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ロンドンのゲストハウス
Fr. 19. Okt. 2018

そのとき時代が変わった - 敗戦からベルリンの崩壊まで

社民・自民党連立政権の誕生 Die Sozial-liberale Koalition

1969年10月21日
連邦議会選挙で得票率2位の社会民主党(SPD)が、得票率3位の自由民主党(FDP)と連立して少数派政権を樹立。キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)は第1党に立ちながら野党へ下り、西ドイツは新しい時代の幕を開けた。

SPD飛躍のカギはFDP

最大の国民政党CDU・CSUが20年来守ってきた政権の座をSPDへ譲ることになるには、当然そこに至るまでの経過があった。

最も影響が大きかったのは、1959年にSPDがマルクス主義の階級闘争の理念を放棄し、中道左派へと転換を図ったことだ。これにより連邦レベルでのSPDの得票は、57年の31.8%から61年の36.2%、そして65年には39.3%へと拡大したのである。

それに反し、61年発足の第4次コンラート・アデナウアー(CDU)政権を途中で継いだルートヴィヒ・エアハルト首相(CDU)には、人気が出なかった。50年代に西ドイツに「経済の奇跡」をもたらした辣腕の経済相ではあったが、60年代に入って成長が鈍化する中、首相としての指導力に対して党内からも疑問の声が上がっていたのである。

しかし、決定的な役割を演じたのはFDPだった。65年発足の第2次エアハルト政権に入閣したFDPは増税案に抗議し、わずか1年後に閣僚4人を引き揚げてしまったのだ。こうしてエアハルトは辞任に追い込まれ、66年12月に新首相クルト=ゲオルク・キージンガー(CDU)によるSPDとの大連立政権が発足。副首相・外相にはSPDのヴィリー・ブラント党首が就任する。SPDにとっては、将来起こりうる政権樹立のための実習を始めたとも言えよう。

SPDの新星ヴィリー・ブラント

1949年に第1回連邦議会議員として政界入りし、50年から西ベルリン市議、57年から同市市長を務めたヴィリー・ブラント(1913~92)は、SPDの連邦首相候補として61年、65年とすでに2回、連邦議会選挙に臨んでいた。

本名ヘルベルト・フラーム。育ての親でもある継祖父の影響から17歳でSPDに入党し、ヒトラー政権下に北欧へ亡命、国籍を奪われた元ジャーナリストである。戦後ノルウェー国籍の特派員として帰国し、48年に西ドイツ国籍を再取得。使ってきた出生地リューベックの造船所に由来するペンネーム、ヴィリー・ブラントを正式名にしていた。

グスタフ・ハイネマン氏とヒルダ夫人
初のSPD出身の大統領、リベラル・人権派として一般庶民から
高い人気を得たグスタフ・ハイネマン氏(中)とヒルダ夫人
©AdsD-Archiv der sozialen Demokratie

初のSPD首相候補として臨んだ61年の連邦議会選挙で、対する85歳のCDU老宰相アデナウアーから「フラーム別名ブラント」と皮肉られたことは有名な話だ。CSUの党首フランス・ヨーゼフ・シュトラウスからは、母国が苦しんでいるときに亡命した裏切り者と責められた。父を知らない婚外子であることも、政敵にとっては攻撃材料になった。

ブラントは一切反撃しなかったが、「非常に辛かった」と後に語っている。彼の経歴が政治家のキャリアにとってマイナスだったことは否めない。しかし以後、“赤い海に囲まれた孤島”西ベルリンを率いる若く精悍な政治家として、ブラントは人気を集めていったのである。

前途多難な新政権の誕生

こうして迎えた1969年9月28日。連邦議会選挙の投票日である。SPDは3年前のエアハルト政権崩壊によって転がり込んだキージンガー政権との大連立によって、国政への自信をつけていた。数カ月前には追い風も吹いていた。反核人権派として尊敬を集める同党のグスタフ・ハイネマンが連邦大統領選に選ばれたのだ。それは、FDPが自党候補への票を最終的にハイネマンへ投じたためであった。

SPDの首相候補は3回目のブラント。開票の結果、5%得票条件を満たしたCDU・CSU(46.1%)とSPD(42.7%)、FDP(5.8%)が議会入りした。開票当日の夜、SPD幹部は全員一致でFDPとの連立交渉を決意。そしてFDPは、キージンガーCDU首相から有利な連立条件を提示されてはいたが、多数決でSPDとの連立を選んだ。当時のFDPはリベラルな中道左派が中核を握る政党だったのである。

そして選挙からわずか24日後の10月21日、首相ブラント、副首相・外相ヴァルター・シェール(FDP)によるSPD・FDP連立政権がボンの首相府に登場。「Mehr Demokratie wagen(もっと民主主義に挑もう)」をスローガンに掲げ、快調なスタートを切った。

しかし、連邦議会での与党SPD・FDPと不本意ながら野党に下ったCDU・CSUとの差はわずか12議席。採決で半数が反対にまわる可能性は大きい。しかもCDU・CSUは連邦参議院を否決の場として活用すると予告。新政権にとって前途多難な政治の季節が訪れようとしていた。

24 Juli 2009 Nr. 775

 
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高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。 www.geocities.jp/takahashi_mormann
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