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ロンドンのゲストハウス
Sa. 29. Feb. 2020

そのとき時代が変わった1945年敗戦から1989年ベルリンの壁崩壊まで

高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。

転換 シュミットからコールへ Wende – von Schmidt zu Kohl

1982年10月1日
増え続ける失業者、米国の核ミサイル・パーシングII配備、連立与党・自由民主党(FDP)との対立。1980年代に入り、シュミット首相(社会民主党=SPD)は難しい政局に立たされた。

財政緊迫、FDPとの対立激化

1980年0.9%、81年0%、82年マイナス1.1%。経済成長率である。イラン革命による原油生産の中断から始まった79年の第2次オイルショックは、西ドイツ経済に大きな打撃を与えたのだ。失業者が倍増し、82年1月には7.2%、183万人に達する。

税収が減る一方で社会保障への拠出が膨らみ、国家財政はますます緊迫してきた。政府は税の優遇措置是正、補助金の削減、公務員給与の据え置きを実施する。

連邦に初めてSPDの首相が誕生してから13年。74年にヴィリー・ブラントからヘルムート・シュミットへと交代したが、常にFDPとの連立政権である。議会では、最多の議席数を持つキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が野党席に座っていた。

SPDは72年時の改選を除き、69年、76年、80年の総選挙にいずれも勝利していない。そのSPDが政権を樹立し、維持できたのは、第3党のFDPが第1党CDU・CSUとの連立を望まなかったからなのだ。

しかし軍事と財政問題で、首相とSPD左派、およびFDP閣僚との対立は深まるばかりだった。首相は2月、議会に内閣信任決議案を出して可決させる。このときFDPが忠誠を示したのは、否決による解散総選挙を望まなかったからであろう。

内閣不信任決議へ

オットー・グラフ・ラムスドルフ経済相がFDP独自の経済社会政策案を提出したのは1982年9月9日。首相は、話し合う余地はないと突っぱねた。そして9月17日、連邦議会の演壇でFDPへの信頼を失ったと述べ、野党に対し、建設的不信任決議案を提出するよう求めた。

ドイツで議会が内閣への不信任を問う場合、次の首相候補が決まっていなければならない。ワイマール時代に左派と右派が倒閣だけを目的に共闘し、不信任案を乱発してナチスの台頭を許した過去をかんがみての方法である。

不信任決議は、議会にとっては内閣を倒すため、首相にとっては圧力をかけるための手段となる。シュミット首相とSPDは、CDU・CSUの首相候補であるヘルムート・コールに組閣能力を問い、FDPとその党首ハンス=ディートリヒ・ゲンシャーには、内閣が機能不全に陥った責任を取るよう迫ることで、将来起こりうる総選挙において有権者がFDPを罰することに賭けたのだ。

1982年10月1日、連邦議会での内閣不信任案可決によって新首相となり、宣誓するヘルムート・コール
1982年10月1日、連邦議会での内閣不信任案可決によって
新首相となり、宣誓するヘルムート・コール
©DPA DEUTSCHE PRESS-AGENTUR/DPA/Press Association Images

コール新首相の誕生

同日午後、ゲンシャー外相、ラムスドルフ経済相らFDPの閣僚4人全員が辞職し、CDU・CSUとの連立交渉を開始した。3党が消費税を1%アップして14%にすることなどで合意したのは9月28日。首相はかつての内閣同僚を“裏切り者”と呼んだ。

そして10月1日の連邦議会。シュミット政権に対する内閣不信任決議案がCDU・CSU、FDPの議員団から提出された。激しい審議が続き、投票は午後3時に持ち越された。投票総数495のうち、賛成256票、反対235票、棄権4票。戦後のドイツで初めて、かつ唯一の「前任を罷免し、同時に後任を任命する」建設的不信任決議はこうして可決される。

拍手が起こった。この時点で新首相コール(52)が生まれたのだ。笑みを浮かべたコールに、シュミット前首相が多少の落胆とかなりの安堵を交えた表情で近付き、祝福する。世界中のメディアがこのシーンを配信した。

名ばかりだった「転換」

そして小党FDPはまたしても、政治の天秤を左右する政権メーカーであることを証明してしまった。FDPがCDUとの連立を解消し、SPDにCDUと連立するチャンスを作ったのは1965年。69年からはSPDと組み、今度はCDUへの政権交代を可能にしたのだ。

このセンセーショナルな政権交代が以後、「Wende(転換)」と呼ばれるようになったのは、コール新首相が「精神的・道義的な転換」を求めたことに由来する。しかしFDPの閣僚ポストはシュミット政権そのまま。転換とは名ばかりとも言えた。

ゆえに“裏切り者”のゲンシャー、ラムスドルフに対する有権者の怒りは大きく、82年内に行われたヘッセン、バイエルン、ハンブルクの州議会選挙で、FDPの得票は議席配分の条件である5%を割り込んでしまう。さらに新政権内でもFDPの不協和音は止まらない。

ついにコール首相が内閣信任決議案を提出して否決させたのは12月17日。やっと連邦議会は解散され、83年3月に総選挙の予定が組まれた。このとき、CDU・CSUとFDP連立のコール政権が16年も継続することを、誰が予想できただろう。

27 August 2010 Nr. 831

 

高橋容子 ドイツニュースダイジェスト創刊時からの常連ライター。日本で文芸映像翻訳を手がけ、渡欧。英・独・豪と移り、現在はスペインのバスク州暮らし。 www.geocities.jp/takahashi_mormann
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