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ロンドンのゲストハウス
Sa. 29. Feb. 2020

そのとき時代が変わった1945年敗戦から1989年ベルリンの壁崩壊まで

高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。

ドイツの秋 Deutscher Herbst

1977年9月5日〜
ドイツ経営者連盟会長の誘拐、ルフトハンザ機ハイジャック、RAF(ドイツ赤軍)服役囚の自殺、同会長の遺体発見と、テロが連鎖した6週間を「ドイツの秋」と呼ぶ。

連続テロの序曲

1970年代中頃、RAFとほかの極左暴力集団は、獄中にいる仲間を釈放させるためにテロを繰り返していた。ストックホルムの西ドイツ大使館が占拠されたのは75年4月。77年4月にジークフリート・ブーバック連邦検事総長、同年7月にはドレスナー銀行ユルゲン・ポント頭取が射殺される。秋に発生する連続テロの序曲だった。

9月5日午後5時29分、ケルン。ドイツ経営者連盟会長ハンス=マルティン・シュライヤーを乗せた公用車がRAFに襲われ、運転手と護衛警官は射殺、同氏は郊外のアパートに拉致される。要求は、RAF設立メンバーを含む同志11人の釈放だった。

ヘルムート・シュミット首相(SPD)は応じない方針を固める。75年2月に西ベルリンの市長候補が過激派「6月2日運動」に誘拐されたとき、政府は獄中の同派5人を国外へ出していた。「国家は再びテロに屈してはならない。ましてシュタムハイム刑務所(当連載第20回参照)内のバーダー、エンスリン、ラスペは絶対に出せない」。それが政府の総意だった。

ランツフート号のハイジャック

政府の姿勢は、接触禁止法を可決させたことで鮮明になる。囚人相互および外界との接触を遮断するこの法により、RAF囚は弁護士と面会できなくなった。すると拉致グループは監禁されたシュライヤー氏の写真をメディアに送り付け、さらに組織的なテロを実行したのである。

マヨルカ発フランクフルト行きのルフトハンザ航空181便ランツフート号が、フランス上空でハイジャックされたのは10月13日。男女各2人のハイジャック犯はパレスチナ解放人民戦線PFLPに属し、RAFの同志11人の釈放を求めた。

拉致されたシュライヤー氏と「RAFの捕虜20日」と書かれたプラカード。
拉致されたシュライヤー氏と「RAFの捕虜20日」と
書かれたプラカード。RAFがメディアに送り付けた
©FILE/AP/Press Association Images

ランツフート号はローマ、キプロス、バーレーンを経て14日にドバイ着陸。主犯格マームドは狂乱の度を強めていた。星型のロゴが付く手荷物を見つけると「ユダヤ人は誰だ、殺してやる」と叫び、その日が客室乗務員の1人の誕生日であることを知ると、管制塔にケーキを注文。震える人質86人にハッピーバースデイを歌わせる。

7分間のテロとの交戦

翌日、ランツフート号は南イエメンのアデンに強制着陸。脇の砂地に降りたため、シューマン機長が点検のため外へ出てしばらく戻らなかった。現地の責任者に乗客の保護を打診していたらしい。マームドは怒り狂い、戻ってきて機を発進させた機長の頭を通路で撃ち抜いた。乗客は恐怖のあまり叫び声すら出なかった。

17日未明、ソマリア・モガディシュに着陸。間をあけてルフトハンザ特別機2機も到着する。1機目に西ドイツ全権特使のヴィシュネヴスキー国務大臣、2機目には特殊部隊GSG9が乗っていた。ソマリアがGSG9の活動を承認したのは午後9時半。西ドイツ特使は時間を稼ぐため、マームドに釈放の準備に入ったとの情報を流した。

GSG9がランツフート号の非常口から突入したのは18日2時5分。「Köpfe runter !(伏せろ)」と叫び、動いている人間に銃を向けた。犯人の数は機長から生前に発信されていた。3人死亡、女1人逮捕。わずか7分の交戦だった。

メンバーの自殺、テロの犠牲

作戦完了、乗客は無事です——。ドイツ時間0時12分、報告を受けた首相は涙をぬぐったという。しかしこれで、人質になっているシュライヤー会長には死が確定したとも言えた。RAF囚を集めたシュタムハイム刑務所7階の看守が異変に気付いたのは午前7時41分。アンドレアス・バーダー、ヤン=カール・ラスペは銃で、グドルン・エンスリンは首を吊って死んでいた。その翌日、エルザスの山中でシュライヤー会長が射殺体で発見される。

しかし独居房の受刑者がなぜ同時に自殺を図れたのか。彼らは贅沢な待遇を受けていた。平時には相互に面談ができた上、ラジオやテレビの視聴も自由。電気に強いラスペは湯沸かし器まで組み立てていた。この彼が通信ケーブルを各部屋間に通し、シンパの弁護士から銃が手渡されていたことは間違いない。彼らの死は自殺と結論付けられた。遺体にはいくつもの誤射と苦悶の痕があったそうだ。なぜ看守はその騒ぎに気付かなかったのだろうか。

シュライヤー未亡人は生涯、「夫が見殺しにされたことには納得できない」と言い続けた。「罪悪感は消えない」とシュミット首相は振り返る。世界を震撼させ、テロ対策の流れを変えたドイツの秋は、こうして終わった。

19 Februar 2010 Nr. 804

 

高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。 www.geocities.jp/takahashi_mormann
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