Hanacell

再軍備 Wiederbewaffnung

1955年11月12日
米ソの冷戦を背景に、韓国と北朝鮮が戦争へ突入した1950年6月25日。米国はソ連共産圏の西欧侵出にも脅威を抱き、前線に立つ西ドイツに再軍備を許可しようと考えた。

朝鮮戦争が勃発

先立つ49年4月、英仏を中心にした西欧諸国は米国と北大西洋条約を結び、集団安全保障体制(北大西洋条約機構=NATO)作りに着手していたが、そこには「米国を引き込みロシアを締め出す」ほか、「ドイツを抑えこむ」目的があった。西欧諸国にとって、ナチスドイツの過去とドイツ人への恐怖は、それほど鮮明だったのである。

しかし、朝鮮戦争の勃発によって情勢は一変。西ドイツを一刻も早く西欧に組み入れる必要にかられた米国は、コンラート・アデナウアー西ドイツ首相(キリスト教民主同盟=CDU)と密談し、西ドイツの再軍備と引き換えに首相の要望をのむ方向で交渉に入った。

それは、「西ドイツに他の西欧諸国と同等の国家主権と自衛権を認める」こと。首相の単独交渉に政府閣僚たちは立腹するが、最終的にはグスタフ・ハイネマン内相を除いて再軍備に賛成する。

米英仏による占領が終了

一方、西ドイツの再軍備とNATO加盟に反対し、別の構想を提案したのがフランスである。新たに欧州防衛共同体(ECD=EVG)を設立し、そこに西ドイツを組み入れて平和への連帯責任を持たせようというのだ。この構想に沿い、51年4月18日、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクと西ドイツの6カ国が、石炭と鉄鋼を共同で管理する欧州石炭鉄鋼共同体(後に欧州共同体へ統合)を設立することに調印した。

そして52年5月26日、西ドイツは米英仏3国とドイツ条約(Deutschlandvertrag)を締結。この日をもって3国による西ドイツ占領は終わりを告げ、再軍備への道が開かれる。連邦議会がEVG参加を可決したのは翌年3月。ところが、この構想は結局のところ批准されなかった。主権侵害を恐れる反対派によって、当のフランス国会が否決したからだ。かくして西ドイツの再軍備は、NATO加盟によって解決されることになるのである。

ドイツ条約調印
1952年5月26日、ボンでドイツ条約に調印する(右から)
アデナウアー西ドイツ首相、アチソン米国務長官、
シューマン仏外相、イーデン英外相
©DPA DEUTSCHE PRESS-AGENTUR/DPA/PA Photos

男子に兵役義務

55年11月12日、デオドール・ブランク国防相は志願兵101人に連邦軍への辞令を手渡した。連邦議会ではアデナウアー首相が、「無策によって、祖国と西欧がボルシェビキの支配下に置かれることがあってはならない」と力説。56年7月7日には、16時間に及んだ討議の末、兵役義務法が連邦議会を通過し、18歳から45歳までの全男子国民が12カ月の兵役義務を負うことになった。この法を免れるのは西ベルリン居住者だけ。東ドイツに囲まれた西ベルリンの住民は、すでに敵と対峙する“最前線”にいるとみなされたからだ。

各地で再軍備反対の声が上がったことは言うまでもない。敗戦からわずか10年。市民のデモ行進に「Ohne mich / Ohne uns(私はごめんだ!)」のプラカードが揺れた。しかし57年4月1日、最初の兵役徴集が実施され、アデナウアー首相とフランツ=ヨーゼフ・シュトラウス国防相(キリスト教社会同盟=CSU)は、連邦軍の核装備まで考え始める。

核兵器の保有、反対!

カール=フリードリヒ・フォン・ワイツゼッカー、オットー・ハーン、ヴェルナー・ハイゼンベルクら著名な原子物理学者18人がその直後に出した反対声明を、声明主催者の研究地にちなんで「das GöttingerManifest」という。彼らは戦術的核兵器を「ヒロシマに落とされた原子爆弾と同様の破壊力をもつ」と分析し、「水爆への恐怖が現在の均衡を実質的に維持させている点を否定しないが、西ドイツほどの小国は、核兵器の保有を断念することによって世界の平和に貢献できる」と結んでいた。

国民の3分の2がこの声明を支持したことで、連邦政府は最終的に核保有への野望を引っ込める。しかし、西ドイツに駐屯する米・英・仏軍基地に多数配置された核兵器は東に、対する東ドイツのソ連軍基地の核は西に照準を定めていた。西ドイツ市民の原爆死反対闘争(Kampf-dem-Atomtod)は、現実的な恐怖に根ざしていたのである。

 

23 Mai 2008 Nr. 715

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 18:31  
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