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難民受け入れ数でCDU・CSU合意「上限」をめぐるメルケル首相の苦悩

難民
2015年9月にミュンヘン中央駅に到着した
シリア難民達(撮影:熊谷 徹)

9月末の連邦議会選挙で、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が第3党に大躍進したことは、アンゲラ・メルケル首相の路線に微妙な影を落とし始めた。

20万人という「目標値」を初めて設定

その典型的な例が、10月9日にキリスト教民主同盟(CDU)とキリスト社会同盟(CSU)が「難民受け入れ数について、基本的に合意した」と発表したことだ。

メルケル首相とCSUのホルスト・ゼーホーファー党首が公表した声明文によると、両党は「一年間にドイツが受け入れる難民の数が、20万人を超えないようにしたい」という立場を打ち出した。ドイツが難民受け入れ数に具体的な目標値を設定するのは初めて。この数は、これまでCSUのゼーホーファー党首が要求してきた難民受け入れ数の「上限(Obergrenze)である。メルケル首相は、これまで「憲法(基本法)が保障する亡命申請権に上限はない」として、CSU側の要求を一貫して拒否してきたが今回は譲歩した。

両党の声明文には、「上限」という言葉は使われていない。そして「例外規定は可能である。たとえば国際情勢・国内情勢の変化によって20万人という目標を守れないことが明らかになった場合、連邦政府と連邦議会は、目標の上方修正または下方修正を行う」という但し書きがある。さらに合意文書は、「我が国は基本法で保障された亡命申請権を変更せず、EU法に基づいて、亡命申請を審査することを約束する」と明記している。つまりドイツは、受け入れ数が20万人を超えた場合、亡命申請を審査せずに、到着した難民を国境ですべて追い返そうとしているわけではない。

背景に極右政党の躍進

「上限」という言葉を避けていても、メルケル首相がCSUに歩み寄ったのは今回が初めて。つまりこの合意文書はオブラートに包まれていても、首相の難民政策の変化を象徴するものだ。メルケル氏が態度を変えた最大の理由は、有権者が首相の難民政策に強く反発し、連邦議会選挙でCDU・CSUに1949年以来最低の得票率を与えて罰したことだ。

2015年9月に、メルケル首相はハンガリーで立ち往生していたシリア難民らに事実上国境を開放し、ドイツで亡命申請することを許した。当時はミュンヘンなどに毎日約2万人の難民が到着。2015年だけで約89万人の難民がドイツで亡命を申請した。EUの亡命申請規定であるダブリン協定によると、難民は最初に到着したEU加盟国で亡命を申請しなくてはならない。つまりハンガリーに到着した難民は、そこで亡命を申請するのが決まりだ。だが当時シリア難民の間では、難民受け入れに寛容で、社会保障が手厚いドイツに亡命を希望する人が多かったために、メルケル首相はダブリン協定を無視して、これらの難民をドイツに受け入れることを決めた。首相は、オーストリア政府とは事前協議を行ったが、連邦議会や欧州委員会、フランス、英国政府などと相談せずに、ほぼ独断的に国境を開放。いわば「超法規的措置」である。

保守的な有権者がメルケル氏に失望

この決定については、2015年にゼーホーファー党首が「大きなミスだ」と厳しく批判。難民を受け入れる市町村の首長からは「連邦政府はなぜ難民の数をコントロールしないのか。これ以上難民を受け入れられない」という強い不満の声が上がった。メルケル首相の決断は、人道主義に基づくものだ。米国のメディアや国連の難民高等弁務官は、ドイツの難民受け入れについて「欧州の名誉を救った」と称賛した。メルケル氏は「困っている人を助けたことについて批判されるのならば、ドイツは私の国ではない」とまで言い切った。

だがCDU・CSUの保守派に属する党員の間では、「メルケル首相の政策は、あまりにも左傾化している」という意見が強まった。彼らは伝統的な政党に対し疎外感を抱く。前回の選挙でCDU・CSUを選んだ有権者の内約98万人が、今回はAfDに票を投じた。AfDは旧東ドイツだけではなく、平均所得水準が比較的高いバイエルン州とバーデン・ヴュルテンベルク州政府でも、10%を超える得票率を確保した。このことは、旧西ドイツ市民の間でも、政権与党の難民政策に対する不満が強まっていたことを物語っている。

与党は選挙戦で難民問題を重視しなかった

2015年に89万人に達した難民数は、2016年には約28万人、今年1月から8月には12万3878人に減っている。バルカン半島の国々が国境を閉鎖し、トルコとEUが難民の引き取りについての合意を結んだからだ。このように難民数は減っているのだが、AfDは政権与党の難民政策を執拗に争点として取り上げ続けた。これに対し、CDU・CSUとSPDは選挙期間中に難民問題を積極的に取り上げなかった。このことが、伝統的な政党に歴史的な後退をもたらし、大連立政権を崩壊させたのである。もしもメルケル氏がこれまでの態度を変えなかったら、AfDへの支持率がさらに伸びるかもしれない。AfDの躍進は、メルケル氏に「亡命申請権に上限はない」という言葉を事実上撤回させ、難民政策の硬化をもたらしたことになる。

メルケル首相はCSUだけでなく、緑の党、自由民主党(FDP)と組まなければ議会で過半数を確保できない。だが左派に属する緑の党は、20万人という「目標値」について強い難色を示している。四党が受け入れられる着地点を見つけるには、まだかなりの時間がかかるだろう。難民政策をめぐる議論は、今後も続く。

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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