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ロンドンのゲストハウス
Sa. 29. Feb. 2020

そのとき時代が変わった1945年敗戦から1989年ベルリンの壁崩壊まで

高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。

私たち、中絶しました! Wir haben abgetrieben !

1971年6月6日
1971年6月6日の朝、キオスクで週刊誌Sternの最新号を手にした通勤客は度肝を抜かれた。表紙一面に女性28人の顔写真がずらりと並び、横帯に付されたタイトルは「私たち、中絶しました!」。こうして戦後最大のタブーは破られることになった。

中絶は有無を言わさず違法

写真には国際的スターのロミー・シュナイダー、女優ゼンタ・ベルガー、スーパーモデルのフェルシュカ・フォン・レーンドルフらの顔も見られ、ページをめくると、刑法218条の改正を求める請願書が彼らを含む女性374人の署名入りで公表されていた。

当時の西ドイツは、この刑法218条によって妊娠中絶を犯罪と規定し、堕胎手術を引き受けた者に5年以下の、依頼した妊婦には1年以下の自由または罰金刑を科していたのである。中絶の企てさえも刑罰の対象であった。

一般に望まない妊娠をした女性たちは、たとえそれが性暴力を受けた結果であっても、あるいは未婚であっても産むしか道はなく、どうしても産みたくない女性は、中絶が合法の英国かオランダへ行くか、国内で極秘に手術してくれる医者を探すしかなかったのだ。

それでも闇の中絶は、年間数万件はあったと推定され、堕胎を引き受ける助産婦らを指して天使製造人(Engelmacherin)なる言葉さえあった。無謀な堕胎によって妊婦が死亡する事故も珍しくなかった。そういった現実を政治家も司法も神父も、つまり男性たちは十分に知っていたが、重い口を開こうとはしなかったのだ。

アクション218
「アクション218」を率いたアリス・シュヴァルツァー(写真中央)。
1987年6月、雑誌EMMAの創刊10周年記念パーティーにて
©CHRISTEL BECKER-RAU/AP/Press Association Images

大衆誌で張った合法化キャンペーン

この「アクション218」を率いたのは、後に女性解放運動の旗手として雑誌EMMAを創設することになる女性ジャーナリスト、アリス・シュヴァルツァーだが、手段はフランスからのコピーだった。

2カ月前の4月11日、フリーランスの記者としてパリに滞在していた当時29歳の彼女は、シモーヌ・ド・ボーヴォワールやジャンヌ・モロー、カトリーヌ・ドヌーブなどの有名人を含む女性343人が雑誌上で「中絶手術を受けた」と公言して中絶の合法化を求めた勇気に感銘し、西ドイツでの実行を思い立ったのである。

その際にStern誌をアクションの場として選んだのは、大衆的な報道雑誌として多くの読者を抱えていたからだろう。Spiegel誌は知識層に限られ、Focus誌はまだ発行されていなかった。実はフランスでも西ドイツでも、実際には手術を受けていない署名者がかなりの数含まれていたが、国家の管理から自分の肉体を取り戻すために立ち上がった彼らの連帯感に、多くの女性読者は勇気をもらったのだった。

一方、男性たちは驚愕し、怒りの反応に出た。中絶を自由化して出産を女性の意のままにさせたら、男性は女性を管理できなくなる。署名者の多くが職場で配置換えや解雇の脅しを受け、何人かの女性宅には堕胎罪と民衆扇動の容疑で家宅捜査さえ入った。

「中絶を違法としない」法律へ

しかし結局、検察庁は誰1人として起訴できなかった。同年7月19日、「アクション218」は中絶自由化を求める8万6000人の署名を法務省に提出。メディアはおおむね賛成へと論調を変え、11月には何千という女性たちが218条の破棄を求めて街頭デモに出た。

時のSPD・FDP(社会民主党・自由民主党)政権は世論に押された形で、まず1974年に一部の改正を行い、ようやく76年7月21日、公的機関での面談により理由が認められる場合には受胎後12週まで、優生学と母体保護に基づく理由または犯罪による理由がある場合には22週までの中絶を違法としない新218条を施行する。こうして出産を望まない女性は面談を受け、面談証明書を発行してもらうことで中絶手術を受けられるようになった。

ここで、東ドイツの事情にも触れておこう。東はほかの共産圏と同様、マルクス主義による宗教の否定と女性の労働力を確保する目的から、病院で容易に中絶手術を受けられる管理体制を整えていたが、西側の動向を意識して72年に類似の刑法153条を施行。皮肉にもこれ以降、中絶数は大幅に減少する。それでも人口比で見ると西の2倍の堕胎があった。

こうして中絶合法化のプロセス1つを取っても、西欧は闘って自由を獲得してきた社会であることがよく分かる。女性たちは、個人の意思に基づいて中絶を選ぶことは基本的な権利であると主張したのだ。経済的な必要性から倫理的な葛藤を経ずに手続きを簡素化し、中絶天国になった日本との違いは、かように大きい。それがシングルマザーの社会的な認知の差にも現われているように見える。現在、新生児に占める婚外子の割合は日本2%。ドイツでは30%弱となっている。

16 Oktober 2009 Nr. 787

 

高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。 www.geocities.jp/takahashi_mormann
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