユーロで働いていたが、ある日突然全員クビにされ、ルーマニア人労働者に取って代わられた。ルーマニア人たちが、月給1000ユーロで働くことを承知したからである。経営者にしてみれば、労働者一人につき毎月528ユーロも節約できたわけだ。だが、いきなり解雇されるドイツ人は、たまったものではない。ドイツで暮らすには税引き前の給料が1000ユーロというのは苦しいが、ここに永住するつもりはなく、故郷に仕送りするルーマニアからの労働移民には悪くない金額なのである。

国境が開放されるボーダーレスの時代には、このようなことが日常茶飯事になる。欧州での大幅な賃金格差のためにドイツの労働者が解雇されるのを防ぐ対策として、最低賃金は重要なのである。すでにフランスなど多くの国々が、最低賃金によって、自国民が不利になったり労働者が搾取されたりするのを防ごうとしている。

ドイツでは失業者数が減り続けており、過去15年間で最低の水準になった。だが、仕事はしているが、給料が安すぎるために家賃などを払えず、第2種失業給付金をもらう市民の数は徐々に増えている。米国のような「ワーキング・プア」の問題が、ドイツでも浮上し始めているのだ。

こう考えると、猛スピードで進む経済グローバル化の衝撃を少しでも緩和するには、最低賃金制度は必要であるように思われる。

14 Dezember 2007 Nr. 693

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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