Hanacell

ヒトラーの日記 Die Hitler-Tagebücher

1983年4月25日
1983年4月25日、週刊Stern誌の記者ゲルト・ハイデマンは200人の報道陣を前に、黒い冊子の山から1冊を手に取って高く掲げた。「ヒトラーの日記を発見しました!」

Spiegel誌を越すスクープを!

日記は全部で60冊。表紙の右下に大きく“FH”の文字が刻まれている。

敗戦直前の1945年4月、ベルリンの総統防空壕から機密文書を運び出した飛行機がドレスデン南部のエルツ山中に墜落。総統の日記はその機骸から持ち出され、隠されていたが、とある情報筋から存在が明らかになり、手に入れるに至った。ディーラーの名は明かせない――。

ハイデマンの説明は、詳細を明かすと東ドイツの提供者に危険が及びかねないことを推測させるに十分だった。

1948年に創刊された週刊Stern(本社ハンブルク)は、政治と社会をテーマにする実用型のニュース報道誌である。ルポと写真に多くの誌面を割くため、グラフ雑誌と称されることもある。当時、この評価を不服とする同社は知識層を対象に販売部数でトップに立つ競合誌、週刊Spiegelを強く意識し、追い越すことを標語にしていた。

このスクープによって同誌が世界的に有名になることは間違いない。スイスと米国の専門家に依頼した筆跡鑑定では、本物とのお墨付きが出ている。「独裁者とナチ国家の歴史は部分的に書き換えられるはずです」と、コッホ編集長は力を込めた。

記者と古美術商が仕組んだ茶番劇

実際、日記の一部を掲載した4月28日発売の18号は売上を30%伸ばし、次週5月5日発売の19号も完売する。

しかし、内容を読んだ歴史家らは首をひねり始めた。例えば1933年2月27日の頁には、「月曜、雨、1日中在宅、夜、帝国議会」とだけ。ほかの頁も似たようなものだが、たまに長文が入る。肖像画家の前でポーズを取り、口臭に悩み、愛人エファ・ブラウンの想像妊娠騒ぎに同情する姿があった。しかしヒトラーは大の執筆嫌いだったはず。突然のこの饒舌(じょうぜつ)さはどうしたことだ。

1983年4月25日、記者会見で、発見したという「ヒトラーの日記」を掲げるハイデマン
1983年4月25日、記者会見で、発見したという
「ヒトラーの日記」を掲げるハイデマン
©THOMAS GRIMM/AP/Press Association Images

結局、世紀のスクープが世紀のスキャンダルへと転落するまでに要した時間は、わずか10日だった。5月6日、連邦公文書館、連邦刑事警察庁、連邦物質調査局が正式に「偽物」と判定。日記には45年以前には存在しない紙、インク、のりが使われていたのだ。

これほどお粗末な落ちがあるだろうか。茶番の主役は前述の記者ハイデマンと、美術商コンラート・クヤウである。60年代、ハイデマンは優秀な戦争記者だった。コンゴ動乱で彼が撮った写真は65年の世界報道写真大賞に輝いている。しかし70年代に入るとナチ物にのめりこみ、持ち家を売ってまで軍人ヘルマン・ゲーリングのヨットを購入。ゲーリングの姪を愛人にし、金欠病に陥る。それゆえ、総統の日記が隠されているという情報は、千載一遇のチャンスだったのである。

そこに、名画の模写を手掛けるシュトゥットガルト在住の古美術商クヤウが登場する。ドレスデン近郊の村に生まれ、ベルリンの壁出現以前に西へ逃れてきていたクヤウは、東ドイツの墜落現場とパイロットの墓を訪れて日記の存在を信じ込んだハイデマンに対し、東の隠匿者から日記を買い取り、西へ持ち出すことは可能だと言った。

全メディアへの教訓

クヤウ本人が日記を表紙から偽造し、すでに知られた出来事を満遍なく織り込んで、10年以上にもわたるヒトラーの日常を60冊もでっち上げることを、誰が想像できただろう。

事件発覚後に同誌の発行人から真相の解明を命じられた編集員ゾイフェルトは、「今考えると信じられないが……」と笑いを堪える。まずクヤウは表紙のイニシャルをFHと刻む大ミスを犯していた。アドルフ・ヒトラーだからAHのはずではないか。

当事件を描いた92年の映画『Schtonk!』に、ハイデマンの勧めで3冊を試しに買ってみた編集主幹らがそれに気付くシーンがある。「どうしてFなんだ、フリッツだったか?」「アハハまさか……。…F…F…Führer(総統)だよ…、Führer Hitler」。

筆跡鑑定家が照合のために別のヒトラー直筆を求めてきたときの話はもっと笑える。なんとクヤウ本人がそれを作り、鑑定家へと回されるようにハイデマンが仕組んだのだ。嘘の筆跡を同じ嘘の筆跡で照合すれば本物。ここでハイデマンは犯罪者になった。彼とクヤウは逮捕され、それぞれ4年8カ月、4年半の懲役刑を受ける。

こうしてStern誌の面目は丸つぶれになり、物笑いの種になってしまった。なにせ偽造日記60冊に930万マルクも払ったのだ。しかしなぜこうも簡単に騙されたのか。ヒトラーで大もうけを夢見た点では、記者も模写画家も出版社も同じだったのだ。金は人を盲目にする。当事件はすべてのメディアにとっても痛い教訓となっただろう。

24 September 2010 Nr. 835

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 18:09  
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