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ロンドンのゲストハウス
Sa. 29. Feb. 2020

そのとき時代が変わった1945年敗戦から1989年ベルリンの壁崩壊まで

高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。

シュタムハイムRAF(ドイツ赤軍)裁判 Stammheim-Prozess

1975年5月21日〜77年4月28日
RAFの犯罪を審理する初めての裁判がシュタムハイム刑務所に建てられたビルで開廷。アンドレアス・バーダー、ウルリケ・マインホフ、グドルン・エンスリン、ヤン=カール・ラスペら設立メンバー4人が被告席に座った。

「城塞」さながらの裁判所

1972年6月にRAF(Rote Armee Fraktion)の中核が次々に逮捕されてから、約3年をかけて準備した裁判である。起訴状には銀行強盗や器物損壊などに加え、逮捕直前にフランクフルト、アウグスブルク、ミュンヘン、カールスルーエ、ハンブルク、ハイデルベルクで起こした爆破による殺人4件、傷害34件に対する罪科が挙げられた。

審理の担当はバーデン=ヴュルテンベルク州のシュトゥットガルト高等裁判所。爆破による犠牲が最も多かったハイデルベルクが同州に位置することから選ばれ、被告らはシュトゥットガルトの北部にあるシュタムハイム刑務所の7階に集められていた。

しかし被告を開廷ごとに刑務所から裁判所へと移動させれば、RAF第2世代から奪還目的に襲撃される恐れがあった。そのため当局は刑務所のゲレンデに堅固な多目的ビルを新設し、その中で裁判を開くことにする。法廷となった窓のないホールはむき出しのコンクリート壁に囲まれ、さながら城塞であった。

前例のない裁判である。1年半前には被告の1人ホルガー・マインスがハンガー・ストライキのため死亡し、RAFが裁判官や検察官らを標的にする危険もあった。

RAF第1世代の誕生

主犯格はミュンヘン生まれのアンドレアス・バーダー(1943年生)。学校を中退し、西ベルリンのヒッピー共同体に出没したボヘミアンである。車の窃盗や文書偽造などの軽犯罪に手を染め、既婚の女流画家との間に22歳で1女をもうけていた。

バーダーが、ドイツ文学の博士課程にいたグドルン・エンスリン(40年生)と出会ったのは1967年の夏。イラン国王のドイツ訪問に抗議する西ベルリンの全学連デモで、男子学生が警官に射殺された直後である。体制に激怒するエンスリンがパートナーと、産んだばかりの息子を捨て、バーダーと共にデパートを放火するまでに時間はかからなかった。

しかしRAFの設立は、ウルリケ・マインホフ(34年生)の登場を待たねばならない。社会学を学んだマインホフは雑誌の編集長になり、結婚して双子の娘を出産。反体制デモを組織する左翼界のシンボル的な女性だった。その彼女がバーダーと出会って過激化し、再逮捕された彼に取材する名目で70年5月14日に刑務所を訪れ、脱走に協力。自身も追われる身になる。バーダー=マインホフ・グルッペと呼ばれるRAF第1世代の誕生である。

当裁判が長期に渡ったのは、被告らがハンガー・ストライキを断続的に行い、弁護側と共に挑発的な言動を取って審理を故意に遅らせたためだ。「国家と戦争状態にある」彼らは、法廷を法治国家転覆のための舞台として利用したのである。

2007年に発見された裁判の録音を聴くと、75年10月28日にバーダーは「週に3回も開廷する横暴を拒否する」と発言。マインホフは76年3月10日、司直による弁護人の解任を批判しつつ、ほかの被告たちから距離を置く発言をした。

彼女が独房で首を吊るのはその数週間後。検死により自殺と発表された。しかし世論は不透明さを批判し、法廷では証人として喚問されたRAFのメンバーが、「ウルリケの仇だ」と叫んでテオドール・プリンツィング裁判長に襲い掛かる一幕もあった。

シュタムハイムRAF(ドイツ赤軍)裁判
RAF第1世代の中核メンバー。左からヤン=カール・ラスペ、
グドルン・エンスリン、アンドレアス・バーダー
©/AP/Press Association Images

RAFを生んだものとは

RAFはなぜ生まれたのか。第1世代における女性の比率は50%に近かった。アジビラを書いたのはマインホフ、資金責任者はエンスリンである。それゆえ、強い性的オーラを放つボス、バーダーに取り込まれたという生物学的な考察が1つ。2007年に初めてインタビューに応えた当時の裁判長プリンツィング氏は、バーダーの印象を「無法者だが指導力は抜群で、戦前に生まれていたら優秀な兵士になっていただろう」と語った。

父親(国家)への満たされない愛が憎悪に変わったという心理学的な考察もある。いずれにせよ彼らは、過去について沈黙する父親世代を糾弾しながら、同じ暴力に頼る蹉跌(さてつ)を踏んだ点で、同様の犯罪者だった。唯一傍聴を許された司法専門の報道記者ウルフ・シュトゥーベルガーはその点を指摘し、罪状の徹底糾明を行うべきだと述べている。

最後に被告たちと関わった弁護人の数奇なキャリアを記しておこう。放火犯当時のバーダーとエンスリンを弁護したホルスト・マーラーは自らRAF設立に加わって逮捕され、獄中で極右に転向。当裁判でバーダーを担当したクリスティアン・シュトレーベレは緑の党の連邦議員、エンスリンを弁護したオットー・シリーはシュレーダー前政権の内相になる。そして被告らは終身刑を受けた77年に惨い最期を迎えるが、それについては次々回までお待ちいただきたい。

22 Januar 2010 Nr. 800

 

高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。 www.geocities.jp/takahashi_mormann
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